哀しくも美しき大正の女 〜橋口五葉が描く深遠なる美人画〜
2011.08.20
決して不機嫌なのではない。そうかと言って、アンニュイな雰囲気とも微妙に違う何かがそこには......。鑑賞者の視線と交わることのない、うっすらと愁いを帯びたその瞳は、どこか遠くーーいにしえの日々かーーを見つめているようでいて、その実、空(くう)を彷徨っているかのようにも見えてくる。どの絵師の美人画とも質を異にする、独特の雰囲気と存在感。そして孤独感。
橋口五葉(1881-1921)が描く美人画は、すべからく笑みを表に出さざるべし、を信条としているかのようだ。少なくとも、筆者が約20年間のうちで過去に何度も実物を目にした五葉の美人画には、ただの一点も笑みを湛えているものがない。私家版で制作した晩年の代表作(いずれも版画)「化粧の女」(1918年)と「髪梳ける女」(1920年)は、その彫りと摺りの卓越した技にどうしても目が釘付けになってしまいがちだが、去る7月某日、五葉の大々的な回顧展『生誕130年 橋口五葉展』(千葉市美術館)で約2年ぶりにそれら2点とじっくりと向き合ってみたところ、両美人の視線の先にあるものを突き止めてみたくなった。ちなみに、「化粧の女」(千葉市美蔵)は、過去に目にした複数の美術館の所蔵品と較べて状態がずば抜けて良く、バックの雲母(きら)摺りは、まるでたった今、摺り上がったかのような輝きを放ち、しゃがんでは立ち、立ってはしゃがんで見る、をくり返したものだ。雲母摺りは様々な角度から見ると、その輝きが更に美しさを増す。
大正ロマン系の美人画家(絵師)として名を馳せる一方では、装幀家・図案家としても非凡な才能を発揮した。かの夏目漱石の『吾輩ハ猫デアル』(1905年)の装幀を手掛け、以降、五葉と漱石が昵懇の仲だったことはわりと知られた話だ。先述の展示会では、肉筆画や版画の他、装幀の画稿やそれらが使用された初版本、手描きの挿絵入り葉書など、あらゆる関連資料が惜しげもなく出品されており、この先、ここまで微に入り細を穿った回顧展は、生きている間にもう二度と観る機会はないだろう、とさえ思う。
今回の最大の呼び物だった肉筆画「黄薔薇」(1912年/无声会12回展出品作品/個人蔵)は、絵師としての五葉と図案家としての五葉のせめぎ合いのような、持てる力を全て出し尽くした感のある印象深い作品。が、発表当時、色遣いの鮮やかさが却って災いし、批評家に〈寧ろややその強烈の色彩に悪寒を催す程である〉とまで酷評されたという。今この時代にあって、約100年の歳月を経てもなお色鮮やかな色彩と構図の妙は、観る側に驚きを与えずにはおかないのだから、当時は驚愕をも通り越した、もっと強烈な何かを批評家に植え付けてしまったのではないか。それにしても〈悪寒〉は言い過ぎだろう。金糸を用いた贅沢な表装にも度肝を抜かれたが(表装ごと掲載した回顧展の図録は素晴らしい)、絵だけに集中すると、その全体が醸し出す摩訶不思議な雰囲気ーー明らかに現実の風景ではないーーに引きずり込まれてしまう。〈画面の中に知らず知らずのうちに入りこんでしまう絵〉にはそう何度もお目に掛かれないものだが、「黄薔薇」は間違いなくそうした類の一枚である。何よりも、画面右にすっと立つ美人と、一輪の〈黄薔薇〉を手にする左手前の胸像の美人の〈憂愁を湛えた目元〉に心を奪われずにはいられない。五葉の美人画の神髄は、「黄薔薇」にもしっかりと息づいている。
淋しげな目元は、だがしかし、泣き出しそうなそれとは違う。今回の展示会で、筆者は初めて五葉がロセッティの美人画を意識して首筋を描いた、という事実を知った。言われてみれば、首筋のラインがロセッティ風に見えなくもないが、それよりも、〈笑っていない目元〉と〈開いていない口元〉もまた、ロセッティの影響下から生まれたものだとしたら、実に興味深い話なのに、と思った次第である。当然ながら、ロセッティの有名な美人画に描かれた女性(ウィリアム・モリスの奥方/つまりロセッティとは愛人関係)ほど、五葉の描く女性たちには険があるわけではない。そこから考えが飛躍して、アール・ヌーヴォー調と形容されることの多い五葉のデザイン画や着物の柄は、琳派の影響よりもむしろモリスの影響の方が色濃いのでは、という推測を導き出した。いずれの美人画でも、着物の柄が斬新でデザイン性に富んでいる。
