大倉燁子 探偵作家、または夏目漱石の弟子
2012.11.17
戦前にデビューした女流探偵作家の代表的存在でありながら、忘れられたマイナー作家のような扱いを受けていた大倉燁子。その名前が、2011年に『大倉燁子探偵小説選』(論創社)が出版されたことにより、再び一部の人々の口の端に上るようになった。代表作を全て収録しているわけではないが、江戸川乱歩が評価したデビュー作「妖影」や森下雨村を唸らせた「消えた霊媒女(ミヂアム)」、あるいは「鉄の処女」「美人鷹匠」「あの顔」「魔性の女」といった作品をまとめて読めるのはありがたい。この一冊があることで、大倉燁子が正当に評価される機会も今後増えていくに違いない。
1886年生まれで、本名は物集(もずめ)芳子。国学者、物集高見の娘である。吉野作造の紹介で中村吉蔵に師事し、その後、二葉亭四迷、そして夏目漱石の弟子になった。1910年に外交官と結婚した後、小学校時代の同級生である平塚らいてうの『青鞜』にペンネームで参加(発起人の一人が妹の物集和子だったこともあり、当時、青鞜社は物集邸の中に置かれていた)。1912年4月号が発禁処分になったのを機に、夫の任地であるアメリカへ。1924年に離婚。1934年に菊池寛の推薦文付きで「妖影」を発表し、1935年には作品集『踊る影絵』を上梓。探偵作家としては恵まれたスタートを切ったが、戦後は思うように活躍の場を得ることができず、金銭的に苦労したことが当時のエッセイに書かれている。1960年に脳血栓で亡くなった後、再評価されたという話もとくに聞かない。ただ、『殺人流線型』などの初版本は高値で取引されていたようで、根強いファンがいたことをうかがわせる(今でもかなり高い)。
『大倉燁子探偵小説選』に収録されているのは、20ページ前後の短編ばかりだが、その短さの中で、犯罪者へと堕ちていく人たちの運命を、簡潔に、それでいて余韻を含ませるように描いている。精神異常や心霊趣味の要素を取り入れながら、それらをトリックとして活用したり、雰囲気を高める装置にしたりして、しっかりと小説世界の中に組み込んでいる点も注目に値する。勧善懲悪の痛快さもないし、驚くような謎解きがあるわけでもないが、読んだ後、登場人物たちの人生の深淵をかいま見たような気分にさせられる。その手腕はかなりのものだ。とりわけ「消えた霊媒女」「鉄の処女」「あの顔」は、様々なタイプの小説を通過してきている現代の読者の目から見ても、珠玉といっていい名品である。時に残酷な話を綴りながらも、文章にそこはかとない品が漂っているのは、二葉亭四迷や夏目漱石の下で研鑽を積んだ成果だろう。
もとより過大評価する気はない。あまり意味を成していない回想形式や紹介形式を多用している点など、首をひねりたくなるところもある。また、長編作品もうまいとはいえない。そもそも長編に向いてない、といったら身も蓋もないが、サービス精神が旺盛すぎて、ご都合主義的になり、構成の細部がおざなりになる傾向がある。
私が大倉燁子の名前を知ったのは、5、6年前のことである。「十三」を「とみ」と読ませる題名の作品があると聞き、興味を持った。それが『笑ふ花束』に収録された「黒猫十三」である(私自身の名前の由来とは関係ない)。大倉お得意のドンデン返しもので、傑作とはいえないまでも、雰囲気の作り方はなかなかうまい。個人的に黒猫が好きで、名前も同じなので、作品の価値云々より、なんとなくこの作家に好感を抱いてしまった。ちなみに、これは『大倉燁子探偵小説選』でも読むことができる。巻末には詳細な解説も付いていて、初出誌(『キング』)と単行本では結末が変わっていることが指摘されている。
それにしても、漱石の弟子が探偵作家になったというのは皮肉な話である。漱石は探偵のことを毛嫌いしていた。『吾輩は猫である』で探偵批判が繰り広げられているのは、周知の通りである。「凡そ世の中に何が賎しい家業だと云って探偵と高利貸程下等な職はないと思っている」などと書いている。『文芸の哲学的基礎』では、もっと烈しい調子で探偵を罵っている。そんな文豪の弟子でありながら、大倉燁子は探偵作家として生きた。師の探偵嫌いが、かえって大倉の好奇心を刺激したのか、その辺の真相はわからない。大倉の心霊趣味を拝借していわせてもらえば、あの世で漱石は弟子の選んだ進路に頭を抱えていたに違いない。
