不屈の評論家、生田長江について
2011.11.26
生田長江は大正時代に活躍した評論家であり、女性による文芸誌『青鞜』の企画者である。翻訳家としても有名で、彼の訳したニーチェ全集が日本の思想界に及ぼした影響は計り知れない。ダヌンツィオの『死の勝利』を訳し、若者たちを熱狂させたのも長江である。ダンテの『神曲』、ツルゲーネフの『猟人日記』、フローベール『サラムボオ』なども訳している。ほとんどは英語からの重訳で、誤訳もあるが、当時の文学少年、文学少女の多くは長江訳でこれらの傑作に接していたのである。
私がこの人の名前を知ったのは高校1年の時。国語の教師が授業中に軽く言及した島田清次郎の人生に興味を持ち、まず杉森久英による伝記『天才と狂人の間』を読み、生田長江を知った。無名で貧しかった島田は『地上』を読んでもらうために何度も長江詣でをしていたらしい。若き島田を新潮社に紹介したのも長江、読売新聞に「『地上』に就いて」(1919年7月13日)という力強い推薦文を寄せて『地上』を大ベストセラーへと導いたのも長江である。
大正時代の文学少年たちがそうであったように、私は「『地上』に就いて」から読んでみることにした。原稿用紙5枚程度の紹介文である。その中で長江はこんなことを書いていた。
そして読むまでは、あんな長い原稿を無理矢理読まされるのを、明白なる被害であると感じてゐた私も、読み了った後では、これを何等かの方法によって世間へ紹介するのが、私の義務である、愉快なる義務であるとまで思った。
この一文を読んで私もまた当時の文学少年のように心を動かされ、『地上』を古本屋で購入した。長江の性格については「お金に汚い」という噂もあったようだが、新人の紹介には熱心だった。彼が出世への足がかりを作った文人は島田清次郎だけではない。平塚らいてう、三木露風、佐藤春夫、生田春月、高群逸枝なども長江が世に送り出した人たちだ。『浪花節だよ人生は』で知られる作詞家の藤田まさとも長江の弟子である。
1906年、長江は帝大時代に書いた「小栗風葉論」で注目された。これは作家論の草分け的作品として知られている。その後、夏目漱石、森鴎外たちを取り上げた作家論『最近の小説家』を発表、その審美眼と明快にして含蓄に富んだ文章が読者の心をとらえた。堺利彦、大杉栄とも親交があり、社会問題にも目を向けていた(ただし、彼らとは思想的に一定の距離を置いていた)。『青鞜』を企画し、平塚らいてうを後押ししたのも、そういう問題意識の現れである。ちなみに、「bluestocking」を「青鞜」と訳したのは長江である。
亡くなったのは1936年1月11日。晩年は病に苦しみながら『釈尊』を執筆し、1934年に失明してからは口述筆記で上巻を完成させた。思想上の制約が厳しい時代にあってもポリシーを貫き、難病を患いながら、自らを日陰者とせずに生き抜いた53年の人生。すでに忘れられた思想界、評論界の異才だが、その強い個性が息づく作品群は文学史の死角で輝いている。
今、もし生田長江の名前を知っている人がいるとすれば、それは1916年の「自然主義前派の跳梁」の書き手としてだろう。それくらいこの過激な白樺派批判はセンセーションを巻き起こし、長江の名を文学史に刻んだのである。
所謂白樺派のもってゐる悪いところとは何であるか。精一杯手短かな言葉に代表さして云へば、「お目出度き人」と云ふ小説か脚本かを書いた武者小路氏のごとく、皮肉でも反語でもなく、勿論何等の漫罵でもなく、思切って「オメデタイ」ことである。
再びことわって置く。私は右の「お目出度き人」と云ふ小説だか脚本だかをまだ読んでゐない。そしてまだ読んでゐないのをちっとも悪い事だと思ってゐない。加之、あの小説だか脚本だかを読んでゐないでも、武者小路氏及び氏によって代表されてゐる所謂白樺派の文芸及び思潮が、本当にオメデタイものであることを言明し得られると思ってゐる。
