2011年の読書録 本棚を見ながら振り返る
2011.12.31
眠くても、疲れていても、通勤と退勤の電車の中では読書をすることにしている。本を読まないと、会社と自宅を往復するだけの日常で終わってしまうので、少しでも読んで、ハードで荒んだ現実からは得られないものを吸収しておきたいのだ。2011年の初頭までは比較的時間にゆとりがあったので、帰宅してからもまだ読書をする余力はあったが、会社を移ってからは、家に帰った瞬間に思考力が切れるので、読書をしようという気分にもならない。どうにかしようと思っても頭がついていかない。だから思考力が続いているうちに、電車の中で読む。会社から自宅への移動には1時間近くかかるので、行きと帰りで合計で約2時間を読書にあてられるのが救いである。ちなみに、読む本はほとんど小説か伝記。国籍、時代には一切こだわらない主義である。
伊藤計劃『虐殺器官』
2011年の読書は、伊藤計劃の『虐殺器官』から始まった。これは年始に帰省した時、本屋で見つけて購入。2007年の作品である。「虐殺の文法」によって国家を混乱に陥れる謎の人物、ジョン・ポール追跡の指令を帯びたアメリカ情報軍の話である。作者は「メタルギア」の小島秀夫に傾倒していたらしい。
欲を言えばきりがないが、作者のストーリーテラーとしての手腕は一級品。作中、言語に関する記述が多く、目をひく。個人的な感想だが、作者は文化人類学に通暁し、その批判、応用を巧みに行っているように感じられる(ただし、マーガレット・ミードの研究はジョン・ポールの口を借りて否定されている)。
随所にちりばめられたアフォリズムが読者の共鳴力を高める。目新しさはないが、どれも核心をついている。ここでは、私が最も共鳴した部分を引用したい。言語学者であり「虐殺の王」であるジョン・ポールが主人公クラヴィスに語る言葉である。
「好きだの嫌いだの、最初にそう言い出したのは誰なんだろうね。いまわれわれが話しているこのややこしいやり取りにしても、そんなシンプルな感情を、えらく遠まわしに表現しているにすぎないんじゃないか。美味しいとか、不快だとか、そういう原始的な感情を」
例えば、上司が部下に無駄に長くて陰湿な説教を垂れているとする。それは結局説教という名の告白にすぎない。「いま、俺はお前のことが猛烈に嫌いだ」と言っているか、「お前のことが好きだからいじめたいのだ」と言っているか、そのどちらかである。
クラヴィスは「言語愛者」である。子供の頃から「ことばが持つ力が好き」で、「ことばが人を変化させるのが、不気味で面白くてしょうがな」いと感じている。つまり、ジョン・ポール的な素養を備えた人物だ。そんな彼が、言語を悪用するジョン・ポールを糾弾する場面がいくつかあるが、その責め方は紋切り型で、良識の代弁をしているにすぎない。クラヴィスは「仕事」としてジョン・ポールを敵視しているだけなのである。あるいは、「女」のことで嫉妬しているだけである。ジョン・ポールの思想そのものに憤りを感じているわけではない。2人はお互いにとって稀有な理解者になり得る存在なのだ。
ところで、ジョン・ポールという名前の由来は何だろう。ヨハネとパウロだろうか。ビートルズだろうか。いずれにせよ、意味合いとしては「ジョン・ドー」や「ジョン・スミス」と同じようなものだろう。世の中には扇動的な「ジョン・ポール」が沢山存在する。そういう警告がこの命名に込められているのではないかと思われる。
もう1カ所、セキュリティに関する記述も、的を射ている。
「人々は個人認証セキュリティに血道をあげているが、あれは実はテロ対策にはほとんど効果がない。というのも、ほんとうの絶望から発したテロというのは、自爆なり、特攻なりの、追跡可能性のリスクを度外視した自殺的行為だからだ。社会の絶望から発したものを、システムで減らすことは無理だし意味がないんだよ」
