北杜夫 マンボウのように漂った僕の憧れ
2011.11.12
子供の頃から本を読むのが好きだった。国内外の児童文学、ポプラ社から出ていた推理小説のシリーズなど、当時の子供にとっての定番を専ら読んでいたのだが、そんな中にふとしたはずみで紛れ込んだのが北杜夫の作品群であった。出会ったのは小学校4年の時。国語の問題集の中に北杜夫が初めて手掛けた児童文学『船乗りクプクプの冒険』が出てきたのだ。もっともらしい教訓、メッセージを読みとることを期待している出題者の意図が見え隠れするのが国語の問題文の定番だが、『船乗りクプクプの冒険』は全く違った。引用されていたのは、主人公の少年が宿題に四苦八苦するシーンだったと思う。気晴らしをしようと、少年は本棚にあった「キタ・モリオ」の小説を手に取る。「さすが小説家だな」と文章の上手さに感心するのだが、「小説家は文章を書くプロだから上手いのは当たり前。それにしてはあまり上手くないぞ」と認識をすぐに改める。そこには説教くさい要素は欠片もなく、人を喰ったトーンだけがひたすら躍動していた。
問題文の末尾に書かれていた「北杜夫著『船乗りクプクプの冒険』より」という紹介を手掛かりに、僕は早速近所の図書館から『船乗りクプクプの冒険』を借りてきた。それは今まで読んできたどんな児童文学とも趣きが異なっていた。少年が読んでいた「キタ・モリオ」の小説『船乗りクプクプ』は前書き・本文・あとがきも含めて数ページしか印刷されていない、ほぼノートに等しい代物であることが判明する。少年はひどく呆れるが、いきなりその本の世界に吸い込まれてしまう。そして船乗りのクプクプとして冒険を繰り広げることになる。締め切りが怖くて自著の世界に逃げ込んだキタ・モリオ、彼を追いかける執念深い編集者なども登場し、大いに笑わせてくれる物語であった。そして、これをきっかけに、僕は北杜夫の作品を数々手にするようになったのだ。
上手いことに、僕の家には誰かが買った北杜夫のエッセイ集『どくとるマンボウ航海記』『どくとるマンボウ青春記』、小説『高みの見物』の単行本があった。幼児の頃、手の届かない本棚の最上部を見上げて、「あれはどういう意味だろう?」と首を傾げていた謎の言葉「どくとるマンボウ」が北杜夫の人気シリーズだったのは、気取り過ぎた言い方を許してもらうなら、運命だったのかもしれない......。北杜夫の小説の2冊目として僕が手にしたのが『高みの見物』だったのは、今にして思えば非常に幸運だった。北杜夫は言うまでもなく本来は純文学の作家であり、『船乗りクプクプの冒険』のような児童文学は本業ではない。しかし、そんな中でも『高みの見物』は小学生にとっても非常に分かり易い内容だったのだ。本作は端的に紹介するならば北杜夫版『吾輩は猫である』。主人公であるゴキブリが眼科医「目玉医者」や三流小説家「四文作家」の生活を観察する様を描いている。一方、『どくとるマンボウ航海記』と『どくとるマンボウ青春記』は、小学生の僕にはまだ多少難し過ぎた。読破し、面白さの虜になったのは中学生になってからだった。
船医として水産庁の調査船に乗りこんだ体験を綴った『どくとるマンボウ航海記』は、『どくとるマンボウシリーズ』の第1作。訪れた国々での出来事、船上での騒動などが、ホラ話もたっぷり盛り込まれて描かれていた。本当のこと、あるいは自分に都合よく脚色したとしても「真実である!」と装って書かれたエッセイしか読んだことのなかった僕にとって、これはかなり衝撃的な1冊であった。おそらく、この印象は刊行された当時(昭和35年)の人々にとっても同様だったのだろう。本作によって北杜夫は瞬く間にベストセラー作家となったという。一方、『どくとるマンボウ青春記』は北杜夫が旧制松本高校、東北大学の学生だった頃の回顧録だ。出鱈目極まりない先輩、友人、個性豊かな教師達などに囲まれ、文学に目覚めるようにもなった青年の日々を描いている。非常に恐ろしかったという実父・斎藤茂吉に関するエピソードの数々は、猛烈な可笑しさの狭間から温かさが滲む。本書を繰り返し読みながら、僕は旧制高校生への憧れを膨らませたものだ。
