続・絶対レコード主義 ドーナツ盤の誘惑
2013.02.16
その昔、YOKOHAMA BLACK CINEMA CLUBなる好事家の集まりがあり、筆者自身もメンバーのひとりで、不定期ながら、横浜某所で行われていた〈レアなブラック・ミュージックの映像を鑑賞する会〉に必ず参加していた。また、都内某所において、1980年代半ば頃、早稲田大学のサークル〈ブラック・ミュージック研究会(サークル名:ギャラクシー)〉の集まりがあり、メンバーのひとりと共通の知り合いがいたため、誘われて顔を出していたものである。前者で目にする映像は、いわゆるブートレグのもので、目下、YouTubeにさえアップされていない稀少なものも含まれていた。後者の集まりでは、参加した人々が、事前に入手した、これまたレアなシングル盤や12"シングルを持ち寄り、「これ、知ってる?(=持ってる?と同義)」と言いながら、得意満面にターンテーブルに乗せて聴かせてくれたものである。その時の経験から、筆者はスウィート・ソウル・グループのパルス(Pulse)の一発ヒット「Don't Stop The Magic」(1982年/R&BチャートNo.96)の12"シングルを、アメリカのオークションでうっかり競り落としてしまったほどだ。それからほどなくして、数寄屋橋にあった中古レコード屋のハンター(2001年に閉店)で、同12"シングルがたったの200円で売られているのを発見した時には、本当に卒倒しそうになってしまった。筆者は、そのン十倍もの値段を付けてアメリカのオークションで競り落としたのだ。中古レコード漁りをしていると、こうしたことは避けられぬ事態であり、その時は自分を責めればそれで済む。銀座のハンター......値段を付ける基準が皆目見当のつかない、実に摩訶不思議で面白い中古レコード屋さんだった。
ここ数ヶ月間で、拙宅では日本盤シングル及びUS、UKの中古シングル盤が劇的に増えた。もともと筆者はマーヴィン・ゲイのシングル盤だけは金に糸目を付けずに蒐集してきたのだが(そして今も出向いた中古レコード屋で見つける度に、同じものを持っていてもついつい買ってしまう。これはもはやビョーキである)、彼以外のアーティストのシングル盤をそこまで夢中になって買い漁ったことはなかった。マーヴィンのシングル盤を狂ったように集めるようになったきっかけは、冒頭で述べたYOKOHAMA BLACK CINEMA CLUBの会長さんによる、「泉山さん、曲の真のオリジナル・ヴァージョンはシングル・ヴァージョンなんですよ」というお言葉だった。約30年も前の話である。それ以前から、マーヴィンのオリジナル盤LPはもとより、シングル盤も少しずつ買い集めていたのだが、シングル・ヴァージョン=オリジナル・ヴァージョンというご教示が刺激となって、以前にも況してシングル盤に対する愛着が湧いた。そして筆者は今でも、既に死語と化しているであろう〈ドーナツ盤=シングル盤〉という言葉を普通に口にする。ドーナツの形に似ているからドーナツ盤! 何とシンプルでチャーミングな日本語なんだろう!