私の勤務先にも静脈認証がある。それをする度にこの言葉を思い出してしまう。
残念なことに、伊藤氏は2009年3月に病気のため34歳で亡くなった。長編はこれと、「メタルギア」のノベライズ本と、遺作『ハーモニー』のみ。『ハーモニー』はフィリップ・K・ディック記念賞の特別賞を受賞した。2012年の読書は『ハーモニー』から始めようと思う。
ジョン・ファウルズ『魔術師』
1965年の作品である。ファウルズ文学は、『コレクター』『フランス軍中尉の女』に続き3冊目。これを読むのには1ヶ月を要した。この濃密な奇書はどこまでも救いがなく、読み手をダークな気持ちへと追い込む。出来ればこうであってほしい、というこちらの期待を見透かすようにして容赦なく何度も打ち砕くのだ。
主人公は英語教師ニコラス・アーフェ。彼はエーゲ海の孤島へ行き、謎めいた老人コンヒスと美女リリーに翻弄され、人生を破壊される。率直に言って、コンヒスが途方もない大金持ちである、という設定に頼りすぎている気がしなくもない。前半はサスペンスフルで恐ろしく魅力的だが、後半になると、あらゆる辻褄合わせが「コンヒスは大金持ちだから」という一点をよりどころにして行われている。もっとも、こういう含蓄に富んだ本は一度読んだだけでは容易に判断しきれないところがあるので、折をみて再読したい。
中丸美繪『杉村春子 女優として、女として』
杉村春子は言うまでもなく演劇史・映画史に名を残す大女優。プライヴェート面では若くして亡くなった劇作家、森本薫との不倫関係が有名である。とくに好きな女優というわけではないが、その伝記を古本屋で購入した。終戦後、GHQにいた日系二世と恋愛関係にあったという、ほとんど知られていないエピソードにもふれている力作だ。
なんといっても、杉村春子の人生で最も激しく光と影が交錯したのは、有名な『喜びの琴』事件が起こった時だろう。この事件後、三島由紀夫が文学座から去る時に朝日新聞に寄せた「芸術には針がある」は必読である。
「諸君によく知ってもらいたいことがある。芸術には必ず針がある。毒がある。この毒をのまずに、ミツだけを吸うことはできない。四方八方から可愛がられて、ぬくぬくと育てることができる芸術などは、この世に存在しない」
けだし名言である。ただ、長岡輝子の証言によると、三島は文学座が上演中止にすることを見越して、わざと『喜びの琴』を書いたらしい。三島は杉村の支配下から逃げ出したかったのである。なお、この事件を受けて福田恆存は『週刊文春』の取材でこんな風に語っていたという。
「考えてみれば、あの杉村という女には男どもがみんな精気をぬかれてしまう。文学座の男どもはみんなキン抜きだといったのは宇野重吉だが、ボクも危うくキン抜きにされるところだった。三島君にも『キン抜きにされないうちに、早く逃げ出せ』といっていたんだが、早く気がついてくれて、三島君のために、なにより慶賀にたえない」
私は三島、福田の作品に影響されてきた人間である。だから、三島にあんな文章を書かせ、福田にここまで言わせてしまう杉村春子という存在に、ますます興味を持った次第である。
横溝正史『悪魔の寵児』
私は横溝ファンである。角川で文庫化されているものは全て読んだ。そのトリを飾ったのが『三つ首塔』『悪魔の寵児』『髑髏検校』である。読む前から予感はあったが、どれもいまひとつだった。『三つ首塔』は美しいヒロインが自分をレイプした男に惚れるという設定からして馬鹿らしく、『悪魔の寵児』は無理矢理すぎる犯罪を極度のグロテスク趣味で強引に押し流そうとしている乱暴さがあり、『髑髏検校』と併録の『神変稲妻車』はストーリーをこねくり回しすぎ、サービス精神以上のものを感じなかった。
