『わたしは真悟』 語り継がれる奇跡
2013.11.09
年に1回は必ず読む漫画がある。楳図かずおの『わたしは真悟』だ。初めて読んだ時は頭が爆発しそうになるほどの興奮を覚えたものだが、何回読んでも、ほとんど同じ強度の興奮に襲われる。読み慣れた作品という印象を抱くことはない。毎回新鮮な気持ちになり、楳図が創造した驚異的な世界に溺れてしまう。
『わたしは真悟』は1982年から1986年にかけて『ビッグコミックスピリッツ』に連載された。主人公は小学6年生の近藤悟と山本真鈴、そして2人の「子供」にあたるロボットの真悟。ロボットといっても農機具のモーターを組み立てる産業用機械で、コンピューターのプログラムによって作動する仕組みになっている。人型ロボットでもなんでもない。アーム型の、見映えのしない代物だ。しかし、この「3人」が世界を、地球を一変させるような奇跡を起こすことになる。
すでに評論家やファンによって多くのことが語られている作品であり、解釈を施すにはあまりにも難解なところ、話のつじつまが合わないところなども細かく指摘されている。中には、作品以上に難解な言葉で綴られた評論もある。ただ、楳図自身が「論理にも二通りあって、因果関係で繋がっていく論理と、感性で繋いでいく論理とある」(『ユリイカ』2004年7月号)と語っているように、読者の側も2つの論理を使い分けて読めば、ほとんど抵抗感なく楽しめると思う。単純に、鬼気迫るとしかいいようがない楳図の超人的な画力、「神は細部に宿る」という言葉を思い起こさせるマニエラに圧倒されてみるのも良いだろう。各エピソードの扉絵一つとっても芸術品である。
『わたしは真悟』では3という数字が大きな役割を担っている。例えば主人公の「さとる」「まりん」「しんご」、悟の両親の「いさむ」「はるひ」、真鈴に執着する「ロビン」、悟に想いを寄せる「しずか」、頭脳明晰な「たけし」など、ほとんどの主要キャラクターの名前は三文字である。また、前半の東京タワーでのクライマックスが「333」という数字から導き出されたり、後半のエルサレムでの奇跡が「0.003秒」の間に起こったりする。ロボットが意識を持つのも「PROGRAM3/意識」の章からである。ちなみに、「PROGRAM3」は東京タワーの場面が終わりかかった頃に始まり、この章の終盤になってようやくタイトルの意味が明かされる。かなり型破りなプロットである。
漫画史に残る東京タワーの場面は、圧巻と評するのが月並みに思えるほど神がかっている。より正確にいえば、イギリスに行くことになった真鈴が捨て身の覚悟でコンピューターに託したメッセージを悟が目にする場面から、もう、読者はページを繰る手を止めることが出来なくなるだろう。異常なほど高く、烈しく、かつ冷静でもある作者のテンションがひしひしと伝わってきて、心の底からゾクゾクさせられる。
だが、ここで悟と真鈴が起こす奇跡に2人は気付かない。後半のエルサレムの奇跡もまた然りである。奇跡は当人たちの知らないところで起こり、周囲の人々が文字通り血まみれ、傷だらけになりながら、その驚異的騒乱に巻き込まれていくのだ。
漫画のテーマは、コンピューターとは何か、進化とは何か、意識とは何か、愛とは何か、人間とは何か、神とは何か、というところにまで広がっている。ただ、シンプルにいえば、12歳の少年と少女の愛が引き起こした奇跡の話である。つまり、悟と真鈴が出会わなければ起こらなかったことなのである。
では、具体的に何が起こったのか。端的にいえば、産業用ロボットが意識を持ち、行動力まで持ち、挙げ句の果てに神の如き能力を持つようになったのである。では、なぜそのようなことが起こったのか。もとはといえば2人の小学生がコンピューターをいじり、我流にカスタマイズしたためである。彼らがインプットしたデータは何か。「ジャックと豆の木」と「青い鳥」の話、ノストラダムスの大予言、オーメンの悪魔の数字「666」、クモの巣の張り具合、そして自分たちのプロフィールなどである。子供らしいその奇妙な配合が、もともと産業用ロボットに内蔵されていた(いわくつきの)プログラムに奇怪な影響を及ぼし、「PROGRAM3/意識」の「Apt1-はじめとおわり」のようなことが起こり、真悟を誕生させたのである。そう考えるのが穏当だろう。
