「縁」の思想について
2014.01.04
山本健吉が書いたエッセイの中に「『縁』の思想」と題された短い文章がある。
周知の通り、山本は日本の古典、近代文学、俳句の評論に大きな足跡を残した評論家で、古典を読み解き、現代日本人の心に通じる(もしくは、通じて然るべき)考え方、感じ方を浮き彫りにしたその著書には、示唆に富むものが多い。
1973年1月8日の東京新聞に掲載された「『縁』の思想」は、山本にしてはかなりストレートに現代の社会問題(公害等)、教育問題に言及し、知識の在り方を問う内容になっている。
この中で彼は、個々の物事を専門的に研究したり、進歩させたりするだけでなく、「物と物との相関連する道理、言わば『物の縁』を知ること」が大事だと説く。そして物と物の間にある「縁」を忘れて一事のみを追求する学問に疑問を呈する。別のエッセイ「二つの教養」でも、『大鏡』の道長と公任を引き合いに出して、同じようなことを書いている。
エキスパートという言葉に美学的ニュアンスを付加しがちな世の中では黙殺されそうな考え方だが、私たちの祖先に倣い、草木虫魚も含めた「和を軸にして一切を考える」のが本当ではないのか、という山本の主張は明快そのものだ。福澤諭吉も「学問の要は、唯物事の互に関り合ふ縁を知るに在るのみ。此物事の縁を知らざれば、学問は何の役にも立たぬものなり」としている。「学問」と書くと堅苦しいが、ここで重視されているのは、学校や仕事場で得る専門知識とは別の教養である。「物の縁」を見渡す視野である。
山本がこのエッセイを書きながら念頭に置いていたのは、博学で知られた幸田露伴である。1963年1月、『日本現代文学全集』(講談社)の第六巻月報に掲載された幸田文と山本健吉の対談で、幸田文は父・露伴の知識習得法について次のような証言をしている。これが山本の琴線にふれたようだ。
「お父さんって、まごまごしていては損だと言ってました。一つのことに時間をとっていたのでは損だといって、人はこうやって八方に進めるという気があるらしいのね。一つのところばかりに専念するのでなく、八方にひろがって、ぐっと押し出す。軍勢が進んでいくようにとか言ってましたね。それは氷の話で聞きました。氷がはるときは先に手を出して、それが互いに引き合ってつながる。そうすると中へずっと膜をはって凍る。知識というのはそういうもので、一本一本いってもうまくいかない。こういうふうに手が八方にひろがって出て、それがあるときふっと引き合って結ぶと、その間の空間が埋まるので、それが知識というものだという」
物事の間にはつながりがある。「縁」がある。これは思想というより、私たちが内に備えている感覚、気質といっていいだろう。
何かにつけ社会は人を専門家にしたがる傾向がある。「広く浅く」という言葉もネガティブな意味でつかわれがちだが、知識欲は本来多くの人が持っているものだ。「これは知ったから、あれも知っておきたい」と考えるのが普通である。そういう多様な知の連鎖から思いがけない発見をしたり、思い込みを改めたりすることもあるはずだ。
既述したように、「『縁』の思想」は1973年に掲載されたものである。現代はネット社会なので、無数の知識を容易に得ることが出来る。が、ネットを使うことによって個人が得る知識に偏りがなくなったかというと、そうともいえないだろう。むしろ逆のケースに陥ることもあり得るし、誤った知識を鵜呑みにしてしまうこともある。
情報を発信する多くのメディアも、良い感じにみせるか、悪い感じにみせるかの印象だけを垂れ流している。それは知識ではなく、印象である。
時々、人は一生のうちにどれだけの影響を受けるものなのだろうか、と考えることがある。
誰か特定の人物について語る時、彼が過去にどんな教育を受けたのか、思想的に誰の影響を受けたのか、というトピックがしばしば重要性を帯びる。何かのプロフィールに「影響を受けた人」を書かされたことがある人、「誰の影響を受けたのか」といった類の質問をされたことがある人もいるだろう。それに対し、おそらく大半の人は偉人の名前を挙げたり、家族や先生を挙げたりする。
しかし、大抵の場合、人は様々な知的影響を受けながら自分を形成している。第三者から見れば、互いに全く相容れないと思われるであろう複数の思想が、その人の中に折衷的に取り込まれ、その人自身にも説明のつかないような不思議なバランスを保っていることは珍しくない。文化や宗教の違いもあるので一概にいえないが、私たちが吸収している知的影響を一元化して語るのは本来困難なことなのだ。そこが面白いのである。なので、一人の人間にしか影響を受けていない、といいきる人を前にすると、私はなんとなくコミュニケーションが断絶されたような気分になる。
私の場合、10代半ばから20代後半にかけて惹かれた思想家は何人かいるが、誰の影響が支柱になっているかは判然としない。山本健吉の本は無論好きだが、最も影響を受けたかといわれると違う。無理に選び出すくらいなら、全ての影響を少しずつ受けているといった方がまだ正確な気がする。
露伴のいうように八方(私のはせいぜい三方程度)に広げていくことで、その間の空間が埋まるのかどうかは分からない。また、私自身、埋めるのが目的で広げているわけでもない。ただ、最初は無関係なジャンルだと思っていた複数のものが、思わぬ「縁」を示し、自分の中でつながることは、昔よりは多くなったようである。
【関連サイト】
山本健吉(書籍)
