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汲めども尽きせぬ泉の如く 〜モンブラン万年筆の抗い難い魅力〜 [続き]

2011.07.30
 その日、財布はいつになく膨れていた。ターゲットはモンブランの限定万年筆「ヘミングウェイ・モデル」。武者震いしつつ、いざ鎌倉! のはずだったのだが......。

 あれは7月の暑い日だったと記憶している。あの日あの時の、自分の行動の由って来るところを、今以て説明できない。というのも、行きつけの文房具屋(Y堂本店)がかつて万年筆売場を設けていた馬車道のビルを目指してバスに乗ったまでは予定通りだったのだが、気が付けば、そこを疾うに通り越して終点の横浜駅にいたのだ。そして向かった先は、何故だか西口の家電量販店。ふらふらーっとワープロ売場に足が向いてしまい、ディスプレイしてあった富士通OASYSの値段を何気なく見てみると、78,000円とあった。ワープロがかなり普及し、値崩れし始めていた頃だったとはいえ、よりにもよってヘミングウェイ・モデルの万年筆よりも安いとは! ハッと我に返った時には、筆者は既に財布の中の8万円を家電量販店のレジに差し出してOASYSを買い求めていたのだった。遠ざかっていくヘミングウェイ・モデル......。後々まであの日のことを悔いたのは言うまでもない。

 筆者は、同業者の中でも手書き原稿からワープロ原稿へと移行するのがかなり遅い方だったと思う。愛用の原稿用紙は万年筆の滑りがすこぶる良いLIFE!社製のもの(蛇足ながら、某有名文具メーカーの原稿用紙よりもFAX機での送信速度が2倍近く速かった)。太字・中字・細字のモンブラン万年筆を使い分け、せっせと原稿を書き、時には400字詰め原稿用紙を100枚以上もラップの訳詞で消費することも。が、ひと度ワープロに移行してしまうと、その速度と利便さにすっかり心を奪われてしまい、「原稿はぜひとも手書きで下さい」と所望してくる奇特な編集者さんからのリクエストに嬉々として応える場合を除いては、ほぼすべての原稿を〈書く〉のをやめ、キーボードを〈打っ〉て提出するようになってしまった。だが、ヘミングウェイ・モデルを買い逃してしまったことから生ずる悔恨は、思いの外、深かったのである。

 それから数年後。今もお付き合いのある翻訳家仲間の某女史のお宅にお邪魔した時のこと。彼女が手掛ける字幕の監修を仰せつかり、泊まるのを覚悟して行った。仕事部屋に通され、その机の上に無造作に置かれたペン立てに目をやると......。鈍いオレンジ色を放ちつつ燦然と輝くそれは、まさしく夢にまで見たヘミングウェイ・モデルではないか! 「ひょっとして、これ......」と、言葉に詰まる筆者に向かって彼女曰く「ああ、それね。ヘミングウェイ・モデル。限定でデザインが素敵だったから思わず買っちゃった! 書き心地はバツグンよ」「あの、ちょっと手に取ってみてもいいですか?」「どうぞどうぞ!」ーー後にも先にも、ヘミングウェイ・モデルに直に触れたのはその時のみ。今もあのズシリとした重量感を手が記憶している。その後、彼女もワープロ→パソコンと移行し、字幕翻訳の原稿を万年筆で執筆することはなくなった。が、今でも年に何通か彼女から届く達筆な文字のハガキは、ヘミングウェイ・モデルで書かれている。実に味わい深い筆跡だ。

 後悔先に立たず。失敗は成功の母。今では法外なまでの高額な値段でオークションに出品されているため、とても手が出ないヘミングウェイ・モデルだが、ワープロを4台ほど使い果たしてもなお募る思いを引きずりつつ、無作為な数年間が過ぎた。時折、モンブランが作成したヘミングウェイ・モデルのパンフレット(発売当時にY堂本店で入手したもの。今も大切に保管)を机の引き出しの奥から取り出しては、溜め息をつく日々。そして遂にーーあの時の悔恨を払拭するチャンスが訪れたのである!