これまでに読んだ横溝作品で最も恐怖を覚えたのは、『悪魔が来りて笛を吹く』である。読んでいる間、終始悪寒が止まらなかった。横溝正史に興味があるという人は、『犬神家の一族』でも、『獄門島』でも、『悪魔の手毬唄』でも、むろん『八つ墓村』でもなく、まず『悪魔が来りて笛を吹く』を読んでもらいたい。物語と文体と湿度の恐怖、ここに極まれりだ。あまり読まれているとは言いがたい『仮面舞踏会』『白と黒』『迷路荘の惨劇』も悪くない。『仮面舞踏会』には心底ゾッとさせられる場面がある。ある登場人物がゴルフ場で突然本性を現し、「ギタギタするような眼」で金田一たちを見比べるのだが、その描写の凄まじさに震えた。10年以上前に読んだのに、思い出すだけでも鳥肌が立つ。
宮武外骨『面白半分』
いわゆる「墳墓廃止論」を読みたくて購入した。正式な題名は「墳墓を廃止して風葬にせよ」。私が買った河出文庫の『面白半分』は、正規の『面白半分』ではない。『滑稽新聞』『面白半分』『つむじまがり』『裸に虱なし』『奇想凡想』『一癖随筆』などから少しずつ抜粋したものである。「墳墓を廃止して風葬にせよ」は、元々『つむじまがり』に収録されていた。1917年の著作である。これは書き出しからふるっている。
「我が地球上にあって風致の美なく生産の実もなくして、いたずらに広い面積を占めているのは彼の墳墓地である」
挑発的で胸のすくような論調だ。淳和天皇の「朕死すとも陵墓の地を求むべからず死屍はよろしく風葬に処すべき」という言葉や、美貌で知られた檀林皇后の「われ死なば焼くな埋むな野に捨てて痩せたる犬の腹を肥やせよ」という歌(小野小町作とも言われる)まで引用されている。
ただ、これは単純になくせばいいというものではない。そこが問題である。本人が「風葬でいい」と言い遺したからといってそれで済むものでもない。お墓は亡くなった人のためだけにあるわけではなく、残された人にとって心のよりどころとなり得る場所だからだ。実際に墓参りをするしないにかかわらず、「この地球上に自分の家のお墓が存在しない」という状態はやはりある種の情緒不安定を招くのではないか。もっとも、外骨自身も「墳墓廃止論」を実行に移せず、親族に言われるまま亡妻の墓を建てた。その辺の事情(というか弁明)は「墳墓廃止論の実行」に詳しく書いてある。そして、外骨のお墓も染井霊園にある。
東日本大震災で多くのお墓が津波によって流されたことはすでに報道されている通りである。だからというわけではないが、自分のお墓をどうするか、ということは人生の大事なテーマとして常々考えるべき問題ではないかと思う。
ダフネ・デュ・モーリア『破局』
近所の図書館で毎週「リサイクル本」が出るので、時々そこで本を入手している。2011年の収穫は、ダフネ・デュ・モーリア『破局』、藤岡真『ゲッベルスの贈り物』、島森路子『広告のヒロインたち』、川本三郎『クレジットタイトルは最後まで』......まだ読んでいないものも含めると20冊ほどある。
デュ・モーリアの『破局』に収録されている「皇女」が忘れられない。これはメディアが巧妙に作り出す不協和音によって群衆ヒステリーが起こり、平和で美しい公国が崩壊していくさまを冷徹なタッチで描いた一種の恐怖小説である。この不協和音は、伊藤計劃風に「虐殺の文法」と言い換えてもいい。
現在は情報ツールも情報源も沢山あり、何か情報が出てくると、すかさずそれを否定するような発言がネット上から出てくる。そういう意味で、昔よりは一つの情報が持ち得る洗脳力は低下した、と考える人もいる。
とはいえ、である。私たちの目や耳にふれやすいところにある大手メディアが利益のために誠実さを捨て、あることないことを執拗に報道すれば、火のないところにも煙は立つ。その煙を吸わせ、民意を操作するのは難しいことではない。その操作は、日々提供される情報の選択肢にすでにあらわれているように私には見える。「またこの人か」「またこの話題か」ーーメディアに対して受け身でいる限り、目や耳に流れ込んでくる情報の選択肢は本当に呆れるほど、乏しい。しかし、この状況に疑問を抱いている人はどれくらいいるのだろう。こういう時だからこそ、情報は自分から取りにいく、という姿勢は失いたくないものである。
