徳川夢声 素晴らしき異能人
2011.10.01
徳川夢声は大正から昭和にかけて活躍したマルチタレントである。マルチタレントというと「とりあえず何でもこなすけれど仕事の質は大して高くない」というイメージを持たれるかもしれない。が、この人の場合、それは当てはまらない。弁士としても、「対談まわし」としても、俳優としても傑物。小説の分野でも他に類を見ない独自の個性を発揮し、多くの作品を発表した。
元々は活動写真の弁士である。1921年に『路上の霊魂』の活弁で人気者になり、1924年からラジオに出演し、得意の話術で多くの人々を唸らせた。吉川英治原作の『宮本武蔵』の朗読はとくに有名で、その名調子はレコードでも聴くことが出来る。トーキー以後、弁士としては失職したが、1933年の『ほろよひ人生』から今度は俳優として活躍。この分野での代表作には『吾輩は猫である』『彦六大いに笑ふ』『綴方教室』『はたらく一家』がある。小説家としては『九字を切る』が直木賞候補に。ほかにもオカルトの要素を取り入れた『幽霊大歓迎』や原爆投下直後の広島を描いた力作『連鎖反応 ヒロシマ・ユモレスク』がある。
「対談まわし」としては、1951年に始まった『週刊朝日』の名物コーナー「問答有用」で長年ホストを務めた。そのゲストも豪華なもので、吉田茂、湯川秀樹、田中角栄、志賀直哉、正力松太郎など、「有名人」というよりは「歴史上の人物」といった方が良さそうなビッグネームが名を連ねている。彼らを相手に気取らず、気負わず、一歩も引かず、多方面にわたる知識を小出しにしながら軽妙な会話を交わす夢声のホストぶりは見事としか言いようがない。ちなみに、「対談まわし」とは『週刊朝日』編集長の扇谷正造による造語だが、「問答有用」の夢声にぴったり、言い得て妙である(これは余談だが、造語といえば、「彼氏」という言葉は夢声による創作である)。
「問答有用」では、徳川義親、橋本凝胤とのやりとりが面白い。
徳川義親は越前松平春嶽の五男で、尾張徳川家の養子となった人。徳川家と縁もゆかりもない夢声(本名、福原駿雄)と違い、世が世なら殿様だった人である。彼は「林政学」の研究者なのだが、私はそんな学問があること自体知らなかった。この対談では、森林を保護するために尾張藩がいかに細心の注意を払っていたかということ、ヒノキ、サワラ、アスヒ、マキ、ネズの「五木」は滅多なことでは伐らせなかったこと、明治以降ドイツ流の林学が入ってきたせいで日本の風土に合ったやり方が歪められたこと、などが語られている。
法相宗大本山薬師寺住職、橋本凝胤との対談はほとんど喧嘩である。何事も断定調で決めつける凝胤に対して、はじめのうちは徳川夢声も適当に調子を合わせているが、相手が「天動説」を唱えだすと、さすがに我慢が出来なくなって反論する。「人間の頭で考えたもんなんか知れたもんです」と言う凝胤に、「しかし人間の頭で考えたことで、あなたもものをいってらっしゃるわけですからね」と応じる夢声。その応酬はなかなか苛烈である。怪僧と言われた凝胤も、まさか「弁士」がここまで自分に対抗してくるとは思っていなかったのではないか。ただ、「天動説」でも困ることはないではないか、という凝胤の言葉には、自分自身で調べたわけでもないのに「決められたこと」を盲信する現代人への皮肉が込められているので、科学へのアンチテーゼとして読むと興味深い。対談集というのは滅多に再読しないが、これは何度も読んでしまう。
天照皇大神宮教の教祖、北村サヨとの対談もすごい。相手が突然うたい出したり、夢声のことを「おっさん」と呼び出したり、とにかくハチャメチャで、崖道をドライブしているような危うさがある。さすがの夢声も、対談後の感想で、相手のことを「ホンモノ」と書いている。凝胤とは違った意味で奇怪な対話である。
