人類の星の時間、人生の星の時間
2013.03.30
シュテファン・ツヴァイクの『人類の星の時間』は、世界史を変えた12の歴史的瞬間を圧倒的な筆力で描いた作品集である。この本を出版するにあたり、ツヴァイクは歴史を一人の詩人に見立てて、次のように書いている。
「多くのばあい歴史はただ記録者として無差別に、そして根気よく、数千年を通じてのあの巨大な鎖の中に、一つ一つ事実を編み込んでゆく。......芸術の中に一つの天才精神が生きると、その精神は多くの時代を超えて生きつづける。世界歴史にもそのような時間が現われ出ると、その時間が数十年、数百年のための決定をする。そんなばあいには、避雷針の尖端に大気全体の電気が集中するように、多くの事象の、測り知れない充満が、きわめて短い瞬時の中に集積される」
後々の人類の運命の径路を決めてしまうその「きわめて短い瞬時」=「星の時間」とはいつのことを指すのか。ここで選ばれているのは、ビザンチン陥落、太平洋の発見、ワーテルローの戦い、ロシア革命などである。また、歴史の教科書に必ず出てくるような出来事だけでなく、ヘンデルが『メサイア』を作曲した瞬間や、ゲーテが『マリエンバートの悲歌』を書いた瞬間、ドストエフスキーが処刑を免れた瞬間まで扱われている。
「星の時間」というと、どことなくロマンティックに見えるが、その素顔は非情である。人情によって左右されることはまずない。ビザンチン陥落時の施錠されていない門が象徴しているように、ちょっとした運命の悪戯によって、多くの命が失われ、国が終わってしまうこともある。素晴らしいもの、感動的なものをもたらすかと思えば、一方で、過酷なこと、残酷なことも起こしてしまうのだ。ワーテルローの戦いでのエマニュエル・ド・グルーシーがそうだったように、真の意味で重要な瞬間を、それを生かすことのできない不適任者に委ねてしまうことだってある。しかし、そういった配剤の積み重ねで人類の歴史がつながり、刻々と今が生まれてゆくのである。
ツヴァイクは独自の視点で歴史の内側にあるエネルギーの波形を読み取り、決定的な配剤がなされた瞬間をえぐり出している。その見識と感性にはいくら感服してもしきれない。
ツヴァイクならではの名言も要所にちりばめられている。「暴力的な支配者たちは、彼らが戦争を準備しているとき、その準備が充分できない間しきりに平和を口にする」や「歴史はたびたび数字の遊戯をする」といった格言から、「強い人々、大胆な人々に運命の力は特につよく迫る。シーザー、アレクサンダー、ナポレオンのような個人に、運命は何年間も下僕のように従順であった。なぜなら運命はつかみがたい要素である運命自身に似ている要素的な力の人間を好むからである」という運命指南書で使われそうな言葉まである。片山敏彦の訳はかなり独特だが、いわんとしていることは伝わるだろう。
かつてNHKで放送していた「その時歴史が動いた」は、『人類の星の時間』の亜流である。人類の歴史のエネルギーが凝縮されている瞬間をドラマティックに見せられると、自分自身もその歴史の延長線上にいることが感じられて、えもいわれぬ興奮を覚えることがある。これは教養と高揚感を同時に得る意味でも、理想的なやり方だと思う。ただ、ドラマ性を狙うあまり過剰に演出してしまうと、事実を歪めることにもなりかねない。歴史の扱いには常に注意が必要である。
参考までに、『人類の星の時間』の初版は1927年に出版されている。当時は5つのエピソードのみで構成されていたが、その後7つが加えられ、現在の形となった。私が最も感動したのは、再起不能に陥ったヘンデルが復活し、『メサイア』を書き上げる話。ツヴァイクの筆力にも凄みが感じられる。
「星の時間」は人類の歴史の専有物ではない。個人の人生にも「星の時間」はある。平凡で何もない人生に見えても、必ずそういう時間は存在している。その時間は何がきっかけで執行されるかわからない。そして、いったん執行されると、私たちの精神や肉体以上に人生を激震させ、夢のような時間ないし悪夢のような時間として一生記憶の底に残り、隠然たる影響力を放ち続ける。そういう観点から、過去に執行された「星の時間」を辿り、自分だけのための自分史を書いてみるのも面白いだろう。私自身に関していえば、この偉大な本に出会い、大きな刺激を受けたことを「星の時間」の一つとして自分史に記したいと思っている。
【関連サイト】
シュテファン・ツヴァイク『人類の星の時間』