いわゆる大首絵(上半身を大きく描く浮世絵の手法)でありながら、「化粧の女」には目と心を奪われる見所がいくつもある。髪の毛の生え際とうなじの彫りの細密さ、鹿の子絞りの襦袢の柔らかな質感、手にしているドイツ製の鏡と、刷毛を持つ手の薬指にはめた指輪に施された金泥の鮮やかさ、銀色の光沢を放つ雲母摺りの眩さ、唇に薄く引かれた淡い色の紅の奥ゆかしさ、そして鏡面に注がれる憂いを秘めた目元の儚げな佇まいーー何時間でも絵の前に立ち尽くして見つめていたくなる。
晩年、五葉は江戸時代の浮世絵を熱心に研究し、それらの復刻(鈴木春信、喜多川歌麿、歌川広重など)にも努めた。自らも渡邊版画(現渡邊木版画舗)で美人画の制作を始めるのだが、版元(浮世絵を出版する会社)と方針が合わず、私家版の制作に踏み切る。そうして出来上がったのが「化粧の女」であり、「髪梳ける女」であった。五葉が到達したひとつの頂点。が、その先へ進まんとしていた矢先、中耳炎を患い、ほどなくして脳膜炎を併発して永眠。享年41(数え年)。美人薄命ならぬ五葉薄命。今にしてみれば、五葉が生み出したあの美人画の憂いを秘めた目元は、彼の短い人生を暗示していたのかも知れない。
橋口五葉(1881-1921)が描く美人画は、すべからく笑みを表に出さざるべし、を信条としているかのようだ。少なくとも、筆者が約20年間のうちで過去に何度も実物を目にした五葉の美人画には、ただの一点も笑みを湛えているものがない。私家版で制作した晩年の代表作(いずれも版画)「化粧の女」(1918年)と「髪梳ける女」(1920年)は、その彫りと摺りの卓越した技にどうしても目が釘付けになってしまいがちだが、去る7月某日、五葉の大々的な回顧展『生誕130年 橋口五葉展』(千葉市美術館)で約2年ぶりにそれら2点とじっくりと向き合ってみたところ、両美人の視線の先にあるものを突き止めてみたくなった。ちなみに、「化粧の女」(千葉市美蔵)は、過去に目にした複数の美術館の所蔵品と較べて状態がずば抜けて良く、バックの雲母(きら)摺りは、まるでたった今、摺り上がったかのような輝きを放ち、しゃがんでは立ち、立ってはしゃがんで見る、をくり返したものだ。雲母摺りは様々な角度から見ると、その輝きが更に美しさを増す。
大正ロマン系の美人画家(絵師)として名を馳せる一方では、装幀家・図案家としても非凡な才能を発揮した。かの夏目漱石の『吾輩ハ猫デアル』(1905年)の装幀を手掛け、以降、五葉と漱石が昵懇の仲だったことはわりと知られた話だ。先述の展示会では、肉筆画や版画の他、装幀の画稿やそれらが使用された初版本、手描きの挿絵入り葉書など、あらゆる関連資料が惜しげもなく出品されており、この先、ここまで微に入り細を穿った回顧展は、生きている間にもう二度と観る機会はないだろう、とさえ思う。
今回の最大の呼び物だった肉筆画「黄薔薇」(1912年/无声会12回展出品作品/個人蔵)は、絵師としての五葉と図案家としての五葉のせめぎ合いのような、持てる力を全て出し尽くした感のある印象深い作品。が、発表当時、色遣いの鮮やかさが却って災いし、批評家に〈寧ろややその強烈の色彩に悪寒を催す程である〉とまで酷評されたという。今この時代にあって、約100年の歳月を経てもなお色鮮やかな色彩と構図の妙は、観る側に驚きを与えずにはおかないのだから、当時は驚愕をも通り越した、もっと強烈な何かを批評家に植え付けてしまったのではないか。それにしても〈悪寒〉は言い過ぎだろう。金糸を用いた贅沢な表装にも度肝を抜かれたが(表装ごと掲載した回顧展の図録は素晴らしい)、絵だけに集中すると、その全体が醸し出す摩訶不思議な雰囲気ーー明らかに現実の風景ではないーーに引きずり込まれてしまう。〈画面の中に知らず知らずのうちに入りこんでしまう絵〉にはそう何度もお目に掛かれないものだが、「黄薔薇」は間違いなくそうした類の一枚である。何よりも、画面右にすっと立つ美人と、一輪の〈黄薔薇〉を手にする左手前の胸像の美人の〈憂愁を湛えた目元〉に心を奪われずにはいられない。五葉の美人画の神髄は、「黄薔薇」にもしっかりと息づいている。
