花の絵

　僕は所詮半端者。だからいつでもいろんな輪から爪弾きにされてしまうのだ。例えば、初対面の人間同士が集まると、自己紹介代わりに出身地のことが話題によく上るではないか。〈東京出身／地方出身〉という2つのグループ分けで話が展開してゆくことが多いが、僕はいつもどっちの仲間にも入れてもらえない。いや、別に僕が地底人だとか、火星からやって来ましたとか、そういう歯切れの良い理由があるわけではない。だって、僕は紛れもなく東京都出身の地球人なのだから。本籍は東京都豊島区。戸籍謄本に、そう書いてあるのだから間違いはないのだと思う。しかし、「東京都出身です！」と言い切ろうとすると疚しさが胸中に渦巻いてしまうし、他人から突っ込まれる事実をいくつか抱えている。理由は3つある。

　理由その1：僕が生れた病院の所在地は、神奈川県横浜市。僕を身ごもった当初、母は横浜在住だったのだが、出産前に東京へ転居した。しかし、今までの経過を知っている病院の方が安心だったのだろう。僕を産む時にわざわざ横浜の元々の病院に入院してしまった。だから僕は「横浜に住んだことはない横浜生れ」。なんだかスッキリしない表現だ。

　理由その2：僕の本籍は豊島区だが、ここにも住んだことは一度もない。地方出身者の父が上京して本籍を置いたのが豊島区。しかし、僕が生れた頃には豊島区から引っ越していた。だから僕は本籍の住所に行ったことすらない。

　理由その3：僕が育ったのは東京の郊外である多摩地区の西の外れ。23区内出身者には到底仲間として認めてもらえないし、地方の人が抱く〈東京〉という華やかなイメージには程遠い牧歌的な土地柄であり、「そこも東京なの？」とか平然と言われてしまう。「東京出身......東京と言っても多摩地区だけどね」ーー別に悪いことをしているわけではないはずなのに、出身地について語る時、僕はいつでも言い訳めいたことを口にしなければならない。なんだかとても悔しい。

　僕の孤独は趣味の領域にも及ぶ。僕は映画を結構観ている方だし、比較的詳しい方だと言っても嘘ではないはずなのだが、まずいことに好きなジャンルに問題を抱えているようだ。僕が特に好きなのはマカロニウエスタン。マカロニウエスタンとはイタリア製の西部劇であり、本場アメリカの西部劇のバッタものだ。出自からしていかがわしいため、内容にヤケクソ感が常に漂っている。高笑いしてリンチしながら生贄の耳をナイフで切り落とし、その耳を持ち主の口にワザワザ突っ込んだり、オルガン型鉄砲、通称〈オルGUN〉で悪者達をジャンジャン射殺したり、純金製の弾丸を喰らった死体の金を取りだすために群衆が血みどろで刃物を振るったり......実にくだらない。そんな僕が「ゴダールがどうたらこうたら」「ソヴィエト映画のモンタージュ手法が云々かんぬん」とか話し合っている映画愛好家の輪に加わって、「セルジオ・コルブッチ監督の『続・荒野の用心棒』で、ジャンゴが棺桶から取り出すレンコンみたいなマシンガンがさあ〜」とか言いだそうものなら、軽蔑の眼差しを皆に向けられるのがオチだ。何度もそんなような経験を繰り返してきたため、僕は映画好きであることを周囲にあまり明らかにしない。

　そして、僕のこの孤独が人としての根源的営み、〈食〉に関しても及ぶのだから悲しくなってしまう。僕はカレーが大好きだ。週に少なくとも4、5食はカレーを食べる。しかし、「カレー愛好家です！」と言い切るには問題をあまりにも抱えている。なぜなら贔屓にしているカレー屋はいくつかあるものの、熱心に食べ歩きをして積極的に新規開拓をしているわけではなく、自宅でカレーを作る際も近所のお店で普通に売っているS&Bの赤い缶のカレー粉を使うだけだからだ。世の中には各地のカレー屋をいろいろ食べ較べて検証を日夜行ったり、オリジナルカレーのレシピやカレー粉の配合の研究に勤しんだりしている愛好家が無数にいる。書店に行けばカレーに関する書籍がたくさん並んでいるし、ネット上にもカレー研究のサイトが星の数ほどある。そんな素晴らしいパッションを持ったカレーのプロ達を前にして「僕もカレー愛好家です！」と宣言しても恥ずかしい思いをするだけだろう。そもそも、僕が常日頃主に食べているカレーがレトルトなのだから、あまりにもカッコ悪い。カッコ悪いついでに責任転嫁をするならば、近所のスーパーマーケットがそもそもいけないのだ！　だって、あまりにもレトルトカレーの品揃えが良いんだもん......。この前、こっそり数えてみたのだが、全部で81種類あった。そこは別にレトルトカレー専門店ではなく、ごく平凡なスーパーマーケットだ。夕方になると地味な装いの主婦達がダイコンとか奉仕品の豚小間のパックとかを籠に入れて店内を行き交っている。なんでそんなお店でレトルトカレーの品揃えが極度に良いのか？　あくまで僕の推測だが、仕入れ担当者がカレー好きであり、完全に趣味に走っているのだろう。館長がジャーマンプログレ好きであるため、かなりマニアックな人選が行われているのだという東京タワーの蝋人形館と同様の現象だと思う。

