マリア・チェボターリ 〜不滅の美声〜
2011.07.02
R.シュトラウスとカラヤンの理想
マリア・チェボターリはリヒャルト・シュトラウスのお気に入りだった。ヘルベルト・フォン・カラヤンによると、シュトラウスが理想としていた〈サロメ〉はチェボターリだったという。1970年代半ば、カラヤンもまたサロメ役に亡きチェボターリの声を求めていた。そうして見つけた歌手がヒルデガルト・ベーレンスである。カラヤンはリチャード・オズボーンとの対話で、「(ベーレンスは)チェボターリにそっくりの声でした」と語っている。その判断が正しかったかどうかはともかく、それだけチェボターリの声にこだわっていたことが分かる発言である。
チェボターリが歌った『サロメ』全曲の音源がある。1947年9月30日、コヴェント・ガーデンでのライヴだ。ウィーン国立歌劇場の公演で、指揮はクレメンス・クラウス。この演奏にみなぎるデモーニッシュな迫力は筆舌に尽くしがたい。
チェボターリはサロメに取り憑かれたように全身全霊を傾けて歌っている。クレメンス・クラウスの指揮も粗さはあるが気迫十分。とりわけ「7つのヴェールの踊り」からフィナーレにかけての高揚感、緊張感はやや常軌を逸しており、あまりの濃密さに息が詰まりそうになる。ヨハナーンの生首を待ちかねているサロメの興奮ぶりなど、少女の無邪気なときめきと邪悪な感情の昂進が渾然一体となっていて、聴いているだけで鳥肌が立つ。これを実際観ていた人はどんな風に感じていたのだろう(場内は恐ろしく静かだ)。やたら重量感のあるティンパニの炸裂音も心臓に響く。音質は古いが、これは「とっておき」の『サロメ』としてお薦めしたい。
チェボターリの生涯
マリア・チェボターリは1910年2月10日、ベッサラビア(モルドバ)のキシニョフに生まれた。幼時のことはあまり知られていないが、地元の聖歌隊や学校で訓練を受けていたようである。18歳の時、モスクワのアレクサンダー・ヴィルボフ伯爵の劇団に加わり、パリでヴィルボフ伯爵と結婚。ベルリンでオスカル・ダニエルに声楽を3ヶ月間学んだ後、1931年にドレスデン国立歌劇場の音楽監督フリッツ・ブッシュに見出され、同年4月15日、『ラ・ボエーム』のミミ役でデビュー。センセーショナルな成功を収めた。
その美しい容姿と卓越した歌唱力はすぐに大きな評判を呼び、数ヶ月後にはブルーノ・ワルターに招かれてザルツブルク音楽祭に出演、『オルフェオとエウリディーチェ』のアモーレ役を歌った。間もなくR.シュトラウスの目にとまり、1935年には『無口な女』の世界初演でアミンタ役を務めた。その後、ドレスデンからベルリン国立歌劇場に移り、看板歌手として活躍。1937年には映画で共演したグスタフ・ディースルと恋に落ち、ヴィルボフと離婚。ディースルは『パンドラの箱』『怪人マブゼ博士(マブゼ博士の遺言)』といった歴史的名作にも出演している人気俳優である。ちなみに前者では切り裂きジャック役、後者ではトム・ケント役を務めている。チェボターリとは3度目の結婚だった。
戦後はウィーン国立歌劇場に出演。名指揮者ヨーゼフ・クリップスによって作られた伝説の「モーツァルト・アンサンブル」の一員として活躍し、聴衆から愛された。1948年3月、夫のディースルが心臓発作で急逝。チェボターリも体調を崩しがちになり、1949年3月、カール・ミレッカーのオペレッタ『乞食学生』上演中に倒れ、肝臓癌であることを告げられる。1949年6月9日、39歳で死去。ディースルとの間に生まれた2人の子供ペーターとフリッツは、イギリスの名ピアニスト、クリフォード・カーゾンに引き取られた。
その生涯を綴ったドキュメンタリーが、2004年にモルドバのVlad Druckという監督によって制作された。タイトルは『Aria』。日本では観る術がなく、どんな作品なのか見当もつかない。
チェボターリの録音
チェボターリはモーツァルトやR.シュトラウスのオペラに欠かせない存在だったが、レパートリーは広く、ヴェルディ、プッチーニも得意としていた。変わったところでは、1947年にアイネムの『ダントンの死』、1948年にマルタンの『魔法の酒』に出演している。既述したように映画にも出演しており、その数は6本にのぼる(海外のネット上では8本とも10本とも言われているが、手元にある資料では確認できない)。数分程度の断片が動画サイトにアップされている。