ロボットが腕の形状をしているのも象徴的である。
連載第1回目に、まだ真鈴ともロボットとも出会っていない悟が、お風呂に入りながら落書きをした腕を湯船から出して、こうつぶやく場面がある。「こんなにうまくはもう二度と書けないよ......絶対に消さないんだ......」ーーこの「うまく」落書きした腕を置き換えたものが、すなわち真悟なのである。
窓の描かれ方も印象的である。「PROGRAM1/誕生」の「Apt5-工場にて」や「Apt7-ロボットを見学して...」、「PROGRAM2/学習」の「Apt12-メッセージ」、「PROGRAM3/意識」の「Apt1-はじめとおわり」などに出てくる窓は、光をもたらすシンボルだ。窓というのはここまで美しく描けるものなのか、と溜息が漏れること頻りである。しかし、それが「PROGRAM3/意識」の「Apt7-破片」のように割れると、痛みや恐怖や悪をもたらすシンボルになる。後半は窓が割れるシーンがかなり目立つ。
既述しておいたように、この作品には説明しようのない謎、つじつまの合わない箇所がいくつか出てくる。最も代表的なのは、語り手の問題である。作中、真悟が「〜といいます」や「〜と聞きました」と語るのだが、それは誰から伝え聞いたものなのか、真悟がいつ、どんな状態でこの物語を語っているのか、判然としない。
もっとも、物語の語り手というのは古来から神の視点を持つものである。『わたしは真悟』もその系譜に属するもの、ホメロスの『オデュッセイア』のように「ムーサ」を霊感の源とする作品だと私は考えている。
ほかにも、(読んだ人なら分かるであろう)豊工業に貼られたお札のこと、「ぐにゃぐにゃした、なんだかわけのわかんないもの」のこと、虹のこと、イギリスに向かうタンカーでのこと、佐渡島での陰謀めいた展開のことなど、引っかかる部分はあるが、それらに誰もが納得いくような注釈を加えることは難しい。「ぐにゃぐにゃした、なんだかわけのわかんないもの」は編集部に書くことを禁じられたらしいが、作品にはセリフとして残っている。こういうところは、感性で繋いでいかなければついて行けないかもしれない。
後半のメイン・キャラクターであるロビンにも言及しておきたい。イギリスに来た真鈴に一目惚れし、恋人になろうと目論み、邪悪な行為に走る15歳の美少年のことである。蛇のように執拗で、悪魔的なオーラを発するロビンは、神的な力を持つ真悟にとって最大の敵といっても過言ではない。が、一皮むけば、運命の恋人を持つ少女に夢中になり、邪心に憑かれて己を見失う悲惨な少年である。結局のところ、悟と真鈴と真悟の出会いがもたらした、まがまがしくも情熱的な犠牲者の一人にすぎないともいえる。
この漫画に遍在する悪意や暴力は、2つの根幹的な不幸から派生したものではないかと私はみている。「夫(=悟)」と「妻(=真鈴)」の仲が引き裂かれていることの不幸、「父(=悟)」と「母(=真鈴)」から「子供(=真悟)」が引き離されていることの不幸である。そこから、一組の夫婦関係・親子関係の崩壊が世界を暗くするという図式を読み取ることもできる。
連載が始まってから完結するまで、私は『わたしは真悟』のことを何も知らずに過ごしていた。知っていたとしても、読んだかどうかは分からない。漫画に登場するのは小学生だが、小学生が読むにはハードルの高い作品である。私が読んだのは大学受験の頃である。
ただ、1982年まで自分が東京に住んでいたこと、東京タワーで遊んでいたこと、その年に悟のように地方へ引っ越したこと(漫画に出てくる新潟ではないが)、連載終了時の1986年に私が悟とほぼ同い年になっていたことなど、勝手に親近感を覚える部分があり、読むたびに身に迫るリアリティを感じてしまう。そして、子供じみているとは思いながら、「もし自分が悟だったら......」という空想に嵌り込み、しばし没我の興奮に酔うのである。
