私のシャルル・ボードレール
2015.03.07
『悪の華』は1857年に出版された詩集である。シャルル・ボードレールは当時36歳。それまでにも小説、詩、評論を発表しており、ウジェーヌ・ドラクロワ、エドガー・アラン・ポーの賛美者として一部に知られる存在であったが、『悪の華』によりセンセーションを巻き起こし、後に「これより重要な詩人はいない」(ポール・ヴァレリー)と言われるほどの存在になった。詩人が世を去るのは、この詩集が世に出てから10年後、1867年のことである。
101編からなるこの詩集は道徳紊乱の容疑で裁判にかけられた末、6編が削除。1861年刊行の第2版は、その6編を削除し、新たに32編を加えたもので、127編が収められている。第3版はボードレールの死後、1868年に152編を収録して刊行された。
初めてボードレールの『悪の華』を読んで戸惑い、感動したときの自分の残像は、今でも私の頭の片隅に潜み、そこで記憶の影のようになって微かに震えている。子供の頃、私は「死」という文字を見るのも嫌で、退廃的な香りのするもの、堕落的な傾向のあるものを拒否していた。なんとなく、そういう世界に接触するのは良くないことだと思っていたのである。それがテオフィル・ゴーティエの小説を読むことで揺らぎ、『悪の華』を読むことで変わった。大半の頁に「悪魔」「地獄」「死」「恐怖」「悪」「憂鬱」といった言葉が散乱するこの詩集を、私は箍が外れた状態になって貪り読んだ。以来、私の好みは決定した。もしかすると私は心の奥底で惹かれていたものに対して素直になっただけなのかもしれない。いずれにせよ、思想書を読み始めていた高校時代、私が最も影響を受けたのはそのどれでもなく、一冊の詩集だった。
「......だが落ちつきはらった英雄は、細身の剣をついて身を屈め、
舟の引く航跡を視つめて、何ものにも目をくれようとしなかった」
これは比較的早い時期(1846年)に書かれた詩で、発表当初は「悔い改めぬ者」と題されていた。地獄に堕ちて悔い改めぬ英雄が詩人自らの投影であり、一般的に言われるヒロイズムとは別種の覚悟を示していることは今さら指摘するまでもない。『悪の華』が多くの読者の共感を得て、「ボードレールは光栄の絶頂にあります」とヴァレリーが書くような状態になったのは、時代の必然であったとしても、あくまでも結果である。
詩を書くボードレールは酩酊状態にあるわけではなく、理性的である。時にシニカルですらある。「読者に」で「われらをじたばたさせる糸を握る者は〈悪魔〉!」(阿部良雄訳)と書き、「妖魔に憑かれた男」で「俺の戰く全身の中の神經一筋でも、叫んでゐないものはない、『おお わが妖魔ベルゼビュット、お前を愛する』と」(鈴木信太郎訳)と書く詩人は、取り乱しているわけではなく、むしろ冷静で、炯眼を以て人間の真実を見据えている。
群衆の中にあっても、ボードレールは酩酊しない。ヴァルター・ベンヤミンが有名なボードレール論で引用した「通りすがりの女に」の冒頭、「街路は私のまわりで、耳を聾さんばかり、喚いていた」は、大都市の群衆と融和していない状態を示している。その街路で詩人は美しい女性を見かけ、心惹かれる。しかし一瞬のことで、女性の姿はすでに見えない。そして詩が生まれる。群衆の中、孤独であることにより、「大都市住民だけが経験するような愛、ボードレールによって詩のために獲得されたような愛、成就が許されなかったというよりは、成就されずに済んだと言える場合が多いであろう愛、そのような愛の対象」(ヴァルター・ベンヤミン)を見出すのである。
ボードレールにとって孤独は忌むべきものではない。散文詩集『巴里の憂鬱』の「群衆」にはこのように書かれている。
「群衆と孤独。これは勤勉にして才豊かな詩人によってはじめて置き換えられ得る、対等の言葉である。己の孤独をにぎわすことのできないものは、騒然たる群衆の中にあって、よく孤独であることもできない」
