発掘!明治文学 文学者としての松原岩五郎
2011.12.17
ルポルタージュの開祖とも言われる松原岩五郎の作品は、『最暗黒之東京』以外、ほとんど忘れられている。小説を書いていたこともあまり知られていない。しかし明治時代に松原が小説の分野で果たした役割は決して小さなものではなかった。彼はどんな文学観を持ち、自国の文学や海外の文学をどう摂取し、どのような作品を残したのだろうか。
まずは明治24年(1891年)5月16日に『国民新聞』に掲載された「判評 社会の罪」を見てみよう。これは森田思軒が『国民之友』に寄せた「社会の罪」についての考察である。「社会の罪」は、板垣退助刺殺未遂事件の実行犯であった相原尚褧の人物像に迫った論文。松原はこれを「日本文学の第一標本」と評価している。加害者である相原もまた被害者であるとして、真の加害者である社会の罪を糾弾する視点は、長年にわたりユーゴーを翻訳・研究してきた森田ならではのものだ。現に、ここで描かれている相原はどこか『レ・ミゼラブル』のジャン・バルジャンを連想させる。
松原が本作を評価したのは、社会の中で苦しむ個人に焦点を当てることで、急激な時代変化の負の側面を浮き彫りにしていたからにほかならない。時代に取り残された人々の悲劇、歴史にも社会にも法律にも見放された人々の悲劇を描くことこそ小説家の使命ではないかと森田は訴え、松原もそれに同調する。「判評 社会の罪」の翌月、『新著百種』に登場した松原の『長者鑑』は、時代設定こそ江戸後期となっているが、森田の「社会の罪」の思想を具現化したものと言えよう。
井原西鶴の「世話物」の影響も見逃せない。特に、江戸後期の小作人の生活の内情、搾取の情態、貧富の格差を怒涛のごとく列挙する場面などは、借金に苦しむ小商人の有様を描いた『世間胸算用』を髣髴させ、他の小説を寄せ付けない迫力を持つ。しかしながら、この『長者鑑』の段階では、まだ自らの経験に基づいたダイレクトな社会批判には到っていない。
幸田露伴を崇拝していた松原は、その影響で西鶴を熟読し、西鶴流の市談に露伴の精神性を織り交ぜたような作品を発表した。彼の二十三階堂という筆名も、矢数俳諧で一昼夜23500句の記録を立てた「二万堂西鶴」の名にちなんだもの。明治25年(1892年)5月14日から21日まで『国会』に連載された「骨董店の一日」は西鶴没後200周年の供養として西鶴に捧げられている。庶民を描き、平民を描いた西鶴。松原はそのジャーナリスティックな面に注目し、西鶴をディケンズ、ゴーゴリと並ぶような存在とみなし、日本を代表する市談派(社会文学)の開祖と位置づけた。
もう一人、松原が目標にしていた作家がいる。ドストエフスキーである。明治25年5月27日『国会』に寄せられた「ドストエフスキーの罪書」では、ドストエフスキーの人物像やその著作『罪と罰』について言及するとともに、ロシアの現状やロシア文壇の情勢を紹介。『罪と罰』の影響力は計り知れないとし、日本のドストエフスキー派の登場を予感している。内田魯庵が初の邦訳を出す約半年前のことだ。
ロシアの判官報として有名なるモスクワガゼットの鉄腕記者シケル、カットーコフが議論に於ての如く、フエドル、ドストエフスキーは露国近代の小説家として其名全欧へ轟き渡る。一方はアレキサンドル二世の寵拳を蒙って虚無党の巨頭を筆下に壓へ、一方は蒙塵社会の心中を容赦なく発き出して恐ろしく貴族に憚らる。而して此二大偉人がロシア全土へ及ぼしたる影響は実に至大のものなりと伝え聞く......