徳川夢声の小説は、あたかも文章からその名調子が聞こえてきそうな言い回しが魅力である。平明かつ軽妙。彼自身は「私のブンガクはアマチュアの域を出て居ない」と謙遜しているが、さらりと読める軽さを持ちながら、旨味のあるユーモアが忘れがたい後味を残す。初期の「錯覚劇筋書 ステッキ」などは小説の形式をおちょくった遊び心溢れる小品で、小説家としての自意識が強くないことがむしろ幸いしたのだろう。新興芸術派の先駆けと言えそうなモダニズム的新味がある。『マカロニ』で知られる中村正常あたりは夢声の影響を受けているのではないだろうか。
『新青年』に発表された、その名も『36年型浦島太郎』『36年型花咲爺』『36年型桃太郎』『36年型猿蟹合戦』『36年型かちかち山』はユーモリスト夢声の真骨頂。昔話の設定を昭和に置き換えて、徹底的に洒落のめしている。この5作は翌年〈37年型〉と改題され、単行本に収録された。傑作なのは桃太郎で、これを芸妓の名前にして、とんでもないストーリーを展開させている。「鬼退治」した後のオチも完璧である。
『連鎖反応 ヒロシマ・ユモレスク』は1950年の作品。軽い筆致ながらも、原爆を落とされた広島の街を実際に自分の目で見ているかのようなリアリティが漂っている。生き延びた主人公の吉川右近がどうにかこうにか叔母の家に辿り着き、塩豆を食べるシーンも印象的である。放射能の悪影響を軽減するには塩、豆、味噌が効果的とする説があるが、もうすでに当時からそういう知識が広まっていたのだろうか。あるいは、塩豆を選んだのはただの偶然だろうか。偶然だとしても、夢声が原爆のことを色々調べていたことは間違いなく、未だソフト化されない1957年の『世界は恐怖する 死の灰の正体』でナレーションを務めたり、原水爆禁止運動に参加したりしている。
弁士、ラジオタレント、小説家、俳優、「対談まわし」の顔を持ち、文化人になった徳川夢声。彼が亡くなってから、今年でちょうど40年が経つ。今、若い世代で夢声の名を知る人はほとんどいないようだが、もし『宮本武蔵』のCDや『問答有用』の単行本が復刻されれば再評価の機運も高まることだろう。彼こそは明治が生んだ素晴らしき異能人である。
【関連サイト】
徳川夢声(候補作家の群像)
元々は活動写真の弁士である。1921年に『路上の霊魂』の活弁で人気者になり、1924年からラジオに出演し、得意の話術で多くの人々を唸らせた。吉川英治原作の『宮本武蔵』の朗読はとくに有名で、その名調子はレコードでも聴くことが出来る。トーキー以後、弁士としては失職したが、1933年の『ほろよひ人生』から今度は俳優として活躍。この分野での代表作には『吾輩は猫である』『彦六大いに笑ふ』『綴方教室』『はたらく一家』がある。小説家としては『九字を切る』が直木賞候補に。ほかにもオカルトの要素を取り入れた『幽霊大歓迎』や原爆投下直後の広島を描いた力作『連鎖反応 ヒロシマ・ユモレスク』がある。
「対談まわし」としては、1951年に始まった『週刊朝日』の名物コーナー「問答有用」で長年ホストを務めた。そのゲストも豪華なもので、吉田茂、湯川秀樹、田中角栄、志賀直哉、正力松太郎など、「有名人」というよりは「歴史上の人物」といった方が良さそうなビッグネームが名を連ねている。彼らを相手に気取らず、気負わず、一歩も引かず、多方面にわたる知識を小出しにしながら軽妙な会話を交わす夢声のホストぶりは見事としか言いようがない。ちなみに、「対談まわし」とは『週刊朝日』編集長の扇谷正造による造語だが、「問答有用」の夢声にぴったり、言い得て妙である(これは余談だが、造語といえば、「彼氏」という言葉は夢声による創作である)。
「問答有用」では、徳川義親、橋本凝胤とのやりとりが面白い。
