ダフネ・デュ・モーリア 聖地に挑む人々
2012.01.07
ダフネ・デュ・モーリアの最高傑作は何かと問われたら、大半の人は『レベッカ』と答えるに違いない。そのきめ細やかな心理描写と緻密な構成の向こう側に広がるゴシック・ロマンのムードに魅了されない読者は、ほとんどいないだろう。また、この作品は様々な角度から読み解くことが可能であり、そこもまた魅力の一つとなっている。私なら、一度目は普通に読み、二度目は物語の語り手の主観と距離を置きながら読むことを提案する。ダンヴァース夫人の側に立って読んでみても面白い。あなたがダンヴァース夫人なら、「わたし」という巧みな語り手が聖地マンダレイの秩序を乱すいかがわしい人物に見えてくると思う。
1938年、『レベッカ』を発表したことでこの作家の名前は不滅のものとなり、1940年、アルフレッド・ヒッチコック監督が映画化したことで知名度はさらに広まった。
ただし、デュ・モーリアは『レベッカ』だけの作家ではない。
映画化されたデュ・モーリア作品はほかにもいくつかある。ヒッチコックはイギリス時代最後の作品に『ジャマイカ・イン』(邦題『巌窟の野獣』)を選んでいるし、円熟期には『鳥』を撮っている。ニコラス・ローグ監督によるトラウマ映画『赤い影』も、マーガレット・ロックウッドが出演している『狂乱の狼火』も、原作はデュ・モーリアである。映像作家の表現意欲を刺激する題材なのだろう。
それらの映画を否定するわけではないが、デュ・モーリアの文章が持つ繊細さや不気味な閉塞感は、映像で表現しきれるものではない。映像だと、複数の登場人物をつなぐ連帯感がみえて、それが心理的密室感や閉塞感を弱めてしまう。また、映像的なアクションが生まれることで、原作が持つ清潔でスタティックで不穏なムードも減退する。そういう意味で、ヒッチコックの『鳥』も、傑作であることは間違いないが、原作(1952年、『林檎の木』収録)ほどの恐怖はもたらさない。原作では、主人公たちは家から出られなくなり、ラジオも聴けなくなり、外で何が起こっているのか、全くわけがわからないまま、出口のない冷たい絶望へと追い立てられる。読者を慄然とさせるこの密室感と閉塞感こそ、デュ・モーリア文学の真骨頂である。
『レイチェル』(1951年)も代表作のひとつ。かいつまんでいうと、2人の男とファム・ファタールをめぐる物語である。「女性が苦手で、女は家庭に災いをもたらすと言い、信用していなかった」お堅いアンブローズが、イタリアで美女レイチェルと出会い、夢中になり、そのままスピード結婚をする。突然のことに従弟フィリップは戸惑うが、手紙を読む限り、従兄はイタリアで幸せに暮らしているらしい。
しかし、新婚10ヶ月目から手紙の調子が変わる。そしてーー
「お願いだ、すぐに来てくれ。ついに彼女にやられた。私をさいなむあの女、レイチェルに。早く来てくれないと手遅れになる」
フィリップがイタリアに着いた頃には、従兄は亡くなっていた。いったい何が起こったのか。本当にレイチェルに「やられた」のか。復讐を決意するフィリップ。だが、領地コーンウォールにやってきたレイチェルに会うと、心を動かされ、いつしか彼女のことを家族として迎えようと考え始める。
『レイチェル』はスタティックな心理サスペンスである。従兄アンブローズという「死者」が常に影を落としている点は、『レベッカ』と同じである。フィリップはアンブローズのように破滅すると頭ではわかっているのに、それでもレイチェルを妻にしようとする。2人が交わす最初の会話は、作家にとって最大の難所である。にもかかわらず、憎むべき仇に不覚にも笑顔を見せてしまうフィリップの心理の流れを描く上で、デュ・モーリアの筆は少しもわざとらしさを感じさせない。醒めた理性と捨て身の暴走欲が共存し得る男心を丹念に綴った恋愛心理の描写、レイチェルの本心を読ませずに読者を牽引するストーリーテリング、その巧さに舌をまく。
もっといえば、この作品はフィリップの胸底にある本心も明かしていないようにみえる。彼の愛には常に疑惑と背徳感がつきまとっている。レイチェルに心を許しているわけではない。それでも手放したくない、手放すくらいなら殺してしまいたい、と思いつめる。男の性格をそんな風に分裂させてしまうのがレイチェルの怖さである。