シングル盤に執着する筆者に向かって、ロック愛好家の旧友は、「ブラック・ミュージックを好きな人って、シングル盤に走る傾向がありますよね」と言った。確かにその通りかも知れない。家人は1970年代にヨーロッパ中を何年にもわたって放浪した〈one of the flower children(flower children=ヒッピーの別称)〉だが(苦笑)、自分の好きなロック・アーティストのシングル盤を買ったことは一度もないそうである。理由は、「2曲しか入ってないのに値段が高いから」。確かにその通りである。仮に、シングル盤1枚の値段が500円の時代だったとすると、1曲が250円である。そしてその曲のB面がインストゥルメンタル・ナンバーだった場合、まるで詐欺にでも遭ったような気分に陥ってしまう。しかしながら、昔は、シングル盤のB面に〈LP未収録ナンバー〉が収録されていることがままあり、そのこともまた、筆者がシングル盤蒐集に血道を上げる理由のひとつとなった。実際、拙宅には、〈LP未収録ナンバー入り〉のシングル盤が何枚かある。
筆者は音楽をダウンロードして聴く、という行為を一度もしたことがなく(そもそもあれは音楽ではなく、単なるデータでしかない、というのが筆者の持論)、ダウンロードが1曲につきいくらか、なんて知らないし、調べる気力さえも持ち合わせていないが、恐らく、1960〜1980年代に市場に出回っていたシングル盤の値段は、当時の一般的サラリーマンの給料の金額からすると、かなり高かったのではないだろうか。LPでさえ、贅沢品だった。筆者が初めてお小遣いで買ったLPの値段は2,000円前後だったと記憶しているが、当時の諸物価と照らし合わせてみた場合、LP1枚の値段がどれほど高かったかがお判り頂けると思う。筆者が高校生の時、せっせと貯金して、マイケル・ジャクソンの『OFF THE WALL』(1979年)と『ONE DAY IN YOUR LIFE』(1981年)のUS盤オリジナルLPをやっとの思いで買ったことを、今でも懐かしく思い出す(それらは今でも大切に保管。そして年に何度かは必ず聴く)。ダウンロードが当たり前の現代の人々には、その歓びの半分も解ってもらえないだろう。何故に〈レコード鑑賞〉が趣味の一端として成り立っていたのかーーそれは、レコードとステレオが贅沢品だったからである。ダウンロードで音楽鑑賞、というのは、趣味として成立するのだろうか? 筆者には、単なる移動中の時間つぶしにか思えないのだが。
マーヴィン以外にも、モータウンの古いシングル盤は見つける度に中古レコード屋で買い漁っているが、驚かされるのは、LPヴァージョンのそれと違う場合が多いことである。今、咄嗟に頭に思い浮かぶのは、マーヴィンの「ホワッツ・ゴーイン・オン(旧邦題:愛のゆくえ)」。シングル・ヴァージョンには、LPヴァージョンの冒頭で聞こえる、街の雑踏や人々の話し声が一切入っていない。いきなりイントロで始まるのである。そして、そのヴァージョンこそが、真のオリジナルなのだ。また、B面には、アルバム『ホワッツ・ゴーイン・オン』に収録されている「ゴッド・イズ・ラヴ」の全くの別ヴァージョンが収録されており(その裏事情は、2年前にリリースされた『ホワッツ・ゴーイン・オン 40周年記念盤』の英文ライナーノーツに詳しい)、筆者は初めてそれを聴いた時、腰が抜けるほど驚愕した憶えがある。「シングル盤とはこういうことなんだ......」と、いよいよシングル盤蒐集に血道を上げるきっかけになったのが、同シングル盤だった。
たまたま家人が1960〜1970年代の(特にUKの)ロック愛好家であるため、彼はロックのシングル盤をただの1枚も持っていなかった。そして筆者は、シングル・ヴァージョン=真のオリジナル・ヴァージョンであることをしつこく家人の頭に叩き込み、〈シングル・ヴァージョンのヴォーカル・トラックがLPのそれと違ってたらどうするの?!〉と、毎日毎日、厭味ったらしく責め立てた。そして、ようやくシングル盤の価値に気付いてくれた家人は、今では筆者以上に中古レコード屋に行くと、真っ先にシングル盤コーナーに足を向けるまでになったのである(苦笑)。カッティング・レヴェルの高さはもちろんのこと、こと日本盤シングルに関して言えば、時代を感じさせる邦題とキャッチ・コピ―に目頭を熱くせずにはいられない。筆者の手持ちのシングル盤はたかだか100枚程度だが(そしてそのほとんどがマーヴィン・ゲイとLLクールJ、その他、シングル盤を買うほど好きだった曲に限られる)、家人はここ数ヶ月間の間、その枚数を上回るほどの中古シングル盤を蒐集した。