ヘラクレイトスを読む
2015.07.25
「万物は流転する」では伝わらない
エペソスのヘラクレイトスは、第69オリュンピア祭期(紀元前504年〜501年)に盛年すなわち40歳を迎えたと『哲学者列伝』(ラエルティオスの著作)にあることから、紀元前540年頃の生まれと推定される。貴族の出で、気位が高く、辛辣で、近寄り難い存在だったようである。その思想は晦渋とされ、紀元前3世紀頃から「謎をかける人」や「闇の人」と呼ばれるようになった。彼がいわゆる「学派」と距離を置いていたことは、先達に対する批判からもうかがえる。
「博学は真の智を教えはしない。そうでなかったら、ヘシオドスにもピュタゴラスにも、さらにまたクセノパネスやヘカタイオスにも教えたであろうから」(断片40)
昔、私は「万物は流転する(パンタ・レイ)」をヘラクレイトスの言葉として教えられた。しかし、これはプラトンが伝えたものであり、現存するヘラクレイトスの断片には無い言葉である。ヘラクレイトスの影響を受けた人たちの中に、断片31、36、76、88、91などのニュアンスを束ねて、そういう風に言う人がいたのだろう。失われた(とされる)書物の中に「万物は流転する」という記述があった可能性も否定できないが、ほかの重要な断片を考慮に入れず、この言葉を一人歩きさせたのは、ヘラクレイトスの思想を解する上では不適切である。当初私はこれを一種の無常観のあらわれとみなし、その後あれこれ調べていくうちに、混乱に陥った。
「万物は一である」
ヘラクレイトスは相反するものの本質的統一性を認めた哲学者である。平たく言えば、事物・事象の変化や差異に惑わされず、変わらない本質を冷静に見極めるよう説いたのだ。「上り道も下り道も一つで同じもの」(断片60)や「私にではなく、理(ロゴス)に耳を傾けて、万物は一であることに同意するのが賢いあり方だ」(断片50)などの断片もそれを裏付けている。この点を踏まえなければ、次の言葉を理解することはできない。
「生きるのも死ぬのも、目覚めるのも眠るのも、若さも老いも、同じものとして我々の内に存在しているのである。なぜなら、このものが変転してかのものとなり、またかのものが変転してこのものとなるからである」(断片88)
「汝自身を知れ」の実践者
ヘラクレイトスが最も重視したのは、自己探求である。彼はデルフォイの神殿に刻まれた「汝自身を知れ」の忠実な実践者であり、自分でもそれを自負していた。
「私は、自分自身を探求した」(断片101)
自己探求とは、魂の在り方を問うことでもある。ここでキーワードとなるのが「火」だ。「火」をアルケー(根源)とみなしたヘラクレイトスは、次のように思想を展開させる。
「火は土の死を生き、空気は火の死を生き、水は空気の死を生き、土は水の死を生きる」(断片76)
「魂にとって水となることは死であり、水にとって土となることは死である。しかし土からは水が生まれ、水からは魂が生まれる」(断片36)
「乾いた魂は最も賢く、最もすぐれている」(断片118)
「魂にとって、湿りを帯びることは快楽、あるいはむしろ死である」(断片77)
注目されるのは、個人の魂の在り方を世界の在り方と結びつけて考えていることである。単なる主観性とは一線を画した真理として、己を知ることと世界を知ることを同一にみているのだ。「魂には、自己を増大させるロゴスが備わっている」(断片115)という言葉も、その主張に基づくものにほかならない。ここから私が連想するのは「心と宇宙とは其距離甚だ遠からざるなり、觀ずれば宇宙も心の中にあるなり」と唱えた北村透谷の思想だ。これをヘラクレイトスの延長線上にそのまま置くのは躊躇われるが、複雑に枝分かれした所にあるとは言えるだろう。
火→水→土
ヘラクレイトスの洞察力は極めて鋭利である。断片76の「火」を太陽ないしマグマ、「空気」を大気、「水」を海、「土」を陸に置き換えるなら、地球の生成を言い当てたことになる。ただし、四大元素を唱えたのは次世代にあたるエンペドクレスとされており、元々のヘラクレイトスの言葉の中に「空気」があったかどうかは確言できないので、ここでは「火→水→土」の順序を示した、としておく。
「火は土の死を生き」は「土→火」であり、「火→水→土」のサイクルが繰り返されることを示している。この考え方は、『カラマーゾフの兄弟』の「地球そのものも十億回繰り返されているものかもしれない」で始まる有名な一節を、さらには、ニーチェの「永劫回帰」を思い起こさせる。ニーチェが「世界は永遠にヘラクレイトスを必要とする」と書いた人であることは改めて指摘するまでもない。
【関連サイト】