引用したのは前半の一部である。本当に「お目出度き人」を読んでいなかったのか。むろん、読んではいたのだろう。ただ、読んでいない前提で罵倒しているのだからほとんど暴論である。言いがかりのようにしか見えない。事勿れ主義の今のメディアならまずこんな原稿は載せないだろう。クレームが殺到する。
しかし、この批評の心臓部は前半にあるわけではない。後半に書かれていることこそ長江が掲げたい論点だったのだ。
所謂白樺派の人生の肯定は、何の造作もなく、ただナイイヴに、ただオメデタク人生を肯定してゐるのである。彼等の肯定に意義がないのは、彼等がその前に必要な手続きとして一旦人生を否定して来てゐないからである。
谷崎潤一郎は「文壇昔ばなし」でこの白樺派批判にふれ、「つまり相手に腹を立てさせるのを目的にして漫罵を連ねているのである」と書いている。
「あんなスキマだらけの乱暴な書き方をしないでも、もう少し書きようがあったではありませんか」と、或る時私が長江にいうと、「いや、議論を吹ッかける場合には、わざとスキマを拵えて置く方がいいんです、そうしないと敵が乗って来ないんです」といっていたが、なるほど評論家にはそういう心得が必要なのかなと、感心したことがあった。
私がこの人の名前を知ったのは高校1年の時。国語の教師が授業中に軽く言及した島田清次郎の人生に興味を持ち、まず杉森久英による伝記『天才と狂人の間』を読み、生田長江を知った。無名で貧しかった島田は『地上』を読んでもらうために何度も長江詣でをしていたらしい。若き島田を新潮社に紹介したのも長江、読売新聞に「『地上』に就いて」(1919年7月13日)という力強い推薦文を寄せて『地上』を大ベストセラーへと導いたのも長江である。
大正時代の文学少年たちがそうであったように、私は「『地上』に就いて」から読んでみることにした。原稿用紙5枚程度の紹介文である。その中で長江はこんなことを書いていた。
そして読むまでは、あんな長い原稿を無理矢理読まされるのを、明白なる被害であると感じてゐた私も、読み了った後では、これを何等かの方法によって世間へ紹介するのが、私の義務である、愉快なる義務であるとまで思った。
(生田長江「『地上』に就いて」)
この一文を読んで私もまた当時の文学少年のように心を動かされ、『地上』を古本屋で購入した。長江の性格については「お金に汚い」という噂もあったようだが、新人の紹介には熱心だった。彼が出世への足がかりを作った文人は島田清次郎だけではない。平塚らいてう、三木露風、佐藤春夫、生田春月、高群逸枝なども長江が世に送り出した人たちだ。『浪花節だよ人生は』で知られる作詞家の藤田まさとも長江の弟子である。
1906年、長江は帝大時代に書いた「小栗風葉論」で注目された。これは作家論の草分け的作品として知られている。その後、夏目漱石、森鴎外たちを取り上げた作家論『最近の小説家』を発表、その審美眼と明快にして含蓄に富んだ文章が読者の心をとらえた。堺利彦、大杉栄とも親交があり、社会問題にも目を向けていた(ただし、彼らとは思想的に一定の距離を置いていた)。『青鞜』を企画し、平塚らいてうを後押ししたのも、そういう問題意識の現れである。ちなみに、「bluestocking」を「青鞜」と訳したのは長江である。
亡くなったのは1936年1月11日。晩年は病に苦しみながら『釈尊』を執筆し、1934年に失明してからは口述筆記で上巻を完成させた。思想上の制約が厳しい時代にあってもポリシーを貫き、難病を患いながら、自らを日陰者とせずに生き抜いた53年の人生。すでに忘れられた思想界、評論界の異才だが、その強い個性が息づく作品群は文学史の死角で輝いている。
今、もし生田長江の名前を知っている人がいるとすれば、それは1916年の「自然主義前派の跳梁」の書き手としてだろう。それくらいこの過激な白樺派批判はセンセーションを巻き起こし、長江の名を文学史に刻んだのである。
