蒼井雄 乱歩が世に送り出した「日本のクロフツ」
2011.10.22
蒼井雄は昭和10年代に話題になった推理作家である。本名は藤田優三。1909年に生まれ、1975年に亡くなった。作家として独り立ちすることなく、関西配電の技師としてサラリーマン人生を送り、数えるほどしか作品を残さなかった。代表作は『船富家の惨劇』。1936年、これが春秋社の書き下ろし長編募集に一席で入選し、注目を集めた。蒼井を推した審査員は江戸川乱歩である。一時は「日本のクロフツ」と呼ばれた蒼井雄が推理作家として大成することなく、忘れ去られたことについて、乱歩は「運不運もあるのでは」と語っている。
ただ、出来不出来の差が激しい作家である。『船富家の惨劇』は別格としても、『瀬戸内海の惨劇』(1937年)や『黒潮殺人事件』(1947年)は、筋立てが奇抜すぎたり、プロットが複雑すぎたりして、さんざん読者の期待感を煽っておきながら、結果的に自家撞着を起こし、ご都合主義的な粗さを露呈している。とくに『瀬戸内海の惨劇』は、尻すぼみの迷作。休暇中の探偵南波喜市郎が、船上から「溺死体が漂着する島」として知られる無人島の頂きで鳶の餌になっている女性の死体を発見する衝撃的なシーンから始まり、その後、絶対不可能としか思えないような犯罪が続くわけだが、作者の無節操な飛ばしっぷりに、こちらは次第に不安になってくる。「一体、このとんでもない展開をどうまとめるのだろうか」と。その不安は的中し、後半から辻褄合わせにしか見えないような、無茶苦茶な人間ドラマの様相を帯びてくる。カルト小説として読むならともかく、推理小説として今日鑑賞に堪え得るものとは思えない。
1961年11月号の『別冊宝石』には江戸川乱歩、横溝正史、蒼井雄の鼎談が掲載されている。その中で横溝は『瀬戸内海の惨劇』について、「はじめがいい」けど、後半は「どんでん返しを狙いすぎ」と感想を述べている。蒼井雄の側にも事情があったようで、『瀬戸内海の惨劇』を連載している間、編集部から早く終わらせろとしつこく急かされていたという。そんな状況下で良い作品が生まれるわけがない。ただ、「だから迷作になってしまった」と言い訳をされても、それは読者の知ったことではない。
そのような作家のことをなぜ取り上げたのかというと、『船富家の惨劇』に新鮮な感動を覚えたからである。
悲劇の舞台は南紀州、和歌山県の西牟婁郡瀬戸鉛山村(今の白浜町)。御船山の中腹にある旅館で船富隆太郎の妻弓子の死体が発見される。夫隆太郎も殺害されたようだが、死体は見当たらない。警察は、船富家の娘由貴子の元婚約者である滝沢恒雄を逮捕。弁護士の依頼を受けた探偵南波喜市郎は白浜へ行き、独自に捜査を開始する。しかし、明晰な頭脳を駆使して事件の真相に切り込もうとする南波を嘲笑うかのように、犯人は巧みに先回りして残虐な犯行を重ねるのだった。......