エペソスのヘラクレイトスは、第69オリュンピア祭期(紀元前504年〜501年)に盛年すなわち40歳を迎えたと『哲学者列伝』(ラエルティオスの著作)にあることから、紀元前540年頃の生まれと推定される。貴族の出で、気位が高く、辛辣で、近寄り難い存在だったようである。その思想は晦渋とされ、紀元前3世紀頃から「謎をかける人」や「闇の人」と呼ばれるようになった。彼がいわゆる「学派」と距離を置いていたことは、先達に対する批判からもうかがえる。
「博学は真の智を教えはしない。そうでなかったら、ヘシオドスにもピュタゴラスにも、さらにまたクセノパネスやヘカタイオスにも教えたであろうから」(断片40)
昔、私は「万物は流転する(パンタ・レイ)」をヘラクレイトスの言葉として教えられた。しかし、これはプラトンが伝えたものであり、現存するヘラクレイトスの断片には無い言葉である。ヘラクレイトスの影響を受けた人たちの中に、断片31、36、76、88、91などのニュアンスを束ねて、そういう風に言う人がいたのだろう。失われた(とされる)書物の中に「万物は流転する」という記述があった可能性も否定できないが、ほかの重要な断片を考慮に入れず、この言葉を一人歩きさせたのは、ヘラクレイトスの思想を解する上では不適切である。当初私はこれを一種の無常観のあらわれとみなし、その後あれこれ調べていくうちに、混乱に陥った。
「万物は一である」
ヘラクレイトスは相反するものの本質的統一性を認めた哲学者である。平たく言えば、事物・事象の変化や差異に惑わされず、変わらない本質を冷静に見極めるよう説いたのだ。「上り道も下り道も一つで同じもの」(断片60)や「私にではなく、理(ロゴス)に耳を傾けて、万物は一であることに同意するのが賢いあり方だ」(断片50)などの断片もそれを裏付けている。この点を踏まえなければ、次の言葉を理解することはできない。
「生きるのも死ぬのも、目覚めるのも眠るのも、若さも老いも、同じものとして我々の内に存在しているのである。なぜなら、このものが変転してかのものとなり、またかのものが変転してこのものとなるからである」(断片88)
「汝自身を知れ」の実践者
ヘラクレイトスが最も重視したのは、自己探求である。彼はデルフォイの神殿に刻まれた「汝自身を知れ」の忠実な実践者であり、自分でもそれを自負していた。
「私は、自分自身を探求した」(断片101)
自己探求とは、魂の在り方を問うことでもある。ここでキーワードとなるのが「火」だ。「火」をアルケー(根源)とみなしたヘラクレイトスは、次のように思想を展開させる。
「火は土の死を生き、空気は火の死を生き、水は空気の死を生き、土は水の死を生きる」(断片76)
「魂にとって水となることは死であり、水にとって土となることは死である。しかし土からは水が生まれ、水からは魂が生まれる」(断片36)
「乾いた魂は最も賢く、最もすぐれている」(断片118)
「魂にとって、湿りを帯びることは快楽、あるいはむしろ死である」(断片77)
注目されるのは、個人の魂の在り方を世界の在り方と結びつけて考えていることである。単なる主観性とは一線を画した真理として、己を知ることと世界を知ることを同一にみているのだ。「魂には、自己を増大させるロゴスが備わっている」(断片115)という言葉も、その主張に基づくものにほかならない。ここから私が連想するのは「心と宇宙とは其距離甚だ遠からざるなり、觀ずれば宇宙も心の中にあるなり」と唱えた北村透谷の思想だ。これをヘラクレイトスの延長線上にそのまま置くのは躊躇われるが、複雑に枝分かれした所にあるとは言えるだろう。
火→水→土
ヘラクレイトスの洞察力は極めて鋭利である。断片76の「火」を太陽ないしマグマ、「空気」を大気、「水」を海、「土」を陸に置き換えるなら、地球の生成を言い当てたことになる。ただし、四大元素を唱えたのは次世代にあたるエンペドクレスとされており、元々のヘラクレイトスの言葉の中に「空気」があったかどうかは確言できないので、ここでは「火→水→土」の順序を示した、としておく。
「火は土の死を生き」は「土→火」であり、「火→水→土」のサイクルが繰り返されることを示している。この考え方は、『カラマーゾフの兄弟』の「地球そのものも十億回繰り返されているものかもしれない」で始まる有名な一節を、さらには、ニーチェの「永劫回帰」を思い起こさせる。ニーチェが「世界は永遠にヘラクレイトスを必要とする」と書いた人であることは改めて指摘するまでもない。
【関連サイト】
月別インデックス
- November 2024 [1]
- October 2024 [1]
- September 2024 [1]
- March 2024 [1]
- February 2024 [1]
- November 2023 [1]
- August 2023 [7]
- March 2023 [1]
- February 2023 [1]
- December 2022 [1]
- October 2022 [1]
- August 2022 [1]