「多くのばあい歴史はただ記録者として無差別に、そして根気よく、数千年を通じてのあの巨大な鎖の中に、一つ一つ事実を編み込んでゆく。......芸術の中に一つの天才精神が生きると、その精神は多くの時代を超えて生きつづける。世界歴史にもそのような時間が現われ出ると、その時間が数十年、数百年のための決定をする。そんなばあいには、避雷針の尖端に大気全体の電気が集中するように、多くの事象の、測り知れない充満が、きわめて短い瞬時の中に集積される」
(片山敏彦訳)
後々の人類の運命の径路を決めてしまうその「きわめて短い瞬時」=「星の時間」とはいつのことを指すのか。ここで選ばれているのは、ビザンチン陥落、太平洋の発見、ワーテルローの戦い、ロシア革命などである。また、歴史の教科書に必ず出てくるような出来事だけでなく、ヘンデルが『メサイア』を作曲した瞬間や、ゲーテが『マリエンバートの悲歌』を書いた瞬間、ドストエフスキーが処刑を免れた瞬間まで扱われている。
「星の時間」というと、どことなくロマンティックに見えるが、その素顔は非情である。人情によって左右されることはまずない。ビザンチン陥落時の施錠されていない門が象徴しているように、ちょっとした運命の悪戯によって、多くの命が失われ、国が終わってしまうこともある。素晴らしいもの、感動的なものをもたらすかと思えば、一方で、過酷なこと、残酷なことも起こしてしまうのだ。ワーテルローの戦いでのエマニュエル・ド・グルーシーがそうだったように、真の意味で重要な瞬間を、それを生かすことのできない不適任者に委ねてしまうことだってある。しかし、そういった配剤の積み重ねで人類の歴史がつながり、刻々と今が生まれてゆくのである。
ツヴァイクは独自の視点で歴史の内側にあるエネルギーの波形を読み取り、決定的な配剤がなされた瞬間をえぐり出している。その見識と感性にはいくら感服してもしきれない。
ツヴァイクならではの名言も要所にちりばめられている。「暴力的な支配者たちは、彼らが戦争を準備しているとき、その準備が充分できない間しきりに平和を口にする」や「歴史はたびたび数字の遊戯をする」といった格言から、「強い人々、大胆な人々に運命の力は特につよく迫る。シーザー、アレクサンダー、ナポレオンのような個人に、運命は何年間も下僕のように従順であった。なぜなら運命はつかみがたい要素である運命自身に似ている要素的な力の人間を好むからである」という運命指南書で使われそうな言葉まである。片山敏彦の訳はかなり独特だが、いわんとしていることは伝わるだろう。
かつてNHKで放送していた「その時歴史が動いた」は、『人類の星の時間』の亜流である。人類の歴史のエネルギーが凝縮されている瞬間をドラマティックに見せられると、自分自身もその歴史の延長線上にいることが感じられて、えもいわれぬ興奮を覚えることがある。これは教養と高揚感を同時に得る意味でも、理想的なやり方だと思う。ただ、ドラマ性を狙うあまり過剰に演出してしまうと、事実を歪めることにもなりかねない。歴史の扱いには常に注意が必要である。
参考までに、『人類の星の時間』の初版は1927年に出版されている。当時は5つのエピソードのみで構成されていたが、その後7つが加えられ、現在の形となった。私が最も感動したのは、再起不能に陥ったヘンデルが復活し、『メサイア』を書き上げる話。ツヴァイクの筆力にも凄みが感じられる。
「星の時間」は人類の歴史の専有物ではない。個人の人生にも「星の時間」はある。平凡で何もない人生に見えても、必ずそういう時間は存在している。その時間は何がきっかけで執行されるかわからない。そして、いったん執行されると、私たちの精神や肉体以上に人生を激震させ、夢のような時間ないし悪夢のような時間として一生記憶の底に残り、隠然たる影響力を放ち続ける。そういう観点から、過去に執行された「星の時間」を辿り、自分だけのための自分史を書いてみるのも面白いだろう。私自身に関していえば、この偉大な本に出会い、大きな刺激を受けたことを「星の時間」の一つとして自分史に記したいと思っている。
(阿部十三)
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シュテファン・ツヴァイク『人類の星の時間』
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