これらの作品の後も『楡家の人びと』『幽霊』『木精』『少年』『夜と霧の隅で』『白きたおやかな峰』『酔いどれ船』『黄色い船』『輝ける碧き空の下で』『奇病連盟』『どくとるマンボウ追想記』『どくとるマンボウ昆虫記』『あくびノオト』『月と10セント』......手に入る北杜夫の本は片っ端から読んだ。そして、今考えるとあまりにも失礼であり、冷や汗をかいてしまうのだが、北邸へサインを貰いに行ったことがあった。
高校に進学する直前の春休みのこと。北杜夫ファンの友人と一緒に駒場の文学館へ行き、帰り際に駒場東大前の古本屋に立ち寄った。僕は偶々見つけた『牧神の午後』、友人は『幽霊』を購入したのだが、僕らはふと思い立ち、そこから比較的近い距離にあるのを知っていた北邸へと向かうことになったのだった。非常識な子供達の応対をしてくださった北夫人に、今更ながら申し訳ない気持ちで一杯だ。北氏にお会いすることは出来なかったが、僕らは持参した本にサインを頂いた。「祝・高校合格」という一文も添えてくださったことを、大人になった今、言葉では言い表し切れないくらいの感謝の気持ちと共に思い出す。調子に乗った僕は、高校の頃に毎年、北氏に年賀状を送っていた。そんな失礼極まりない僕に対して、いつも返事の年賀状をくださったことにも何とお礼、そしてお詫びを申し上げたら良いのか分からない......。
高校の後半辺りから僕は海外文学への興味が強くなり、いつしか北杜夫の本を読む機会は減っていた。正直に言うならば、ここ10年くらいは1冊も読んでいないと思う。しかし、北邸の最寄り駅は僕の現在の自宅の近所であり、頻繁に電車で通りすがる。駅のホームにいるのではないか?と、車窓越しに白髪の老人の顔を片端からいつも見ていた。
先日、北氏が亡くなった。この文章を書くにあたって、何を綴ったら良いのかとても迷った。模範的な読者だったとは言えない僕に、何かを書く資格があるのかは分からない。しかし、少年時代の僕が多大な影響を受けて、とても親切に接してくださったのが作家・北杜夫だ。どうしても何かを書いておきたかった。上手く気持ちを言い表せる言葉が今は見つからない。ただただ感謝の気持ちで一杯だ。ありがとうございました。
【関連サイト】
北杜夫ファンページ
問題文の末尾に書かれていた「北杜夫著『船乗りクプクプの冒険』より」という紹介を手掛かりに、僕は早速近所の図書館から『船乗りクプクプの冒険』を借りてきた。それは今まで読んできたどんな児童文学とも趣きが異なっていた。少年が読んでいた「キタ・モリオ」の小説『船乗りクプクプ』は前書き・本文・あとがきも含めて数ページしか印刷されていない、ほぼノートに等しい代物であることが判明する。少年はひどく呆れるが、いきなりその本の世界に吸い込まれてしまう。そして船乗りのクプクプとして冒険を繰り広げることになる。締め切りが怖くて自著の世界に逃げ込んだキタ・モリオ、彼を追いかける執念深い編集者なども登場し、大いに笑わせてくれる物語であった。そして、これをきっかけに、僕は北杜夫の作品を数々手にするようになったのだ。
上手いことに、僕の家には誰かが買った北杜夫のエッセイ集『どくとるマンボウ航海記』『どくとるマンボウ青春記』、小説『高みの見物』の単行本があった。幼児の頃、手の届かない本棚の最上部を見上げて、「あれはどういう意味だろう?」と首を傾げていた謎の言葉「どくとるマンボウ」が北杜夫の人気シリーズだったのは、気取り過ぎた言い方を許してもらうなら、運命だったのかもしれない......。北杜夫の小説の2冊目として僕が手にしたのが『高みの見物』だったのは、今にして思えば非常に幸運だった。北杜夫は言うまでもなく本来は純文学の作家であり、『船乗りクプクプの冒険』のような児童文学は本業ではない。しかし、そんな中でも『高みの見物』は小学生にとっても非常に分かり易い内容だったのだ。本作は端的に紹介するならば北杜夫版『吾輩は猫である』。主人公であるゴキブリが眼科医「目玉医者」や三流小説家「四文作家」の生活を観察する様を描いている。一方、『どくとるマンボウ航海記』と『どくとるマンボウ青春記』は、小学生の僕にはまだ多少難し過ぎた。読破し、面白さの虜になったのは中学生になってからだった。
