磯田光一『殉教の美学』 苛烈なる人間洞察 [続き]
2012.10.20
新左翼に大きな影響を与えた哲学者、ヘルベルト・マルクーゼの代表的著作に『エロス的文明』がある。これは1955年に出版され、ベストセラーになり、3年後には邦訳も出た。三島由紀夫は1959年1月に季刊誌『声』でこれを取り上げて痛烈に批判し、その思想を「非歴史的な途方もない、天体望遠鏡のやうな客観性」と皮肉っている。抑圧からの解放、反体制を唱える人はいつの時代にもいる。しかし、実際に体制が消え去って抑圧から解放された後、どんな世界がやって来るのだろう。例えば、その世界で、静かな生活を好む非社交的人間たちはストレスを感じることなく生きていけるのだろうか。むしろ居心地の悪い思いをするのではないか。
磯田は、マルクーゼ理論と「ヒューマニズムの自由概念の対極に位する」三島の人間観を対比させ、後者の立場から前者をこのように斬り捨てる。
「マルクーゼの理論の実現した状態は人間にとって最も住みにくい地獄である」
住みにくいわけがない、と一蹴できる人は幸せである。ファシズムなんか望んでいない、抑圧なんか求めるわけがない、そんなことを考えるなんて頭がどうかしている。ファシズムは悪だ。抑圧は悪だ。大半の人はそう思っている。彼らは、ともすれば自分もファシストになりかねないなどとは考えもしない。しかし、そういう人こそ用心すべきである。自覚されない安全装置はいつも正常に作動してくれるとは限らない。なんとなく自分は大丈夫と思い込んでいる人ほど、情勢次第で、しかも無自覚に、ファシストになったり、ヒューマニストになったりする。『殉教の美学』のような観点に接し、どちらにもなり得る種子を持つ危うい存在として、人間を洞察することも肝要である。
『思想としての東京』などに比べると、『殉教の美学』は粗があり、評論というより散文詩的な色合いが強い。日本刀のように切れ味のある言葉を用いて、三島由紀夫の好戦的弁護人、否、殉教者を演じているようにも見える。三島の「魔」の一部分を持論の拠り所にしすぎているきらいもある。磯田はあとがきで、「もうこういう一途に思いつめた文章を書くことはできない」と書き、「私の青春の内面劇」と自著を評しているが、たしかに思い込んだら百年目とでもいいたくなるような気負いが全体にみなぎっている。
時折、磯田は薬味をきかせるようにポール・ヴァレリーの言葉を用いている。ただ、引用の仕方が閃きまかせというか、啓示的というか、ちょっと唐突である。ヴァレリーの名前にありがたみを感じる人の注意はひくだろうが、正直なところ、そこまで効果を上げているとは思えない。私見では、磯田が持論を展開する上で引用すべきヴァレリーの言葉は、有名な『テスト氏』の「エミリー・テスト夫人の手紙」の中にある。なぜこれにふれなかったのだろう。
「確かなものを所有することよりも、期待や、危険や、少しばかりの疑いの方が、ずっと魂を高揚させ、生気づけてくれるのです。これはいいことではないと思っています。そのことで自分をいろいろ責めてもみましたけれど、でもわたくしはそういう女なのです。栄光に包まれた神を見るより、神を信ずる方がいいと思ったことを何度か懺悔いたしましたが、その都度お叱りを受けたものです」
埴谷雄高がいうように、磯田は「平野謙も花田清輝も福田恆存もまったく等価に眺め得るところの貴重な均衡の測定器たる大きな秤」であった。もちろん、その萌芽は『殉教の美学』にも見られるが、これだけで評論家としての資質を評することはできない。その真価は1970年代に発揮されたといっていい。柄谷行人もこんな風に語っている。
「三島由紀夫論を書いている頃は、彼(磯田)は三島に自分の批評のモデルを見出していたと思います。複眼の思想というような視点を三島に求めていた。しかし、三島自身がそれを裏切ったわけですね。磯田さんも二重に困ったのではないかな。それでたぶん余生という言葉が出てきたんでしょうけど、三島からはなれてから、はじめて磯田光一独特のものが出てきたと思います」
しかし、だからといって『殉教の美学』の価値が減ずるわけではない。地誌的なアプローチを駆使して評論家としての本領を発揮する以前の磯田のペンには、その時の彼にしか使い得なかった切実で大胆なレトリックの魔力がある。三島作品への理解を深める手引きとして最良のものとはいえないかもしれないが、ここには戦後を生きる日本人(現代の日本人も当然含まれる)の暗部にある心理の核を突こうという欲求と情熱が、うまく整理されないまま力強く脈打っている。それが論理的に整った文章よりも、啓示的雰囲気を醸し、読者に多くの示唆を与えるのである。戦後から現代にいたるまでの日本人の思考の根源的部分を捉える上でも、状況に応じてヒューマニズムとファシズムを無自覚に行き来しかねない人たちを目覚めさせる上でも、『殉教の美学』が有効な書であることは間違いない。