アニマルズの「朝日のあたる家」(1964年/全米No.1)の日本盤シングル(しかもレッド・ワックス!/赤いソノシートが分厚くなったもの、と思って下さい)を中古で見つけてきた時には、涙が出そうにさえなった。鍛えた甲斐があって、アナログ盤から遠ざかっていた家人も、ようやく盤質の見極め方ーーどこでノイズが入るか、針飛びはするのかしないのかーーを会得したようである。アナログ世代のくせに、CDの利便さにすっかり慣れてしまっていた元ヒッピーの音楽に対する感性はここまで鈍ってしまっていたのかと、当初は愕然としたものだが、やはりそこは昔取った杵柄、レコードの扱い方の勘を取り戻すのが早かった。中古レコードを購入する際には、必ず盤質(盤面、という言い方もする)を確かめることをお薦めする。家に持ち帰り、ターンテーブルに乗せて針を落としてみたら、ところどころ針飛びする、というのでは、余りに残念でならないからだ。そして筆者はそうした経験を過去に何度もしており、以前、「絶対レコード主義」(リンクさせます)に記した〈針飛び治療法〉を必ず施さずにはいられない性分である。
確かに、大衆受けするシングル曲ーー例えば、〈three-minute pop songs〉と呼ばれる、ラジオでオン・エアされることを前提に作られた、いわゆるRadio Editのヴァージョンーーは、演奏時間が短い。ラジオ局の音楽番組における、そうした掟(3分以上の曲は流さない)を初めて破ったのは、ドアーズの「Light My Fire(邦題:ハートに火をつけて)」(1967年/全米No.1/アルバム・ヴァージョンは7分ちょっと/それを当時のラジオ局ではフルで流したという)だと言われている。また、イーグルスの「ホテル・カリフォルニア」(1976年にレコーディング、翌1977年にシングル・カットされて全米No.1)に至っては、シングル・ヴァージョンの演奏時間はアルバム・ヴァージョンより僅かに短い6分8秒である。試しに、同曲のアルバム・ヴァージョンとシングル・ヴァージョン(拙宅にあるのは日本盤シングル)を時間を測りながら聴き較べてみたところ、シングル・ヴァージョンのフェイド・アウトがLPヴァージョンのそれに較べて約20秒間だけ短い、ということが判った。つまり、ヴォーカルの部分=歌っている箇所は、〈three-minute pop songs〉の倍近くもあり、それを当時の音楽番組のDJたちは、そのまま流したということになる(その間、トイレ休憩でも挟んだか?)。6分以上もある曲を、丸々ラジオでオン・エアするなんて、シングル盤至上主義の1960年代ーー端的に言えば、ダンス・フロア向けのロング・ヴァージョンが巷に溢れ返っていた1970年代以前ーーには考えられなかった行為である。
筆者はまた、シングル盤同様に12"シングルも大好きである。特に、R&B/ソウル・ミュージック/ラップ・ミュージックの場合、LPヴァージョンともシングル・ヴァージョンとも異なるリミックスが複数収録されていることがあり、もうそれだけでお得感満載だからだ。中には、LPヴァージョンのそれよりもずっと出来のいいリミックスが収録されている場合もあり、そうした音源に遭遇した時には、得も言われぬ歓びに包まれてしまう。筆者は今でもLLクールJの12"シングルをしつこく蒐集しているが、たとえそこに〈from the album ○▲□(つまりCDもしくはLPヴァージョンと同じということ)〉と記されてあっても、カッティング・レヴェルが異常に高い12"シングルの音は捨て難い。蛇足ながら、ロック愛好家の家人は、12"シングルなるものが何であるかを知らなかった。それを解ってもらうまで、説明に丸一日を費やしてしまったほどである(7"シングルと12"シングルの区別をいくら説明しても、当初は理解不能だったようである。ああ、元ヒッピーの思考回路はどうなっているのか......)。
故ジェームス・ブラウンには、A面を〈Part 1〉、B面を〈Part 2〉と銘打ってあるシングル盤が数多くある。〈Part 1〉と〈Part 2〉には、何の意味もない。ただ単に、シングル盤のA面に収まりきれない曲をA面とB面に分けて収録しただけだ。当時、12"シングルはまだ製造されていなかった。ただそれだけの話である。そして筆者は、そうした〈Part 1〉と〈Part 2〉に分かれているシングル盤を引っくり返して聴く作業を煩わしいと思ったことは一度もない。それどころか、B面にはどんな展開が待っているのかと、ワクワクしてレコード針を落とすタイプである。ドーナツ盤、万歳!