【関連サイト】
ダフネ・デュ・モーリア 聖地に挑む人々 [続き]
Daphne Du Maurier
ダフネ・デュ・モーリア(書籍)
1938年、『レベッカ』を発表したことでこの作家の名前は不滅のものとなり、1940年、アルフレッド・ヒッチコック監督が映画化したことで知名度はさらに広まった。
ただし、デュ・モーリアは『レベッカ』だけの作家ではない。
映画化されたデュ・モーリア作品はほかにもいくつかある。ヒッチコックはイギリス時代最後の作品に『ジャマイカ・イン』(邦題『巌窟の野獣』)を選んでいるし、円熟期には『鳥』を撮っている。ニコラス・ローグ監督によるトラウマ映画『赤い影』も、マーガレット・ロックウッドが出演している『狂乱の狼火』も、原作はデュ・モーリアである。映像作家の表現意欲を刺激する題材なのだろう。
それらの映画を否定するわけではないが、デュ・モーリアの文章が持つ繊細さや不気味な閉塞感は、映像で表現しきれるものではない。映像だと、複数の登場人物をつなぐ連帯感がみえて、それが心理的密室感や閉塞感を弱めてしまう。また、映像的なアクションが生まれることで、原作が持つ清潔でスタティックで不穏なムードも減退する。そういう意味で、ヒッチコックの『鳥』も、傑作であることは間違いないが、原作(1952年、『林檎の木』収録)ほどの恐怖はもたらさない。原作では、主人公たちは家から出られなくなり、ラジオも聴けなくなり、外で何が起こっているのか、全くわけがわからないまま、出口のない冷たい絶望へと追い立てられる。読者を慄然とさせるこの密室感と閉塞感こそ、デュ・モーリア文学の真骨頂である。
『レイチェル』(1951年)も代表作のひとつ。かいつまんでいうと、2人の男とファム・ファタールをめぐる物語である。「女性が苦手で、女は家庭に災いをもたらすと言い、信用していなかった」お堅いアンブローズが、イタリアで美女レイチェルと出会い、夢中になり、そのままスピード結婚をする。突然のことに従弟フィリップは戸惑うが、手紙を読む限り、従兄はイタリアで幸せに暮らしているらしい。
しかし、新婚10ヶ月目から手紙の調子が変わる。そしてーー
「お願いだ、すぐに来てくれ。ついに彼女にやられた。私をさいなむあの女、レイチェルに。早く来てくれないと手遅れになる」
フィリップがイタリアに着いた頃には、従兄は亡くなっていた。いったい何が起こったのか。本当にレイチェルに「やられた」のか。復讐を決意するフィリップ。だが、領地コーンウォールにやってきたレイチェルに会うと、心を動かされ、いつしか彼女のことを家族として迎えようと考え始める。
『レイチェル』はスタティックな心理サスペンスである。従兄アンブローズという「死者」が常に影を落としている点は、『レベッカ』と同じである。フィリップはアンブローズのように破滅すると頭ではわかっているのに、それでもレイチェルを妻にしようとする。2人が交わす最初の会話は、作家にとって最大の難所である。にもかかわらず、憎むべき仇に不覚にも笑顔を見せてしまうフィリップの心理の流れを描く上で、デュ・モーリアの筆は少しもわざとらしさを感じさせない。醒めた理性と捨て身の暴走欲が共存し得る男心を丹念に綴った恋愛心理の描写、レイチェルの本心を読ませずに読者を牽引するストーリーテリング、その巧さに舌をまく。
もっといえば、この作品はフィリップの胸底にある本心も明かしていないようにみえる。彼の愛には常に疑惑と背徳感がつきまとっている。レイチェルに心を許しているわけではない。それでも手放したくない、手放すくらいなら殺してしまいたい、と思いつめる。男の性格をそんな風に分裂させてしまうのがレイチェルの怖さである。
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ダフネ・デュ・モーリア(書籍)
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