ここで注目すべきは、ドストエフスキーとモスクワ新聞の主筆ミハイル・カトコフを並べて提示することで、ドストエフスキーのジャーナリスティックな面を指摘していることである。貴族と民衆、地主と小作の対立、スラム問題など、ロシアの現状は日本を写す鏡でもあった。民衆、貧民の生活やその心中を描くことで問題提起をしたドストエフスキーは、松原にとって一つの理想であり、目指すべき文学者の一人であった。カトコフについても同様のことが言える。後に松原は、カトコフを主人公にしたロシア物の小説「欧州第一流の新聞記者」を書いている。そこに描かれた新聞記者としてのあるべき姿もまた松原の理想の姿であった。民衆のため、貧民のために心血を注いだ文章こそが真の文学であり、そういう意味では、松原には小説も新聞記事も、小説家も新聞記者も違いはなかった。
最後に、明治25年7月24日から8月13日にかけて『国会』の小説欄に連載された文学論「庖厨三十種」を紹介しよう。これは松原の文学観が凝縮された、計12回にわたる論文である。松原は厨房で食材を切り刻むように、古今東西の文学、文学者を次々と料理する。松原にかかれば曲亭馬琴、為永春水、尾崎紅葉は屑同然、不味くて食材にもならないようだ。その中で、雑報(新聞記事)の難しさについてもふれている。雑報は客観的な事実をその日に読ませるものだから文章に苦心惨憺する必要はない、という意見に対し、松原はこう反論する。
雑報家は事実に対して機敏なると同じく文に対して又機敏ならざるべからず。事実相違すれば人に笑われ。文冗漫なれば看客倦く。軽妙ならざるべからず、深刻ならざるべからず、文藻なければ読者を引かず鋭利ならざれば神経を刺さず、方外なれば指弾され虚飾なれば厭はる。至極難渋なる職業といふべし。
「事実は小説より奇なり」と言われるが、その事実を表すには、事実の探求はもちろんのこと、鋭利な視点、読者を引きつける文章が不可欠である。単なる事実の羅列はその場に居合わせた筆者にとっては事実に相違ないが、読者にとっては備忘録にすらならない。松原は、雑報における小説的要素と小説における雑報的要素を指摘することで、事実の探求を伴わない小説や文学的魅力のない雑報を否定する。事実を事実たらしめる手腕、事実を臨場感をもって再現する手腕を重んじる松原にとって、小説と言えぬ小説、雑報と言えぬ雑報がはびこる世の中は歯痒いものであったに違いない。
松原は明治25年10月、連載2回目で終わった「新長者鑑」の後、一時文壇から去る。そして11月以降は貧民窟ルポルタージュを続々と発表。その小説的魅力を伴った雑報記事は、松原の名を不動のものとした。それらの記事の一部は『最暗黒之東京』と題され民友社から出版されて以降、明治時代の暗黒面を著した傑作として読み継がれている。歴史の表舞台には決して現れない虐げられた人々のありのままの日常を記した本作は、松原文学の集大成と言えよう。
惜しむらくは、資料的価値に重点を置いた編集側の意向か、単行本化するにあたり、小説的要素の強い記事がほとんど採用されず、加えて新聞連載当時の文章の差し替えや入れ替えが大胆に行われてしまった。結果として、文学的魅力が減じたばかりか、紙面を沸かせた当時の勢いもなくなり、ルポルタージュ作品としては中途半端な印象を与えている。後に登場する横山源之助の『日本之下層社会』と比べ、本作が過渡期的作品とみなされるのはその辺に由来するものだろう。とはいえ、本作の真の魅力はルポルタージュとしての資料的価値にあるわけではない。『罪と罰』や『レ・ミゼラブル』といった文学に比肩し得る、社会問題に迫った究極のリアリティ文学として本作を捉えるべきであり、それでこそ松原も浮かばれるというものである。