シュテファン・ツヴァイク『人類の星の時間』
世界の運命を動かした12の歴史的瞬間。その一瞬に焦点を当てた傑作である。最も感銘を受けたのは、「ゲオルク・フリードリッヒ・ヘンデルの復活 1741年8月21日」。半身不随になったヘンデルが『メサイア』を書き上げるまでの神秘的としか言いようのない経緯を綴った、静かな、しかし、強い感動を呼ぶドキュメンタリーである。これを読んだ後は、誰もが『メサイア』を聴きたくなるだろう。「ウォーターローの世界的瞬間 1815年6月18日のナポレオン」「南極探検の闘い スコット大佐、90緯度 1912年1月16日」の2編も読み応えがある。それにしても、『人類の星の時間』とは秀逸なタイトルをつけたものだ。と思って訳者を見たら片山敏彦だった。さすがとしか言いようがない。
大谷晃一編『織田作之助作品集』
こうして書いているときりがないので、最後は織田作之助でしめる。学生時代の一時期、織田作に傾倒していた。きっかけは1940年に書かれた「放浪」である。主人公の所持金の残額がストーリーを動かす要素になるという、こんな小説は読んだことがなかった。
「一遍被ってみたいと思っていた鳥打帽子を買った。一円六十銭。おでこが隠れて、新しい布の匂がプンプンした。胸すかしを飲んだ。三杯まで飲んだが、あと、喉へ通らなかった。一円十銭。うどんやへはいり、狐うどんとあんかけうどんをとった。どちらも半分食べ残した。九十二銭」
1994年の秋、日本文学の研修が京都で行われた時、友人と前のりして大阪に行き、織田作の墓参りをした。名作「競馬」にあやかり、生まれて初めて競馬もした。自由軒のカレーを食べ、夫婦善哉を食べ、たこ梅で学生風情には驚くほど高いおでんを食べた。ビール1本とおでん3品を頼んだ時点で所持金が危険水域に達し、「お金持ちになってから、また来ます」と笑顔を引きつらせながら店を出たことを思い出す。
社会人になってからは全く読んでいなかったが、つい最近、古本屋で代表作を集めた作品集(コンパクトな全3巻)を見つけ、食指が動き、購入した。懐かしい。初期の戯曲が入っていないのが残念だが、これを読めばこの無頼派作家の真価はわかる。編者は織田作の伝記の決定版を出した大谷晃一。織田作についてはいずれきちんと書こうと思う。
[2011年読書録]
伊藤計劃『虐殺器官』(早川書房)
ジョン・ファウルズ『魔術師』(河出文庫)
リリアン・ヘルマン『ラインの監視』(新潮社)
フェルナンド・ペソア『不穏の書 断章』(思潮社)
徳川夢声『徳川夢声の問答有用 1〜3』(朝日文庫)
徳川夢声『徳川夢声の小説と漫談これ一冊で』(清流出版)
中丸美繪『杉村春子 女優として、女として』(文藝春秋)
有馬稲子『バラと痛恨の日々』(中公文庫)
ティム・オブライエン『本当の戦争の話をしよう』(文春文庫)
テネシー・ウィリアムズ『地獄のオルフェウス』(早川書房)
エリザベス・ボウエン『パリの家』(集英社文庫)
平野啓一郎『決壊』(新潮文庫)
小島信夫『残光』(新潮文庫)
中野重治『歌のわかれ』(新潮文庫)
東野英治郎『私の俳優修業』(未来社)
前島良雄『マーラー 輝かしい日々と断ち切られた未来』(アルファベータ)
横溝正史『悪魔の寵児』(角川文庫)
横溝正史『三つ首塔』(角川文庫)
横溝正史『髑髏検校』(角川文庫)
蒼井雄『瀬戸内海の悲劇』(図書刊行会)
蒼井雄『黒潮殺人事件』(図書刊行会)
仁木悦子『緋の記憶』(立風書房)
宮武外骨『面白半分』(河出文庫)
ダフネ・デュ・モーリア『破局』(早川書房)
シュテファン・ツヴァイク『人類の星の時間』(みすず書房)
青柳いづみこ『ドビュッシー 想念のエクトプラズム』(中公文庫)
青柳いづみこ『グレン・グールド 未来のピアニスト』(筑摩書房)
