森岳史さんのこと
2013.12.28
年に一度、12月になると、お酒を飲み過ぎて二日酔いになる。最近は飲む機会が減ったので、酔いが回るのも早い。そのくせ年末モードで飲みたいという気持ちが強くなっているため限度を超える。これがすでに忘年会の恒例のようになっている。
お酒のことで思い出す人は、森岳史さんである。森さんは寺山修司主宰の「天井桟敷」のギタリスト。映画『田園に死す』(1974年)などでもその演奏を聴くことが出来る。ライターとしてのキャリアは40年以上に及び、私も原稿の執筆をお願いしたことがある。ただ、私にとっての森さんはミュージシャンやライターである前に、「東京のおじさん」だった。その森さんが2013年5月31日に亡くなった。
森さんと私の父は1970年頃からの音楽仲間で、以後、交流が絶えることはなかった。私たちが東京から岩手に引っ越した1982年以降もご夫婦で訪ねてこられ、父と演奏したり、私にサッカーゲームやスピードガンを買って一緒に遊んでくれたりした。
1996年、東京で働き始めて間もない頃は、月に何度か声をかけていただき、飲み歩いていた。その際、昔の音楽シーンのことをいろいろ教えていただいた。といっても上から教える感じではなく、さりげなく面白く聞かせるのが森さんのスタイルだった。飲む場所は、主に高田馬場周辺。目白にあったB-girl.でブルーチーズを食べて〆るのが定番のコースだった。当時、森さんは高田馬場に、私は落合駅の近くに住んでいたので、タクシーで帰ってもそれほど料金がかからなかった。
森さんはユーモアに溢れていて、静かに人をひきこんでいく独特の磁力を持っていた。若い私は、その磁場で不安も孤独も感じず(時々へべれけになったりして)楽しくやっていた。
1997年から仕事が忙しくなり、飲みに行く回数は減ったが、原稿をお願いする回数は増えた。私が携わっていた雑誌の編集長は森さんと良好な関係になく、少し難色を示されたこともあったが、こちらとしてはどうしても依頼したかったので強引に押し切った。それがTHE YELLOW MONKEYの楽器紹介記事で、メンバーのコメントはとれないながらも、中身のあるページを作ることが出来た。森さんは楽器の博士で、魅力的な解説文を書いてくださったので、そういうことも可能だったのである。
そんな風に「メンバー不在」の記事を数回作った後、急展開があり、THE YELLOW MONKEYで表紙・巻頭特集を組むことになった。ついにメンバーの登場である。私はこれをもって自分の最後の仕事にしたいと考え、退職の意を編集長に伝えた(実際に辞めたのは少し先になったが)。当然のごとく、インタビューは森さんにお願いした。
そして当日、入れ替わりのインタビューと撮影でバタバタしている中、森さんはそこだけ時間が止まっているかのような雰囲気を作り出し、親密なムードでメンバーにインタビューしていた。その時の様子は今でも忘れられない。1999年4月下旬、大雨の日のことである。
1999年の秋、父が亡くなった。慌ただしい日々が続いた。それから少し時間をおいて、鬼子母神前の宝軒で飲んだのが、森さんと過ごした最後の機会となった。その時はあまり言葉を交わさず、従兄も交えて3人で白ワインを飲み、チャンポンを食べた。以来、連絡をとろうと思えばとれたはずなのに、年賀状のやりとりだけで何年もの歳月が過ぎてしまった。そして、突然の訃報に接した。
先週、忘年会の翌日、素面とは程遠い状態で起きた私は、ハイライトを燻らせながら焼酎を飲んでいる森さんのことを思い出していた。もういない、と思うと空虚な感じがした。とはいえ、元来センチメンタルなことを嫌がる人だったので、こんな風に回想されるのは本意ではないだろう。なので、この辺でやめておく。
お酒のことで思い出す人は、森岳史さんである。森さんは寺山修司主宰の「天井桟敷」のギタリスト。映画『田園に死す』(1974年)などでもその演奏を聴くことが出来る。ライターとしてのキャリアは40年以上に及び、私も原稿の執筆をお願いしたことがある。ただ、私にとっての森さんはミュージシャンやライターである前に、「東京のおじさん」だった。その森さんが2013年5月31日に亡くなった。
森さんと私の父は1970年頃からの音楽仲間で、以後、交流が絶えることはなかった。私たちが東京から岩手に引っ越した1982年以降もご夫婦で訪ねてこられ、父と演奏したり、私にサッカーゲームやスピードガンを買って一緒に遊んでくれたりした。
1996年、東京で働き始めて間もない頃は、月に何度か声をかけていただき、飲み歩いていた。その際、昔の音楽シーンのことをいろいろ教えていただいた。といっても上から教える感じではなく、さりげなく面白く聞かせるのが森さんのスタイルだった。飲む場所は、主に高田馬場周辺。目白にあったB-girl.でブルーチーズを食べて〆るのが定番のコースだった。当時、森さんは高田馬場に、私は落合駅の近くに住んでいたので、タクシーで帰ってもそれほど料金がかからなかった。
森さんはユーモアに溢れていて、静かに人をひきこんでいく独特の磁力を持っていた。若い私は、その磁場で不安も孤独も感じず(時々へべれけになったりして)楽しくやっていた。
1997年から仕事が忙しくなり、飲みに行く回数は減ったが、原稿をお願いする回数は増えた。私が携わっていた雑誌の編集長は森さんと良好な関係になく、少し難色を示されたこともあったが、こちらとしてはどうしても依頼したかったので強引に押し切った。それがTHE YELLOW MONKEYの楽器紹介記事で、メンバーのコメントはとれないながらも、中身のあるページを作ることが出来た。森さんは楽器の博士で、魅力的な解説文を書いてくださったので、そういうことも可能だったのである。
そんな風に「メンバー不在」の記事を数回作った後、急展開があり、THE YELLOW MONKEYで表紙・巻頭特集を組むことになった。ついにメンバーの登場である。私はこれをもって自分の最後の仕事にしたいと考え、退職の意を編集長に伝えた(実際に辞めたのは少し先になったが)。当然のごとく、インタビューは森さんにお願いした。
そして当日、入れ替わりのインタビューと撮影でバタバタしている中、森さんはそこだけ時間が止まっているかのような雰囲気を作り出し、親密なムードでメンバーにインタビューしていた。その時の様子は今でも忘れられない。1999年4月下旬、大雨の日のことである。
1999年の秋、父が亡くなった。慌ただしい日々が続いた。それから少し時間をおいて、鬼子母神前の宝軒で飲んだのが、森さんと過ごした最後の機会となった。その時はあまり言葉を交わさず、従兄も交えて3人で白ワインを飲み、チャンポンを食べた。以来、連絡をとろうと思えばとれたはずなのに、年賀状のやりとりだけで何年もの歳月が過ぎてしまった。そして、突然の訃報に接した。
先週、忘年会の翌日、素面とは程遠い状態で起きた私は、ハイライトを燻らせながら焼酎を飲んでいる森さんのことを思い出していた。もういない、と思うと空虚な感じがした。とはいえ、元来センチメンタルなことを嫌がる人だったので、こんな風に回想されるのは本意ではないだろう。なので、この辺でやめておく。
(阿部十三)
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