【関連サイト】
大倉燁子研究所
論創社
1886年生まれで、本名は物集(もずめ)芳子。国学者、物集高見の娘である。吉野作造の紹介で中村吉蔵に師事し、その後、二葉亭四迷、そして夏目漱石の弟子になった。1910年に外交官と結婚した後、小学校時代の同級生である平塚らいてうの『青鞜』にペンネームで参加(発起人の一人が妹の物集和子だったこともあり、当時、青鞜社は物集邸の中に置かれていた)。1912年4月号が発禁処分になったのを機に、夫の任地であるアメリカへ。1924年に離婚。1934年に菊池寛の推薦文付きで「妖影」を発表し、1935年には作品集『踊る影絵』を上梓。探偵作家としては恵まれたスタートを切ったが、戦後は思うように活躍の場を得ることができず、金銭的に苦労したことが当時のエッセイに書かれている。1960年に脳血栓で亡くなった後、再評価されたという話もとくに聞かない。ただ、『殺人流線型』などの初版本は高値で取引されていたようで、根強いファンがいたことをうかがわせる(今でもかなり高い)。
『大倉燁子探偵小説選』に収録されているのは、20ページ前後の短編ばかりだが、その短さの中で、犯罪者へと堕ちていく人たちの運命を、簡潔に、それでいて余韻を含ませるように描いている。精神異常や心霊趣味の要素を取り入れながら、それらをトリックとして活用したり、雰囲気を高める装置にしたりして、しっかりと小説世界の中に組み込んでいる点も注目に値する。勧善懲悪の痛快さもないし、驚くような謎解きがあるわけでもないが、読んだ後、登場人物たちの人生の深淵をかいま見たような気分にさせられる。その手腕はかなりのものだ。とりわけ「消えた霊媒女」「鉄の処女」「あの顔」は、様々なタイプの小説を通過してきている現代の読者の目から見ても、珠玉といっていい名品である。時に残酷な話を綴りながらも、文章にそこはかとない品が漂っているのは、二葉亭四迷や夏目漱石の下で研鑽を積んだ成果だろう。
もとより過大評価する気はない。あまり意味を成していない回想形式や紹介形式を多用している点など、首をひねりたくなるところもある。また、長編作品もうまいとはいえない。そもそも長編に向いてない、といったら身も蓋もないが、サービス精神が旺盛すぎて、ご都合主義的になり、構成の細部がおざなりになる傾向がある。
私が大倉燁子の名前を知ったのは、5、6年前のことである。「十三」を「とみ」と読ませる題名の作品があると聞き、興味を持った。それが『笑ふ花束』に収録された「黒猫十三」である(私自身の名前の由来とは関係ない)。大倉お得意のドンデン返しもので、傑作とはいえないまでも、雰囲気の作り方はなかなかうまい。個人的に黒猫が好きで、名前も同じなので、作品の価値云々より、なんとなくこの作家に好感を抱いてしまった。ちなみに、これは『大倉燁子探偵小説選』でも読むことができる。巻末には詳細な解説も付いていて、初出誌(『キング』)と単行本では結末が変わっていることが指摘されている。
それにしても、漱石の弟子が探偵作家になったというのは皮肉な話である。漱石は探偵のことを毛嫌いしていた。『吾輩は猫である』で探偵批判が繰り広げられているのは、周知の通りである。「凡そ世の中に何が賎しい家業だと云って探偵と高利貸程下等な職はないと思っている」などと書いている。『文芸の哲学的基礎』では、もっと烈しい調子で探偵を罵っている。そんな文豪の弟子でありながら、大倉燁子は探偵作家として生きた。師の探偵嫌いが、かえって大倉の好奇心を刺激したのか、その辺の真相はわからない。大倉の心霊趣味を拝借していわせてもらえば、あの世で漱石は弟子の選んだ進路に頭を抱えていたに違いない。
(阿部十三)
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