藤岡真『ゲッベルスの贈り物』(東京創元社)
川本三郎『クレジットタイトルは最後まで』(中公文庫)
山下剛『もう一人のメンデルスゾーン ファニー・メンデルスゾーン=ヘンゼルの生涯』(未知谷)
島森路子『広告のヒロインたち』(岩波新書)
大谷晃一『生き愛し書いた 織田作之助伝』(講談社)
大谷晃一編『織田作之助作品集 1〜3』(沖積舎)
伊藤計劃『虐殺器官』
2011年の読書は、伊藤計劃の『虐殺器官』から始まった。これは年始に帰省した時、本屋で見つけて購入。2007年の作品である。「虐殺の文法」によって国家を混乱に陥れる謎の人物、ジョン・ポール追跡の指令を帯びたアメリカ情報軍の話である。作者は「メタルギア」の小島秀夫に傾倒していたらしい。
欲を言えばきりがないが、作者のストーリーテラーとしての手腕は一級品。作中、言語に関する記述が多く、目をひく。個人的な感想だが、作者は文化人類学に通暁し、その批判、応用を巧みに行っているように感じられる(ただし、マーガレット・ミードの研究はジョン・ポールの口を借りて否定されている)。
随所にちりばめられたアフォリズムが読者の共鳴力を高める。目新しさはないが、どれも核心をついている。ここでは、私が最も共鳴した部分を引用したい。言語学者であり「虐殺の王」であるジョン・ポールが主人公クラヴィスに語る言葉である。
「好きだの嫌いだの、最初にそう言い出したのは誰なんだろうね。いまわれわれが話しているこのややこしいやり取りにしても、そんなシンプルな感情を、えらく遠まわしに表現しているにすぎないんじゃないか。美味しいとか、不快だとか、そういう原始的な感情を」
例えば、上司が部下に無駄に長くて陰湿な説教を垂れているとする。それは結局説教という名の告白にすぎない。「いま、俺はお前のことが猛烈に嫌いだ」と言っているか、「お前のことが好きだからいじめたいのだ」と言っているか、そのどちらかである。
クラヴィスは「言語愛者」である。子供の頃から「ことばが持つ力が好き」で、「ことばが人を変化させるのが、不気味で面白くてしょうがな」いと感じている。つまり、ジョン・ポール的な素養を備えた人物だ。そんな彼が、言語を悪用するジョン・ポールを糾弾する場面がいくつかあるが、その責め方は紋切り型で、良識の代弁をしているにすぎない。クラヴィスは「仕事」としてジョン・ポールを敵視しているだけなのである。あるいは、「女」のことで嫉妬しているだけである。ジョン・ポールの思想そのものに憤りを感じているわけではない。2人はお互いにとって稀有な理解者になり得る存在なのだ。
ところで、ジョン・ポールという名前の由来は何だろう。ヨハネとパウロだろうか。ビートルズだろうか。いずれにせよ、意味合いとしては「ジョン・ドー」や「ジョン・スミス」と同じようなものだろう。世の中には扇動的な「ジョン・ポール」が沢山存在する。そういう警告がこの命名に込められているのではないかと思われる。
もう1カ所、セキュリティに関する記述も、的を射ている。
「人々は個人認証セキュリティに血道をあげているが、あれは実はテロ対策にはほとんど効果がない。というのも、ほんとうの絶望から発したテロというのは、自爆なり、特攻なりの、追跡可能性のリスクを度外視した自殺的行為だからだ。社会の絶望から発したものを、システムで減らすことは無理だし意味がないんだよ」
私の勤務先にも静脈認証がある。それをする度にこの言葉を思い出してしまう。
残念なことに、伊藤氏は2009年3月に病気のため34歳で亡くなった。長編はこれと、「メタルギア」のノベライズ本と、遺作『ハーモニー』のみ。『ハーモニー』はフィリップ・K・ディック記念賞の特別賞を受賞した。2012年の読書は『ハーモニー』から始めようと思う。
ジョン・ファウルズ『魔術師』