徳川義親は越前松平春嶽の五男で、尾張徳川家の養子となった人。徳川家と縁もゆかりもない夢声(本名、福原駿雄)と違い、世が世なら殿様だった人である。彼は「林政学」の研究者なのだが、私はそんな学問があること自体知らなかった。この対談では、森林を保護するために尾張藩がいかに細心の注意を払っていたかということ、ヒノキ、サワラ、アスヒ、マキ、ネズの「五木」は滅多なことでは伐らせなかったこと、明治以降ドイツ流の林学が入ってきたせいで日本の風土に合ったやり方が歪められたこと、などが語られている。
法相宗大本山薬師寺住職、橋本凝胤との対談はほとんど喧嘩である。何事も断定調で決めつける凝胤に対して、はじめのうちは徳川夢声も適当に調子を合わせているが、相手が「天動説」を唱えだすと、さすがに我慢が出来なくなって反論する。「人間の頭で考えたもんなんか知れたもんです」と言う凝胤に、「しかし人間の頭で考えたことで、あなたもものをいってらっしゃるわけですからね」と応じる夢声。その応酬はなかなか苛烈である。怪僧と言われた凝胤も、まさか「弁士」がここまで自分に対抗してくるとは思っていなかったのではないか。ただ、「天動説」でも困ることはないではないか、という凝胤の言葉には、自分自身で調べたわけでもないのに「決められたこと」を盲信する現代人への皮肉が込められているので、科学へのアンチテーゼとして読むと興味深い。対談集というのは滅多に再読しないが、これは何度も読んでしまう。
天照皇大神宮教の教祖、北村サヨとの対談もすごい。相手が突然うたい出したり、夢声のことを「おっさん」と呼び出したり、とにかくハチャメチャで、崖道をドライブしているような危うさがある。さすがの夢声も、対談後の感想で、相手のことを「ホンモノ」と書いている。凝胤とは違った意味で奇怪な対話である。
徳川夢声の小説は、あたかも文章からその名調子が聞こえてきそうな言い回しが魅力である。平明かつ軽妙。彼自身は「私のブンガクはアマチュアの域を出て居ない」と謙遜しているが、さらりと読める軽さを持ちながら、旨味のあるユーモアが忘れがたい後味を残す。初期の「錯覚劇筋書 ステッキ」などは小説の形式をおちょくった遊び心溢れる小品で、小説家としての自意識が強くないことがむしろ幸いしたのだろう。新興芸術派の先駆けと言えそうなモダニズム的新味がある。『マカロニ』で知られる中村正常あたりは夢声の影響を受けているのではないだろうか。
『新青年』に発表された、その名も『36年型浦島太郎』『36年型花咲爺』『36年型桃太郎』『36年型猿蟹合戦』『36年型かちかち山』はユーモリスト夢声の真骨頂。昔話の設定を昭和に置き換えて、徹底的に洒落のめしている。この5作は翌年〈37年型〉と改題され、単行本に収録された。傑作なのは桃太郎で、これを芸妓の名前にして、とんでもないストーリーを展開させている。「鬼退治」した後のオチも完璧である。
『連鎖反応 ヒロシマ・ユモレスク』は1950年の作品。軽い筆致ながらも、原爆を落とされた広島の街を実際に自分の目で見ているかのようなリアリティが漂っている。生き延びた主人公の吉川右近がどうにかこうにか叔母の家に辿り着き、塩豆を食べるシーンも印象的である。放射能の悪影響を軽減するには塩、豆、味噌が効果的とする説があるが、もうすでに当時からそういう知識が広まっていたのだろうか。あるいは、塩豆を選んだのはただの偶然だろうか。偶然だとしても、夢声が原爆のことを色々調べていたことは間違いなく、未だソフト化されない1957年の『世界は恐怖する 死の灰の正体』でナレーションを務めたり、原水爆禁止運動に参加したりしている。
弁士、ラジオタレント、小説家、俳優、「対談まわし」の顔を持ち、文化人になった徳川夢声。彼が亡くなってから、今年でちょうど40年が経つ。今、若い世代で夢声の名を知る人はほとんどいないようだが、もし『宮本武蔵』のCDや『問答有用』の単行本が復刻されれば再評価の機運も高まることだろう。彼こそは明治が生んだ素晴らしき異能人である。
(阿部十三)
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