中古レコード屋巡りをしていると、年々、アナログ盤の価格が下落の一途をたどっていることを身に染みて感じる。その一方では、ジャズのCDの在庫のダブつきが弥が上にも目に付く。また、シングル盤に関して言えば、日本で特に人気を博した洋楽アーティストによるそれのダブつきが顕著で、お店によっては、同じ曲のシングル盤が何枚も店頭に出ていることも......。行きつけの中古レコード屋さんの店長さん曰く「ジャズ愛好家の方たちは、CDを売り払って、そのお金でLPを買い直す傾向にあるようです」ーーなるほど。どうりで、どこの中古レコード屋さんに行っても、某有名ジャズ・アーティストのボックス入りCDセットが、驚くほどの安値で売り場に置いてあるわけだ。筆者は〈イタリアのなんちゃってジャズ〉を愛聴しているのだが、ボーナス・トラック入りのCDではなく、常にLPで購入している。よって、拙宅には、中古レコード屋に売っ払うジャズのCDは1枚もない。そもそも、ジャズのCDは買わない。買うならLPである(それが180gもしくは200g重量盤、100% Pure LPである場合、購買意欲を激しく揺さぶられてしまう)。
再びシングル盤の話。知人・友人は言うに及ばず、旧知の編集者さんやレコード会社のディレクターさん、加えて、美術館関係の友人、音楽仲間でもある主治医までもが〈レコード・コンサート〉(←死語)を楽しみつつ酒席を共にするために、拙宅に度々いらして下さるのだが、みなさん、異口同音に「アナログ盤の音っていいですねえ......」とおっしゃって下さる。もちろん、シングル盤をとっかえひっかえターンテーブルの上に乗せてプレイするDJ役は筆者が買って出るのだが、これまで最もリクエストの多かったドーナツ盤が、エルトン・ジョンの「Your Song(邦題:僕の歌は君の歌)」(1970年/全米No.8)であったことを、最後に記しておく。
【関連サイト】
絶対レコード主義
アンチ・デジタル反乱のスローガンは、「君のターンテーブルは死んでいない」
ここ数ヶ月間で、拙宅では日本盤シングル及びUS、UKの中古シングル盤が劇的に増えた。もともと筆者はマーヴィン・ゲイのシングル盤だけは金に糸目を付けずに蒐集してきたのだが(そして今も出向いた中古レコード屋で見つける度に、同じものを持っていてもついつい買ってしまう。これはもはやビョーキである)、彼以外のアーティストのシングル盤をそこまで夢中になって買い漁ったことはなかった。マーヴィンのシングル盤を狂ったように集めるようになったきっかけは、冒頭で述べたYOKOHAMA BLACK CINEMA CLUBの会長さんによる、「泉山さん、曲の真のオリジナル・ヴァージョンはシングル・ヴァージョンなんですよ」というお言葉だった。約30年も前の話である。それ以前から、マーヴィンのオリジナル盤LPはもとより、シングル盤も少しずつ買い集めていたのだが、シングル・ヴァージョン=オリジナル・ヴァージョンというご教示が刺激となって、以前にも況してシングル盤に対する愛着が湧いた。そして筆者は今でも、既に死語と化しているであろう〈ドーナツ盤=シングル盤〉という言葉を普通に口にする。ドーナツの形に似ているからドーナツ盤! 何とシンプルでチャーミングな日本語なんだろう!