1965年の作品である。ファウルズ文学は、『コレクター』『フランス軍中尉の女』に続き3冊目。これを読むのには1ヶ月を要した。この濃密な奇書はどこまでも救いがなく、読み手をダークな気持ちへと追い込む。出来ればこうであってほしい、というこちらの期待を見透かすようにして容赦なく何度も打ち砕くのだ。
主人公は英語教師ニコラス・アーフェ。彼はエーゲ海の孤島へ行き、謎めいた老人コンヒスと美女リリーに翻弄され、人生を破壊される。率直に言って、コンヒスが途方もない大金持ちである、という設定に頼りすぎている気がしなくもない。前半はサスペンスフルで恐ろしく魅力的だが、後半になると、あらゆる辻褄合わせが「コンヒスは大金持ちだから」という一点をよりどころにして行われている。もっとも、こういう含蓄に富んだ本は一度読んだだけでは容易に判断しきれないところがあるので、折をみて再読したい。
中丸美繪『杉村春子 女優として、女として』
杉村春子は言うまでもなく演劇史・映画史に名を残す大女優。プライヴェート面では若くして亡くなった劇作家、森本薫との不倫関係が有名である。とくに好きな女優というわけではないが、その伝記を古本屋で購入した。終戦後、GHQにいた日系二世と恋愛関係にあったという、ほとんど知られていないエピソードにもふれている力作だ。
なんといっても、杉村春子の人生で最も激しく光と影が交錯したのは、有名な『喜びの琴』事件が起こった時だろう。この事件後、三島由紀夫が文学座から去る時に朝日新聞に寄せた「芸術には針がある」は必読である。
「諸君によく知ってもらいたいことがある。芸術には必ず針がある。毒がある。この毒をのまずに、ミツだけを吸うことはできない。四方八方から可愛がられて、ぬくぬくと育てることができる芸術などは、この世に存在しない」
けだし名言である。ただ、長岡輝子の証言によると、三島は文学座が上演中止にすることを見越して、わざと『喜びの琴』を書いたらしい。三島は杉村の支配下から逃げ出したかったのである。なお、この事件を受けて福田恆存は『週刊文春』の取材でこんな風に語っていたという。
「考えてみれば、あの杉村という女には男どもがみんな精気をぬかれてしまう。文学座の男どもはみんなキン抜きだといったのは宇野重吉だが、ボクも危うくキン抜きにされるところだった。三島君にも『キン抜きにされないうちに、早く逃げ出せ』といっていたんだが、早く気がついてくれて、三島君のために、なにより慶賀にたえない」
私は三島、福田の作品に影響されてきた人間である。だから、三島にあんな文章を書かせ、福田にここまで言わせてしまう杉村春子という存在に、ますます興味を持った次第である。
横溝正史『悪魔の寵児』
私は横溝ファンである。角川で文庫化されているものは全て読んだ。そのトリを飾ったのが『三つ首塔』『悪魔の寵児』『髑髏検校』である。読む前から予感はあったが、どれもいまひとつだった。『三つ首塔』は美しいヒロインが自分をレイプした男に惚れるという設定からして馬鹿らしく、『悪魔の寵児』は無理矢理すぎる犯罪を極度のグロテスク趣味で強引に押し流そうとしている乱暴さがあり、『髑髏検校』と併録の『神変稲妻車』はストーリーをこねくり回しすぎ、サービス精神以上のものを感じなかった。
これまでに読んだ横溝作品で最も恐怖を覚えたのは、『悪魔が来りて笛を吹く』である。読んでいる間、終始悪寒が止まらなかった。横溝正史に興味があるという人は、『犬神家の一族』でも、『獄門島』でも、『悪魔の手毬唄』でも、むろん『八つ墓村』でもなく、まず『悪魔が来りて笛を吹く』を読んでもらいたい。物語と文体と湿度の恐怖、ここに極まれりだ。あまり読まれているとは言いがたい『仮面舞踏会』『白と黒』『迷路荘の惨劇』も悪くない。『仮面舞踏会』には心底ゾッとさせられる場面がある。ある登場人物がゴルフ場で突然本性を現し、「ギタギタするような眼」で金田一たちを見比べるのだが、その描写の凄まじさに震えた。10年以上前に読んだのに、思い出すだけでも鳥肌が立つ。