【関連サイト】
磯田光一『殉教の美学』 苛烈なる人間洞察
磯田光一(みすず書房)
磯田光一
磯田は、マルクーゼ理論と「ヒューマニズムの自由概念の対極に位する」三島の人間観を対比させ、後者の立場から前者をこのように斬り捨てる。
「マルクーゼの理論の実現した状態は人間にとって最も住みにくい地獄である」
(磯田光一「擬装せる予言者=偶像としての三島由紀夫」)
住みにくいわけがない、と一蹴できる人は幸せである。ファシズムなんか望んでいない、抑圧なんか求めるわけがない、そんなことを考えるなんて頭がどうかしている。ファシズムは悪だ。抑圧は悪だ。大半の人はそう思っている。彼らは、ともすれば自分もファシストになりかねないなどとは考えもしない。しかし、そういう人こそ用心すべきである。自覚されない安全装置はいつも正常に作動してくれるとは限らない。なんとなく自分は大丈夫と思い込んでいる人ほど、情勢次第で、しかも無自覚に、ファシストになったり、ヒューマニストになったりする。『殉教の美学』のような観点に接し、どちらにもなり得る種子を持つ危うい存在として、人間を洞察することも肝要である。
『思想としての東京』などに比べると、『殉教の美学』は粗があり、評論というより散文詩的な色合いが強い。日本刀のように切れ味のある言葉を用いて、三島由紀夫の好戦的弁護人、否、殉教者を演じているようにも見える。三島の「魔」の一部分を持論の拠り所にしすぎているきらいもある。磯田はあとがきで、「もうこういう一途に思いつめた文章を書くことはできない」と書き、「私の青春の内面劇」と自著を評しているが、たしかに思い込んだら百年目とでもいいたくなるような気負いが全体にみなぎっている。
時折、磯田は薬味をきかせるようにポール・ヴァレリーの言葉を用いている。ただ、引用の仕方が閃きまかせというか、啓示的というか、ちょっと唐突である。ヴァレリーの名前にありがたみを感じる人の注意はひくだろうが、正直なところ、そこまで効果を上げているとは思えない。私見では、磯田が持論を展開する上で引用すべきヴァレリーの言葉は、有名な『テスト氏』の「エミリー・テスト夫人の手紙」の中にある。なぜこれにふれなかったのだろう。
「確かなものを所有することよりも、期待や、危険や、少しばかりの疑いの方が、ずっと魂を高揚させ、生気づけてくれるのです。これはいいことではないと思っています。そのことで自分をいろいろ責めてもみましたけれど、でもわたくしはそういう女なのです。栄光に包まれた神を見るより、神を信ずる方がいいと思ったことを何度か懺悔いたしましたが、その都度お叱りを受けたものです」
(ポール・ヴァレリー「エミリー・テスト夫人の手紙」)
埴谷雄高がいうように、磯田は「平野謙も花田清輝も福田恆存もまったく等価に眺め得るところの貴重な均衡の測定器たる大きな秤」であった。もちろん、その萌芽は『殉教の美学』にも見られるが、これだけで評論家としての資質を評することはできない。その真価は1970年代に発揮されたといっていい。柄谷行人もこんな風に語っている。
「三島由紀夫論を書いている頃は、彼(磯田)は三島に自分の批評のモデルを見出していたと思います。複眼の思想というような視点を三島に求めていた。しかし、三島自身がそれを裏切ったわけですね。磯田さんも二重に困ったのではないかな。それでたぶん余生という言葉が出てきたんでしょうけど、三島からはなれてから、はじめて磯田光一独特のものが出てきたと思います」
(秋山駿×柄谷行人「批評の零地点を生きる」)
しかし、だからといって『殉教の美学』の価値が減ずるわけではない。地誌的なアプローチを駆使して評論家としての本領を発揮する以前の磯田のペンには、その時の彼にしか使い得なかった切実で大胆なレトリックの魔力がある。三島作品への理解を深める手引きとして最良のものとはいえないかもしれないが、ここには戦後を生きる日本人(現代の日本人も当然含まれる)の暗部にある心理の核を突こうという欲求と情熱が、うまく整理されないまま力強く脈打っている。それが論理的に整った文章よりも、啓示的雰囲気を醸し、読者に多くの示唆を与えるのである。戦後から現代にいたるまでの日本人の思考の根源的部分を捉える上でも、状況に応じてヒューマニズムとファシズムを無自覚に行き来しかねない人たちを目覚めさせる上でも、『殉教の美学』が有効な書であることは間違いない。
(阿部十三)
【関連サイト】
磯田光一『殉教の美学』 苛烈なる人間洞察
磯田光一(みすず書房)
磯田光一
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