中野重治の海
2016.03.05
『青幻記 遠い日の母は美しく』(1973年)は名カメラマン成島東一郎の監督デビュー作である。舞台は沖永良部島。この中に、病気の母親が子供と海に行き、磯で魚を採るシーンがある。親子水入らずの和やかなひとときだ。
しかし、俄に海の様子が変わり、満潮が始まる。母親は「胸が苦しくて動けません」と言い、助けを呼んできてほしいと子供に頼む。子供を海から離れさせるためである。そのとき、母親は「振り返ってはいけません」と言うのだが、子供は海から離れたところまで来て、振り返る。すると、そこにはもう浪しかない。母の姿はどこにもなく、海が広がっている。
20年以上前にビデオで観たこのシーンを覚えているのは、むろん映画そのものにひきこまれたからである。が、それに加えて、『中野重治詩集』に収められていた「浪」を思い出し、両者の世界が私の頭の中でシンクロしたことにより、いっそう忘れがたいものになった。中野夫人の原泉(中野政野)が祖母役で出演していたことから、中野の詩を連想したのだ。
福井出身の中野重治が歌ったのはあくまでも日本海なので、映画に出てくる海とは関係ない。ただ、あの場面を覆っていた物言わぬ浪の描写は、南国的なイメージより、中野の詩に近いものだったことは確かである。
人も犬もいなくて浪だけがある
浪は白浪でたえまなくくずれている
浪は走つてきてだまつてくずれている
浪は再び走つてきてだまつてくずれている
人も犬もいない
中野の詩には、日本海を歌ったものが数編ある。それらはいずれも荒涼とした雰囲気を持っていて、「しらなみ」の詩句を借りれば、「ひえびえとしめりをおびてくる」ような心地にさせられる。
もっとも、中野自身は「荒涼」をネガティブにとらえていたわけではない。「日本海の美しさ」というエッセイで、その美しさは「明るい海だけしか知らぬものにはわかりそうにないぞ」と書き、さらにこう続けている。
「この海はあかるくなくてむしろ暗い。あつたかくなくてむしろ寒い。しかし、その底に、何ともいえぬ暖かいものをかかえている。どうかすると、熱いもの、やけどをさせるようなものをさえかかえている。ただ平生は、それを隠してるのだ」
そして、「何にしても、あのさびしい、荒涼とした日本海の色をおぼれるように私は愛する」という一文で結んでいる。
中野重治は室生犀星の詩にふれ、影響を受けた人である。帝大時代、『裸像』創刊号で世に出た彼は詩人だった。芥川龍之介からも詩人として興味を持たれた。プロレタリア作家の立場で論争を巻き起こしたり、投獄されたり、転向したり、執筆禁止処分を受けたり、共産党から除名されたりと、荒波の多いハードな人生を送っていたイメージが強い中野だが、その詩的感性は日本の抒情美の世界に深く根ざしていた。
おまえは歌うな
おまえは赤ままの花やとんぼの羽根を歌うな
風のささやきや女の髪の毛の匂いを歌うな
このように書いたのも、彼が赤ままの花に歌心を感じていたからにほかならず、「歌うな」と己に命じてはいるものの、その小説から自然や人間の「微細な息づかいや表情」(山本健吉)を読み取ることはいくらでも可能である。
中野は芸術家として潔癖なところがあった。同じプロレタリア文学者の中から、芸術の通俗化、安易な大衆化を推進する者が出てくると、彼は断固これを退けた。1928年に『戦旗』に掲載された「いわゆる藝術の大衆化論の誤りについて」では、「悪と誤りとはいつも親しげな顔つきで来る」という一文で書き出し、大衆のために「甘草」ばかり盛って芸術を堕落させる「悪と誤り」の象徴を「牛太郎」「藪医者」と呼んだ。彼らの作り出す大衆芸術に人が群れてしまうのは、「それは大衆のなかにそんなにも笑いが殺され、その代りにはそんなにもたくさんの泪がたまつていたから」であり、決して大衆は「安い笑いと涙とで不安と悲哀とをごまかされ」ることを望んでいるわけではない。そう論じた上で、「大衆の求めているのは藝術の藝術、諸王の王なのだ」と言い切るのである。
それでは芸術的価値は何によって決まるのか。中野は「人間生活の真への食いこみの深浅」の「表現の素樸さとこちたさとによつて決定される」とした。「素樸」は中野文学のキーワードである。彼は「素樸ということ」というエッセイの中で、「僕の好きな素樸ということは結局『中身のつまつている』感じである」と書いている。「もう少し説明すると、それは僕のひとり合点では、中身のつまりかたが実にかつちりしていて、そのためにあえて包装を必要としないというようなのが一番にいいのだ」
これを書いた当時、中野はまだ二十代だったが、まるでその後の己の文学のみならず人生そのものについて語っているようにも感じられる。中野重治という存在は、それくらい中身が詰まっていて包装の必要がない。
中野に素樸の良さを伝えたのは何であろうか。それは故郷の自然なのかもしれない。彼は日本海について、「太平洋岸のような『にぎやかさ』がここにはない。どうしても荒涼とした眺めということになる」と書きながら、明らかに「にぎやかさ」のない方に共感している。子供の頃から「荒涼とした日本海の色」になじみ、その底に「熱いもの」「やけどをさせるようなもの」が詰まっていると見通す詩人の感性が養われた結果、自画像を描くような思いもこめて、そう書いたのだろう。
