萩尾望都『トーマの心臓』 胸が疼く透明な物語
2011.11.19
劇団「夢の遊眠社」を通じて萩尾望都のことを知った。萩尾望都と野田秀樹が共同で戯曲を手掛けた舞台『半神』を高校2年の頃に観に行ったのだ。興味を持った僕は早速、学校の近所の本屋で萩尾望都の作品を何冊か買った。『半神』『ウは宇宙船のウ』『モザイク・ラセン』だったと思う。オリジナル作品の他、レイ・ブラッドベリのSF小説を原作としたものも収録されていて、僕は夢中になって読み耽った。しかし、当時の僕は音楽やら映画やら演劇やら小説やら女の子やら、何かと気が多かったのだ。心の奥底で気にしてはいたはずだが、萩尾望都の作品をそれ以上読み進めることはなかった。
そんな僕が再び萩尾望都の作品を手にしたのは、たしか社会人1年目の頃。古本屋で偶然『トーマの心臓』の単行本を見つけたのだ。萩尾望都の代表作であることは知っていたし、値段も手頃だったので、僕はそれを買って帰宅した。読み始めた僕の前に現れたのは......奇跡のように美しい物語だった。
『トーマの心臓』の舞台はドイツのギムナジウム。自殺してしまうトーマ・ヴェルナー、優等生のユリスモール・バイハン、ユリスモールをいつも見守るオスカー・ライザー、トーマの死後に転校してきた、トーマそっくりの容姿を持つエーリク・フリューリンクーー4人の少年を柱として物語は展開する。全体のカギを握っているのはユリスモール。彼は品行方正、成績優秀、容姿端麗、ギムナジウムのリーダー的存在だ。しかし、彼は誰に対しても一定の距離を置く。口に出しては言わないものの、自分は愛される資格も人を愛する資格もない人間だと看做しているからだ。それがトーマの自殺の背景であることが、徐々に明らかになってゆく。
説明は最小限に抑えておくが......ユリスモールは上級生からリンチを受けたことがあった。その上級生は自身の唱える「真の人間性や人間らしさというものは元来悪魔的なもので、だれものがれることはできない」という思想を証明するためにユリスモールに残虐な拷問を加え、神を否定することを求める。屈したユリスモールは、激しい自責の念に苛まれ続ける。その出来事によって生れた変化を「天国の狭き門よりくぐりいることのできる翼をぼくだけがもたなかった。ぼくだけが彼らのなかのユダだった」とユリスモールは表現している。ユリスモールは翼を失ったのだ。
愛される資格を持たない者になった自分に、誰かを愛する資格があるはずもない。そう考えるようになったユリスモールはトーマから寄せられた愛を拒み、オスカーやエーリクからの愛も撥ね退ける。何を為すべきか悩みながら見守るオスカー。感情をストレートに爆発させて真正面からぶつかるエーリク。この2人とユリスモールの関係性を中心として、物語の大部分は進行する。そして浮き彫りになるのは、ただひたすらに美しい愛の形だ。
作品の設定ゆえ、これを「少年愛の物語」と捉える人がいるのは当然だと思う。たしかにそれもひとつの観賞のアプローチだとは思う。しかし、本作が「少年同士の愛の物語」なのには、テーマ上の必然があったのだと僕は解釈している。少々乱暴な言い方にはなってしまうが、男女の愛は不純さから逃れることが出来ない。精神的に相手を満たし、満たされるだけでは足りず、「肉体」という形を持ったものを交わし合い、対象に触れ・触れさせ、満たし合わないことには成立出来ない。「慈しむ」「敬う」「尊ぶ」「焦がれる」「赦す」といった本来は人間の精神上の営みであるはずの「愛」に、肉体的な営みがどうしても顔を覗かせてしまうのだ。勿論少年同士だって生々しく性を交わせるし、男女間でプラトニックな愛を描くことも可能ではある。あるいは性交こそが愛の本質だと言う見解だってあるだろう。しかし少なくとも、未だ「男」でも「女」でもない、肉体の性別が精神を完全に支配し切っていない存在である「少年」(あるいは「少女」)を登場人物とした物語は、「性」から切り離された状態で「愛」を描くことが自然に行える。我々読者も宗教画の天使を見るような、「性」の観念から自由な視点で登場人物に接することが出来る。『トーマの心臓』は、そういうサンクチュアリで繰り広げられている物語なのだと思う。
「愛」を自問自答し続ける登場人物達に心を動かされずにはいられない。しかし、「愛とは一体何なのか?」という明確な答えはここにはない。形を持たないながらも確実に存在するはずの「愛」。その瑞々しい気配を胸一杯に吸い込む喜びがあるのみだ。だが、ひとつの確かな実感は得ることが出来る。「人は誰でも誰かを求めずにはいられないのだ」ということだ。トーマの父親が息子の思い出を語るシーンが物語の終盤に出てくる。トーマは散歩をしながら父親に問う。「どうしてお父さん、神さまはそんなさびしいものに人間をおつくりになったの? ひとりでは生きていけないように」。この問いかけは生きている限り、いつだって我々の胸の中で疼き続けるのだろう。