 名付けて〈モンブラン万年筆 音楽家シリーズ〉限定モデル(1996年発売)の登場である。第一弾は、レナード・バーンスタイン。正直に言えば、バーンスタイン=『ウェスト・サイド物語』の音楽、といったイメージぐらいしかなかったが、最愛のマーヴィン・ゲイが同ミュージカルの挿入歌だった「Maria」をカヴァーしておりーー死から1年後の1985年にリリースされた未発表曲集『メロウ・マーヴィン(原題:ROMANTICALLY YOURS)』に収録ーー、その楽譜の一部がデザインとしてキャップの部分に施されている、ということを知った途端、矢も盾もたまらず欲しくなってしまった。ヘミングウェイ・モデルの時と同じ失敗(?)はもはや許されない。否、同じ失敗を二度と犯すまい。そう心に固く誓い、今度こそ、バーンスタイン・モデルを仕留めるべく、いざ鎌倉!

 某年某月某日。念のために事前に電話で在庫確認をしてから、Y堂本店の万年筆売場に乗り込む。もちろん寄り道はご法度。そして遂に仕留めたのである......ガラスケースの中に恭しく陳列されていたバーンスタイン・モデルを! ヘミングウェイ・モデルよ、永遠にさようなら。バーンスタイン・モデルよ、これからの長い付き合いをくれぐれも宜しく。

 クリップ部分のト音記号の流麗なデザインも然ることながら、やはり「Maria」の楽譜の細密さと正確さに目を奪われる。売り場で手にした途端、その重量感にも心を打たれた。「お客様、試し書きをしてみて下さい」という顔見知りの店員さんの言葉にもうわの空。が、やはり万年筆を購入する際には試し書きは鉄則である。して、その書き味は......。ボディの重量感とは裏腹に、非常に軽やかで滑らか。〈指の一部になったかのような感覚〉が味わえなければ、その万年筆との一期一会は決して成立しない。縁とはまことに不思議なものである。あの時、ヘミングウェイ・モデルを入手していたなら、恐らくバーンスタイン・モデルは筆者の手元にはなかったはず。万年筆専用の収容のために購入した、ハンドメイドの籐ケースからバーンスタイン・モデルを取り出して使う度に、そのことが頭をよぎる。

 ご多分に漏れず、筆者は文明の利器=PCの恩恵に浴しているクチだ。お蔭で長い長いラップの訳詞をやっても、右手の中指にペンだこを作ることもなくなった。が、万年筆は長期間の放置を嫌う〈生き物〉にも似た筆記具なのである。インクを入れたまま長らく未使用のまま時が過ぎるに任せてしまうと、いつの間にかインクが渇き、果ては凝固してペン先に支障を来してしまう。万年筆は、インクが枯渇しない限り書き続けることが可能な筆記具であると同時に、〈万日書き続けねばならぬ筆記具〉でもある、という事実を思い知らされた。愛用しているモンブランの万年筆8本中1本が放置の憂き目に遭い、やむなくオーバーホールに出す羽目に。今でも忘れられないのは、前述のY堂本店の店員さんに言われた言葉。「お客様、せっかくいいものをお持ちでも、せめて一日一文字は書くようにして頂かないと」と、文字通り苦虫を噛み潰すような面持ちで苦言を呈されてしまったのだ。「す、すみません......」と、思わず平身低頭になって(店員さんにではなく)万年筆に謝る筆者。ちなみに、今でもその店員さんとは売り場に行く度に目礼を交わす間柄である。

 それから数週間後。晴れてオーバーホールを終え、記念すべき〈筆者にとってのモンブラン第一号〉であるマイスターシュテック146Mの585(ブラック・ボディ)が無事に戻ってきた。万年筆売場に受け取りに赴くと、件の店員さんがメモ用紙を差し出しながら例の決まり文句を言う。「お客様、試し書きをしてみて下さい」ーーそこで筆者はこう書いてみせたのだった。〈一日一文字〉。
(泉山真奈美)


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