Sortes Virgilianae ウェルギリウスとビブリオマンシー
2014.05.17
ウェルギリウスの本をランダムに開き、そこに書かれてある言葉から啓示を得る。これを「Sortes Virgilianae(またはSortes Vergilianae)」とよぶ。ウェルギリウスの籤という意味である。まだビブリオマンシーすら知らなかった頃、私にこんな言葉があることを教えてくれたのはグレアム・グリーンの小説『喜劇役者』だった。
グリーンが書物占いを好んでいたことは、『ジュネーヴのドクター・フィッシャーあるいは爆弾パーティ』からも明らかである。この中で使われるのはハーバート・リード編の詞華集『背嚢に入れて』。主人公のジョーンズが詞華集に収められている「サン=カンタンからの撤退」の詩句「わたしはこれが死の瞬間だと思った......」を読んだちょうどその時、愛妻がスキーで事故死する。
今読んでいる書物が現実の人生を暗示するなんてことがあり得るのか、書物がそこまでの力を持ち得るのか、という議論はさておき、こういうことを不幸なかたちで一度でも経験すれば誰でもノイローゼ気味になるだろう。私自身、ジョーンズと同じような経験をしたことがある。
昔の人々が「Sortes」に用いたのはホメロス、ウェルギリウス、そして聖書であった。聖書は別格として、ホメロスやウェルギリウスの書物にも人知を越えた不思議な力が宿っていると信じられていたのだ。とくにウェルギリウスは魔術師のようにみなされ、「Sortes Virgilianae」が流布していた。
プブリウス・ウェルギリウス・マロはローマの大詩人であり、紀元前70年に生まれ、紀元前19年に亡くなった。『牧歌』や『農耕詩』も書いているが、最も有名なのは叙事詩『アエネーイス』で、これはラテン文学最大の偉業といわれている。
アエネーイスはトロイア人で、アンキーセスと女神ウェヌス(ヴィーナス)の子。トロイア戦争の後、女神ユーノー(ジュノー)が仕掛けた困難を乗り越えてイタリアへ行き、ラティーヌス王の娘ラウィーニアと結婚し、ローマ建国の祖となった人物である。
ウェルギリウスはこのアエネーイスを主人公に据えてそら恐ろしくなるほどの筆力を発揮し、まるでその目ではっきりと見て来たかのように英雄の旅路と苦闘をリアルに描き出す。戦闘の場面が多いが、心理的葛藤、愛の迷いもあぶり出し、強い印象を残す。アエネーイスのために身を滅ぼす女王ディドーの末路などは何度読んでも胸が痛くなる(第四歌、第六歌)。「噂」の怖さについての卓見も見逃せない(第四歌)。
後半の第七歌からはラウィーニアとの結婚を望むトゥルヌスが登場し、ユーノーに護られながら、アエネーイスの行く手を阻む場面が続く。しかし、トゥルヌスはどうあってもラウィーニアとは結婚出来ない運命にある。祭壇でラティーヌス王とラウィーニアが並んで立っている時、ラウィーニアの髪の毛や宝石が燃える場面(第七歌)は衝撃的だ。神が許すラウィーニアの結婚相手は、あくまでもアエネーイスなのである。アエネーイスに戦いを挑むトゥルヌスを前にして、ラウィーニアが顔を真っ赤にして泣く場面(第十二歌)は、自分のために戦いが起こっていることへの苦しみを表すと共に、トゥルヌスに対して憐憫と愛情を示しているとも受け取れる。
ウェルギリウスはこのトゥルヌスをうすっぺらい敵役にすることなく、運命に抗う人物として力をこめて描く。トゥルヌスはいったん戦闘のスイッチが入ると猛獣のように敵を一網打尽にし、誰にも止められなくなる。しかも危うくなるとユーノーが助け舟を出す。おまけに「抜きん出て美しい」ときている。
しかし、その運は最後の一騎打ちで尽きる。ユーノーがユッピテル(ジュピター)に説得され、トゥルヌスから手を引いたのだ。そのため女神ウェヌスに護られたアエネーイスが有利になり、トゥルヌスは敗北する。腿を負傷したトゥルヌスは巧言を弄して命乞いをする。アエネーイスは剣を持った右手を止めてためらうが、自分の盟友エウアンドルスの愛息パラスの剣帯をトゥルヌスが戦利品として身につけているのを見て激怒し、とどめをさす。ここで『アエネーイス』の執筆は中断され、未完のまま終わる。