　僕の行きつけのスーパーマーケットは、「ボンカレーゴールド」「カレー曜日」「カレーマルシェ」といった、超メジャーな商品も勿論取り取り扱っているのだが、他では見たことのない珍しいものの方が遥かに多い。200円台の平均的なレトルトカレーよりも、1000円近い高級品の方が異彩を放っている様は、なかなかシュールだ。そんなことをしていて商売になるとは思えないのだが、商品棚のラインナップが全然変わらないところを見ると、案外そこそこ売れているのかもしれない。あるいは僕が熱心に買い続けているから、仕入れ担当者の面子が保たれているのだろうか？　カレーコーナーを通りかかる度にムズムズしてしまう僕は、いつも何かしら買ってしまうのだ。先日、僕はついに取扱商品の全制覇を達成した。いろいろ食べ比べてみて分かったのだが、概してレトルトカレーは〈欧風カレー〉の方が〈エスニック風カレー〉よりも美味しい。僕は自分で作ったりお店などで食べるならばエスニック風カレーの方が断然好きなのだが、レトルトカレーの場合は欧風カレーの方がピンとくる。エスニック風のカレーはスパイスの風味が美味しさのポイントだが、レトルトにすると味や香りが損なわれてしまうのかもしれない。それに対し、欧風カレーはスパイシーさよりも具材のエキスのブレンド具合が醸し出す味のまろやかさが美味しさのカギを握っているため、レトルト化してもクオリティを維持しやすいのではないだろうか。そんな素人くさい分析を重ねつつ、僕が行き当たった一番のお気に入りがある。七里ヶ浜の名店・珊瑚礁のレトルトカレーだ。

　珊瑚礁のレトルトカレーは、箱からしてカッコイイ。ハイビスカスのイラストに彩られ、鮮やかに浮かび上がる〈珊瑚礁〉の赤い文字。ポークカレーはオリーブ色、ビーフカレーはこげ茶色、チキンカレーはライトブルー、ひき肉のカレーはスミレ色、きのこのカレーはピンク、ホタテカレーは薄茶色。6種類毎に異なるカラフルな箱は、部屋に飾りたくなる程だ。そして、生クリーム、バター、チーズ、牛乳をふんだんに使ったあの美しいルーを舌で感じるのは、とても幸せなひと時だ。さらに特筆すべきは具材！　多くのレトルトカレーは申し訳程度に具材が入っているだけだが、珊瑚礁のレトルトカレーには迫力がある。大ぶりの具材が文字通り「ゴロリ」と入っている。僕が特に感激したのはホタテカレー。2個の大きなホタテが銀色のレトルトパックから湯気を立ち昇らせながら飛び出した時、僕の胸は熱く躍った。ああ、珊瑚礁！　実際にお店に行って食べたこともないのに、今や僕はすっかり珊瑚礁通気取りとなっている。

　しかし、珊瑚礁のレトルトカレーは一箱760円もする高級品だ。頻繁に食べるのはさすがに贅沢なので罪悪感を覚えてしまう。そんな僕が一番よく食べているのが、新宿中村屋のレトルトのインドカリー。先述の通りレトルトだとあんまりピンとこないことが多いエスニック風カレーだが、中村屋はなかなか健闘している。さすがにお店で食べる味には遠く及ばないものの、値段と味のバランスが取れているように思う。最近はこればっかりを食べている。実は、今年の8月末日まで行われているプレゼントキャンペーンが目当てでもあるのだが......。応募券を集めて送ると、新宿中村屋マーク入りオリジナルカレーポットと専用レードルが当たるのだ。これが欲しいばっかりに、現在、僕の部屋の片隅にはインドカリーの箱が20個も積み上げられている。我ながら少々みっともない光景だが、ポットとレードルが欲しいのだから仕方ない。もし当たったら、部屋の目立つところに飾るんだ〜。

　カレー！　カレー！　カレー！　やっぱりカレーが大好きだ。みんなで奪い合った給食のカレー。友人とキャンプで慣れない手つきで作った、ルーが上手く融けなくてダマになっていたカレー。具材なんて殆んど見当たらず、肉片が目認出来たらちょっとしたニュースになった大学の学食の180円のカレー、出勤前に慌てて掻き込んで憂鬱を吹き飛ばした駅のスタンドカレー。遠藤賢司の「カレーライス」を聴きながら、ひとり暮らしのボロアパートでぼんやりしながら食べた手製のカレー......僕が思い出すカレーにまつわる光景は、どれも全く冴えないものばかりだ。でも、普通の暮らしのほろ苦さと、スパイスの辛さが舌の上で入り混じるのを感じながら食べるカレーの味は、僕のささやかな心の支えであり続けてきたのだと思う。そう言えば「好きな食べ物って何？」と想いを寄せていた女の子に訊かれて「カレー！」と元気よく答えたら、「まるで子供だね」と鼻で笑われ、数日後にふられたことがあった......まあいい。そんな思い出はもう忘れる。ふられた女の子の記憶よりも、今、目の前にあるカレーの黄色い輝きの方が綺麗なのだから。さて。今日の昼食は中村屋のインドカリーだ。3日連続かあ......。


【関連サイト】
珊瑚礁公式サイト
新宿中村屋ホームページ