宮武外骨『面白半分』
いわゆる「墳墓廃止論」を読みたくて購入した。正式な題名は「墳墓を廃止して風葬にせよ」。私が買った河出文庫の『面白半分』は、正規の『面白半分』ではない。『滑稽新聞』『面白半分』『つむじまがり』『裸に虱なし』『奇想凡想』『一癖随筆』などから少しずつ抜粋したものである。「墳墓を廃止して風葬にせよ」は、元々『つむじまがり』に収録されていた。1917年の著作である。これは書き出しからふるっている。
「我が地球上にあって風致の美なく生産の実もなくして、いたずらに広い面積を占めているのは彼の墳墓地である」
挑発的で胸のすくような論調だ。淳和天皇の「朕死すとも陵墓の地を求むべからず死屍はよろしく風葬に処すべき」という言葉や、美貌で知られた檀林皇后の「われ死なば焼くな埋むな野に捨てて痩せたる犬の腹を肥やせよ」という歌(小野小町作とも言われる)まで引用されている。
ただ、これは単純になくせばいいというものではない。そこが問題である。本人が「風葬でいい」と言い遺したからといってそれで済むものでもない。お墓は亡くなった人のためだけにあるわけではなく、残された人にとって心のよりどころとなり得る場所だからだ。実際に墓参りをするしないにかかわらず、「この地球上に自分の家のお墓が存在しない」という状態はやはりある種の情緒不安定を招くのではないか。もっとも、外骨自身も「墳墓廃止論」を実行に移せず、親族に言われるまま亡妻の墓を建てた。その辺の事情(というか弁明)は「墳墓廃止論の実行」に詳しく書いてある。そして、外骨のお墓も染井霊園にある。
東日本大震災で多くのお墓が津波によって流されたことはすでに報道されている通りである。だからというわけではないが、自分のお墓をどうするか、ということは人生の大事なテーマとして常々考えるべき問題ではないかと思う。
ダフネ・デュ・モーリア『破局』
近所の図書館で毎週「リサイクル本」が出るので、時々そこで本を入手している。2011年の収穫は、ダフネ・デュ・モーリア『破局』、藤岡真『ゲッベルスの贈り物』、島森路子『広告のヒロインたち』、川本三郎『クレジットタイトルは最後まで』......まだ読んでいないものも含めると20冊ほどある。
デュ・モーリアの『破局』に収録されている「皇女」が忘れられない。これはメディアが巧妙に作り出す不協和音によって群衆ヒステリーが起こり、平和で美しい公国が崩壊していくさまを冷徹なタッチで描いた一種の恐怖小説である。この不協和音は、伊藤計劃風に「虐殺の文法」と言い換えてもいい。
現在は情報ツールも情報源も沢山あり、何か情報が出てくると、すかさずそれを否定するような発言がネット上から出てくる。そういう意味で、昔よりは一つの情報が持ち得る洗脳力は低下した、と考える人もいる。
とはいえ、である。私たちの目や耳にふれやすいところにある大手メディアが利益のために誠実さを捨て、あることないことを執拗に報道すれば、火のないところにも煙は立つ。その煙を吸わせ、民意を操作するのは難しいことではない。その操作は、日々提供される情報の選択肢にすでにあらわれているように私には見える。「またこの人か」「またこの話題か」ーーメディアに対して受け身でいる限り、目や耳に流れ込んでくる情報の選択肢は本当に呆れるほど、乏しい。しかし、この状況に疑問を抱いている人はどれくらいいるのだろう。こういう時だからこそ、情報は自分から取りにいく、という姿勢は失いたくないものである。
シュテファン・ツヴァイク『人類の星の時間』