残された録音は多くないが、彼女のレパートリーは大体追うことができる。そして、広い音域を持つ天性の美声と傑出した(決して過剰にならない)表現力を容易に確認することができる。戦時中のドイツ、オーストリアにヴェルディやプッチーニのオペラをこのように陰翳をたたえて歌い、それでいて凛とした美しさ、品格を感じさせる歌手がほかにいたかどうか、私は知らない。
『ばらの騎士』のゾフィーもはまり役だった。ベルリン国立歌劇場の先輩歌手ティアナ・レムニッツの名唱集には、チェボターリと歌った第二幕の二重唱が収録されているが、2人の声が溶け合っていて絶品である。また、チェボターリが歌ったR.シュトラウス作品の名場面を集めた『Maria Cebotari singt Richard Strauss』では、第三幕の感動的なフィナーレを聴くことができる(マルシャリンはパウラ・ブフナー、オクタヴィアンはやはりティアナ・レムニッツ)。指揮はどちらもアルトゥール・ローターで、演奏はベルリン帝国放送管弦楽団。ひょっとして全曲盤も存在するのだろうか。
チェボターリは際立った美声を持ちながらも、多種多様な歌手の声に柔軟に、寄り添うようにフィットし、馥郁たるアンサンブルへと昇華させることができた。「モーツァルト・アンサンブル」の花形だったことも頷ける。もし戦争がなければ、そしてもっと長生きしていれば、世界的な知名度と人気を得ていたに違いない。その活動期間はあまりに短かった。
しかし、彼女の名前はカラヤンによって語られ、エーリッヒ・クンツ、リーザ・デラ・カーザなど同僚歌手たちによって語られ、歴史に残った。CDにして十数枚分の録音も現存している。それら「とっておき」の録音に耳を傾け、陶酔の時間を味わえるのは、私たち愛好家にとって掛けがえのない幸せである。代替のきかない彼女の美声は、まだそこで芳香を放っている。
【関連サイト】
Maria Cebotari(CD)
Maria Cebotari(iTunes)
マリア・チェボターリはリヒャルト・シュトラウスのお気に入りだった。ヘルベルト・フォン・カラヤンによると、シュトラウスが理想としていた〈サロメ〉はチェボターリだったという。1970年代半ば、カラヤンもまたサロメ役に亡きチェボターリの声を求めていた。そうして見つけた歌手がヒルデガルト・ベーレンスである。カラヤンはリチャード・オズボーンとの対話で、「(ベーレンスは)チェボターリにそっくりの声でした」と語っている。その判断が正しかったかどうかはともかく、それだけチェボターリの声にこだわっていたことが分かる発言である。
チェボターリが歌った『サロメ』全曲の音源がある。1947年9月30日、コヴェント・ガーデンでのライヴだ。ウィーン国立歌劇場の公演で、指揮はクレメンス・クラウス。この演奏にみなぎるデモーニッシュな迫力は筆舌に尽くしがたい。
チェボターリはサロメに取り憑かれたように全身全霊を傾けて歌っている。クレメンス・クラウスの指揮も粗さはあるが気迫十分。とりわけ「7つのヴェールの踊り」からフィナーレにかけての高揚感、緊張感はやや常軌を逸しており、あまりの濃密さに息が詰まりそうになる。ヨハナーンの生首を待ちかねているサロメの興奮ぶりなど、少女の無邪気なときめきと邪悪な感情の昂進が渾然一体となっていて、聴いているだけで鳥肌が立つ。これを実際観ていた人はどんな風に感じていたのだろう(場内は恐ろしく静かだ)。やたら重量感のあるティンパニの炸裂音も心臓に響く。音質は古いが、これは「とっておき」の『サロメ』としてお薦めしたい。
チェボターリの生涯
マリア・チェボターリは1910年2月10日、ベッサラビア(モルドバ)のキシニョフに生まれた。幼時のことはあまり知られていないが、地元の聖歌隊や学校で訓練を受けていたようである。18歳の時、モスクワのアレクサンダー・ヴィルボフ伯爵の劇団に加わり、パリでヴィルボフ伯爵と結婚。ベルリンでオスカル・ダニエルに声楽を3ヶ月間学んだ後、1931年にドレスデン国立歌劇場の音楽監督フリッツ・ブッシュに見出され、同年4月15日、『ラ・ボエーム』のミミ役でデビュー。センセーショナルな成功を収めた。
