マリア・ユーディナ 〜ソ連の女傑ピアニスト〜
2011.12.27
マリア・ユーディナはスターリンお気に入りのピアニストだった。彼女が録音したモーツァルトのピアノ協奏曲第23番は、スターリンの求めに応じて演奏されたものである。ただ、ユーディナは舌禍の多い人で、幾度となく当局とやり合っているような女傑だった。スターリンに対しても批判的な言動を繰り返していた。レコードの謝礼を受け取る時、彼女は礼状にこう書いたという。
「ご助力を感謝します、イオシフ・ヴィサリオノヴィッチ。私はあなたのために日夜お祈りするでしょう。あなたが人民と国家に対して犯した大罪を、神がお許しくださるように」
奇人としても知られ、演奏前に十字を切ったり、ピストルを持ち歩いたり、自分をふった男に決闘を申し込んだり、ソ連で禁じられていたパステルナークの詩を朗読したり、とエピソードを挙げ始めたらきりがない。公の場でのコンサートを禁止されたことも一度や二度ではなく、国外でのコンサートも許可されなかった。それでも、粛清はされなかった。賛美者も大勢いた。そのうちの一人がスターリンだったというのは、皮肉としか言いようがない。
伝説の人、マリア・ユーディナの名前は昔から知っていたが、音を聴く機会がなかった。私が初めて入手したのは2000年頃である。噂のピアノ協奏曲第23番を聴き、両端楽章のテンポの速さ、緩徐楽章の極端な遅さにまず呆然とした。主情的な演奏の極みで、作曲家の意図を二の次にしてしまうような奏者の圧倒的個性と技量が全面的に開陳されていた。これはモーツァルトのピアノ協奏曲というより、ユーディナのピアノ協奏曲といった方がいいだろう。この演奏に苦笑しつつ、それでも妙に惹かれるものを覚えた私は、彼女の音源をいろいろ発掘することにした。
ユーディナは1899年9月10日、ネヴェリに生まれた。1912年ペテルブルグ音楽院に入学し、アンネッテ・エシポワ、ヴラディーミル・ドロズドーフ、レオニード・ニコラーエフに師事。ニコラーエフはソフロニツキーやショスタコーヴィチの師でもある。21年に卒業してコンサート・デビュー。同年から同音楽院の教師となり、23年には教授に就任。36年にはモスクワ音楽院の教授に就任し、51年からグネーシン音楽教育大学で教えていた。ショスタコーヴィチにとっては「常に崇拝の対象」で、彼女からバルトーク、ヒンデミット、クルシェネクの作品を教えてもらったという。金銭には無頓着で、スヴャトスラフ・リヒテルによると、「貧民たちを世話し、自宅に引き取り、自分も浮浪者のような生活をしていた」。1970年11月20日、死去。
男勝りのピアニストといえば、ほかにエリー・ナイ、ジーナ・バッカウアー、モニク・ド・ラ・ブルショルリ、マルタ・アルゲリッチなどが思い浮かぶが、ユーディナはこの4人と比べても最高位を占めるような女傑である。
私が最も衝撃を受けた演奏は、J.S.バッハの「前奏曲とフーガ イ短調 BWV543」である。正確に言えば、リストが編曲したピアノ版だ。録音されたのは1952年4月10日。ごまかしも夾雑物もない、骨太で芯の強い明瞭な音で突進するバッハである。それでいておかし難い格調をたたえている。こんなバッハ、聴いたことがない。この録音があるだけでも、ユーディナの名は永遠に残るだろう。
いくつかの資料を読むと、ユーディナは当時のソ連では技巧派として知られていたようだが、いわゆるムラの多い人らしく、とても同じ人が弾いているとは思えないほど音を飛ばしまくったり、ミスタッチを連発したりしている録音もある。ただ、好調な時はそれこそ目の眩むようなテクニックで自分の思うままに音を操り表現する。中途半端は嫌いだと言わんばかりに直截的で、澱みのない、劇的な音楽を奏でるのだ。そんな彼女の特性は、とくに母国の作品で遺憾なく発揮されているように思われる。シャポーリンのピアノ・ソナタ第2番、プロコフィエフの「束の間の幻影」、ショスタコーヴィチのピアノ・ソナタ第2番、いずれも大変な名演である。ムソルグスキーの「展覧会の絵」など、ここまでやるかというほどデフォルメされたタッチで、病的なまでに激越な音楽を聴かせている。その濃厚さの前では、リヒテルやウゴルスキの演奏すら霞んでしまう。ピアノがぶっ壊れるのではないかと心配したくなるほどだ。
こうやって書くと、繊細な表現が不得手であるかのように受け取られかねないが、決してそういう意味ではない。1949年に録音されたムソルグスキーの「瞑想曲」「夢」「涙」を聴けば、彼女がピアノの音を絹糸のように紡ぎだす技術にも長けていたことがわかるだろう。
ほかに有名なところでは、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番と第5番、そしてバッハの「平均律クラヴィーア曲集」の抜粋、「ゴルトベルク変奏曲」が聴きものである。全体的にみると、ロマン派以降の作品にも魅力的な演奏は少なからずあるが(例えばムソルグスキーの「展覧会の絵」)、それより明確な音型と造形感を持つバロックや古典派の作品の方がユーディナのピアノーーむしろ性格というべきかーーに合っている。ただ、彼女の残した音源には音質に問題があるものが多い。モーツァルトやベートーヴェンのピアノ・ソナタなどがもっと良質な音で残っていれば、彼女に対するカルト的な評価も変わってくるだろう。
