文化 CULTURE

モダンガールは今日も微笑む 龍膽寺雄再考・後篇

2011.04.09
 1990年9月、龍膽寺雄は「墓を造る」を執筆した。この作品は翌年4月の『湘南文学』創刊号に掲載、それから1年あまり経った1992年6月3日、心不全でこの世を去った。「墓を造る」にはその題名通り丹沢山の裾に墓を造ったことが記されている。ほかにも大好きだというギボウシの花にまつわる思い出、慶大生の頃にアインシュタインに会ったこと、神様に「貸し」を作る生き方など、興味深い話が盛り込まれているが、ここで注目したいのは「墓碑銘」として書かれた詩である。当時89歳だった龍膽寺は「私は文学的業績を、墓碑銘に刻むことにしている。人がやってくれないから、自分でやることにしたのだ」と前置きし、こう書いている。

龍膽寺雄 墓碑銘
昭和初期
才覚買われて世に行われ
名声一世を風靡す
爾来六十余年
今は忘れられて
知る者尠なし
巷に棲み
塵に積もる
功成らず
名遂げずといえども
心は桃源郷に遊ぶ
尚筆を放たず
作中好きな人間を登場せしめ
勝手な運命を辿らせて楽しむ
いささか万能の神に近し
もって冥すべき乎

 龍膽寺自身はまさか「M・子への遺書」によって文壇から延々と冷遇されることになろうとは思っていなかったかもしれないが、事実そうなってしまった。当時の彼は深刻な孤独感とプレッシャーに苛まれ、何かとあげ足をとろうとする文芸春秋社に対しては被害妄想に近い感情を抱いていたようだ。
 一度発表したものは撤回できない。彼は〈遺書〉で文壇的自殺をし、アウトサイダーとして生きることを余儀なくされた。食べるためにカストリ雑誌にも執筆した。それでも文人として正直に生き抜いた。「尚筆を放たず」と記した彼の意地は痛いほど伝わってくる。もし〈遺書〉がなかったら文壇でそれなりの地位を築けたかもしれない、などと考えるのは無意味である。例えば島田清次郎みたいに惨めな末路が待っていたかもしれないのだ。

 文壇から離れた龍膽寺のライフワークとなった「シャボテン」関連の話もしておきたい。
 シャボテンの専門書籍に関わったのは、1935年に出版された『シャボテンと多肉植物の栽培知識』からと見られる。1953年には『シャボテンー環境と植物ー』、1960年代に入ると『原色シャボテン多肉植物大図鑑』の第一巻と第二巻(第三巻は1972年刊行)、『シャボテン』、『シャボテン新入門』、『シャボテン・四季のアルバム』、『シャボテンを楽しむ』などが出ている。作家ではなく、園芸家としてテレビ出演もしていたようだ。その世界ではかなり有名な存在だったのである。
 龍膽寺のシャボテン愛を物語るエピソードが、『シャボテン・四季のアルバム』に収録されたエッセイ「焼夷弾を浴びたシャボテン」に書かれている。それによると、戦中、神奈川県大和市に住んでいた彼は、疎開で置きっぱなしにされ、誰からも面倒をみられなくなったシャボテンが戦火の犠牲にならないかと気を揉み、自分の所に引き取っていたという。

その年のたしか二月はじめの、ある日のことだ。私は国防服にまき脚絆をつけて、背中に鉄兜というような恰好で、東京へ出かけて、南千住の先の大師道に近い鶴仙園を訪ねて、シャボテンあさりをやったことがある。
(焼夷弾を浴びたシャボテン『シャボテン・四季のアルバム』)

 終戦の年の話である。「最後の本土決戦説で、いよいよ戦争は断末魔的様相を呈し、物情騒然たる時で、シャボテンなどというものを口にするものはまずどこにもいない」時期、商売に見切りをつけた藤沢の紅波園の主人からも後処理を託された龍膽寺は、植木職人を連れ、今度は藤沢へと向かう。そして「いつなんどき、いきなり頭の上近く現れて、爆撃や機銃掃射の目標にされるかもわからない」ような状況下、シャボテンを牛車に積み、広い畑の中、黒い仔牛にひかせていた。蒐集家の性質とはいえ正気の沙汰ではない。

 さて、この原稿もそろそろ終わりに近づいている。最後はやはり作家としての龍膽寺雄の話に戻りたい。これから読む愉しみを残している読者のために。

 そもそも龍膽寺作品の魅力はどこにあるのか。それは、まずなんといっても、昭和初期に流行したモダンガールを誰よりも生き生きと描写している点にある。断髪、洋装のイメージを文学の領域に定着させたのは龍膽寺だ。彼は己の少女愛を注ぎ込み、モダンガールを自分好みの愛らしい妖精のようにアレンジして描き続けた。
 そこに描かれたヒロインたち(彼女たちは主に〈魔子〉と名付けられた)は、気まぐれだが、人懐っこく、肌と肌の接触に積極的で、身持ちは決して良いとは言えない。その反面、彼女たちは和服も着こなし、その気になれば家事もまめまめしくこなす。人前で慎み深く振る舞うことも出来なくはない。
 こういったタイプのヒロイン像は、それまでの文壇のメーンストリートにはいなかった。そんな娘が突然飛び出し、闊歩しはじめたのである。若い読者は明るい妖精のような〈魔子〉の登場を歓迎した。
 龍膽寺の個性的な文体やユニークな視点などテクニック的な部分は、刺激に慣れた現代の読者の目にはそこまで新鮮に映らないかもしれない。しかし、〈魔子〉は相変わらず愛らしい。人目にふれることこそ減ったものの、今もなお色あせることなく、昭和初期の一見きらびやかな風俗の中を、息を弾ませ、スキップしている。
(阿部十三)


【関連サイト】
モダンガールは今日も微笑む 龍膽寺雄再考・前篇

【引用文献】
龍膽寺雄「M・子への遺書」
(『文芸』1934年7月)
龍膽寺雄「不死鳥」
(『改造』1951年1月)
龍膽寺雄「焼夷弾を浴びたシャボテン」
(『シャボテン・四季のアルバム』1962年2月 大泉書店)
龍膽寺雄「墓を造る」
(『湘南文学』1991年4月)
村上春樹「『龍膽寺雄作品』を読んで」
(『龍膽寺雄全集第9巻 月報8』1985年12月 龍膽寺雄全集刊行会)

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