シングル盤に執着する筆者に向かって、ロック愛好家の旧友は、「ブラック・ミュージックを好きな人って、シングル盤に走る傾向がありますよね」と言った。確かにその通りかも知れない。家人は1970年代にヨーロッパ中を何年にもわたって放浪した〈one of the flower children(flower children=ヒッピーの別称)〉だが(苦笑)、自分の好きなロック・アーティストのシングル盤を買ったことは一度もないそうである。理由は、「2曲しか入ってないのに値段が高いから」。確かにその通りである。仮に、シングル盤1枚の値段が500円の時代だったとすると、1曲が250円である。そしてその曲のB面がインストゥルメンタル・ナンバーだった場合、まるで詐欺にでも遭ったような気分に陥ってしまう。しかしながら、昔は、シングル盤のB面に〈LP未収録ナンバー〉が収録されていることがままあり、そのこともまた、筆者がシングル盤蒐集に血道を上げる理由のひとつとなった。実際、拙宅には、〈LP未収録ナンバー入り〉のシングル盤が何枚かある。
筆者は音楽をダウンロードして聴く、という行為を一度もしたことがなく(そもそもあれは音楽ではなく、単なるデータでしかない、というのが筆者の持論)、ダウンロードが1曲につきいくらか、なんて知らないし、調べる気力さえも持ち合わせていないが、恐らく、1960〜1980年代に市場に出回っていたシングル盤の値段は、当時の一般的サラリーマンの給料の金額からすると、かなり高かったのではないだろうか。LPでさえ、贅沢品だった。筆者が初めてお小遣いで買ったLPの値段は2,000円前後だったと記憶しているが、当時の諸物価と照らし合わせてみた場合、LP1枚の値段がどれほど高かったかがお判り頂けると思う。筆者が高校生の時、せっせと貯金して、マイケル・ジャクソンの『OFF THE WALL』(1979年)と『ONE DAY IN YOUR LIFE』(1981年)のUS盤オリジナルLPをやっとの思いで買ったことを、今でも懐かしく思い出す(それらは今でも大切に保管。そして年に何度かは必ず聴く)。ダウンロードが当たり前の現代の人々には、その歓びの半分も解ってもらえないだろう。何故に〈レコード鑑賞〉が趣味の一端として成り立っていたのかーーそれは、レコードとステレオが贅沢品だったからである。ダウンロードで音楽鑑賞、というのは、趣味として成立するのだろうか? 筆者には、単なる移動中の時間つぶしにか思えないのだが。
マーヴィン以外にも、モータウンの古いシングル盤は見つける度に中古レコード屋で買い漁っているが、驚かされるのは、LPヴァージョンのそれと違う場合が多いことである。今、咄嗟に頭に思い浮かぶのは、マーヴィンの「ホワッツ・ゴーイン・オン(旧邦題:愛のゆくえ)」。シングル・ヴァージョンには、LPヴァージョンの冒頭で聞こえる、街の雑踏や人々の話し声が一切入っていない。いきなりイントロで始まるのである。そして、そのヴァージョンこそが、真のオリジナルなのだ。また、B面には、アルバム『ホワッツ・ゴーイン・オン』に収録されている「ゴッド・イズ・ラヴ」の全くの別ヴァージョンが収録されており(その裏事情は、2年前にリリースされた『ホワッツ・ゴーイン・オン 40周年記念盤』の英文ライナーノーツに詳しい)、筆者は初めてそれを聴いた時、腰が抜けるほど驚愕した憶えがある。「シングル盤とはこういうことなんだ......」と、いよいよシングル盤蒐集に血道を上げるきっかけになったのが、同シングル盤だった。
