曾我蕭白 奇想天外、飛翔する狂気
2012.05.12
曾我蕭白の「群仙図屏風」を初めて見た時は、驚いたというよりも呆然としたものである。見たといっても、その時は図録で見たにすぎないが、それでも、その発想力と画力に圧倒された。ひと言でいえば奇想天外。流派や伝統から逸脱した新しさが横溢している。誰にも真似できない、真似しようのない絵だ。そこには8人の仙人のほかに、龍、鶴、鯉、蝦蟇、唐子、侍女、樹、風、波などが描かれているが、それらは、何か呪文を唱えでもすれば、今にも音を出して動き出しそうである。
この「群仙図屏風」は1764年、「行年三十五歳」の時に描かれた作品。大胆な構図、鮮やかな色づかい(上質の絵具を使っているため今なお色褪せていない)、ダイナミックな筆づかいではあるが、それでいて病的なほど細部の描写に神経が行き届いているところも、かえって蕭白の狂気を感じさせる。どんな神経から、どんな感情から、このような破天荒な絵が生まれたのだろう。いったい曾我蕭白とは何者なのか。私は興味をそそられた。
曾我蕭白の生涯には、謎に包まれている部分が多い。生まれたのは1730年。京都の商家丹波屋吉右衛門の子である。本姓は三浦氏。11歳から15歳頃まで伊勢の久居の米屋に奉公していたらしい。絵は高田敬輔に師事したという説があるが、はっきりしたことはわかっていない。1758年頃から、伊勢地方に旅に出て、絵を描きながら無頼の生活を送っていた。曾我姓を名乗ったのも同時期と見られている。以後、播州高砂、伊勢地方を交互に旅し、各所に絵を残した。1776年には息子が亡くなったという記録がある。1781年1月7日死去。
私が所有している図録は、2005年に京都国立博物館で行われた特別展覧会「曾我蕭白 無頼という愉悦」のものである(全406ページ)。おそらく蕭白展の図録としては、今後、これを超えるものは出てこないだろう。それくらい充実した内容である。ただ、私はこの展覧会には行っていない。図録は神保町の古本屋で何とか入手した。曾我蕭白の作品を生で見たことはなかったのである。
その機会がようやくやってきた。それが東京国立博物館の「ボストン美術館・日本美術の至高」であり、千葉市美術館の「蕭白ショック!! 曾我蕭白と京の画家たち」である。「ボストン美術館・日本美術の至宝」は蕭白のみを扱っているわけではないが、この画家のために丸々1コーナーを設けている。目玉となる作品は、「行年三十四歳」の時に描かれた襖絵「雲龍図」。縦165.6cm×横135cmが8面分。そのスペースいっぱいに、雲間から姿を現した龍が描かれている。襖とどうやって距離をとりながら、ここまで巨大な龍を描いていったのか、という素朴な疑問が湧いてくるほど、でかい。もっとも、胴体部分が消失しているため、これでも完全な姿ではないが、蕭白の画力はそれなりに伝わってくる。
「風仙図屏風」と「商山四皓図屏風」にも感銘を受けた。前者は、池に住む龍を追い出した後、烈風が起こっている様を描いている。勢い溢れる風の描写に、思わずこちらも2、3歩後退しそうになる。商山に遁世した四高士を描いた後者は、自由奔放でありながら無駄を排した筆づかいで魅了する。「山水図屏風」で駆使されている濃淡の妙も、鳥肌もの。目を凝らして見ると、その神経の尋常ではない細やかさがよくわかる。いずれも「日本美術の至宝」と呼ばれるにふさわしい傑作だ。
「蕭白ショック!! 曾我蕭白と京の画家たち」は、冒頭でふれた「群仙図屏風」のほか、「獅子虎図屏風」、「雪山童子図」、「山水図押絵貼屏風」、「蹴鞠寿老図」などを展示。目移りするほど素晴らしい内容であった。「獅子虎図屏風」は蝶におびえる獅子、困ったような虎の表情がなんともユーモラス。「雪山童子図」は前世の釈迦が羅刹に自分の身体を与えようとしている場面を描いた作品。青色と赤色の鮮やかな対比が印象的だが、以前これを見た方の話によると、褪色が進行しているらしい。「山水図押絵貼屏風」は見ているだけで心が澄んでくる魔法のような山水画。およそ人間業とは思えない、あたかも仙人が描いたかのような霊妙な構図、硬軟自在のタッチを堪能できる。「蹴鞠寿老図」は愛嬌のあるだまし絵。鞠と寿老人の間の絶妙さには溜め息が出る。
そして「群仙図屏風」。私は夢にまで見たその絵を前にして、屏風の中に吸い込まれていくような錯覚を覚えた。一種のスタンダール・シンドロームを体験させる大作である。図録は、生の「群仙図屏風」の魅力を1割も伝えていなかった。私は先に「奇想天外」という言葉をつかったが、もっとはっきりいえば、これはもう狂気の沙汰だ。想像力がとんでもない方向に向かって羽ばたいている。
