モダンガールは今日も微笑む 龍膽寺雄再考・前篇
2011.03.26
龍膽寺雄と書いて「りゅうたんじ・ゆう」と読む。「りんどうじ・ゆう」でも「りんどう・てらお」でもない。龍胆寺雄、竜胆寺雄と記されることも多い。
昭和初期に活躍したこの作家の名前を、今どれくらいの人が知っているだろうか。私が学生だった20年ほど前は「再評価の機運が高まっている」などと言われていたものだが、それからどうも尻すぼみになってしまったような気がする。
1928年4月、龍膽寺雄は『改造』十周年記念懸賞小説に「放浪時代」が一等入選したのがきっかけで文壇に華々しく登場した。応募総数1330編。無名の作家がそのトップに選ばれたのである。以来、6年後に「M・子への遺書」の筆禍によって文壇から放逐されるまで、龍膽寺は『改造』『新潮』『近代生活』といった雑誌を中心に膨大な量(約300編と言われている)の作品を発表した。手がけたジャンルは、モダンガールの生態をみずみずしい筆致で描いた〈魔子〉もの、歴史小説、童話、シナリオ、コント、SF、ファンタジーなど多岐にわたっている。その洒落た作風は、当時一大勢力をなしていたプロレタリア文学以外の新しい文学を求める風潮にも合い、大衆の支持を集め、文壇の寵児としてもてはやされた。
その一方で、龍膽寺雄の作品に対してはデビュー当初から批判的な意見がついて回った。「作品の中身に何か物足りない」(中村武羅夫)といったものをはじめ、表層的な流行現象を追い求めた享楽主義的な風俗小説として軽視する向きもあり、「エロ・グロ・ナンセンス」と蔑称で呼ぶものもあった。さらに、プロレタリア文学に対抗する〈新興芸術派〉のオピニオン・リーダーと目されていたことから、プロレタリア文学の作家たちにも睨まれ、「ブルジョア文学」と非難された。
先輩作家の中で、龍膽寺に明らかに好意的だったのは、龍膽寺雄が師と仰いだ佐藤春夫、「アパアトの女たちと僕と」を激賞した谷崎潤一郎、あとは「放浪時代」を絶賛し、龍膽寺を佐藤春夫に紹介した島崎藤村、「魔子」を評価した正宗白鳥くらいではないか。
川端康成とも表向きは良好な関係を築いていたが、次第に疎遠になっていった。そして、川端の「空と片仮名」が内田憲太郎の代作であることをすっぱ抜き、その恐ろしく冷たい本性を弾劾し、「この人は悪魔だ。人間じゃない」と斬り捨てた問題作「M・子への遺書」以降、絶縁状態になった。
私は大学2年生の頃(1993年)、講義で紹介された「放浪時代」と「アパアトの女たちと僕と」を読み、この作家に興味を抱いた。その後、問題の「M・子への遺書」を大学図書館の人気のない閲覧室でドキドキしながら読んだことを今も覚えている。
文壇というところは、打算と虚栄と礼儀とをもって、まことに白々しく、態裁よく表面だけを飾りつくろわれているので、よほどの喧嘩仲間でもないと、いや、どんな喧嘩仲間でも、これには絶対に触れないと黙約された世界があるのだ。
お高くとまった文壇の裏側についてこのように語り、「世間態などというものを抜けめなく考えながら(中略)蔭でだけ威猛高になっている輩は、軽蔑せざるを得ない」と言い放ったところまでは良かったかもしれない。ただ、川端康成の欺瞞を暴き、文芸春秋の菊池寛を「人生でただ一つ霊魂が開放されているという芸術の世界」で「浮浪人(ごろつき)の親分じみた醜悪な縄張り争い」をしている、と批判したのはタブー行為とみなされたようだ。
この〈遺書〉に初めて接した時、私はひどくハラハラした。発表から60年近く経ってから読んでもそれくらいショッキングだったのだから、当時の読者の戸惑いはいかほどだったろう。
以後、龍膽寺は作家としての活動の場を制限される。戦中の1943年に「鳳輦京へ還る」が直木賞候補作になるが、受賞するわけもなく(選者の川端に却下されたとのことだが、文芸春秋社の賞である時点で龍膽寺の受賞はあり得なかったのではないか)、戦後はポルノ小説のはしりと言われる『不死鳥』など、官能小説の系統にも手を染めた。1960年代以降は日本を代表するシャボテン研究家として名を馳せ、1992年に91歳で人生の幕を閉じた。
その数奇な運命に惹かれるものを感じた私は、一時期、憑かれたように龍膽寺雄研究にいそしんだものだ。新鮮な着眼点、確かな筆力に裏打ちされた洒落た文体、昭和初期の風俗を作中に積極的に取り込み芸術に活かそうとした文学的野心、医学・生物学の知識を生かした説得力のある人物造型ーー「モダニズム文学」と称された龍膽寺の作品は、今読んでも大変面白い。昭和初期の簡便主義や享楽主義、格差社会、性の乱れ、弛緩してゆく文化。そういうところが今の時代と通底しているためによけいそう感じるのかもしれない。
【関連サイト】
モダンガールは今日も微笑む 龍膽寺雄再考・中篇
昭和初期に活躍したこの作家の名前を、今どれくらいの人が知っているだろうか。私が学生だった20年ほど前は「再評価の機運が高まっている」などと言われていたものだが、それからどうも尻すぼみになってしまったような気がする。