たまたま家人が1960〜1970年代の(特にUKの)ロック愛好家であるため、彼はロックのシングル盤をただの1枚も持っていなかった。そして筆者は、シングル・ヴァージョン=真のオリジナル・ヴァージョンであることをしつこく家人の頭に叩き込み、〈シングル・ヴァージョンのヴォーカル・トラックがLPのそれと違ってたらどうするの?!〉と、毎日毎日、厭味ったらしく責め立てた。そして、ようやくシングル盤の価値に気付いてくれた家人は、今では筆者以上に中古レコード屋に行くと、真っ先にシングル盤コーナーに足を向けるまでになったのである(苦笑)。カッティング・レヴェルの高さはもちろんのこと、こと日本盤シングルに関して言えば、時代を感じさせる邦題とキャッチ・コピ―に目頭を熱くせずにはいられない。筆者の手持ちのシングル盤はたかだか100枚程度だが(そしてそのほとんどがマーヴィン・ゲイとLLクールJ、その他、シングル盤を買うほど好きだった曲に限られる)、家人はここ数ヶ月間の間、その枚数を上回るほどの中古シングル盤を蒐集した。アニマルズの「朝日のあたる家」(1964年/全米No.1)の日本盤シングル(しかもレッド・ワックス!/赤いソノシートが分厚くなったもの、と思って下さい)を中古で見つけてきた時には、涙が出そうにさえなった。鍛えた甲斐があって、アナログ盤から遠ざかっていた家人も、ようやく盤質の見極め方ーーどこでノイズが入るか、針飛びはするのかしないのかーーを会得したようである。アナログ世代のくせに、CDの利便さにすっかり慣れてしまっていた元ヒッピーの音楽に対する感性はここまで鈍ってしまっていたのかと、当初は愕然としたものだが、やはりそこは昔取った杵柄、レコードの扱い方の勘を取り戻すのが早かった。中古レコードを購入する際には、必ず盤質(盤面、という言い方もする)を確かめることをお薦めする。家に持ち帰り、ターンテーブルに乗せて針を落としてみたら、ところどころ針飛びする、というのでは、余りに残念でならないからだ。そして筆者はそうした経験を過去に何度もしており、以前、「絶対レコード主義」(リンクさせます)に記した〈針飛び治療法〉を必ず施さずにはいられない性分である。
確かに、大衆受けするシングル曲ーー例えば、〈three-minute pop songs〉と呼ばれる、ラジオでオン・エアされることを前提に作られた、いわゆるRadio Editのヴァージョンーーは、演奏時間が短い。ラジオ局の音楽番組における、そうした掟(3分以上の曲は流さない)を初めて破ったのは、ドアーズの「Light My Fire(邦題:ハートに火をつけて)」(1967年/全米No.1/アルバム・ヴァージョンは7分ちょっと/それを当時のラジオ局ではフルで流したという)だと言われている。また、イーグルスの「ホテル・カリフォルニア」(1976年にレコーディング、翌1977年にシングル・カットされて全米No.1)に至っては、シングル・ヴァージョンの演奏時間はアルバム・ヴァージョンより僅かに短い6分8秒である。試しに、同曲のアルバム・ヴァージョンとシングル・ヴァージョン(拙宅にあるのは日本盤シングル)を時間を測りながら聴き較べてみたところ、シングル・ヴァージョンのフェイド・アウトがLPヴァージョンのそれに較べて約20秒間だけ短い、ということが判った。つまり、ヴォーカルの部分=歌っている箇所は、〈three-minute pop songs〉の倍近くもあり、それを当時の音楽番組のDJたちは、そのまま流したということになる(その間、トイレ休憩でも挟んだか?)。6分以上もある曲を、丸々ラジオでオン・エアするなんて、シングル盤至上主義の1960年代ーー端的に言えば、ダンス・フロア向けのロング・ヴァージョンが巷に溢れ返っていた1970年代以前ーーには考えられなかった行為である。
