来山 生々しい詩的幻像
2016.01.09
小西来山は大阪俳壇で名を馳せた人で、井原西鶴の後輩にあたり、上島鬼貫と親しかった。生年は承応3年(1654年)で、家は薬種商。「十八歳にして俳諧点者となる」と記す文献(『時雨集』序)もあるが定かでない。ただし、20代で活躍していたのは確かで、天和元年(1681年)に初の撰集『大坂八五十韻』を出し、元禄期には名声を確立していた。
その来山に「白魚やさながらうごく水の色」という句がある。早春の澄んだ川に泳ぐ白魚の透き通った美しさ、それがまるで水そのものの色の動きであるように見える、と詠むその繊細な感性、「うごく」で文字通り動的なアクセントをつける言葉の流れに惹かれる。私が偏愛する作品のひとつである。これとは別に、下五を「水の魂」としたものもあるが、「水の色」の方が素直に感じられて好ましい。
昭和後期に『小西来山全集』(1985年)が700部限定で刊行されてから業績の全容を把握できるようになったものの、現在の知名度は高いとは言えない。本格的な評伝も少ないのではないか。私が来山を知ったのは、保田與重郎の『後鳥羽院』によってであり、この書にふれていなければ、いまだ知らずにいたかもしれない。ちなみに、保田は来山の作風について、「後の蕉門の新風の先驅の感がある」としつつ、「未開のものの人間らしさを示したやうな俳人でなく、長い傳統を己の好みからみがいて次に傳へ、さらに次へと傳へるやうな、長者の俤にとんでゐる。さういふ性格は變窟の思ひや鬱結の心情を露骨にあらはすことも、さらに時勢への憤りをふざけることもない」と評している。
来山にオリジナリティがないわけではない。心情をさらけ出さず、気の利いたことを言って取り澄ましている人でもない。そこには彼にしか出せない俳風がある。それは江戸時代の生活に宿る風情、無理のない手際で汲み上げられた日常と自然の美である。そういった美への意識を、匂いや響きや温度などを介して、現代を生きる日本人の身体の五官にまでよみがえらせ、あたかも自分自身が来山本人になったかのように、句がわきおこる瞬間の心の脈動をはっきりと体験させるのだ。いわば生々しい詩的幻像とでも言うべき人生の一光景である。来山の最良の句のいくつかは、そこまでの域に達している。尋常ではない喚起力の強さと言うべきだろう。
陽炎にむらなしどこが橋所(はしどころ)
むしつてはむしつては捨(すて)春の草
早乙女やよごれぬものは歌ばかり
春雨や火燵のそとへ足を出し
是ほどの三味線暑し膝の上
湯屋まではぬれて行(ゆき)けり春の雪
私生活では酒を愛し、磊落だった反面、母親思いで、陶製の女人形を愛好する一面も持っていた。宝永5年頃(1708年頃)に書かれた「女人形の記」には、昼は机下に据え、夜は枕上に休ませて、寝覚の伽としてもてあそぶ、とある。家庭を持ったのは50歳頃のことで、宝永4年(1707年)8月に妻子を失った。そして宝永7年頃(1710年頃)、後妻を迎えるも、正徳2年(1712年)の元旦、またも子を失う悲劇に見舞われた。
春の夢気の違はぬが恨めしい
これは強烈な印象を残す句だ。春の夢のようにはかない出来事の後、大きな悲しみとむなしさのただ中で、いっそ気が違ってしまえばいいのに、狂うこともできないことがかえって恨めしいと詠むのである。普通なら作句などできる心境ではない。おそらく思わず口にしたような感じで生まれた句なのだろう。にもかかわらず、形式的に完全であり、一種凄みを帯びた俳人の性というものが発露している。
こういった出来事を踏まえると、正徳3年(1713年)に次男が生まれたとき、鬼貫が「小西来山が男もうけたるよろこびをしらせ越ける程に、いひ遣しける」と前書きして詠んだ「初声を鶴ともきかめ松の花」は、一層めでたく響くのではないか。しかも2人の交流の深さをうかがわせて、微笑ましい。
なお、鬼貫と来山には有名な行水の句がある。前者は「行水の捨てどころなき虫の声」、後者は「行水も日まぜになりぬ虫の声」。これに関する評価は、言うまでもなく来山の方が高い。私自身は風流趣味の鬼貫の句も嫌いではないが、「秋が近づくにつれて、行水の回数が減り、虫の声が増す」という対比によって季節の流れを切り取ってみせる来山の句は、たしかにこじつけっぽい趣味や技巧を超えたところにある真実味をたたえている。