生きることに精一杯のその日暮らしの生活にロマンスなど入り込む余地はない。洋の東西を問わず今の世にも蔓延っている紅葉、春水流の恋愛小説を飽き足らなく思っている人にこそ、ぜひ一読をお薦めしたい。眼前に繰り広げられる衝撃の事実に圧倒されること請け合いだ。まさに「事実は小説より奇なり」である。
【参考文献】
柳田泉「古い記憶から(四)―松原二十三階堂の社会文学―」『文学』、1960年3月
佐々木寛「『ペテルブルグの生理学』を読む」『窓』86号、ナウカ、1993年9月
中丸宣明「「貧民窟」をめぐる想像力―松原岩五郎『最暗黒之東京』など」『国文学』、1993年9月
山田博光「二葉亭と松原岩五郎・横山源之助」「明治の社会ルポルタージュ」『国木田独歩論考』創世紀、1978年
【関連サイト】
松原岩五郎『最暗黒の東京』
まずは明治24年(1891年)5月16日に『国民新聞』に掲載された「判評 社会の罪」を見てみよう。これは森田思軒が『国民之友』に寄せた「社会の罪」についての考察である。「社会の罪」は、板垣退助刺殺未遂事件の実行犯であった相原尚褧の人物像に迫った論文。松原はこれを「日本文学の第一標本」と評価している。加害者である相原もまた被害者であるとして、真の加害者である社会の罪を糾弾する視点は、長年にわたりユーゴーを翻訳・研究してきた森田ならではのものだ。現に、ここで描かれている相原はどこか『レ・ミゼラブル』のジャン・バルジャンを連想させる。
松原が本作を評価したのは、社会の中で苦しむ個人に焦点を当てることで、急激な時代変化の負の側面を浮き彫りにしていたからにほかならない。時代に取り残された人々の悲劇、歴史にも社会にも法律にも見放された人々の悲劇を描くことこそ小説家の使命ではないかと森田は訴え、松原もそれに同調する。「判評 社会の罪」の翌月、『新著百種』に登場した松原の『長者鑑』は、時代設定こそ江戸後期となっているが、森田の「社会の罪」の思想を具現化したものと言えよう。
井原西鶴の「世話物」の影響も見逃せない。特に、江戸後期の小作人の生活の内情、搾取の情態、貧富の格差を怒涛のごとく列挙する場面などは、借金に苦しむ小商人の有様を描いた『世間胸算用』を髣髴させ、他の小説を寄せ付けない迫力を持つ。しかしながら、この『長者鑑』の段階では、まだ自らの経験に基づいたダイレクトな社会批判には到っていない。
幸田露伴を崇拝していた松原は、その影響で西鶴を熟読し、西鶴流の市談に露伴の精神性を織り交ぜたような作品を発表した。彼の二十三階堂という筆名も、矢数俳諧で一昼夜23500句の記録を立てた「二万堂西鶴」の名にちなんだもの。明治25年(1892年)5月14日から21日まで『国会』に連載された「骨董店の一日」は西鶴没後200周年の供養として西鶴に捧げられている。庶民を描き、平民を描いた西鶴。松原はそのジャーナリスティックな面に注目し、西鶴をディケンズ、ゴーゴリと並ぶような存在とみなし、日本を代表する市談派(社会文学)の開祖と位置づけた。
もう一人、松原が目標にしていた作家がいる。ドストエフスキーである。明治25年5月27日『国会』に寄せられた「ドストエフスキーの罪書」では、ドストエフスキーの人物像やその著作『罪と罰』について言及するとともに、ロシアの現状やロシア文壇の情勢を紹介。『罪と罰』の影響力は計り知れないとし、日本のドストエフスキー派の登場を予感している。内田魯庵が初の邦訳を出す約半年前のことだ。
ロシアの判官報として有名なるモスクワガゼットの鉄腕記者シケル、カットーコフが議論に於ての如く、フエドル、ドストエフスキーは露国近代の小説家として其名全欧へ轟き渡る。一方はアレキサンドル二世の寵拳を蒙って虚無党の巨頭を筆下に壓へ、一方は蒙塵社会の心中を容赦なく発き出して恐ろしく貴族に憚らる。而して此二大偉人がロシア全土へ及ぼしたる影響は実に至大のものなりと伝え聞く......