- May 2022 [1]
- February 2022 [1]
- December 2021 [1]
- September 2021 [2]
- August 2021 [1]
- July 2021 [1]
- May 2021 [1]
- March 2021 [1]
- January 2021 [1]
- December 2020 [1]
- October 2020 [1]
- August 2020 [1]
- June 2020 [1]
- May 2020 [2]
- March 2020 [1]
- February 2020 [1]
- January 2020 [1]
- December 2019 [1]
- November 2019 [2]
- October 2019 [1]
- September 2019 [1]
- August 2019 [1]
- July 2019 [1]
- June 2019 [1]
- May 2019 [1]
- March 2019 [1]
- January 2019 [1]
- December 2018 [1]
- November 2018 [1]
- October 2018 [1]
- September 2018 [1]
- July 2018 [1]
- June 2018 [2]
- May 2018 [1]
- February 2018 [1]
- December 2017 [2]
- October 2017 [1]
- September 2017 [1]
- August 2017 [1]
- July 2017 [3]
- June 2017 [1]
- May 2017 [1]
- April 2017 [1]
- February 2017 [1]
- January 2017 [1]
- December 2016 [2]
- October 2016 [1]
- September 2016 [1]
- August 2016 [1]
- July 2016 [1]
- June 2016 [2]
- April 2016 [2]
- March 2016 [1]
- January 2016 [1]
- December 2015 [2]
- November 2015 [1]
- October 2015 [1]
- September 2015 [2]
- August 2015 [1]
- July 2015 [1]
- June 2015 [1]
- May 2015 [2]
- April 2015 [1]
- March 2015 [1]
- February 2015 [1]
- January 2015 [1]
- December 2014 [1]
- November 2014 [2]
- October 2014 [1]
- September 2014 [2]
- August 2014 [1]
- July 2014 [1]
- June 2014 [2]
- May 2014 [2]
- April 2014 [1]
- March 2014 [1]
- February 2014 [1]
- January 2014 [3]
- December 2013 [3]
- November 2013 [2]
- October 2013 [1]
- September 2013 [2]
- August 2013 [1]
- July 2013 [2]
- June 2013 [2]
- May 2013 [2]
- April 2013 [3]
- March 2013 [2]
- February 2013 [2]
- January 2013 [1]
- December 2012 [3]
- November 2012 [2]
- October 2012 [3]
- September 2012 [3]
- August 2012 [3]
- July 2012 [3]
- June 2012 [3]
- May 2012 [2]
- April 2012 [3]
- March 2012 [2]
- February 2012 [3]
- January 2012 [4]
- December 2011 [5]
- November 2011 [4]
- October 2011 [5]
- September 2011 [4]
- August 2011 [4]
- July 2011 [5]
- June 2011 [4]
- May 2011 [4]
- April 2011 [5]
- March 2011 [4]
- February 2011 [5]