【関連サイト】
マリア・ユーディナ(CD)
「ご助力を感謝します、イオシフ・ヴィサリオノヴィッチ。私はあなたのために日夜お祈りするでしょう。あなたが人民と国家に対して犯した大罪を、神がお許しくださるように」
奇人としても知られ、演奏前に十字を切ったり、ピストルを持ち歩いたり、自分をふった男に決闘を申し込んだり、ソ連で禁じられていたパステルナークの詩を朗読したり、とエピソードを挙げ始めたらきりがない。公の場でのコンサートを禁止されたことも一度や二度ではなく、国外でのコンサートも許可されなかった。それでも、粛清はされなかった。賛美者も大勢いた。そのうちの一人がスターリンだったというのは、皮肉としか言いようがない。
伝説の人、マリア・ユーディナの名前は昔から知っていたが、音を聴く機会がなかった。私が初めて入手したのは2000年頃である。噂のピアノ協奏曲第23番を聴き、両端楽章のテンポの速さ、緩徐楽章の極端な遅さにまず呆然とした。主情的な演奏の極みで、作曲家の意図を二の次にしてしまうような奏者の圧倒的個性と技量が全面的に開陳されていた。これはモーツァルトのピアノ協奏曲というより、ユーディナのピアノ協奏曲といった方がいいだろう。この演奏に苦笑しつつ、それでも妙に惹かれるものを覚えた私は、彼女の音源をいろいろ発掘することにした。
ユーディナは1899年9月10日、ネヴェリに生まれた。1912年ペテルブルグ音楽院に入学し、アンネッテ・エシポワ、ヴラディーミル・ドロズドーフ、レオニード・ニコラーエフに師事。ニコラーエフはソフロニツキーやショスタコーヴィチの師でもある。21年に卒業してコンサート・デビュー。同年から同音楽院の教師となり、23年には教授に就任。36年にはモスクワ音楽院の教授に就任し、51年からグネーシン音楽教育大学で教えていた。ショスタコーヴィチにとっては「常に崇拝の対象」で、彼女からバルトーク、ヒンデミット、クルシェネクの作品を教えてもらったという。金銭には無頓着で、スヴャトスラフ・リヒテルによると、「貧民たちを世話し、自宅に引き取り、自分も浮浪者のような生活をしていた」。1970年11月20日、死去。
男勝りのピアニストといえば、ほかにエリー・ナイ、ジーナ・バッカウアー、モニク・ド・ラ・ブルショルリ、マルタ・アルゲリッチなどが思い浮かぶが、ユーディナはこの4人と比べても最高位を占めるような女傑である。
私が最も衝撃を受けた演奏は、J.S.バッハの「前奏曲とフーガ イ短調 BWV543」である。正確に言えば、リストが編曲したピアノ版だ。録音されたのは1952年4月10日。ごまかしも夾雑物もない、骨太で芯の強い明瞭な音で突進するバッハである。それでいておかし難い格調をたたえている。こんなバッハ、聴いたことがない。この録音があるだけでも、ユーディナの名は永遠に残るだろう。
いくつかの資料を読むと、ユーディナは当時のソ連では技巧派として知られていたようだが、いわゆるムラの多い人らしく、とても同じ人が弾いているとは思えないほど音を飛ばしまくったり、ミスタッチを連発したりしている録音もある。ただ、好調な時はそれこそ目の眩むようなテクニックで自分の思うままに音を操り表現する。中途半端は嫌いだと言わんばかりに直截的で、澱みのない、劇的な音楽を奏でるのだ。そんな彼女の特性は、とくに母国の作品で遺憾なく発揮されているように思われる。シャポーリンのピアノ・ソナタ第2番、プロコフィエフの「束の間の幻影」、ショスタコーヴィチのピアノ・ソナタ第2番、いずれも大変な名演である。ムソルグスキーの「展覧会の絵」など、ここまでやるかというほどデフォルメされたタッチで、病的なまでに激越な音楽を聴かせている。その濃厚さの前では、リヒテルやウゴルスキの演奏すら霞んでしまう。ピアノがぶっ壊れるのではないかと心配したくなるほどだ。
こうやって書くと、繊細な表現が不得手であるかのように受け取られかねないが、決してそういう意味ではない。1949年に録音されたムソルグスキーの「瞑想曲」「夢」「涙」を聴けば、彼女がピアノの音を絹糸のように紡ぎだす技術にも長けていたことがわかるだろう。
ほかに有名なところでは、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番と第5番、そしてバッハの「平均律クラヴィーア曲集」の抜粋、「ゴルトベルク変奏曲」が聴きものである。全体的にみると、ロマン派以降の作品にも魅力的な演奏は少なからずあるが(例えばムソルグスキーの「展覧会の絵」)、それより明確な音型と造形感を持つバロックや古典派の作品の方がユーディナのピアノーーむしろ性格というべきかーーに合っている。ただ、彼女の残した音源には音質に問題があるものが多い。モーツァルトやベートーヴェンのピアノ・ソナタなどがもっと良質な音で残っていれば、彼女に対するカルト的な評価も変わってくるだろう。
(阿部十三)
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マリア・ユーディナ(CD)
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