世界の運命を動かした12の歴史的瞬間。その一瞬に焦点を当てた傑作である。最も感銘を受けたのは、「ゲオルク・フリードリッヒ・ヘンデルの復活 1741年8月21日」。半身不随になったヘンデルが『メサイア』を書き上げるまでの神秘的としか言いようのない経緯を綴った、静かな、しかし、強い感動を呼ぶドキュメンタリーである。これを読んだ後は、誰もが『メサイア』を聴きたくなるだろう。「ウォーターローの世界的瞬間 1815年6月18日のナポレオン」「南極探検の闘い スコット大佐、90緯度 1912年1月16日」の2編も読み応えがある。それにしても、『人類の星の時間』とは秀逸なタイトルをつけたものだ。と思って訳者を見たら片山敏彦だった。さすがとしか言いようがない。
大谷晃一編『織田作之助作品集』
こうして書いているときりがないので、最後は織田作之助でしめる。学生時代の一時期、織田作に傾倒していた。きっかけは1940年に書かれた「放浪」である。主人公の所持金の残額がストーリーを動かす要素になるという、こんな小説は読んだことがなかった。
「一遍被ってみたいと思っていた鳥打帽子を買った。一円六十銭。おでこが隠れて、新しい布の匂がプンプンした。胸すかしを飲んだ。三杯まで飲んだが、あと、喉へ通らなかった。一円十銭。うどんやへはいり、狐うどんとあんかけうどんをとった。どちらも半分食べ残した。九十二銭」
1994年の秋、日本文学の研修が京都で行われた時、友人と前のりして大阪に行き、織田作の墓参りをした。名作「競馬」にあやかり、生まれて初めて競馬もした。自由軒のカレーを食べ、夫婦善哉を食べ、たこ梅で学生風情には驚くほど高いおでんを食べた。ビール1本とおでん3品を頼んだ時点で所持金が危険水域に達し、「お金持ちになってから、また来ます」と笑顔を引きつらせながら店を出たことを思い出す。
社会人になってからは全く読んでいなかったが、つい最近、古本屋で代表作を集めた作品集(コンパクトな全3巻)を見つけ、食指が動き、購入した。懐かしい。初期の戯曲が入っていないのが残念だが、これを読めばこの無頼派作家の真価はわかる。編者は織田作の伝記の決定版を出した大谷晃一。織田作についてはいずれきちんと書こうと思う。
[2011年読書録]
伊藤計劃『虐殺器官』(早川書房)
ジョン・ファウルズ『魔術師』(河出文庫)
リリアン・ヘルマン『ラインの監視』(新潮社)
フェルナンド・ペソア『不穏の書 断章』(思潮社)
徳川夢声『徳川夢声の問答有用 1〜3』(朝日文庫)
徳川夢声『徳川夢声の小説と漫談これ一冊で』(清流出版)
中丸美繪『杉村春子 女優として、女として』(文藝春秋)
有馬稲子『バラと痛恨の日々』(中公文庫)
ティム・オブライエン『本当の戦争の話をしよう』(文春文庫)
テネシー・ウィリアムズ『地獄のオルフェウス』(早川書房)
エリザベス・ボウエン『パリの家』(集英社文庫)
平野啓一郎『決壊』(新潮文庫)
小島信夫『残光』(新潮文庫)
中野重治『歌のわかれ』(新潮文庫)
東野英治郎『私の俳優修業』(未来社)
前島良雄『マーラー 輝かしい日々と断ち切られた未来』(アルファベータ)
横溝正史『悪魔の寵児』(角川文庫)
横溝正史『三つ首塔』(角川文庫)
横溝正史『髑髏検校』(角川文庫)
蒼井雄『瀬戸内海の悲劇』(図書刊行会)
蒼井雄『黒潮殺人事件』(図書刊行会)
仁木悦子『緋の記憶』(立風書房)
宮武外骨『面白半分』(河出文庫)
ダフネ・デュ・モーリア『破局』(早川書房)
シュテファン・ツヴァイク『人類の星の時間』(みすず書房)
青柳いづみこ『ドビュッシー 想念のエクトプラズム』(中公文庫)
青柳いづみこ『グレン・グールド 未来のピアニスト』(筑摩書房)
藤岡真『ゲッベルスの贈り物』(東京創元社)
川本三郎『クレジットタイトルは最後まで』(中公文庫)
山下剛『もう一人のメンデルスゾーン ファニー・メンデルスゾーン=ヘンゼルの生涯』(未知谷)
島森路子『広告のヒロインたち』(岩波新書)
大谷晃一『生き愛し書いた 織田作之助伝』(講談社)
大谷晃一編『織田作之助作品集 1〜3』(沖積舎)
(阿部十三)
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