【関連サイト】
楳図かずお
『わたしは真悟』は1982年から1986年にかけて『ビッグコミックスピリッツ』に連載された。主人公は小学6年生の近藤悟と山本真鈴、そして2人の「子供」にあたるロボットの真悟。ロボットといっても農機具のモーターを組み立てる産業用機械で、コンピューターのプログラムによって作動する仕組みになっている。人型ロボットでもなんでもない。アーム型の、見映えのしない代物だ。しかし、この「3人」が世界を、地球を一変させるような奇跡を起こすことになる。
すでに評論家やファンによって多くのことが語られている作品であり、解釈を施すにはあまりにも難解なところ、話のつじつまが合わないところなども細かく指摘されている。中には、作品以上に難解な言葉で綴られた評論もある。ただ、楳図自身が「論理にも二通りあって、因果関係で繋がっていく論理と、感性で繋いでいく論理とある」(『ユリイカ』2004年7月号)と語っているように、読者の側も2つの論理を使い分けて読めば、ほとんど抵抗感なく楽しめると思う。単純に、鬼気迫るとしかいいようがない楳図の超人的な画力、「神は細部に宿る」という言葉を思い起こさせるマニエラに圧倒されてみるのも良いだろう。各エピソードの扉絵一つとっても芸術品である。
『わたしは真悟』では3という数字が大きな役割を担っている。例えば主人公の「さとる」「まりん」「しんご」、悟の両親の「いさむ」「はるひ」、真鈴に執着する「ロビン」、悟に想いを寄せる「しずか」、頭脳明晰な「たけし」など、ほとんどの主要キャラクターの名前は三文字である。また、前半の東京タワーでのクライマックスが「333」という数字から導き出されたり、後半のエルサレムでの奇跡が「0.003秒」の間に起こったりする。ロボットが意識を持つのも「PROGRAM3/意識」の章からである。ちなみに、「PROGRAM3」は東京タワーの場面が終わりかかった頃に始まり、この章の終盤になってようやくタイトルの意味が明かされる。かなり型破りなプロットである。
漫画史に残る東京タワーの場面は、圧巻と評するのが月並みに思えるほど神がかっている。より正確にいえば、イギリスに行くことになった真鈴が捨て身の覚悟でコンピューターに託したメッセージを悟が目にする場面から、もう、読者はページを繰る手を止めることが出来なくなるだろう。異常なほど高く、烈しく、かつ冷静でもある作者のテンションがひしひしと伝わってきて、心の底からゾクゾクさせられる。
だが、ここで悟と真鈴が起こす奇跡に2人は気付かない。後半のエルサレムの奇跡もまた然りである。奇跡は当人たちの知らないところで起こり、周囲の人々が文字通り血まみれ、傷だらけになりながら、その驚異的騒乱に巻き込まれていくのだ。
漫画のテーマは、コンピューターとは何か、進化とは何か、意識とは何か、愛とは何か、人間とは何か、神とは何か、というところにまで広がっている。ただ、シンプルにいえば、12歳の少年と少女の愛が引き起こした奇跡の話である。つまり、悟と真鈴が出会わなければ起こらなかったことなのである。
では、具体的に何が起こったのか。端的にいえば、産業用ロボットが意識を持ち、行動力まで持ち、挙げ句の果てに神の如き能力を持つようになったのである。では、なぜそのようなことが起こったのか。もとはといえば2人の小学生がコンピューターをいじり、我流にカスタマイズしたためである。彼らがインプットしたデータは何か。「ジャックと豆の木」と「青い鳥」の話、ノストラダムスの大予言、オーメンの悪魔の数字「666」、クモの巣の張り具合、そして自分たちのプロフィールなどである。子供らしいその奇妙な配合が、もともと産業用ロボットに内蔵されていた(いわくつきの)プログラムに奇怪な影響を及ぼし、「PROGRAM3/意識」の「Apt1-はじめとおわり」のようなことが起こり、真悟を誕生させたのである。そう考えるのが穏当だろう。