周知の通り、山本は日本の古典、近代文学、俳句の評論に大きな足跡を残した評論家で、古典を読み解き、現代日本人の心に通じる(もしくは、通じて然るべき)考え方、感じ方を浮き彫りにしたその著書には、示唆に富むものが多い。
1973年1月8日の東京新聞に掲載された「『縁』の思想」は、山本にしてはかなりストレートに現代の社会問題(公害等)、教育問題に言及し、知識の在り方を問う内容になっている。
この中で彼は、個々の物事を専門的に研究したり、進歩させたりするだけでなく、「物と物との相関連する道理、言わば『物の縁』を知ること」が大事だと説く。そして物と物の間にある「縁」を忘れて一事のみを追求する学問に疑問を呈する。別のエッセイ「二つの教養」でも、『大鏡』の道長と公任を引き合いに出して、同じようなことを書いている。
エキスパートという言葉に美学的ニュアンスを付加しがちな世の中では黙殺されそうな考え方だが、私たちの祖先に倣い、草木虫魚も含めた「和を軸にして一切を考える」のが本当ではないのか、という山本の主張は明快そのものだ。福澤諭吉も「学問の要は、唯物事の互に関り合ふ縁を知るに在るのみ。此物事の縁を知らざれば、学問は何の役にも立たぬものなり」としている。「学問」と書くと堅苦しいが、ここで重視されているのは、学校や仕事場で得る専門知識とは別の教養である。「物の縁」を見渡す視野である。
山本がこのエッセイを書きながら念頭に置いていたのは、博学で知られた幸田露伴である。1963年1月、『日本現代文学全集』(講談社)の第六巻月報に掲載された幸田文と山本健吉の対談で、幸田文は父・露伴の知識習得法について次のような証言をしている。これが山本の琴線にふれたようだ。
「お父さんって、まごまごしていては損だと言ってました。一つのことに時間をとっていたのでは損だといって、人はこうやって八方に進めるという気があるらしいのね。一つのところばかりに専念するのでなく、八方にひろがって、ぐっと押し出す。軍勢が進んでいくようにとか言ってましたね。それは氷の話で聞きました。氷がはるときは先に手を出して、それが互いに引き合ってつながる。そうすると中へずっと膜をはって凍る。知識というのはそういうもので、一本一本いってもうまくいかない。こういうふうに手が八方にひろがって出て、それがあるときふっと引き合って結ぶと、その間の空間が埋まるので、それが知識というものだという」
物事の間にはつながりがある。「縁」がある。これは思想というより、私たちが内に備えている感覚、気質といっていいだろう。
何かにつけ社会は人を専門家にしたがる傾向がある。「広く浅く」という言葉もネガティブな意味でつかわれがちだが、知識欲は本来多くの人が持っているものだ。「これは知ったから、あれも知っておきたい」と考えるのが普通である。そういう多様な知の連鎖から思いがけない発見をしたり、思い込みを改めたりすることもあるはずだ。
既述したように、「『縁』の思想」は1973年に掲載されたものである。現代はネット社会なので、無数の知識を容易に得ることが出来る。が、ネットを使うことによって個人が得る知識に偏りがなくなったかというと、そうともいえないだろう。むしろ逆のケースに陥ることもあり得るし、誤った知識を鵜呑みにしてしまうこともある。
情報を発信する多くのメディアも、良い感じにみせるか、悪い感じにみせるかの印象だけを垂れ流している。それは知識ではなく、印象である。
時々、人は一生のうちにどれだけの影響を受けるものなのだろうか、と考えることがある。
誰か特定の人物について語る時、彼が過去にどんな教育を受けたのか、思想的に誰の影響を受けたのか、というトピックがしばしば重要性を帯びる。何かのプロフィールに「影響を受けた人」を書かされたことがある人、「誰の影響を受けたのか」といった類の質問をされたことがある人もいるだろう。それに対し、おそらく大半の人は偉人の名前を挙げたり、家族や先生を挙げたりする。
しかし、大抵の場合、人は様々な知的影響を受けながら自分を形成している。第三者から見れば、互いに全く相容れないと思われるであろう複数の思想が、その人の中に折衷的に取り込まれ、その人自身にも説明のつかないような不思議なバランスを保っていることは珍しくない。文化や宗教の違いもあるので一概にいえないが、私たちが吸収している知的影響を一元化して語るのは本来困難なことなのだ。そこが面白いのである。なので、一人の人間にしか影響を受けていない、といいきる人を前にすると、私はなんとなくコミュニケーションが断絶されたような気分になる。
私の場合、10代半ばから20代後半にかけて惹かれた思想家は何人かいるが、誰の影響が支柱になっているかは判然としない。山本健吉の本は無論好きだが、最も影響を受けたかといわれると違う。無理に選び出すくらいなら、全ての影響を少しずつ受けているといった方がまだ正確な気がする。
露伴のいうように八方(私のはせいぜい三方程度)に広げていくことで、その間の空間が埋まるのかどうかは分からない。また、私自身、埋めるのが目的で広げているわけでもない。ただ、最初は無関係なジャンルだと思っていた複数のものが、思わぬ「縁」を示し、自分の中でつながることは、昔よりは多くなったようである。
(阿部十三)
【関連サイト】
山本健吉(書籍)
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