文化 CULTURE

ピストル! イーストウッド! レオーネ! 後篇

2011.03.19
 イーストウッドの鉄砲への憧れが再び燃え上がったのは、社会人2年目頃のことだ。ある時、僕はイーストウッドのマカロニ・ウエスタン3作のビデオを購入したのだが、久しぶりに観たことにより「やっぱりイーストウッドと同じ鉄砲が欲しい!」と性懲りもなく思ってしまったのだった。そして、入手する術を求めて銃器専門誌を近所の本屋で立ち読みしたところ、ガラガラ蛇グリップを製作していて、しかも『続・夕陽のガンマン』と同仕様の改造をしてくれる業者の存在が判明した。衝撃を受けた僕は、その頃にはモデルガン化されていたパーカッション式の51NAVYを購入し、「イーストウッドと全く同じにしてください!」と鼻息荒く業者に依頼したのであった。

 完成品を受け取るまでに2年近くかかったが、そいつは遂に僕の部屋へやってきた。狂喜した僕が、分解した51NAVYを素早く組み立ててバンバン言う『続・夕陽のガンマン』ごっこを夜な夜な繰り返していたことを、ここで恥を忍んで告白しておく。すっかり舞い上がった僕は、その後「イーストウッドが所有しているものと同じシリアルナンバーを刻印しました」という、未だに本当なのかよく分からない謳い文句のコルト・シングル・アクション・アーミー・ガラガラ蛇グリップ付きも同じ業者から購入してしまった。

 「バカバカしい趣味!」と他人から言われても何の反論も出来ない。しかし、この熱に浮かされる中で知ったイーストウッドのエピソードが非常に興味深いものであったことは、ぜひ語っておきたい。どうもいろいろ知る内に、イーストウッドは結構な鉄砲マニアであることが明らかになっていったのだ。例えば、マカロニ・ウエスタン出演第1作『荒野の用心棒』は低予算映画だったので、イーストウッドは自前で小道具を用意して撮影に臨んだ。その小道具の一つが、ガラガラ蛇グリップであったという。実は、あのグリップは、『荒野の用心棒』より前に撮影された『ローハイド』の中の「神の裁き」というエピソードで登場する。元々は撮影スタジオの小道具で、後にイーストウッドが譲り受けたのかもしれないが、いずれにせよローハイド時代の彼はプライヴェートでこのグリップを愛用していた。ガラガラ蛇グリップを装着した自前のコルトを使用して早撃ち大会に出場し、良い成績を出していたらしい。イーストウッドと鉄砲と言えば、その後の『ダーティハリー』で使用した大型拳銃44マグナムも有名だが、『ダーティハリー4』で使用したオートマチック式のマグナムは、本人所有の特注品であったという。彼が鉄砲マニアであることを裏付けるそんなような話が、伝記やインタヴューに時々登場する。

 大人にもなって鉄砲にうつつを抜かすのは、眉を顰められても仕方ない。猟銃や競技用銃を除き、実銃の所持が許されない日本に於いては〈鉄砲マニア=オモチャに夢中な人〉にほぼ等しいのだから。モデルガンは缶詰を開けられたり、栓抜きになったり、お肌がスベスベになったりといった実用性は皆無。誰も見ていない夜中にこっそり箱から取り出して眺め、ナデナデするくらいしか用途がない。「あんたなんか変態よ!」と僕を罵る人がいたら、「おっしゃる通りです」と答える外ない。しかし、鉄砲に関心を持ったことにより、イーストウッドに関するあまり知られていない背景を知れたのは、とても良かったと思っている。彼によるスリリングなガンアクション・シーンの数々は、素朴なマニア気質に裏打ちされているということを僕は知ったのだ。茶の間でガンアクションの練習を黙々と行うイーストウッドが、「物騒なものを振り回さないで!」と奥さんに叱られてシュンとしたことがあったかもーーそんな妄想もしながら、出演作たちを一層大切に思うようになった。

 名作というやつは案外、無邪気なエネルギーによって生み出されることが多いのかもしれない。そういえば、イーストウッドのマカロニ・ウエスタンを監督したセルジオ・レオーネは、第2作『夕陽のガンマン』の製作に際して、綿密に資料を調べつつ、西部開拓時代の銃のレプリカを大量に発注したという。出演俳優全員のギャラの合計よりも、銃器に費やした金額の方が多かったという噂もある。銃器類の調達もままならなかった前作『荒野の用心棒』で、レオーネは余程欲求不満が溜まっていたのだろう。そして銃器類に止まらず、彼が新作を作る毎にスケールをエスカレートさせていったのも、憧れの実現への欲求が溢れて止まなかったからであるように思う。『続・夕陽のガンマン』では南北戦争の戦闘を劇中で描き、橋のダイナミックな爆破を盛り込んだ。『ウエスタン』では大陸横断鉄道を再現し、本物の蒸気機関車を荒野に走らせた。『夕陽のギャングたち』での蒸気機関車同士の正面衝突は、胸が締めつけられる程美しいシーンだ。偉大な映画作家としての彼を衝き動かした根本エネルギーは、鉄砲遊び、戦争ごっこ、汽車ポッポに夢中になってしまう子供っぽさだったのではないだろうか。「レオーネもイーストウッドも、俺とそんなに変わらないじゃん!」と自分の趣味を正当化出来る恰好な言い訳を発見した気にもなるが、僕が相変わらず木偶の坊で、偉大でも何でもないというのは、なかなか切ない現実だ。
(田中大)


【関連サイト】
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