所謂白樺派のもってゐる悪いところとは何であるか。精一杯手短かな言葉に代表さして云へば、「お目出度き人」と云ふ小説か脚本かを書いた武者小路氏のごとく、皮肉でも反語でもなく、勿論何等の漫罵でもなく、思切って「オメデタイ」ことである。
再びことわって置く。私は右の「お目出度き人」と云ふ小説だか脚本だかをまだ読んでゐない。そしてまだ読んでゐないのをちっとも悪い事だと思ってゐない。加之、あの小説だか脚本だかを読んでゐないでも、武者小路氏及び氏によって代表されてゐる所謂白樺派の文芸及び思潮が、本当にオメデタイものであることを言明し得られると思ってゐる。
(生田長江「自然主義前派の跳梁」)
引用したのは前半の一部である。本当に「お目出度き人」を読んでいなかったのか。むろん、読んではいたのだろう。ただ、読んでいない前提で罵倒しているのだからほとんど暴論である。言いがかりのようにしか見えない。事勿れ主義の今のメディアならまずこんな原稿は載せないだろう。クレームが殺到する。
しかし、この批評の心臓部は前半にあるわけではない。後半に書かれていることこそ長江が掲げたい論点だったのだ。
所謂白樺派の人生の肯定は、何の造作もなく、ただナイイヴに、ただオメデタク人生を肯定してゐるのである。彼等の肯定に意義がないのは、彼等がその前に必要な手続きとして一旦人生を否定して来てゐないからである。
(生田長江「自然主義前派の跳梁」)
谷崎潤一郎は「文壇昔ばなし」でこの白樺派批判にふれ、「つまり相手に腹を立てさせるのを目的にして漫罵を連ねているのである」と書いている。
「あんなスキマだらけの乱暴な書き方をしないでも、もう少し書きようがあったではありませんか」と、或る時私が長江にいうと、「いや、議論を吹ッかける場合には、わざとスキマを拵えて置く方がいいんです、そうしないと敵が乗って来ないんです」といっていたが、なるほど評論家にはそういう心得が必要なのかなと、感心したことがあった。
(谷崎潤一郎「文壇昔ばなし」)
さらに谷崎は、あくまでも憶測と断った上で、「ハンセン氏病を病んでいた彼(長江)は、こんな病気に負けてなるものか、敢然として世に闘いを挑んでくれよう、という料簡から、恰好な挑戦の相手として白樺派に白羽の矢を立てたのではあるまいか」と推察し、さらに長江の歪んだ性格を批判している。
私には、白樺派を一蹴したこの批評家の「料簡」が、谷崎の語るようなものだったとは思えない。否定のプロセスを経ていない人生肯定から文学的重みや深みが生まれ得ないのは事実である。推察するに、文壇の寵児のようになっていく恵まれた坊ちゃん作家に対し、長江の嗅覚が鋭く働き、拒絶反応を示したのだろう(ただし、長江は同じ白樺派でも志賀直哉と里見弴のことは評価していた)。それを手っ取り早く世に問う手段として、煽動的で「スキマだらけ」の形を選んだのだ。病気に負けてなるものか、という気持ちが長江の中にあったとしても、それはまた別問題として考えるべきである。この「スキマ」はあくまでも技法である。たとえて言うなら、取材時にテンションの低い相手からコメントを引き出すために、インタビュアーがあえて意見の食い違うようなことを言うやり方と似ている。
結果的に、思惑通り武者小路がこの挑発に応じたことで注目を集めたものの、白樺派の勢いを止めることは出来なかった。長江の書き方は、話題に上る即効性はあっても、真面目な問題提起にまでは至らない。下手をすれば相手を優位に立たせるだけだ。この批評の肝となるのは後半以降なのに、前半の煽動的な部分に注意が向いてしまう。だから、ここばかり引用される。また、「読んでゐない」と書いている以上、感情論としては面白くても、批評としては説得力を持ち得ない。ことほどさように「スキマ」の作り方とは難しいものなのである。
(阿部十三)
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