ほかにも、指と爪を用いた指頭画「牧牛図襖」、宴席で一気に描いたとされる「達磨図」、鷹に追われて逃げるのに必死な鶴の哀れな姿を描く「波濤鷹鶴図屏風」、鷲に捕まった猿の抵抗を描く「鷲図屏風」など、忘れられない作品を挙げていったらきりがない。会場のあちこちから「すごい」という囁き声が聞こえてきた。確かに、すごい。そうとしかいいようがないのだ。
この展覧会では、最終コーナーに、蕭白と同時期に活躍していた京の画家たちの作品を展示している。ひと通り「蕭白ショック!!」を体験した後、それらの作品を見た時に感じる気持ちをなんと表現したらいいだろう。高揚していたものが急速にしぼんでいくような、夢から現実に引き戻されたような、わびしさ、味気なさ。円山応挙の絵を見ても、もはや何も感じなくなっている自分に驚いてしまう。
2011年は浮世絵師、歌川国芳の没後150年ということで、例年以上にその作品に注目が集まっていた。そして、2012年は曾我蕭白にスポットが当たっている。この流れは、誰が考えたのかはわからないけど、国芳ファンにとっても、蕭白ファンにとっても、得心のゆくものだと思う。
どちらも奇抜な発想でテーマをとらえ、その発想を不屈の精神力によって補強し、大胆な筆づかいと気が遠くなるような繊細な技巧を併せて駆使し、見たこともないような世界観で我々を圧倒する。豪快にして冷静。ダイナミックでありながら精密。そんな両者からは、既成概念をものともしない反骨人としての同じ匂いがする。また、だまし絵、あり得ない設定、ギャグ漫画のような表情を用いるなど、人を食ったユーモアを有しているところも似ている。国芳の絵が好きな人は、ほとんど例外なく曾我蕭白にも共感を覚えるのではないだろうか。
最後に、図録について少し言及しておきたい。「ボストン美術館・日本美術の至宝」の図録(全291ページ)は、展覧会の規模の大きさを考えると、ちょっと物足りない。写真の見せ方にも不満が残る。例えば、長谷川等伯の「龍虎図屏風」と蕭白の「雲龍図」。写真を分割したり、一部だけ拡大したりするのは結構だが、まずは全体像を載せるべきである。「蕭白ショック!! 曾我蕭白と京の画家たち」の図録(全252ページ)は、写真の見せ方がうまく、内容もしっかりしている。値段が手頃なのに、ケースに入っているのも嬉しい。
この「群仙図屏風」は1764年、「行年三十五歳」の時に描かれた作品。大胆な構図、鮮やかな色づかい(上質の絵具を使っているため今なお色褪せていない)、ダイナミックな筆づかいではあるが、それでいて病的なほど細部の描写に神経が行き届いているところも、かえって蕭白の狂気を感じさせる。どんな神経から、どんな感情から、このような破天荒な絵が生まれたのだろう。いったい曾我蕭白とは何者なのか。私は興味をそそられた。
曾我蕭白の生涯には、謎に包まれている部分が多い。生まれたのは1730年。京都の商家丹波屋吉右衛門の子である。本姓は三浦氏。11歳から15歳頃まで伊勢の久居の米屋に奉公していたらしい。絵は高田敬輔に師事したという説があるが、はっきりしたことはわかっていない。1758年頃から、伊勢地方に旅に出て、絵を描きながら無頼の生活を送っていた。曾我姓を名乗ったのも同時期と見られている。以後、播州高砂、伊勢地方を交互に旅し、各所に絵を残した。1776年には息子が亡くなったという記録がある。1781年1月7日死去。
私が所有している図録は、2005年に京都国立博物館で行われた特別展覧会「曾我蕭白 無頼という愉悦」のものである(全406ページ)。おそらく蕭白展の図録としては、今後、これを超えるものは出てこないだろう。それくらい充実した内容である。ただ、私はこの展覧会には行っていない。図録は神保町の古本屋で何とか入手した。曾我蕭白の作品を生で見たことはなかったのである。
その機会がようやくやってきた。それが東京国立博物館の「ボストン美術館・日本美術の至高」であり、千葉市美術館の「蕭白ショック!! 曾我蕭白と京の画家たち」である。「ボストン美術館・日本美術の至宝」は蕭白のみを扱っているわけではないが、この画家のために丸々1コーナーを設けている。目玉となる作品は、「行年三十四歳」の時に描かれた襖絵「雲龍図」。縦165.6cm×横135cmが8面分。そのスペースいっぱいに、雲間から姿を現した龍が描かれている。襖とどうやって距離をとりながら、ここまで巨大な龍を描いていったのか、という素朴な疑問が湧いてくるほど、でかい。もっとも、胴体部分が消失しているため、これでも完全な姿ではないが、蕭白の画力はそれなりに伝わってくる。
