批評と比較
2016.08.06
小林秀雄は「批評」(『読売新聞』1964年1月)の中で、「人をけなすのは批評家の持つ一技術ですらなく、批評精神に全く反する精神的態度である、と言へさうだ」と書いた。「けなす」とは、ことさら欠点を取り上げて悪く言うことである。これは批評にも批判にも入らない。ただの悪口である。「ある對象を批判するとは、それを正しく評價する事」なのだ。感情的にけなすことはもちろん、ある対象を必要以上に低く評価することも批判とは言えない。
20代後半のときに「私は、相手の眉間を割る覺悟はいつも失ふまい」と書くほどの烈しさをみせていた小林とは印象が違う、という人もいるかもしれないが、しかし、彼はすでに当時から「私はただただ獨斷から逃れようと身を削つて來た」とか「私は惡口が自然とくたぶれて呉れるのを待つてゐる」と書いていた。相手をけなすのではなく、あくまでも独断や悪口を抑え、対象を正しく評価することを目指していた点では、一貫しているのだ。ちなみに、これらは「批評家失格 I」(『新潮』1930年11月)に出てくる言葉である。
では、正しい評価のためには何が必要なのか。小林は「批評」でこう続ける。「そのためには、對象の他のものとは違ふ特質を明瞭化しなければならず、また、そのためには、分析あるひは限定といふ手段は必至のものだ」ーーここがいわば分かれ道となる。どのように「特質を明瞭化」するか、人によって手段が異なるからだ。おそらくその手段として大半の人が用いるのは、「特質」の違いを明らかにするための比較だろう。それも建設的な比較ではない。私たちが頻繁に目にするのは、自分の好きなものを褒めるために、好きでないものを引き合いに出してけなすような、結論ありきの比較である。
そもそも、ある特定の対象Aを褒めるために、別の特定の対象Bをけなす文章の意図が、本当にAを褒めることにあるのかどうかは疑わしい。むしろ、それはBをけなす欲求の方に支配された文章なのではないか、と私は考える。そして大抵の場合、その文章の書き手はAについての知識や理解はあっても、Bのことは正当に評価しておらず、くだらないものだと考えている。
AよりもBが一般的に評価されている場合、Aへの愛情が強すぎてついBに対して不快感を募らせるのはあり得ることだ。人はこういう時、己のルサンチマンを投影し、不快を憎悪にまで発展させる。しかし、その憎悪を批評に持ち込むのは慎みたいところである。批評における無差別攻撃的な比較は、比べるべきでないものを同じ土俵に立たせて、褒めるべきAを無駄に煩わせるだけで終わる。これによりAが得るメリットは何もない。それどころか、いちいちBを悪く言わないと評価できない程度のものしかAにはないらしい、という印象をばらまかれることになる。これがAを褒めるための文章ではなく、Bの価値の低さを証明することを目的とした文章ならば、一定の効果を上げられるかもしれないが、いずれにしてもAにとって煩わしい巻き添えであることに変わりはない。
比較を行うのであれば、その対象となるものは正しく選定されなければならないし、各対象についての知識や理解も必要になってくる。褒めるべき対象への価値判断に自信があるならば、わざわざ自分がくだらないと思うものを引き合いに出すことはないだろう。異常なまでに攻撃的になるのは、盲信などではなく、褒めるべき対象の中にあるはずの無比の魅力を言語化することができない、もしくは、それをはっきりと見出せていない、だから暴力的論調でごまかすほかない、という不安定な状態にあることを露呈しているにすぎないのだ。
それでも人は刺激に惹かれる。だから理不尽としか思えないような幼稚な悪口も、難癖、揚げ足取りも、ある程度批評として通用する。そういう言葉の方が刺激的だし、話のネタにもなりやすい。しかし、好きなものを守るために残酷な言葉で他者をむやみに攻撃したがる人間は、好きなものを危険にさらしていることを忘れてはならない。「敵の神をこそ撃つべきだ」という言葉もあるように、他人の神を撃てば、自分の神も激しく撃たれることになるのだ。その先にあるのは有意義な論戦ではないだろう。
かつて伊藤計劃は『虐殺器官』の中で、「好きだの嫌いだの、最初にそう言い出したのは誰なんだろうね。いまわれわれが話しているこのややこしいやり取りにしても、そんなシンプルな感情を、えらく遠まわしに表現しているにすぎないんじゃないか。美味しいとか、不快だとか、そういう原始的な感情を」と書いた。批評とはまさにそのシンプルな感情を論理でコーティングしたものと言えるかもしれない。もっとはっきり言えば、それが絶対化、相対化のどちらを志向するものであろうと、己が対象の「特質」を掴んでいない限り、あるいは、掴めたかもしれないという気持ちを抱いていない限り、批評は成立せず、ただ好き嫌いを言うだけの次元にとどまるのである。