その来山に「白魚やさながらうごく水の色」という句がある。早春の澄んだ川に泳ぐ白魚の透き通った美しさ、それがまるで水そのものの色の動きであるように見える、と詠むその繊細な感性、「うごく」で文字通り動的なアクセントをつける言葉の流れに惹かれる。私が偏愛する作品のひとつである。これとは別に、下五を「水の魂」としたものもあるが、「水の色」の方が素直に感じられて好ましい。
昭和後期に『小西来山全集』(1985年)が700部限定で刊行されてから業績の全容を把握できるようになったものの、現在の知名度は高いとは言えない。本格的な評伝も少ないのではないか。私が来山を知ったのは、保田與重郎の『後鳥羽院』によってであり、この書にふれていなければ、いまだ知らずにいたかもしれない。ちなみに、保田は来山の作風について、「後の蕉門の新風の先驅の感がある」としつつ、「未開のものの人間らしさを示したやうな俳人でなく、長い傳統を己の好みからみがいて次に傳へ、さらに次へと傳へるやうな、長者の俤にとんでゐる。さういふ性格は變窟の思ひや鬱結の心情を露骨にあらはすことも、さらに時勢への憤りをふざけることもない」と評している。
来山にオリジナリティがないわけではない。心情をさらけ出さず、気の利いたことを言って取り澄ましている人でもない。そこには彼にしか出せない俳風がある。それは江戸時代の生活に宿る風情、無理のない手際で汲み上げられた日常と自然の美である。そういった美への意識を、匂いや響きや温度などを介して、現代を生きる日本人の身体の五官にまでよみがえらせ、あたかも自分自身が来山本人になったかのように、句がわきおこる瞬間の心の脈動をはっきりと体験させるのだ。いわば生々しい詩的幻像とでも言うべき人生の一光景である。来山の最良の句のいくつかは、そこまでの域に達している。尋常ではない喚起力の強さと言うべきだろう。
陽炎にむらなしどこが橋所(はしどころ)
むしつてはむしつては捨(すて)春の草
早乙女やよごれぬものは歌ばかり
春雨や火燵のそとへ足を出し
是ほどの三味線暑し膝の上
湯屋まではぬれて行(ゆき)けり春の雪
私生活では酒を愛し、磊落だった反面、母親思いで、陶製の女人形を愛好する一面も持っていた。宝永5年頃(1708年頃)に書かれた「女人形の記」には、昼は机下に据え、夜は枕上に休ませて、寝覚の伽としてもてあそぶ、とある。家庭を持ったのは50歳頃のことで、宝永4年(1707年)8月に妻子を失った。そして宝永7年頃(1710年頃)、後妻を迎えるも、正徳2年(1712年)の元旦、またも子を失う悲劇に見舞われた。
春の夢気の違はぬが恨めしい
これは強烈な印象を残す句だ。春の夢のようにはかない出来事の後、大きな悲しみとむなしさのただ中で、いっそ気が違ってしまえばいいのに、狂うこともできないことがかえって恨めしいと詠むのである。普通なら作句などできる心境ではない。おそらく思わず口にしたような感じで生まれた句なのだろう。にもかかわらず、形式的に完全であり、一種凄みを帯びた俳人の性というものが発露している。
こういった出来事を踏まえると、正徳3年(1713年)に次男が生まれたとき、鬼貫が「小西来山が男もうけたるよろこびをしらせ越ける程に、いひ遣しける」と前書きして詠んだ「初声を鶴ともきかめ松の花」は、一層めでたく響くのではないか。しかも2人の交流の深さをうかがわせて、微笑ましい。
なお、鬼貫と来山には有名な行水の句がある。前者は「行水の捨てどころなき虫の声」、後者は「行水も日まぜになりぬ虫の声」。これに関する評価は、言うまでもなく来山の方が高い。私自身は風流趣味の鬼貫の句も嫌いではないが、「秋が近づくにつれて、行水の回数が減り、虫の声が増す」という対比によって季節の流れを切り取ってみせる来山の句は、たしかにこじつけっぽい趣味や技巧を超えたところにある真実味をたたえている。
(阿部十三)
[参考文献]
飯田正一編『小西来山全集 前編・後編』(朝陽学院 1985年10月)
[参考文献]
飯田正一編『小西来山全集 前編・後編』(朝陽学院 1985年10月)
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