1928年4月、龍膽寺雄は『改造』十周年記念懸賞小説に「放浪時代」が一等入選したのがきっかけで文壇に華々しく登場した。応募総数1330編。無名の作家がそのトップに選ばれたのである。以来、6年後に「M・子への遺書」の筆禍によって文壇から放逐されるまで、龍膽寺は『改造』『新潮』『近代生活』といった雑誌を中心に膨大な量(約300編と言われている)の作品を発表した。手がけたジャンルは、モダンガールの生態をみずみずしい筆致で描いた〈魔子〉もの、歴史小説、童話、シナリオ、コント、SF、ファンタジーなど多岐にわたっている。その洒落た作風は、当時一大勢力をなしていたプロレタリア文学以外の新しい文学を求める風潮にも合い、大衆の支持を集め、文壇の寵児としてもてはやされた。
その一方で、龍膽寺雄の作品に対してはデビュー当初から批判的な意見がついて回った。「作品の中身に何か物足りない」(中村武羅夫)といったものをはじめ、表層的な流行現象を追い求めた享楽主義的な風俗小説として軽視する向きもあり、「エロ・グロ・ナンセンス」と蔑称で呼ぶものもあった。さらに、プロレタリア文学に対抗する〈新興芸術派〉のオピニオン・リーダーと目されていたことから、プロレタリア文学の作家たちにも睨まれ、「ブルジョア文学」と非難された。
先輩作家の中で、龍膽寺に明らかに好意的だったのは、龍膽寺雄が師と仰いだ佐藤春夫、「アパアトの女たちと僕と」を激賞した谷崎潤一郎、あとは「放浪時代」を絶賛し、龍膽寺を佐藤春夫に紹介した島崎藤村、「魔子」を評価した正宗白鳥くらいではないか。
川端康成とも表向きは良好な関係を築いていたが、次第に疎遠になっていった。そして、川端の「空と片仮名」が内田憲太郎の代作であることをすっぱ抜き、その恐ろしく冷たい本性を弾劾し、「この人は悪魔だ。人間じゃない」と斬り捨てた問題作「M・子への遺書」以降、絶縁状態になった。
私は大学2年生の頃(1993年)、講義で紹介された「放浪時代」と「アパアトの女たちと僕と」を読み、この作家に興味を抱いた。その後、問題の「M・子への遺書」を大学図書館の人気のない閲覧室でドキドキしながら読んだことを今も覚えている。
文壇というところは、打算と虚栄と礼儀とをもって、まことに白々しく、態裁よく表面だけを飾りつくろわれているので、よほどの喧嘩仲間でもないと、いや、どんな喧嘩仲間でも、これには絶対に触れないと黙約された世界があるのだ。
(『M・子への遺書』)
お高くとまった文壇の裏側についてこのように語り、「世間態などというものを抜けめなく考えながら(中略)蔭でだけ威猛高になっている輩は、軽蔑せざるを得ない」と言い放ったところまでは良かったかもしれない。ただ、川端康成の欺瞞を暴き、文芸春秋の菊池寛を「人生でただ一つ霊魂が開放されているという芸術の世界」で「浮浪人(ごろつき)の親分じみた醜悪な縄張り争い」をしている、と批判したのはタブー行為とみなされたようだ。
この〈遺書〉に初めて接した時、私はひどくハラハラした。発表から60年近く経ってから読んでもそれくらいショッキングだったのだから、当時の読者の戸惑いはいかほどだったろう。
以後、龍膽寺は作家としての活動の場を制限される。戦中の1943年に「鳳輦京へ還る」が直木賞候補作になるが、受賞するわけもなく(選者の川端に却下されたとのことだが、文芸春秋社の賞である時点で龍膽寺の受賞はあり得なかったのではないか)、戦後はポルノ小説のはしりと言われる『不死鳥』など、官能小説の系統にも手を染めた。1960年代以降は日本を代表するシャボテン研究家として名を馳せ、1992年に91歳で人生の幕を閉じた。
その数奇な運命に惹かれるものを感じた私は、一時期、憑かれたように龍膽寺雄研究にいそしんだものだ。新鮮な着眼点、確かな筆力に裏打ちされた洒落た文体、昭和初期の風俗を作中に積極的に取り込み芸術に活かそうとした文学的野心、医学・生物学の知識を生かした説得力のある人物造型ーー「モダニズム文学」と称された龍膽寺の作品は、今読んでも大変面白い。昭和初期の簡便主義や享楽主義、格差社会、性の乱れ、弛緩してゆく文化。そういうところが今の時代と通底しているためによけいそう感じるのかもしれない。
続く
(阿部十三)
【関連サイト】
モダンガールは今日も微笑む 龍膽寺雄再考・中篇
月別インデックス
- November 2024 [1]
- October 2024 [1]
- September 2024 [1]
- March 2024 [1]
- February 2024 [1]
- November 2023 [1]
- August 2023 [7]
- March 2023 [1]
- February 2023 [1]
- December 2022 [1]
- October 2022 [1]