ボードレールは孤独だった。ファム・ファタールのジャンヌ・デュヴァル、女優のマリー・ドーブラン、サバチエ夫人との関係も、持続的な安らぎを与えるものとはほど遠い。自らすすんで孤独を選んだというより、まず孤独にならざるを得ない彼の性質があり、その後、孤独を重んじる境地に達したとみてよい。はっきり言えば、19世紀フランスの都市の大衆に対して、孤独の意味の刷新を必要としたのは彼自身なのである。そうして得られた視点や態度に、同じように孤独だった者たちが共鳴したのだ。それは、「人は誰でも大衆と一体になりたがっている」としか考えられない人には理解不可能な思想である。一方、群衆の中にいればいるほど孤独を満喫する種類の人には、詩人の言葉は何の疑問もなく受け入れられるはずだ。
『悪の華』を読んだ私は、次に『巴里の憂鬱』を読み、『ファンファルロ』『火箭』『赤裸の心』でますますボードレールに染まったが、その過程で、私はこの詩人から思想的エッセンスを吸い取り、自己形成していたようである。改めて読み返してみて、自分の記憶の中の一部が活気づくのを止めることができない。
「およそ進歩ほど不条理なものがあるだろうか、なぜといって、人間は、日々の事実によって証明されるように、いつだって人間に似ており人間に等しい、つまり、いつも野蛮状態にあるのだから」
「かれは二世紀も前に死んだ作家や芸術家のために、決闘も辞さないだろう」
「他人と同等であることを証明する者のみが他人と同等であり、よく自由を征服する者のみが自由に値するのだ」
ジョゼフ・ド・メストルの名前を知ったのも、『火箭』の「ド・メストルとエドガー・ポーはぼくにものの考え方を教えた」が最初である。「我々の全ての不幸は、独りでいることができないことに由来する」というラ・ブリュイエールの言葉も、ボードレールを通じて知った。それまで敬遠していたワーグナーの音楽を聴きはじめたのも、ボードレールがきっかけだった(『トリスタンとイゾルデ』を聴いて夢中になるのは少し後のことだが)。ステファヌ・マラルメとの出会いは、「シャルル・ボードレールの墓」からである。ジャン=ポール・サルトルが私にとってどうでもよい存在になったのは、そのボードレール論を読んでからである。高校時代の数年間、私の中のさまざまなことがボードレールを中心にして動いていた。当時はそのように考えていなかったが、今振り返ると、そう言っても過言ではない。自分のサイトに「花」という字を用いたのも、その自覚はなかったが、やはりボードレールの影響なのだろう。
世の中には忌まわしいことがたくさんあり、目にしなくてよいことまで、目にしてしまう。いやな気持ちになる必要がないことにまで、いやな気持ちにさせられる。そういう現実に対し、ボードレールは精神の防波堤を築いていたのではないかと思う。『悪の華』の世界には、悪魔、死、地獄、蛆虫が当たり前のように存在する。自分のまわりにある現実が不吉で暗澹たるものに感じられると、彼はそれを上回るような地獄の感触に身を埋め、悪魔を讃えた。讃美はいわば彼の武装であった。マルセル・プルーストはボードレールについて、「たとえ誤っていても讃美こそ彼に有効な夢想を与えるものである」と書いているが、その讃美は最終行に向かって段階的に高まって行くこともあれば、プルーストが指摘したように、一つの詩の真ん中で気分を改めて行われることもある。ボードレールが讃えた世界には、悪魔の目の妖しい光はあるが、宝石の光はなく、苦痛なき幸福をもたらす清純な美女もいない。そこではサルトルの悪意と辛辣さすら、『悪の華』を演出する小道具になりかねない。ボードレールの心は、誰とも手を取り合うことなく、その拡大された暗い場所へと向かう。
「世に名を得て埋葬される墓ではなく、
ぽつねんと孤立した墓場に向つて、
俺の心は、布を掛けて音を殺した太鼓のやうに、
送葬行進曲を打ちながら、進んでゆく」
「憂鬱」と題された詩で「私は月にひどく嫌われた墓地である」(河盛好蔵訳)と自己規定した彼は、己が不幸であることをはっきり自覚していたが、詩を書くときにはその不幸を意思の力で押し広げ、想像力と理性と知識を一斉に発動させることで、悪の華の蜜を吸おうとしていた。その生き方を救われないと評するのはたやすいが、そうすることで救われる魂もあることを、ボードレールは今日の我々に教えている。