筆者はまた、シングル盤同様に12"シングルも大好きである。特に、R&B/ソウル・ミュージック/ラップ・ミュージックの場合、LPヴァージョンともシングル・ヴァージョンとも異なるリミックスが複数収録されていることがあり、もうそれだけでお得感満載だからだ。中には、LPヴァージョンのそれよりもずっと出来のいいリミックスが収録されている場合もあり、そうした音源に遭遇した時には、得も言われぬ歓びに包まれてしまう。筆者は今でもLLクールJの12"シングルをしつこく蒐集しているが、たとえそこに〈from the album ○▲□(つまりCDもしくはLPヴァージョンと同じということ)〉と記されてあっても、カッティング・レヴェルが異常に高い12"シングルの音は捨て難い。蛇足ながら、ロック愛好家の家人は、12"シングルなるものが何であるかを知らなかった。それを解ってもらうまで、説明に丸一日を費やしてしまったほどである(7"シングルと12"シングルの区別をいくら説明しても、当初は理解不能だったようである。ああ、元ヒッピーの思考回路はどうなっているのか......)。
故ジェームス・ブラウンには、A面を〈Part 1〉、B面を〈Part 2〉と銘打ってあるシングル盤が数多くある。〈Part 1〉と〈Part 2〉には、何の意味もない。ただ単に、シングル盤のA面に収まりきれない曲をA面とB面に分けて収録しただけだ。当時、12"シングルはまだ製造されていなかった。ただそれだけの話である。そして筆者は、そうした〈Part 1〉と〈Part 2〉に分かれているシングル盤を引っくり返して聴く作業を煩わしいと思ったことは一度もない。それどころか、B面にはどんな展開が待っているのかと、ワクワクしてレコード針を落とすタイプである。ドーナツ盤、万歳!
中古レコード屋巡りをしていると、年々、アナログ盤の価格が下落の一途をたどっていることを身に染みて感じる。その一方では、ジャズのCDの在庫のダブつきが弥が上にも目に付く。また、シングル盤に関して言えば、日本で特に人気を博した洋楽アーティストによるそれのダブつきが顕著で、お店によっては、同じ曲のシングル盤が何枚も店頭に出ていることも......。行きつけの中古レコード屋さんの店長さん曰く「ジャズ愛好家の方たちは、CDを売り払って、そのお金でLPを買い直す傾向にあるようです」ーーなるほど。どうりで、どこの中古レコード屋さんに行っても、某有名ジャズ・アーティストのボックス入りCDセットが、驚くほどの安値で売り場に置いてあるわけだ。筆者は〈イタリアのなんちゃってジャズ〉を愛聴しているのだが、ボーナス・トラック入りのCDではなく、常にLPで購入している。よって、拙宅には、中古レコード屋に売っ払うジャズのCDは1枚もない。そもそも、ジャズのCDは買わない。買うならLPである(それが180gもしくは200g重量盤、100% Pure LPである場合、購買意欲を激しく揺さぶられてしまう)。
再びシングル盤の話。知人・友人は言うに及ばず、旧知の編集者さんやレコード会社のディレクターさん、加えて、美術館関係の友人、音楽仲間でもある主治医までもが〈レコード・コンサート〉(←死語)を楽しみつつ酒席を共にするために、拙宅に度々いらして下さるのだが、みなさん、異口同音に「アナログ盤の音っていいですねえ......」とおっしゃって下さる。もちろん、シングル盤をとっかえひっかえターンテーブルの上に乗せてプレイするDJ役は筆者が買って出るのだが、これまで最もリクエストの多かったドーナツ盤が、エルトン・ジョンの「Your Song(邦題:僕の歌は君の歌)」(1970年/全米No.8)であったことを、最後に記しておく。
(泉山真奈美)
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