その美しい容姿と卓越した歌唱力はすぐに大きな評判を呼び、数ヶ月後にはブルーノ・ワルターに招かれてザルツブルク音楽祭に出演、『オルフェオとエウリディーチェ』のアモーレ役を歌った。間もなくR.シュトラウスの目にとまり、1935年には『無口な女』の世界初演でアミンタ役を務めた。その後、ドレスデンからベルリン国立歌劇場に移り、看板歌手として活躍。1937年には映画で共演したグスタフ・ディースルと恋に落ち、ヴィルボフと離婚。ディースルは『パンドラの箱』『怪人マブゼ博士(マブゼ博士の遺言)』といった歴史的名作にも出演している人気俳優である。ちなみに前者では切り裂きジャック役、後者ではトム・ケント役を務めている。チェボターリとは3度目の結婚だった。
戦後はウィーン国立歌劇場に出演。名指揮者ヨーゼフ・クリップスによって作られた伝説の「モーツァルト・アンサンブル」の一員として活躍し、聴衆から愛された。1948年3月、夫のディースルが心臓発作で急逝。チェボターリも体調を崩しがちになり、1949年3月、カール・ミレッカーのオペレッタ『乞食学生』上演中に倒れ、肝臓癌であることを告げられる。1949年6月9日、39歳で死去。ディースルとの間に生まれた2人の子供ペーターとフリッツは、イギリスの名ピアニスト、クリフォード・カーゾンに引き取られた。
その生涯を綴ったドキュメンタリーが、2004年にモルドバのVlad Druckという監督によって制作された。タイトルは『Aria』。日本では観る術がなく、どんな作品なのか見当もつかない。
チェボターリの録音
チェボターリはモーツァルトやR.シュトラウスのオペラに欠かせない存在だったが、レパートリーは広く、ヴェルディ、プッチーニも得意としていた。変わったところでは、1947年にアイネムの『ダントンの死』、1948年にマルタンの『魔法の酒』に出演している。既述したように映画にも出演しており、その数は6本にのぼる(海外のネット上では8本とも10本とも言われているが、手元にある資料では確認できない)。数分程度の断片が動画サイトにアップされている。
残された録音は多くないが、彼女のレパートリーは大体追うことができる。そして、広い音域を持つ天性の美声と傑出した(決して過剰にならない)表現力を容易に確認することができる。戦時中のドイツ、オーストリアにヴェルディやプッチーニのオペラをこのように陰翳をたたえて歌い、それでいて凛とした美しさ、品格を感じさせる歌手がほかにいたかどうか、私は知らない。
『ばらの騎士』のゾフィーもはまり役だった。ベルリン国立歌劇場の先輩歌手ティアナ・レムニッツの名唱集には、チェボターリと歌った第二幕の二重唱が収録されているが、2人の声が溶け合っていて絶品である。また、チェボターリが歌ったR.シュトラウス作品の名場面を集めた『Maria Cebotari singt Richard Strauss』では、第三幕の感動的なフィナーレを聴くことができる(マルシャリンはパウラ・ブフナー、オクタヴィアンはやはりティアナ・レムニッツ)。指揮はどちらもアルトゥール・ローターで、演奏はベルリン帝国放送管弦楽団。ひょっとして全曲盤も存在するのだろうか。
チェボターリは際立った美声を持ちながらも、多種多様な歌手の声に柔軟に、寄り添うようにフィットし、馥郁たるアンサンブルへと昇華させることができた。「モーツァルト・アンサンブル」の花形だったことも頷ける。もし戦争がなければ、そしてもっと長生きしていれば、世界的な知名度と人気を得ていたに違いない。その活動期間はあまりに短かった。
しかし、彼女の名前はカラヤンによって語られ、エーリッヒ・クンツ、リーザ・デラ・カーザなど同僚歌手たちによって語られ、歴史に残った。CDにして十数枚分の録音も現存している。それら「とっておき」の録音に耳を傾け、陶酔の時間を味わえるのは、私たち愛好家にとって掛けがえのない幸せである。代替のきかない彼女の美声は、まだそこで芳香を放っている。
(阿部十三)
【関連サイト】
Maria Cebotari(CD)
Maria Cebotari(iTunes)
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