ロボットが腕の形状をしているのも象徴的である。
連載第1回目に、まだ真鈴ともロボットとも出会っていない悟が、お風呂に入りながら落書きをした腕を湯船から出して、こうつぶやく場面がある。「こんなにうまくはもう二度と書けないよ......絶対に消さないんだ......」ーーこの「うまく」落書きした腕を置き換えたものが、すなわち真悟なのである。
窓の描かれ方も印象的である。「PROGRAM1/誕生」の「Apt5-工場にて」や「Apt7-ロボットを見学して...」、「PROGRAM2/学習」の「Apt12-メッセージ」、「PROGRAM3/意識」の「Apt1-はじめとおわり」などに出てくる窓は、光をもたらすシンボルだ。窓というのはここまで美しく描けるものなのか、と溜息が漏れること頻りである。しかし、それが「PROGRAM3/意識」の「Apt7-破片」のように割れると、痛みや恐怖や悪をもたらすシンボルになる。後半は窓が割れるシーンがかなり目立つ。
既述しておいたように、この作品には説明しようのない謎、つじつまの合わない箇所がいくつか出てくる。最も代表的なのは、語り手の問題である。作中、真悟が「〜といいます」や「〜と聞きました」と語るのだが、それは誰から伝え聞いたものなのか、真悟がいつ、どんな状態でこの物語を語っているのか、判然としない。
もっとも、物語の語り手というのは古来から神の視点を持つものである。『わたしは真悟』もその系譜に属するもの、ホメロスの『オデュッセイア』のように「ムーサ」を霊感の源とする作品だと私は考えている。
ほかにも、(読んだ人なら分かるであろう)豊工業に貼られたお札のこと、「ぐにゃぐにゃした、なんだかわけのわかんないもの」のこと、虹のこと、イギリスに向かうタンカーでのこと、佐渡島での陰謀めいた展開のことなど、引っかかる部分はあるが、それらに誰もが納得いくような注釈を加えることは難しい。「ぐにゃぐにゃした、なんだかわけのわかんないもの」は編集部に書くことを禁じられたらしいが、作品にはセリフとして残っている。こういうところは、感性で繋いでいかなければついて行けないかもしれない。
後半のメイン・キャラクターであるロビンにも言及しておきたい。イギリスに来た真鈴に一目惚れし、恋人になろうと目論み、邪悪な行為に走る15歳の美少年のことである。蛇のように執拗で、悪魔的なオーラを発するロビンは、神的な力を持つ真悟にとって最大の敵といっても過言ではない。が、一皮むけば、運命の恋人を持つ少女に夢中になり、邪心に憑かれて己を見失う悲惨な少年である。結局のところ、悟と真鈴と真悟の出会いがもたらした、まがまがしくも情熱的な犠牲者の一人にすぎないともいえる。
この漫画に遍在する悪意や暴力は、2つの根幹的な不幸から派生したものではないかと私はみている。「夫(=悟)」と「妻(=真鈴)」の仲が引き裂かれていることの不幸、「父(=悟)」と「母(=真鈴)」から「子供(=真悟)」が引き離されていることの不幸である。そこから、一組の夫婦関係・親子関係の崩壊が世界を暗くするという図式を読み取ることもできる。
連載が始まってから完結するまで、私は『わたしは真悟』のことを何も知らずに過ごしていた。知っていたとしても、読んだかどうかは分からない。漫画に登場するのは小学生だが、小学生が読むにはハードルの高い作品である。私が読んだのは大学受験の頃である。
ただ、1982年まで自分が東京に住んでいたこと、東京タワーで遊んでいたこと、その年に悟のように地方へ引っ越したこと(漫画に出てくる新潟ではないが)、連載終了時の1986年に私が悟とほぼ同い年になっていたことなど、勝手に親近感を覚える部分があり、読むたびに身に迫るリアリティを感じてしまう。そして、子供じみているとは思いながら、「もし自分が悟だったら......」という空想に嵌り込み、しばし没我の興奮に酔うのである。
(阿部十三)
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