執筆の途中、ウェルギリウスは第一歌、第四歌、第六歌をアウグストゥスの前で朗読したらしい。第六歌を読んでいる時、事件が起こった。朗読に居合わせたオクタウィアが、ショックを受けて気を失ったのである。
その後、ウェルギリウスは作品を仕上げるためにギリシャへと向かう。しかし熱中症に罹り、ローマへ戻る船上で病状が悪化し、ブルンディシウムに着いてまもなく亡くなった。
ギリシャへ旅立つ前、ウェルギリウスは自分の身に何かあった時は原稿を焼却するよう頼んでいたという。むろん、その希望は退けられ、アウグストゥスは作品を刊行させた。なぜウェルギリウスが焼却を望んだのかは分かっていない。単に未完のまま世に出したくなかったのか。自分が持つ特異な力を恐れたのか......。
今の時代、『アエネーイス』、『農耕詩』、『牧歌』を用いて「Sortes Virgilianae」を試みる人はいるのだろうか。少なくとも『アエネーイス』の場合、戦闘の場面が多いし、苦難の描写に溢れているので、吉兆を告げる答えが得られることはほとんどないと思う。
こういった占いにヒントを得て、21世紀の初めに『魔法の杖』という本が刊行され、話題になったこともある。これはこれで面白いし、信じる人には有益だが、管見では「Sortes」に値するのは時代を経て読み継がれる書物に限られる。日本は言霊信仰が非常に強いので、活字の力に刺激されやすい。世の中は誠実さ、識別力、技術を欠いた活字に満ちている。ビブリオマンシーに使う書物は慎重に選んだ方がよいだろう。
ある日、『牧歌』と『農耕詩』が一冊に収められた本をカバンに入れて神保町へ行った。本屋を数軒まわり、食事をたっぷりとった後、さて、これからどこへ行こうか、と思い、なんとなく本を開けてみた。すると次のような詩句が目に飛び込んできた。
「さあ、家へ帰れ、満腹になった雌山羊たちよ。宵の明星が現れた。さあ、行きなさい」
私がそのまま帰宅したことはいうまでもない。これは本当の話である。
【関連サイト】
プブリウス・ウェルギリウス・マロ(書籍)
グリーンが書物占いを好んでいたことは、『ジュネーヴのドクター・フィッシャーあるいは爆弾パーティ』からも明らかである。この中で使われるのはハーバート・リード編の詞華集『背嚢に入れて』。主人公のジョーンズが詞華集に収められている「サン=カンタンからの撤退」の詩句「わたしはこれが死の瞬間だと思った......」を読んだちょうどその時、愛妻がスキーで事故死する。
今読んでいる書物が現実の人生を暗示するなんてことがあり得るのか、書物がそこまでの力を持ち得るのか、という議論はさておき、こういうことを不幸なかたちで一度でも経験すれば誰でもノイローゼ気味になるだろう。私自身、ジョーンズと同じような経験をしたことがある。
昔の人々が「Sortes」に用いたのはホメロス、ウェルギリウス、そして聖書であった。聖書は別格として、ホメロスやウェルギリウスの書物にも人知を越えた不思議な力が宿っていると信じられていたのだ。とくにウェルギリウスは魔術師のようにみなされ、「Sortes Virgilianae」が流布していた。
プブリウス・ウェルギリウス・マロはローマの大詩人であり、紀元前70年に生まれ、紀元前19年に亡くなった。『牧歌』や『農耕詩』も書いているが、最も有名なのは叙事詩『アエネーイス』で、これはラテン文学最大の偉業といわれている。
アエネーイスはトロイア人で、アンキーセスと女神ウェヌス(ヴィーナス)の子。トロイア戦争の後、女神ユーノー(ジュノー)が仕掛けた困難を乗り越えてイタリアへ行き、ラティーヌス王の娘ラウィーニアと結婚し、ローマ建国の祖となった人物である。