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101編からなるこの詩集は道徳紊乱の容疑で裁判にかけられた末、6編が削除。1861年刊行の第2版は、その6編を削除し、新たに32編を加えたもので、127編が収められている。第3版はボードレールの死後、1868年に152編を収録して刊行された。
初めてボードレールの『悪の華』を読んで戸惑い、感動したときの自分の残像は、今でも私の頭の片隅に潜み、そこで記憶の影のようになって微かに震えている。子供の頃、私は「死」という文字を見るのも嫌で、退廃的な香りのするもの、堕落的な傾向のあるものを拒否していた。なんとなく、そういう世界に接触するのは良くないことだと思っていたのである。それがテオフィル・ゴーティエの小説を読むことで揺らぎ、『悪の華』を読むことで変わった。大半の頁に「悪魔」「地獄」「死」「恐怖」「悪」「憂鬱」といった言葉が散乱するこの詩集を、私は箍が外れた状態になって貪り読んだ。以来、私の好みは決定した。もしかすると私は心の奥底で惹かれていたものに対して素直になっただけなのかもしれない。いずれにせよ、思想書を読み始めていた高校時代、私が最も影響を受けたのはそのどれでもなく、一冊の詩集だった。
むろん、ボードレールのことを理解できたとまでは言えない。私が彼の作品を好んだのは、そこにヒロイズムとは別の意思の力を感じたからである。「自分はこんなにみじめな人間だ」とわめきながら自分に酔うのではなく、むしろ鼻白むようなヒロイズムは回避され、自分は自分の生き方で自分の世界を生きる、と宣言している。狭くて暗いところを志向し讃美する、その強い意思に惹かれたのである。
「......だが落ちつきはらった英雄は、細身の剣をついて身を屈め、
舟の引く航跡を視つめて、何ものにも目をくれようとしなかった」
(「あの世のドン・ジュアン」 阿部良雄訳)
これは比較的早い時期(1846年)に書かれた詩で、発表当初は「悔い改めぬ者」と題されていた。地獄に堕ちて悔い改めぬ英雄が詩人自らの投影であり、一般的に言われるヒロイズムとは別種の覚悟を示していることは今さら指摘するまでもない。『悪の華』が多くの読者の共感を得て、「ボードレールは光栄の絶頂にあります」とヴァレリーが書くような状態になったのは、時代の必然であったとしても、あくまでも結果である。
詩を書くボードレールは酩酊状態にあるわけではなく、理性的である。時にシニカルですらある。「読者に」で「われらをじたばたさせる糸を握る者は〈悪魔〉!」(阿部良雄訳)と書き、「妖魔に憑かれた男」で「俺の戰く全身の中の神經一筋でも、叫んでゐないものはない、『おお わが妖魔ベルゼビュット、お前を愛する』と」(鈴木信太郎訳)と書く詩人は、取り乱しているわけではなく、むしろ冷静で、炯眼を以て人間の真実を見据えている。
群衆の中にあっても、ボードレールは酩酊しない。ヴァルター・ベンヤミンが有名なボードレール論で引用した「通りすがりの女に」の冒頭、「街路は私のまわりで、耳を聾さんばかり、喚いていた」は、大都市の群衆と融和していない状態を示している。その街路で詩人は美しい女性を見かけ、心惹かれる。しかし一瞬のことで、女性の姿はすでに見えない。そして詩が生まれる。群衆の中、孤独であることにより、「大都市住民だけが経験するような愛、ボードレールによって詩のために獲得されたような愛、成就が許されなかったというよりは、成就されずに済んだと言える場合が多いであろう愛、そのような愛の対象」(ヴァルター・ベンヤミン)を見出すのである。
ボードレールにとって孤独は忌むべきものではない。散文詩集『巴里の憂鬱』の「群衆」にはこのように書かれている。
「群衆と孤独。これは勤勉にして才豊かな詩人によってはじめて置き換えられ得る、対等の言葉である。己の孤独をにぎわすことのできないものは、騒然たる群衆の中にあって、よく孤独であることもできない」
(「群衆」 秋山晴夫訳)
ボードレールは孤独だった。ファム・ファタールのジャンヌ・デュヴァル、女優のマリー・ドーブラン、サバチエ夫人との関係も、持続的な安らぎを与えるものとはほど遠い。自らすすんで孤独を選んだというより、まず孤独にならざるを得ない彼の性質があり、その後、孤独を重んじる境地に達したとみてよい。はっきり言えば、19世紀フランスの都市の大衆に対して、孤独の意味の刷新を必要としたのは彼自身なのである。そうして得られた視点や態度に、同じように孤独だった者たちが共鳴したのだ。それは、「人は誰でも大衆と一体になりたがっている」としか考えられない人には理解不可能な思想である。一方、群衆の中にいればいるほど孤独を満喫する種類の人には、詩人の言葉は何の疑問もなく受け入れられるはずだ。