船医として水産庁の調査船に乗りこんだ体験を綴った『どくとるマンボウ航海記』は、『どくとるマンボウシリーズ』の第1作。訪れた国々での出来事、船上での騒動などが、ホラ話もたっぷり盛り込まれて描かれていた。本当のこと、あるいは自分に都合よく脚色したとしても「真実である!」と装って書かれたエッセイしか読んだことのなかった僕にとって、これはかなり衝撃的な1冊であった。おそらく、この印象は刊行された当時(昭和35年)の人々にとっても同様だったのだろう。本作によって北杜夫は瞬く間にベストセラー作家となったという。一方、『どくとるマンボウ青春記』は北杜夫が旧制松本高校、東北大学の学生だった頃の回顧録だ。出鱈目極まりない先輩、友人、個性豊かな教師達などに囲まれ、文学に目覚めるようにもなった青年の日々を描いている。非常に恐ろしかったという実父・斎藤茂吉に関するエピソードの数々は、猛烈な可笑しさの狭間から温かさが滲む。本書を繰り返し読みながら、僕は旧制高校生への憧れを膨らませたものだ。
これらの作品の後も『楡家の人びと』『幽霊』『木精』『少年』『夜と霧の隅で』『白きたおやかな峰』『酔いどれ船』『黄色い船』『輝ける碧き空の下で』『奇病連盟』『どくとるマンボウ追想記』『どくとるマンボウ昆虫記』『あくびノオト』『月と10セント』......手に入る北杜夫の本は片っ端から読んだ。そして、今考えるとあまりにも失礼であり、冷や汗をかいてしまうのだが、北邸へサインを貰いに行ったことがあった。
高校に進学する直前の春休みのこと。北杜夫ファンの友人と一緒に駒場の文学館へ行き、帰り際に駒場東大前の古本屋に立ち寄った。僕は偶々見つけた『牧神の午後』、友人は『幽霊』を購入したのだが、僕らはふと思い立ち、そこから比較的近い距離にあるのを知っていた北邸へと向かうことになったのだった。非常識な子供達の応対をしてくださった北夫人に、今更ながら申し訳ない気持ちで一杯だ。北氏にお会いすることは出来なかったが、僕らは持参した本にサインを頂いた。「祝・高校合格」という一文も添えてくださったことを、大人になった今、言葉では言い表し切れないくらいの感謝の気持ちと共に思い出す。調子に乗った僕は、高校の頃に毎年、北氏に年賀状を送っていた。そんな失礼極まりない僕に対して、いつも返事の年賀状をくださったことにも何とお礼、そしてお詫びを申し上げたら良いのか分からない......。
高校の後半辺りから僕は海外文学への興味が強くなり、いつしか北杜夫の本を読む機会は減っていた。正直に言うならば、ここ10年くらいは1冊も読んでいないと思う。しかし、北邸の最寄り駅は僕の現在の自宅の近所であり、頻繁に電車で通りすがる。駅のホームにいるのではないか?と、車窓越しに白髪の老人の顔を片端からいつも見ていた。
先日、北氏が亡くなった。この文章を書くにあたって、何を綴ったら良いのかとても迷った。模範的な読者だったとは言えない僕に、何かを書く資格があるのかは分からない。しかし、少年時代の僕が多大な影響を受けて、とても親切に接してくださったのが作家・北杜夫だ。どうしても何かを書いておきたかった。上手く気持ちを言い表せる言葉が今は見つからない。ただただ感謝の気持ちで一杯だ。ありがとうございました。
(田中大)
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