最初にことわっておくと、このトラベルミステリーの面白さは犯人探しにあるのではない。おそらく勘の鋭い読者は早い段階で犯人の目星をつけるはずだ。しかし、そこからが問題なのである。犯人の悪魔的な性格と冷徹な頭脳に翻弄され、南波がいつまでも真相に迫れないのだ。完璧なアリバイ、不明な動機、入り組んだ因果関係ーー作品の後半はこれを見破るために費やされていると言っても過言ではない。
そして、最初は名探偵に見えた南波が頼りなくなってきた頃(作品が三分の二ほど過ぎたあたり)、先輩の秘密探偵赤垣滝夫が登場する。彼は南波のことを「実際的な典型的な警察官」と評し、「ありふれた市井の事件には、君のような男が最適なのだ。まあ一口に言えば、指紋を調べたり、手口を研究したり、血液型を確かめてみたり、ーー要するにそうした捜査方法には、まァ卓絶した手腕家だろうな」と皮肉る。そして、これまでの南波の推理を全否定してみせるのだが、その覆し方が凄い。読者もこれまで南波の推理からもたらされた情報を一度リセットすることを求められる。
あたかも「事実」のように語られることも、それを語っている者がそもそも事実を見誤っているのであれば、真に受けてはならない。犯人が「事実」として語ることも、たとえそれが事実らしく見える内容であっても、信じてはいけない。こういうスタンスで大胆なパラダイム・シフトを行う推理小説は、当時はかなり珍しかったのではないか。
蒼井雄の筆力にも注目したい。南紀州の風景描写など、まがまがしい気配に満ちていて、力強く、彫りが深く、粘り気があり、本当に素晴らしい。それだけでも読者を緊張させ、不吉な予感を植えつける雰囲気を備えている。『瀬戸内海の惨劇』でも、蒼井の独特の文章がいくらか救いになっていると言えなくもない。その翳りと湿度をたたえた暗色の文体は、『本陣殺人事件』以降の横溝正史を髣髴させるものがある。実際のところ、横溝は『船富家の惨劇』を読み、刺激を受けていた。前掲の鼎談によると、戦後に「本格物」を書こうと思った時に読んで「負けるものか」と思ったという。
濃厚な後味を残す蒼井の描写力が最も凄烈な形で本領を発揮しているのは『霧しぶく山』(1937年)だろう。主人公と友人が大峯山を登山中、グロテスクな殺人事件に巻き込まれる話だが、血の匂いがする陰惨な風景描写には他の追随を許さぬ迫力があり、触覚に訴えるようなリアリティがある。横溝正史すら霞んで見えるほどだ。ただ、横溝の構成力は蒼井にはない。『霧しぶく山』も、蓋を開けてみれば推理小説でも何でもなく、終盤では官能小説的な方向に走っている。
蒼井雄に刺激を受けた作家は横溝だけではない。1958年に世間をあっと言わせた松本清張の『点と線』の時刻表トリックは、『船富家の惨劇』を参考にしている。このことは特記しておいて良いだろう。もっとも、『船富家の惨劇』は既述したようにただの推理小説ではない。時刻表トリックはこの作品の魅力の一部にすぎない。トリックの面白みは時代と共に古びるものだ。蒼井雄のミステリーが古くならず、携帯電話、パソコンの時代にあっても違和感を感じさせないのは、トリック重視ではなく、業の深い人間たちのドラマとして読ませる筆力があるからにほかならない。
【関連サイト】
蒼井雄(書籍)
ただ、出来不出来の差が激しい作家である。『船富家の惨劇』は別格としても、『瀬戸内海の惨劇』(1937年)や『黒潮殺人事件』(1947年)は、筋立てが奇抜すぎたり、プロットが複雑すぎたりして、さんざん読者の期待感を煽っておきながら、結果的に自家撞着を起こし、ご都合主義的な粗さを露呈している。とくに『瀬戸内海の惨劇』は、尻すぼみの迷作。休暇中の探偵南波喜市郎が、船上から「溺死体が漂着する島」として知られる無人島の頂きで鳶の餌になっている女性の死体を発見する衝撃的なシーンから始まり、その後、絶対不可能としか思えないような犯罪が続くわけだが、作者の無節操な飛ばしっぷりに、こちらは次第に不安になってくる。「一体、このとんでもない展開をどうまとめるのだろうか」と。その不安は的中し、後半から辻褄合わせにしか見えないような、無茶苦茶な人間ドラマの様相を帯びてくる。カルト小説として読むならともかく、推理小説として今日鑑賞に堪え得るものとは思えない。
1961年11月号の『別冊宝石』には江戸川乱歩、横溝正史、蒼井雄の鼎談が掲載されている。その中で横溝は『瀬戸内海の惨劇』について、「はじめがいい」けど、後半は「どんでん返しを狙いすぎ」と感想を述べている。蒼井雄の側にも事情があったようで、『瀬戸内海の惨劇』を連載している間、編集部から早く終わらせろとしつこく急かされていたという。そんな状況下で良い作品が生まれるわけがない。ただ、「だから迷作になってしまった」と言い訳をされても、それは読者の知ったことではない。
そのような作家のことをなぜ取り上げたのかというと、『船富家の惨劇』に新鮮な感動を覚えたからである。
悲劇の舞台は南紀州、和歌山県の西牟婁郡瀬戸鉛山村(今の白浜町)。御船山の中腹にある旅館で船富隆太郎の妻弓子の死体が発見される。夫隆太郎も殺害されたようだが、死体は見当たらない。警察は、船富家の娘由貴子の元婚約者である滝沢恒雄を逮捕。弁護士の依頼を受けた探偵南波喜市郎は白浜へ行き、独自に捜査を開始する。しかし、明晰な頭脳を駆使して事件の真相に切り込もうとする南波を嘲笑うかのように、犯人は巧みに先回りして残虐な犯行を重ねるのだった。......