【関連サイト】
吉田秀和 石を握りしめていた音楽評論家
20代後半のときに「私は、相手の眉間を割る覺悟はいつも失ふまい」と書くほどの烈しさをみせていた小林とは印象が違う、という人もいるかもしれないが、しかし、彼はすでに当時から「私はただただ獨斷から逃れようと身を削つて來た」とか「私は惡口が自然とくたぶれて呉れるのを待つてゐる」と書いていた。相手をけなすのではなく、あくまでも独断や悪口を抑え、対象を正しく評価することを目指していた点では、一貫しているのだ。ちなみに、これらは「批評家失格 I」(『新潮』1930年11月)に出てくる言葉である。
では、正しい評価のためには何が必要なのか。小林は「批評」でこう続ける。「そのためには、對象の他のものとは違ふ特質を明瞭化しなければならず、また、そのためには、分析あるひは限定といふ手段は必至のものだ」ーーここがいわば分かれ道となる。どのように「特質を明瞭化」するか、人によって手段が異なるからだ。おそらくその手段として大半の人が用いるのは、「特質」の違いを明らかにするための比較だろう。それも建設的な比較ではない。私たちが頻繁に目にするのは、自分の好きなものを褒めるために、好きでないものを引き合いに出してけなすような、結論ありきの比較である。
そもそも、ある特定の対象Aを褒めるために、別の特定の対象Bをけなす文章の意図が、本当にAを褒めることにあるのかどうかは疑わしい。むしろ、それはBをけなす欲求の方に支配された文章なのではないか、と私は考える。そして大抵の場合、その文章の書き手はAについての知識や理解はあっても、Bのことは正当に評価しておらず、くだらないものだと考えている。
AよりもBが一般的に評価されている場合、Aへの愛情が強すぎてついBに対して不快感を募らせるのはあり得ることだ。人はこういう時、己のルサンチマンを投影し、不快を憎悪にまで発展させる。しかし、その憎悪を批評に持ち込むのは慎みたいところである。批評における無差別攻撃的な比較は、比べるべきでないものを同じ土俵に立たせて、褒めるべきAを無駄に煩わせるだけで終わる。これによりAが得るメリットは何もない。それどころか、いちいちBを悪く言わないと評価できない程度のものしかAにはないらしい、という印象をばらまかれることになる。これがAを褒めるための文章ではなく、Bの価値の低さを証明することを目的とした文章ならば、一定の効果を上げられるかもしれないが、いずれにしてもAにとって煩わしい巻き添えであることに変わりはない。
比較を行うのであれば、その対象となるものは正しく選定されなければならないし、各対象についての知識や理解も必要になってくる。褒めるべき対象への価値判断に自信があるならば、わざわざ自分がくだらないと思うものを引き合いに出すことはないだろう。異常なまでに攻撃的になるのは、盲信などではなく、褒めるべき対象の中にあるはずの無比の魅力を言語化することができない、もしくは、それをはっきりと見出せていない、だから暴力的論調でごまかすほかない、という不安定な状態にあることを露呈しているにすぎないのだ。
それでも人は刺激に惹かれる。だから理不尽としか思えないような幼稚な悪口も、難癖、揚げ足取りも、ある程度批評として通用する。そういう言葉の方が刺激的だし、話のネタにもなりやすい。しかし、好きなものを守るために残酷な言葉で他者をむやみに攻撃したがる人間は、好きなものを危険にさらしていることを忘れてはならない。「敵の神をこそ撃つべきだ」という言葉もあるように、他人の神を撃てば、自分の神も激しく撃たれることになるのだ。その先にあるのは有意義な論戦ではないだろう。
かつて伊藤計劃は『虐殺器官』の中で、「好きだの嫌いだの、最初にそう言い出したのは誰なんだろうね。いまわれわれが話しているこのややこしいやり取りにしても、そんなシンプルな感情を、えらく遠まわしに表現しているにすぎないんじゃないか。美味しいとか、不快だとか、そういう原始的な感情を」と書いた。批評とはまさにそのシンプルな感情を論理でコーティングしたものと言えるかもしれない。もっとはっきり言えば、それが絶対化、相対化のどちらを志向するものであろうと、己が対象の「特質」を掴んでいない限り、あるいは、掴めたかもしれないという気持ちを抱いていない限り、批評は成立せず、ただ好き嫌いを言うだけの次元にとどまるのである。
(阿部十三)
【関連サイト】
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