「風仙図屏風」と「商山四皓図屏風」にも感銘を受けた。前者は、池に住む龍を追い出した後、烈風が起こっている様を描いている。勢い溢れる風の描写に、思わずこちらも2、3歩後退しそうになる。商山に遁世した四高士を描いた後者は、自由奔放でありながら無駄を排した筆づかいで魅了する。「山水図屏風」で駆使されている濃淡の妙も、鳥肌もの。目を凝らして見ると、その神経の尋常ではない細やかさがよくわかる。いずれも「日本美術の至宝」と呼ばれるにふさわしい傑作だ。
「蕭白ショック!! 曾我蕭白と京の画家たち」は、冒頭でふれた「群仙図屏風」のほか、「獅子虎図屏風」、「雪山童子図」、「山水図押絵貼屏風」、「蹴鞠寿老図」などを展示。目移りするほど素晴らしい内容であった。「獅子虎図屏風」は蝶におびえる獅子、困ったような虎の表情がなんともユーモラス。「雪山童子図」は前世の釈迦が羅刹に自分の身体を与えようとしている場面を描いた作品。青色と赤色の鮮やかな対比が印象的だが、以前これを見た方の話によると、褪色が進行しているらしい。「山水図押絵貼屏風」は見ているだけで心が澄んでくる魔法のような山水画。およそ人間業とは思えない、あたかも仙人が描いたかのような霊妙な構図、硬軟自在のタッチを堪能できる。「蹴鞠寿老図」は愛嬌のあるだまし絵。鞠と寿老人の間の絶妙さには溜め息が出る。
そして「群仙図屏風」。私は夢にまで見たその絵を前にして、屏風の中に吸い込まれていくような錯覚を覚えた。一種のスタンダール・シンドロームを体験させる大作である。図録は、生の「群仙図屏風」の魅力を1割も伝えていなかった。私は先に「奇想天外」という言葉をつかったが、もっとはっきりいえば、これはもう狂気の沙汰だ。想像力がとんでもない方向に向かって羽ばたいている。
ほかにも、指と爪を用いた指頭画「牧牛図襖」、宴席で一気に描いたとされる「達磨図」、鷹に追われて逃げるのに必死な鶴の哀れな姿を描く「波濤鷹鶴図屏風」、鷲に捕まった猿の抵抗を描く「鷲図屏風」など、忘れられない作品を挙げていったらきりがない。会場のあちこちから「すごい」という囁き声が聞こえてきた。確かに、すごい。そうとしかいいようがないのだ。
この展覧会では、最終コーナーに、蕭白と同時期に活躍していた京の画家たちの作品を展示している。ひと通り「蕭白ショック!!」を体験した後、それらの作品を見た時に感じる気持ちをなんと表現したらいいだろう。高揚していたものが急速にしぼんでいくような、夢から現実に引き戻されたような、わびしさ、味気なさ。円山応挙の絵を見ても、もはや何も感じなくなっている自分に驚いてしまう。
2011年は浮世絵師、歌川国芳の没後150年ということで、例年以上にその作品に注目が集まっていた。そして、2012年は曾我蕭白にスポットが当たっている。この流れは、誰が考えたのかはわからないけど、国芳ファンにとっても、蕭白ファンにとっても、得心のゆくものだと思う。
どちらも奇抜な発想でテーマをとらえ、その発想を不屈の精神力によって補強し、大胆な筆づかいと気が遠くなるような繊細な技巧を併せて駆使し、見たこともないような世界観で我々を圧倒する。豪快にして冷静。ダイナミックでありながら精密。そんな両者からは、既成概念をものともしない反骨人としての同じ匂いがする。また、だまし絵、あり得ない設定、ギャグ漫画のような表情を用いるなど、人を食ったユーモアを有しているところも似ている。国芳の絵が好きな人は、ほとんど例外なく曾我蕭白にも共感を覚えるのではないだろうか。
最後に、図録について少し言及しておきたい。「ボストン美術館・日本美術の至宝」の図録(全291ページ)は、展覧会の規模の大きさを考えると、ちょっと物足りない。写真の見せ方にも不満が残る。例えば、長谷川等伯の「龍虎図屏風」と蕭白の「雲龍図」。写真を分割したり、一部だけ拡大したりするのは結構だが、まずは全体像を載せるべきである。「蕭白ショック!! 曾我蕭白と京の画家たち」の図録(全252ページ)は、写真の見せ方がうまく、内容もしっかりしている。値段が手頃なのに、ケースに入っているのも嬉しい。
(阿部十三)
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