長年、五葉の美人画のうちの何枚かは想像上の人物なのではないか、と勝手に夢想してきた。画面の中に確かに存在しているはずなのに、今にも淡雪のように消えてしまいそうな儚さをまとっているから。そのことは、初めて「髪梳ける女」を目にした際に既に感じ取っていた(但し、同作品のモデル名は判明している)。だから五葉が描く美人画は、彼の心象風景にのみ存在する理想の女性像なのだと、そう結論付けてしまっていたのだ。が、この度の展示会に出品されていた多数の素描に描かれた女性たちの何と肉感的かつ官能的なことか。更には、後に五葉の遺品から見つかったという、後ろ向きで裸体の女性の写真(回顧展の図録に掲載)がひょっとしたらモデルのひとりだったかも知れないのだ。これには正直に言って驚いた。どんな肢体の裸婦図を描こうと、美しくこそあれ決して生々しくはならない優美さと静謐さを秘めている五葉の美人画は、目の前にいる女性を鋭くも細やかに観察し尽くした上で、自身の理想の女性像にまで昇華させた上での結晶だったのだろう。その結晶の粒には、もちろんあの独特の〈目元〉も含まれている。
淋しげな目元は、だがしかし、泣き出しそうなそれとは違う。今回の展示会で、筆者は初めて五葉がロセッティの美人画を意識して首筋を描いた、という事実を知った。言われてみれば、首筋のラインがロセッティ風に見えなくもないが、それよりも、〈笑っていない目元〉と〈開いていない口元〉もまた、ロセッティの影響下から生まれたものだとしたら、実に興味深い話なのに、と思った次第である。当然ながら、ロセッティの有名な美人画に描かれた女性(ウィリアム・モリスの奥方/つまりロセッティとは愛人関係)ほど、五葉の描く女性たちには険があるわけではない。そこから考えが飛躍して、アール・ヌーヴォー調と形容されることの多い五葉のデザイン画や着物の柄は、琳派の影響よりもむしろモリスの影響の方が色濃いのでは、という推測を導き出した。いずれの美人画でも、着物の柄が斬新でデザイン性に富んでいる。
いわゆる大首絵(上半身を大きく描く浮世絵の手法)でありながら、「化粧の女」には目と心を奪われる見所がいくつもある。髪の毛の生え際とうなじの彫りの細密さ、鹿の子絞りの襦袢の柔らかな質感、手にしているドイツ製の鏡と、刷毛を持つ手の薬指にはめた指輪に施された金泥の鮮やかさ、銀色の光沢を放つ雲母摺りの眩さ、唇に薄く引かれた淡い色の紅の奥ゆかしさ、そして鏡面に注がれる憂いを秘めた目元の儚げな佇まいーー何時間でも絵の前に立ち尽くして見つめていたくなる。
晩年、五葉は江戸時代の浮世絵を熱心に研究し、それらの復刻(鈴木春信、喜多川歌麿、歌川広重など)にも努めた。自らも渡邊版画(現渡邊木版画舗)で美人画の制作を始めるのだが、版元(浮世絵を出版する会社)と方針が合わず、私家版の制作に踏み切る。そうして出来上がったのが「化粧の女」であり、「髪梳ける女」であった。五葉が到達したひとつの頂点。が、その先へ進まんとしていた矢先、中耳炎を患い、ほどなくして脳膜炎を併発して永眠。享年41(数え年)。美人薄命ならぬ五葉薄命。今にしてみれば、五葉が生み出したあの美人画の憂いを秘めた目元は、彼の短い人生を暗示していたのかも知れない。
(泉山真奈美)
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