文化 CULTURE

トラベラーリッド随想

2013.02.09
 多くのコーヒーショップで使われている小さな穴のあいた蓋を見たことがない、という人は少ないだろう。トラベラーリッド、ドリンキングリッドと呼ばれているやつである。かつてこの小さな穴を通してホットコーヒーを飲むことに抵抗を示す人が周りに沢山いた。今もいるかもしれないが、「いつ熱い液体が口に流れ込んでくるか分かりづらい」という不満をよく聞いたものである。しかし、トラベラーリッドはそのまま普及し続け、今日に至っている。

 むろん、利点があるから定着しているのだろう。トラベラーリッドを使えば、持ち運びの際こぼれにくい。保温性が向上する。埃やら菌やらが入りづらくなる。中の液体が口に入ってくる微妙なタイミングがつかめないといっても、毎日のように飲んでいればつかめるようになる(たまに油断して唇を火傷するけど)。私個人は、ある一点の問題を除けば、トラベラーリッドは合理的なアイディア商品だと思っている。
 その問題とは、においである。コーヒーを飲むと、鼻が蓋に近付く、ないし、接する。その時鼻孔に入ってくる蓋のにおい、否、「臭い」に違和感を覚えるのである。私はコーヒー通でも何でもないが、1日1杯はホットコーヒーを飲んでいる。それでもこの臭いに慣れることはない。

 コーヒーの香りは脳機能に大きな効果を与える、といわれている。杏林大学の古賀良彦教授によると、脳にもたらされる効果は豆の種類によって異なり(例えばグアテマラとブルーマウンテンはリラックス効果、マンデリンやハワイコナは集中力を高める効果がある)、使い分けて飲むのが上手なコーヒーとの付き合い方らしい。
 その香りは、トラベラーリッドを付けている以上、そこまで楽しめない。それならば純粋にコーヒーの味を堪能するため、せめて蓋には無臭であってほしいところ。にもかかわらず、ちょっとケミカルな臭いを発している。この臭いと、口に流れ込んでくるコーヒーの味のギャップには当惑せざるを得ない。

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 ちなみに、私の友人・知人からは「コーヒーの蓋の臭いが気になって仕方ない」という話を聞いたことはない。なので、私はこれを個人の問題としてのみこんできた。蓋は蓋として重宝しつつも、飲む時は外す。これにて解決である。「あの人、飲み方を知らないのでは......」と苦笑いされても、無視するほかない。

 とはいえ、もう少し原因を考えてみたい。

 もしかすると、私が普段利用している数店が「異例」なだけかもしれない。そう思い、有名コーヒーショップをあちこち回ってみた。結果、臭いのあるものと、ほとんどないものがほぼ半々で存在した。なぜこういうことが起こるのか。お店の管理方法等の影響で余計な臭いが付着しているのだろうか。

 トラベラーリッドはポリスチレン樹脂で出来ている。人的には無臭のはずだ。試しにカップから外して、においを嗅いでみた。無臭である。しかし、カップにコーヒーや紅茶が入った状態でトラベラーリッドをはめて嗅いでみると、臭いがする。
 温度の影響で、微かに臭うものと、かなり臭うものがあるようだ。製造メーカーや製造方法によって差が出るのだろう。むろん、「かなり臭う」といっても、個人差はある。実際、臭いがする(と私が感じる)トラベラーリッドを友人や同僚に嗅いでもらったところ、「臭うような気もするが、全然気にならない」という答えが返ってきた。

 嗅覚とは孤独な感覚である。いわゆる健常者の五感の中で、最も個人差があるのは嗅覚だという話を聞いたことがあるが、その通りだと思う。何か臭いがする時、それに気付く人と同じくらい気付かない人がいる、というのはよくあることだし、「良い匂い」「悪い臭い」「無臭」の判断基準も人それぞれだ。また、特定の臭いに対しては異常なほど敏感に反応するのに、別の臭いには無頓着な人もいる。

 私の五感は総じて人並みだが、嗅覚は比較的良い。なので、例えば塩素の臭いがするお椀で味噌汁を飲まされた時の精神的ダメージは、私には「絶望感」と表現したくなるレベルのものになる。そして、その味噌汁を周りの人たちが平気で飲んでいるのを見ることで、絶望感に孤独感が加わる。塩素臭い(と私が感じる)お椀が、嗅覚を通じて私を他人に理解されない存在にしている、といっても過言ではない。それと同じことがトラベラーリッドについてもいえる。針小棒大に思われそうだが、ここには何の誇張もない。
(阿部十三)


【関連サイト】
全日本コーヒー協会(香りから生まれる、「癒し」と「集中力」。)

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