(松原岩五郎「ドストエフスキーの罪書」)
ここで注目すべきは、ドストエフスキーとモスクワ新聞の主筆ミハイル・カトコフを並べて提示することで、ドストエフスキーのジャーナリスティックな面を指摘していることである。貴族と民衆、地主と小作の対立、スラム問題など、ロシアの現状は日本を写す鏡でもあった。民衆、貧民の生活やその心中を描くことで問題提起をしたドストエフスキーは、松原にとって一つの理想であり、目指すべき文学者の一人であった。カトコフについても同様のことが言える。後に松原は、カトコフを主人公にしたロシア物の小説「欧州第一流の新聞記者」を書いている。そこに描かれた新聞記者としてのあるべき姿もまた松原の理想の姿であった。民衆のため、貧民のために心血を注いだ文章こそが真の文学であり、そういう意味では、松原には小説も新聞記事も、小説家も新聞記者も違いはなかった。
最後に、明治25年7月24日から8月13日にかけて『国会』の小説欄に連載された文学論「庖厨三十種」を紹介しよう。これは松原の文学観が凝縮された、計12回にわたる論文である。松原は厨房で食材を切り刻むように、古今東西の文学、文学者を次々と料理する。松原にかかれば曲亭馬琴、為永春水、尾崎紅葉は屑同然、不味くて食材にもならないようだ。その中で、雑報(新聞記事)の難しさについてもふれている。雑報は客観的な事実をその日に読ませるものだから文章に苦心惨憺する必要はない、という意見に対し、松原はこう反論する。
雑報家は事実に対して機敏なると同じく文に対して又機敏ならざるべからず。事実相違すれば人に笑われ。文冗漫なれば看客倦く。軽妙ならざるべからず、深刻ならざるべからず、文藻なければ読者を引かず鋭利ならざれば神経を刺さず、方外なれば指弾され虚飾なれば厭はる。至極難渋なる職業といふべし。
(松原岩五郎「庖厨三十種」)
「事実は小説より奇なり」と言われるが、その事実を表すには、事実の探求はもちろんのこと、鋭利な視点、読者を引きつける文章が不可欠である。単なる事実の羅列はその場に居合わせた筆者にとっては事実に相違ないが、読者にとっては備忘録にすらならない。松原は、雑報における小説的要素と小説における雑報的要素を指摘することで、事実の探求を伴わない小説や文学的魅力のない雑報を否定する。事実を事実たらしめる手腕、事実を臨場感をもって再現する手腕を重んじる松原にとって、小説と言えぬ小説、雑報と言えぬ雑報がはびこる世の中は歯痒いものであったに違いない。
松原は明治25年10月、連載2回目で終わった「新長者鑑」の後、一時文壇から去る。そして11月以降は貧民窟ルポルタージュを続々と発表。その小説的魅力を伴った雑報記事は、松原の名を不動のものとした。それらの記事の一部は『最暗黒之東京』と題され民友社から出版されて以降、明治時代の暗黒面を著した傑作として読み継がれている。歴史の表舞台には決して現れない虐げられた人々のありのままの日常を記した本作は、松原文学の集大成と言えよう。
惜しむらくは、資料的価値に重点を置いた編集側の意向か、単行本化するにあたり、小説的要素の強い記事がほとんど採用されず、加えて新聞連載当時の文章の差し替えや入れ替えが大胆に行われてしまった。結果として、文学的魅力が減じたばかりか、紙面を沸かせた当時の勢いもなくなり、ルポルタージュ作品としては中途半端な印象を与えている。後に登場する横山源之助の『日本之下層社会』と比べ、本作が過渡期的作品とみなされるのはその辺に由来するものだろう。とはいえ、本作の真の魅力はルポルタージュとしての資料的価値にあるわけではない。『罪と罰』や『レ・ミゼラブル』といった文学に比肩し得る、社会問題に迫った究極のリアリティ文学として本作を捉えるべきであり、それでこそ松原も浮かばれるというものである。
生きることに精一杯のその日暮らしの生活にロマンスなど入り込む余地はない。洋の東西を問わず今の世にも蔓延っている紅葉、春水流の恋愛小説を飽き足らなく思っている人にこそ、ぜひ一読をお薦めしたい。眼前に繰り広げられる衝撃の事実に圧倒されること請け合いだ。まさに「事実は小説より奇なり」である。
(寺門仁志)
【参考文献】
柳田泉「古い記憶から(四)―松原二十三階堂の社会文学―」『文学』、1960年3月
佐々木寛「『ペテルブルグの生理学』を読む」『窓』86号、ナウカ、1993年9月
中丸宣明「「貧民窟」をめぐる想像力―松原岩五郎『最暗黒之東京』など」『国文学』、1993年9月
山田博光「二葉亭と松原岩五郎・横山源之助」「明治の社会ルポルタージュ」『国木田独歩論考』創世紀、1978年
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松原岩五郎『最暗黒の東京』
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