- August 2022 [1]
- May 2022 [1]
- February 2022 [1]
- December 2021 [1]
- September 2021 [2]
- August 2021 [1]
- July 2021 [1]
- May 2021 [1]
- March 2021 [1]
- January 2021 [1]
- December 2020 [1]
- October 2020 [1]
- August 2020 [1]
- June 2020 [1]
- May 2020 [2]
- March 2020 [1]
- February 2020 [1]
- January 2020 [1]
- December 2019 [1]
- November 2019 [2]
- October 2019 [1]
- September 2019 [1]
- August 2019 [1]
- July 2019 [1]
- June 2019 [1]
- May 2019 [1]
- March 2019 [1]
- January 2019 [1]
- December 2018 [1]
- November 2018 [1]
- October 2018 [1]
- September 2018 [1]
- July 2018 [1]
- June 2018 [2]
- May 2018 [1]
- February 2018 [1]
- December 2017 [2]
- October 2017 [1]
- September 2017 [1]
- August 2017 [1]
- July 2017 [3]
- June 2017 [1]
- May 2017 [1]
- April 2017 [1]
- February 2017 [1]
- January 2017 [1]
- December 2016 [2]
- October 2016 [1]
- September 2016 [1]
- August 2016 [1]
- July 2016 [1]
- June 2016 [2]
- April 2016 [2]
- March 2016 [1]
- January 2016 [1]
- December 2015 [2]
- November 2015 [1]
- October 2015 [1]
- September 2015 [2]
- August 2015 [1]
- July 2015 [1]
- June 2015 [1]
- May 2015 [2]
- April 2015 [1]
- March 2015 [1]
- February 2015 [1]
- January 2015 [1]
- December 2014 [1]
- November 2014 [2]
- October 2014 [1]
- September 2014 [2]
- August 2014 [1]
- July 2014 [1]
- June 2014 [2]
- May 2014 [2]
- April 2014 [1]
- March 2014 [1]
- February 2014 [1]
- January 2014 [3]
- December 2013 [3]
- November 2013 [2]
- October 2013 [1]
- September 2013 [2]
- August 2013 [1]
- July 2013 [2]
- June 2013 [2]
- May 2013 [2]
- April 2013 [3]
- March 2013 [2]
- February 2013 [2]
- January 2013 [1]
- December 2012 [3]
- November 2012 [2]
- October 2012 [3]
- September 2012 [3]
- August 2012 [3]
- July 2012 [3]
- June 2012 [3]
- May 2012 [2]
- April 2012 [3]
- March 2012 [2]
- February 2012 [3]
- January 2012 [4]
- December 2011 [5]
- November 2011 [4]
- October 2011 [5]
- September 2011 [4]
- August 2011 [4]
- July 2011 [5]
- June 2011 [4]
- May 2011 [4]
- April 2011 [5]
- March 2011 [4]
- February 2011 [5]