しかし、俄に海の様子が変わり、満潮が始まる。母親は「胸が苦しくて動けません」と言い、助けを呼んできてほしいと子供に頼む。子供を海から離れさせるためである。そのとき、母親は「振り返ってはいけません」と言うのだが、子供は海から離れたところまで来て、振り返る。すると、そこにはもう浪しかない。母の姿はどこにもなく、海が広がっている。
20年以上前にビデオで観たこのシーンを覚えているのは、むろん映画そのものにひきこまれたからである。が、それに加えて、『中野重治詩集』に収められていた「浪」を思い出し、両者の世界が私の頭の中でシンクロしたことにより、いっそう忘れがたいものになった。中野夫人の原泉(中野政野)が祖母役で出演していたことから、中野の詩を連想したのだ。
福井出身の中野重治が歌ったのはあくまでも日本海なので、映画に出てくる海とは関係ない。ただ、あの場面を覆っていた物言わぬ浪の描写は、南国的なイメージより、中野の詩に近いものだったことは確かである。
人も犬もいなくて浪だけがある
浪は白浪でたえまなくくずれている
浪は走つてきてだまつてくずれている
浪は再び走つてきてだまつてくずれている
人も犬もいない
(「浪」)
中野の詩には、日本海を歌ったものが数編ある。それらはいずれも荒涼とした雰囲気を持っていて、「しらなみ」の詩句を借りれば、「ひえびえとしめりをおびてくる」ような心地にさせられる。
もっとも、中野自身は「荒涼」をネガティブにとらえていたわけではない。「日本海の美しさ」というエッセイで、その美しさは「明るい海だけしか知らぬものにはわかりそうにないぞ」と書き、さらにこう続けている。
「この海はあかるくなくてむしろ暗い。あつたかくなくてむしろ寒い。しかし、その底に、何ともいえぬ暖かいものをかかえている。どうかすると、熱いもの、やけどをさせるようなものをさえかかえている。ただ平生は、それを隠してるのだ」
(「日本海の美しさ」)
そして、「何にしても、あのさびしい、荒涼とした日本海の色をおぼれるように私は愛する」という一文で結んでいる。
中野重治は室生犀星の詩にふれ、影響を受けた人である。帝大時代、『裸像』創刊号で世に出た彼は詩人だった。芥川龍之介からも詩人として興味を持たれた。プロレタリア作家の立場で論争を巻き起こしたり、投獄されたり、転向したり、執筆禁止処分を受けたり、共産党から除名されたりと、荒波の多いハードな人生を送っていたイメージが強い中野だが、その詩的感性は日本の抒情美の世界に深く根ざしていた。
おまえは歌うな
おまえは赤ままの花やとんぼの羽根を歌うな
風のささやきや女の髪の毛の匂いを歌うな
(「歌」)
このように書いたのも、彼が赤ままの花に歌心を感じていたからにほかならず、「歌うな」と己に命じてはいるものの、その小説から自然や人間の「微細な息づかいや表情」(山本健吉)を読み取ることはいくらでも可能である。
中野は芸術家として潔癖なところがあった。同じプロレタリア文学者の中から、芸術の通俗化、安易な大衆化を推進する者が出てくると、彼は断固これを退けた。1928年に『戦旗』に掲載された「いわゆる藝術の大衆化論の誤りについて」では、「悪と誤りとはいつも親しげな顔つきで来る」という一文で書き出し、大衆のために「甘草」ばかり盛って芸術を堕落させる「悪と誤り」の象徴を「牛太郎」「藪医者」と呼んだ。彼らの作り出す大衆芸術に人が群れてしまうのは、「それは大衆のなかにそんなにも笑いが殺され、その代りにはそんなにもたくさんの泪がたまつていたから」であり、決して大衆は「安い笑いと涙とで不安と悲哀とをごまかされ」ることを望んでいるわけではない。そう論じた上で、「大衆の求めているのは藝術の藝術、諸王の王なのだ」と言い切るのである。
それでは芸術的価値は何によって決まるのか。中野は「人間生活の真への食いこみの深浅」の「表現の素樸さとこちたさとによつて決定される」とした。「素樸」は中野文学のキーワードである。彼は「素樸ということ」というエッセイの中で、「僕の好きな素樸ということは結局『中身のつまつている』感じである」と書いている。「もう少し説明すると、それは僕のひとり合点では、中身のつまりかたが実にかつちりしていて、そのためにあえて包装を必要としないというようなのが一番にいいのだ」
これを書いた当時、中野はまだ二十代だったが、まるでその後の己の文学のみならず人生そのものについて語っているようにも感じられる。中野重治という存在は、それくらい中身が詰まっていて包装の必要がない。
中野に素樸の良さを伝えたのは何であろうか。それは故郷の自然なのかもしれない。彼は日本海について、「太平洋岸のような『にぎやかさ』がここにはない。どうしても荒涼とした眺めということになる」と書きながら、明らかに「にぎやかさ」のない方に共感している。子供の頃から「荒涼とした日本海の色」になじみ、その底に「熱いもの」「やけどをさせるようなもの」が詰まっていると見通す詩人の感性が養われた結果、自画像を描くような思いもこめて、そう書いたのだろう。
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