ウェルギリウスはこのアエネーイスを主人公に据えてそら恐ろしくなるほどの筆力を発揮し、まるでその目ではっきりと見て来たかのように英雄の旅路と苦闘をリアルに描き出す。戦闘の場面が多いが、心理的葛藤、愛の迷いもあぶり出し、強い印象を残す。アエネーイスのために身を滅ぼす女王ディドーの末路などは何度読んでも胸が痛くなる(第四歌、第六歌)。「噂」の怖さについての卓見も見逃せない(第四歌)。
後半の第七歌からはラウィーニアとの結婚を望むトゥルヌスが登場し、ユーノーに護られながら、アエネーイスの行く手を阻む場面が続く。しかし、トゥルヌスはどうあってもラウィーニアとは結婚出来ない運命にある。祭壇でラティーヌス王とラウィーニアが並んで立っている時、ラウィーニアの髪の毛や宝石が燃える場面(第七歌)は衝撃的だ。神が許すラウィーニアの結婚相手は、あくまでもアエネーイスなのである。アエネーイスに戦いを挑むトゥルヌスを前にして、ラウィーニアが顔を真っ赤にして泣く場面(第十二歌)は、自分のために戦いが起こっていることへの苦しみを表すと共に、トゥルヌスに対して憐憫と愛情を示しているとも受け取れる。
ウェルギリウスはこのトゥルヌスをうすっぺらい敵役にすることなく、運命に抗う人物として力をこめて描く。トゥルヌスはいったん戦闘のスイッチが入ると猛獣のように敵を一網打尽にし、誰にも止められなくなる。しかも危うくなるとユーノーが助け舟を出す。おまけに「抜きん出て美しい」ときている。
しかし、その運は最後の一騎打ちで尽きる。ユーノーがユッピテル(ジュピター)に説得され、トゥルヌスから手を引いたのだ。そのため女神ウェヌスに護られたアエネーイスが有利になり、トゥルヌスは敗北する。腿を負傷したトゥルヌスは巧言を弄して命乞いをする。アエネーイスは剣を持った右手を止めてためらうが、自分の盟友エウアンドルスの愛息パラスの剣帯をトゥルヌスが戦利品として身につけているのを見て激怒し、とどめをさす。ここで『アエネーイス』の執筆は中断され、未完のまま終わる。
執筆の途中、ウェルギリウスは第一歌、第四歌、第六歌をアウグストゥスの前で朗読したらしい。第六歌を読んでいる時、事件が起こった。朗読に居合わせたオクタウィアが、ショックを受けて気を失ったのである。
その後、ウェルギリウスは作品を仕上げるためにギリシャへと向かう。しかし熱中症に罹り、ローマへ戻る船上で病状が悪化し、ブルンディシウムに着いてまもなく亡くなった。
ギリシャへ旅立つ前、ウェルギリウスは自分の身に何かあった時は原稿を焼却するよう頼んでいたという。むろん、その希望は退けられ、アウグストゥスは作品を刊行させた。なぜウェルギリウスが焼却を望んだのかは分かっていない。単に未完のまま世に出したくなかったのか。自分が持つ特異な力を恐れたのか......。
今の時代、『アエネーイス』、『農耕詩』、『牧歌』を用いて「Sortes Virgilianae」を試みる人はいるのだろうか。少なくとも『アエネーイス』の場合、戦闘の場面が多いし、苦難の描写に溢れているので、吉兆を告げる答えが得られることはほとんどないと思う。
こういった占いにヒントを得て、21世紀の初めに『魔法の杖』という本が刊行され、話題になったこともある。これはこれで面白いし、信じる人には有益だが、管見では「Sortes」に値するのは時代を経て読み継がれる書物に限られる。日本は言霊信仰が非常に強いので、活字の力に刺激されやすい。世の中は誠実さ、識別力、技術を欠いた活字に満ちている。ビブリオマンシーに使う書物は慎重に選んだ方がよいだろう。
ある日、『牧歌』と『農耕詩』が一冊に収められた本をカバンに入れて神保町へ行った。本屋を数軒まわり、食事をたっぷりとった後、さて、これからどこへ行こうか、と思い、なんとなく本を開けてみた。すると次のような詩句が目に飛び込んできた。
「さあ、家へ帰れ、満腹になった雌山羊たちよ。宵の明星が現れた。さあ、行きなさい」
私がそのまま帰宅したことはいうまでもない。これは本当の話である。
(阿部十三)
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