文化 CULTURE

1991年。予備校カルチャーの狂熱

2011.04.30
 高校3年生の時に大学受験に失敗してしまった僕は、1991年の4月から約1年間を代々木ゼミナール本校で過ごした。浪人、予備校生活に対しては、暗いイメージを持つ人が大半だろう。たしかに、浪人はひたすら勉強しなければいけないし、世間体も非常に悪いし、「来年も受からなかったらどうしよう!」というプレッシャーはズシリと心に絶えず重くのしかかる。しかし、「ちゃんと勉強して過ごそう」と腹を括ってしまえば、浪人は結構悪いものではなかったのも事実。受験勉強はやるべきことが明確に決まっているので、努力さえすればそれ相応に結果がついて来るからだ。そして何よりも、予備校は実に楽しい場所であった。

 〈生徒の駿台、講師の代ゼミ、机の河合〉という言葉をご存知だろうか? 当時の受験生の間に浸透していた言葉だ。これは所謂〈三大予備校〉である駿台予備校、代々木ゼミナール、河合塾各々の長所を端的に言い表していた。駿台は生徒が優秀なので良いライバルと切磋琢磨出来る。河合塾は駿台や代ゼミに比べて生徒一人当たりの座席のスペースが広くて快適。そして我が母校、代ゼミは講師が優秀であることに定評があった。授業中にノリノリで歌を歌い、華麗に舞い踊っていたA先生。眼鏡を不敵に光らせながら人を喰った雑談を時折放ち、教室中を爆笑で震わせていたB先生。親に黙って文科三類に願書を出してしまったため、東大合格と同時に勘当されてしまったという伝説の持ち主で、大学受験に失敗した僕らに対して頻繁に毒を吐きながらも、その言葉の裏に温かさがあったC先生。A先生同様に歌をよく歌い、二枚目であることから女子生徒の熱い視線を集めていたD先生。低音の美声を響かせてエッチなことばかり話すものだから、生徒からのプレゼントであるコンドームやイチジク浣腸が度々教卓に供えられていたE先生。年齢不詳の風貌である上、常人の理解を越えた言動が多々飛び出したため、「元遣唐使らしい」「仙人なのではないか?」という噂が真剣に囁かれていたF先生......などなど。「全然勉強と関係ないことをする講師ばかりじゃん!」という声が聞こえてきそうだ。しかし、それは全然違う。彼らは皆、アクの強いキャラクターを発揮しつつも、担当科目の受験問題の解法を論理的且つ的確に生徒に示し、学ぶことの面白さも伝えてくれる最強の講師達であった。「来年こそは受からなければ!」という切羽詰まった想いを抱えている受験生は、単に面白おかしいパフォーマンスに付き合う程のんびりはしていないのだ。

 しかし、素晴らしい講師の授業をまともに受けるためには、勉強以外の努力もしなければならなかったのが、大学受験生の人口がピークに達していた当時の恐るべき点であった。先ほど〈机の河合〉という言葉を紹介したが、あれは実は単にスペースだけの問題ではない。指定席制であった河合塾に対し、代ゼミは自由席制。授業開始ギリギリの時間に教室に駆け込んでも、席を確保出来る保証は全くなかった。良い授業を求めて何処からかやって来るモグリの生徒がいた関係もあるのだろうが、下手をすれば床に座って授業を受けなければいけない事態も起こり得たのだ。予備校側は学生証チェックを度々行ってモグリへの対策をとっていたが、数百人の生徒がひしめき合う教室で完璧なチェックをするのは難しい。モグリがチェックを逃れる術は、いくらでもあったことだろう。したがって、生徒の大半は授業が開始される9時より遥か前から教室入りしていた。僕は大体7時過ぎに行っていたが、最前列付近を確保しようとする気合いの入った生徒達は、早朝から並んで開門を待っていたという。まるで人気アーティストのライヴのチケットを求めて行列を作る音楽ファンのようではないか。

 「良い大学へ行けば、明るい未来が待っている」と、まだ無邪気に多くの人が信じることが出来ていた当時、予備校には独特の熱気と活気があった。予備校側は最高のビジネスチャンスを迎えていたため、生徒のニーズに必死で応えていた。講師達が工夫を凝らして書き上げた受験参考書は書店に平積みになり、「あれ、すごく良いらしいよ」という噂が広まると、生徒達は先を争って購入していた。大学受験生の人口が減り、大学へ行ったからといって未来を拓くことが出来るとは限らないという状況になっている今、このような予備校カルチャーは、おそらく過去の儚い幻なのだろう。「大学受験は、所詮は大学に入学するための通過点。そのための勉強に大した意味はないよ」というような、よく言われる類の指摘を聞いても異論はない。しかし......生徒達の合格への執念、予備校スタッフのビジネスに対するエネルギー、講師の情熱が異様なまでにスパークしていたあの日々が、全く無意味だったとは、僕は思っていない。あの当時を共に過ごしたかつての浪人仲間達も、同様の意見ではないだろうか。生徒が求めるものに真剣に向き合い、全力で応えてくれた予備校、講師達は、まだ社会に出る前の未熟な子供にしか過ぎなかった僕らが、おそらく生れて初めて触れた真のプロフェッショナルであった。

 ふとした時、浪人時代のことを思い出す。変な告白をするようだが、ローリング・ストーンズの曲を聴いた時なんかが特にそうなのだ。「ルビー・チューズデイ」「タイム・イズ・オン・マイ・サイド」「ワイルド・ホース」「夜をぶっとばせ!」辺りは、僕にとって代ゼミの風景が生々しく浮かび上がる曲だ。代ゼミに入学したばかりの頃、中庭のベンチに座って日向ぼっこをしながら、ストーンズの初期曲を集めたベスト盤『HOT ROCKS』をカセットテープ式のウォークマンでよく聴いていたからだと思う。

 浪人時代のことを、ストーンズをBGMにしながら綴ってみた。こんな話をミックやキースにしたら、彼らは何と言うだろう?
(田中大)


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