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萩尾望都作品目録
そんな僕が再び萩尾望都の作品を手にしたのは、たしか社会人1年目の頃。古本屋で偶然『トーマの心臓』の単行本を見つけたのだ。萩尾望都の代表作であることは知っていたし、値段も手頃だったので、僕はそれを買って帰宅した。読み始めた僕の前に現れたのは......奇跡のように美しい物語だった。
『トーマの心臓』の舞台はドイツのギムナジウム。自殺してしまうトーマ・ヴェルナー、優等生のユリスモール・バイハン、ユリスモールをいつも見守るオスカー・ライザー、トーマの死後に転校してきた、トーマそっくりの容姿を持つエーリク・フリューリンクーー4人の少年を柱として物語は展開する。全体のカギを握っているのはユリスモール。彼は品行方正、成績優秀、容姿端麗、ギムナジウムのリーダー的存在だ。しかし、彼は誰に対しても一定の距離を置く。口に出しては言わないものの、自分は愛される資格も人を愛する資格もない人間だと看做しているからだ。それがトーマの自殺の背景であることが、徐々に明らかになってゆく。
説明は最小限に抑えておくが......ユリスモールは上級生からリンチを受けたことがあった。その上級生は自身の唱える「真の人間性や人間らしさというものは元来悪魔的なもので、だれものがれることはできない」という思想を証明するためにユリスモールに残虐な拷問を加え、神を否定することを求める。屈したユリスモールは、激しい自責の念に苛まれ続ける。その出来事によって生れた変化を「天国の狭き門よりくぐりいることのできる翼をぼくだけがもたなかった。ぼくだけが彼らのなかのユダだった」とユリスモールは表現している。ユリスモールは翼を失ったのだ。
愛される資格を持たない者になった自分に、誰かを愛する資格があるはずもない。そう考えるようになったユリスモールはトーマから寄せられた愛を拒み、オスカーやエーリクからの愛も撥ね退ける。何を為すべきか悩みながら見守るオスカー。感情をストレートに爆発させて真正面からぶつかるエーリク。この2人とユリスモールの関係性を中心として、物語の大部分は進行する。そして浮き彫りになるのは、ただひたすらに美しい愛の形だ。
作品の設定ゆえ、これを「少年愛の物語」と捉える人がいるのは当然だと思う。たしかにそれもひとつの観賞のアプローチだとは思う。しかし、本作が「少年同士の愛の物語」なのには、テーマ上の必然があったのだと僕は解釈している。少々乱暴な言い方にはなってしまうが、男女の愛は不純さから逃れることが出来ない。精神的に相手を満たし、満たされるだけでは足りず、「肉体」という形を持ったものを交わし合い、対象に触れ・触れさせ、満たし合わないことには成立出来ない。「慈しむ」「敬う」「尊ぶ」「焦がれる」「赦す」といった本来は人間の精神上の営みであるはずの「愛」に、肉体的な営みがどうしても顔を覗かせてしまうのだ。勿論少年同士だって生々しく性を交わせるし、男女間でプラトニックな愛を描くことも可能ではある。あるいは性交こそが愛の本質だと言う見解だってあるだろう。しかし少なくとも、未だ「男」でも「女」でもない、肉体の性別が精神を完全に支配し切っていない存在である「少年」(あるいは「少女」)を登場人物とした物語は、「性」から切り離された状態で「愛」を描くことが自然に行える。我々読者も宗教画の天使を見るような、「性」の観念から自由な視点で登場人物に接することが出来る。『トーマの心臓』は、そういうサンクチュアリで繰り広げられている物語なのだと思う。
「愛」を自問自答し続ける登場人物達に心を動かされずにはいられない。しかし、「愛とは一体何なのか?」という明確な答えはここにはない。形を持たないながらも確実に存在するはずの「愛」。その瑞々しい気配を胸一杯に吸い込む喜びがあるのみだ。だが、ひとつの確かな実感は得ることが出来る。「人は誰でも誰かを求めずにはいられないのだ」ということだ。トーマの父親が息子の思い出を語るシーンが物語の終盤に出てくる。トーマは散歩をしながら父親に問う。「どうしてお父さん、神さまはそんなさびしいものに人間をおつくりになったの? ひとりでは生きていけないように」。この問いかけは生きている限り、いつだって我々の胸の中で疼き続けるのだろう。
(田中大)
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