最初にことわっておくと、このトラベルミステリーの面白さは犯人探しにあるのではない。おそらく勘の鋭い読者は早い段階で犯人の目星をつけるはずだ。しかし、そこからが問題なのである。犯人の悪魔的な性格と冷徹な頭脳に翻弄され、南波がいつまでも真相に迫れないのだ。完璧なアリバイ、不明な動機、入り組んだ因果関係ーー作品の後半はこれを見破るために費やされていると言っても過言ではない。
そして、最初は名探偵に見えた南波が頼りなくなってきた頃(作品が三分の二ほど過ぎたあたり)、先輩の秘密探偵赤垣滝夫が登場する。彼は南波のことを「実際的な典型的な警察官」と評し、「ありふれた市井の事件には、君のような男が最適なのだ。まあ一口に言えば、指紋を調べたり、手口を研究したり、血液型を確かめてみたり、ーー要するにそうした捜査方法には、まァ卓絶した手腕家だろうな」と皮肉る。そして、これまでの南波の推理を全否定してみせるのだが、その覆し方が凄い。読者もこれまで南波の推理からもたらされた情報を一度リセットすることを求められる。
あたかも「事実」のように語られることも、それを語っている者がそもそも事実を見誤っているのであれば、真に受けてはならない。犯人が「事実」として語ることも、たとえそれが事実らしく見える内容であっても、信じてはいけない。こういうスタンスで大胆なパラダイム・シフトを行う推理小説は、当時はかなり珍しかったのではないか。
蒼井雄の筆力にも注目したい。南紀州の風景描写など、まがまがしい気配に満ちていて、力強く、彫りが深く、粘り気があり、本当に素晴らしい。それだけでも読者を緊張させ、不吉な予感を植えつける雰囲気を備えている。『瀬戸内海の惨劇』でも、蒼井の独特の文章がいくらか救いになっていると言えなくもない。その翳りと湿度をたたえた暗色の文体は、『本陣殺人事件』以降の横溝正史を髣髴させるものがある。実際のところ、横溝は『船富家の惨劇』を読み、刺激を受けていた。前掲の鼎談によると、戦後に「本格物」を書こうと思った時に読んで「負けるものか」と思ったという。
濃厚な後味を残す蒼井の描写力が最も凄烈な形で本領を発揮しているのは『霧しぶく山』(1937年)だろう。主人公と友人が大峯山を登山中、グロテスクな殺人事件に巻き込まれる話だが、血の匂いがする陰惨な風景描写には他の追随を許さぬ迫力があり、触覚に訴えるようなリアリティがある。横溝正史すら霞んで見えるほどだ。ただ、横溝の構成力は蒼井にはない。『霧しぶく山』も、蓋を開けてみれば推理小説でも何でもなく、終盤では官能小説的な方向に走っている。
蒼井雄に刺激を受けた作家は横溝だけではない。1958年に世間をあっと言わせた松本清張の『点と線』の時刻表トリックは、『船富家の惨劇』を参考にしている。このことは特記しておいて良いだろう。もっとも、『船富家の惨劇』は既述したようにただの推理小説ではない。時刻表トリックはこの作品の魅力の一部にすぎない。トリックの面白みは時代と共に古びるものだ。蒼井雄のミステリーが古くならず、携帯電話、パソコンの時代にあっても違和感を感じさせないのは、トリック重視ではなく、業の深い人間たちのドラマとして読ませる筆力があるからにほかならない。
(阿部十三)
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