『悪の華』を読んだ私は、次に『巴里の憂鬱』を読み、『ファンファルロ』『火箭』『赤裸の心』でますますボードレールに染まったが、その過程で、私はこの詩人から思想的エッセンスを吸い取り、自己形成していたようである。改めて読み返してみて、自分の記憶の中の一部が活気づくのを止めることができない。
「およそ進歩ほど不条理なものがあるだろうか、なぜといって、人間は、日々の事実によって証明されるように、いつだって人間に似ており人間に等しい、つまり、いつも野蛮状態にあるのだから」
(『火箭』 阿部良雄訳)
「かれは二世紀も前に死んだ作家や芸術家のために、決闘も辞さないだろう」
(『ファンファルロ』 佐藤朔訳)
「他人と同等であることを証明する者のみが他人と同等であり、よく自由を征服する者のみが自由に値するのだ」
(「貧民を撲殺せよ」 三好達治訳『巴里の憂鬱』所収)
ジョゼフ・ド・メストルの名前を知ったのも、『火箭』の「ド・メストルとエドガー・ポーはぼくにものの考え方を教えた」が最初である。「我々の全ての不幸は、独りでいることができないことに由来する」というラ・ブリュイエールの言葉も、ボードレールを通じて知った。それまで敬遠していたワーグナーの音楽を聴きはじめたのも、ボードレールがきっかけだった(『トリスタンとイゾルデ』を聴いて夢中になるのは少し後のことだが)。ステファヌ・マラルメとの出会いは、「シャルル・ボードレールの墓」からである。ジャン=ポール・サルトルが私にとってどうでもよい存在になったのは、そのボードレール論を読んでからである。高校時代の数年間、私の中のさまざまなことがボードレールを中心にして動いていた。当時はそのように考えていなかったが、今振り返ると、そう言っても過言ではない。自分のサイトに「花」という字を用いたのも、その自覚はなかったが、やはりボードレールの影響なのだろう。
世の中には忌まわしいことがたくさんあり、目にしなくてよいことまで、目にしてしまう。いやな気持ちになる必要がないことにまで、いやな気持ちにさせられる。そういう現実に対し、ボードレールは精神の防波堤を築いていたのではないかと思う。『悪の華』の世界には、悪魔、死、地獄、蛆虫が当たり前のように存在する。自分のまわりにある現実が不吉で暗澹たるものに感じられると、彼はそれを上回るような地獄の感触に身を埋め、悪魔を讃えた。讃美はいわば彼の武装であった。マルセル・プルーストはボードレールについて、「たとえ誤っていても讃美こそ彼に有効な夢想を与えるものである」と書いているが、その讃美は最終行に向かって段階的に高まって行くこともあれば、プルーストが指摘したように、一つの詩の真ん中で気分を改めて行われることもある。ボードレールが讃えた世界には、悪魔の目の妖しい光はあるが、宝石の光はなく、苦痛なき幸福をもたらす清純な美女もいない。そこではサルトルの悪意と辛辣さすら、『悪の華』を演出する小道具になりかねない。ボードレールの心は、誰とも手を取り合うことなく、その拡大された暗い場所へと向かう。
「世に名を得て埋葬される墓ではなく、
ぽつねんと孤立した墓場に向つて、
俺の心は、布を掛けて音を殺した太鼓のやうに、
送葬行進曲を打ちながら、進んでゆく」
(「不遇」 鈴木信太郎訳)
「憂鬱」と題された詩で「私は月にひどく嫌われた墓地である」(河盛好蔵訳)と自己規定した彼は、己が不幸であることをはっきり自覚していたが、詩を書くときにはその不幸を意思の力で押し広げ、想像力と理性と知識を一斉に発動させることで、悪の華の蜜を吸おうとしていた。その生き方を救われないと評するのはたやすいが、そうすることで救われる魂もあることを、ボードレールは今日の我々に教えている。
(阿部十三)
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