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ヘラクレイトスを読む [続き]

2015.08.01
最上の魂とは何か

 ヘラクレイトスが最上としたのは、「火」=乾いた魂である。それはいわば目覚めた人間の姿であり、「自己を認識すること、そして思慮を健全に保つこと」(断片116)ができる状態を示している。「水」=湿った魂は、飲酒の快楽を指しているようだが、性の快楽や感情的になって流す涙も含まれるだろう。「土」は固まっているもの。湿りを帯びた後に来たるべき死、現世において肉体のみの状態になること、もっと言えば、眠ることまでも指しているように思われる。

「人は夜になると自分の眼光が消えるので、灯火をつける。生者も眠っているときには死者につながり、目覚めているときには眠った者につながっている」(断片26)

「目覚めている者には一つの共通な(普遍的)宇宙秩序が存在するが、他方、眠っている者はみなそれぞれ(背を向けて)私的な宇宙秩序へと逸れていく」(断片89)

 よって、「火→水→土→火」のサイクルは、人の魂が一生をかけて辿るプロセス(火→水→土)と新たな魂の誕生(土→火)を意味するだけでなく、1日のうちに魂が経る状態を示してもいる、と考えることができる。

 難しいのは「土からは水が生まれ、水からは魂が生まれる」の部分だが、これも「万物は一である」というロゴスにしたがって解釈するなら、本質的同一性を強調した言葉とみてよいだろう。あくまでも「万物は火の交換物であり、火は万物の交換物」(断片90)なのだ。「火」は生命であり、静なる状態を動かす原動力であり、体温であり、心臓の鼓動であり、これがなければ何も始まらないのである。

緊張関係の上に成り立つ調和

 異なるように見えても、実は同じ本質に支えられ、つながっている。この考え方にしたがえば、「相反する」とされるもの同士の間に生じる緊張関係の上にも、一つの大きな統合が成り立つことになる。

「どうして対立分離しているものが、自らと一致しているのか、彼らには分からないのだ。逆向きに引っ張り合う調和があるのだ。ちょうど弓や竪琴の場合と同様である」(断片51)

 最も身近な例として、生と死の関係がある。「弓の名は生、だがその働きは死だ」(断片48)と語るヘラクレイトスにとって、両者は別物ではなく、緊張をはらみながら一つの調和を成している。「戦いは万物の父であり、万物の王である」(断片53)も、「相反する」とされるものの摩擦や軋轢があってこそ、魂は怠惰から免れ、「火」の状態を保つことができると言っているかのようだ。

惑わされないこと

 ヘラクレイトスは自分の考えが周囲に理解されないことを歯がゆく思い、「理(ロゴス)は私が示している通りにあるのに、人間たちはそれを聞く前も、いったん聞いた後も、決して理解にはいたらないのが常である」(断片1)と怒っていた。当時その思想が受け入れられなかったのは、人に好かれていなかったからかもしれない。それでも彼は市民におもねることなく生きた。自分が一目置いていたヘルモドロスがエペソスから追放されたときには、「エペソスの一人前の大人になった者は、みな首を縊って死んだ方がいい」(断片121)と毒づいたりもした。「たった一人の人でも、もし最上の者であれば、一万人に値する」(断片49)からも分かるように、彼は大衆というものを信じていなかった。

 かつて梅原猛はその情熱的なヘラクレイトス論の中で、「期待のない乾ききつた希望で無意味な世界を生きることが餘りに稀な賢者の知慧を要することが歴史に於ける彼の位置を不利にした」と書いた。賛否はあるだろうが、ヘラクレイトスと実存主義の思想的血脈を浮き彫りにした捉え方として興味深い。実際のところ、ヘラクレイトスを積極的に評価したのはニーチェであり、その影響を受けたハイデッガーである。ハイデッガーはヘラクレイトスのことを真理と向き合った「明るい人」と評した。梅原も「光の魔術師」という表現を用いている。両者の意味合いは異なるが、「闇の人」の呼び名に対抗した点は共通している。

 ヘラクレイトス自身は、世界の無意味さを論じたわけではない。「人間の運命は、その人柄がつくるもの」(断片119)と説いた彼は、他力本願的に生きることなく、宗教的熱狂に溺れることなく、自己探求することを第一に優先すべきと考えていた。そして、事物・事象の表面的変化や差異に惑わされず、常に己の魂を健全にして、本質を看破することの不可欠さを説いたのである。そのラディカルさは、今なお得るところの多い思索態度と言える。
(阿部十三)


[参考文献]
G・S・カーク、J・E・レイヴン、M・スコフィールド『ソクラテス以前の哲学者たち(第二版)』(京都大学学術出版会 2006年11月)
廣川洋一『ソクラテス以前の哲学者』(講談社 1997年11月)
F・ニーチェ「ギリシア人の悲劇時代における哲学」(『悲劇の誕生』 筑摩書房 1993年11月)
梅原猛「ヘラクレイトスの斷片『我々はかのものらの死を生き かのものらは我々の死を生きる』の意味について」(『龍谷大學論集』 龍谷學会 1954年4月)



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