横光利一という天才について
2018.02.17
純粋小説
横光利一の小説ほど天才というものを感じさせる作品は少ない。文壇に登場した際の「日輪」と「蠅」、その後の「機械」や「時間」などを読むと、日本語の表現や日本文学の面白さといったものの可能性を押し広げる創意に圧倒される。常人には抱えきれないようなその創意を理性のもとに置き、それまで誰も読んだことのない文学を高い完成度で生み出した横光は、真の意味で天才作家と呼ばれるにふさわしい。
横光利一の小説ほど天才というものを感じさせる作品は少ない。文壇に登場した際の「日輪」と「蠅」、その後の「機械」や「時間」などを読むと、日本語の表現や日本文学の面白さといったものの可能性を押し広げる創意に圧倒される。常人には抱えきれないようなその創意を理性のもとに置き、それまで誰も読んだことのない文学を高い完成度で生み出した横光は、真の意味で天才作家と呼ばれるにふさわしい。
一方で、この文人は新感覚派の中心人物、また、反マルキシズムの論客、純粋小説論の提唱者として、己の考えを潔癖なまでに明文化し、物議を醸した。彼は清廉な性格そのままに、たとえそれによって敵を増やすことになろうとも、自身の立場がどこにあるのかスポーツマンシップ的に宣言せずにはいられなかった。
1935年、『改造』に掲載されて論争を招いた「純粋小説論」は、端的に言えば、偶然や感傷などの通俗性を排して「生活に懐疑と倦怠と疲労と無力さとをばかり与える日常性をのみ撰択」してきた「わが国の純文学」への危惧の念から、唱えられたものである。彼は「人間活動の通俗を恐れぬ精神」を以て書かれる「純文学にして通俗小説」である純粋小説が、文芸を復興させると説き、その結実である長編作品を著した。
しかし、かつて「文学の神様」と称され、大いに読まれた横光利一の作品は、いつしか世の関心の的ではなくなった。読みやすいことがよしとされる世の中では、横光文学はとっつきにくいのかもしれない。小林秀雄をはじめとする高名な評論家が激賞したと言っても、それで興味を持つ人は少なくなっているようだ。
四人称
横光文学の特徴の一つに、視点の特異さがある。19歳の頃(1917年)、『文章世界』の小説部門に応募して佳作に選ばれた「神馬」で、横光は早速、馬のことを「彼」と称し、その目線で話を進めている。こうした発想が、後に読者をあっと言わせた「蠅」につながることは言うまでもない。視点をいかにすべきかという問題において、このような傾向を示す作家が、「人称」の可能性を追求するのは当然の成り行きだったろう。やがて横光は「自分を見る自分」としての四人称を用いることになる。
「機械」も「時間」も四人称の文学である。改行が少なくて読みやすくないし、爽快な話でも何でもないが、巧緻な文体をほぐしてゆくと、話の筋がきれいに浮かび、ネームプレート製造所で働く雇用者たち、宿から逃げ出した無銭の旅芸人たちの奇妙で滑稽でまた空恐ろしくもある人間関係がはっきりと見えてくる。新心理主義と言えば聞こえはいいが、その文体は、脳内の入り組んだ思考回路を辿るようなもので、自我崩壊や疑心暗鬼の土壌となっている。まさに物語の世界観にふさわしい極端な文体を組み合わせることで、主人公と共に読者の理性までも危うくさせる不条理な空間を生んでいるのだ。
一見、非感傷的に見えるが、決してそうではなく、精密に張りめぐらされた文章の仕掛けの中で人間たちを停止させずに動かしながら、「機械」の主人公が最後の最後に「誰かもう私に代って私を審(さば)いてくれ」と訴え出すように、生々しい感情が漏れてくるところも見逃せない。「時間」の最後の一文もどこか情緒的だし、単行本『機械』に収められた「鳥」も感情を高揚させて締めくくられる。言ってみれば、文体の中に埋もれ切らない人間の情が滲み出ているのだ。
文字のエネルギー
読みやすくない文体と形式は意図されたものである。ここで注目されるのは、『創作月刊』(1929年3月発行)に掲載された「文字について ー形式とメカニズムについてー」という論文だ。「一箇の文字の形式が増大して言葉となり、句となり、節となり構成となるに従って、発するエネルギーも増大する」という意識を持ち、文学におけるエネルギーを「読者と作物の形式から発する力である」と考える横光は、その力を形式主義によってコントロールしようとしていた。
こういった意識は、翻訳文学的な文章を意図的に用いた「日輪」の時から働いていたのだろう。私は「日輪」を読んでいると、古語風に訳されたワイルドの『サロメ』を連想せずにはいられない。とはいえ、文壇デビュー時の天才的な閃きから、一つの主義にまで発展させ、文体革命とも言うべきものを企図したのは、大きなことである。「文字について」を書いた翌年の1930年、横光は「機械」を発表した。
横光は日本でよく言われるところの「味」に走るような作風をよしとしなかった。『欧洲紀行』でも、日本文学や絵画を例に挙げ、「直ちに味に堕落する危険性が何人にもある」(1936年5月11日)と書いている。そんな彼が己の形式主義と純粋小説論を踏まえた上で、「本格というものは型から型を通り、自分を極度に殺し、押しのけ、突き抜け、大通俗に達したときを云うので、この修行なくして本格はないと思う」(1936年5月22日)」と書いたのは、理論家兼実践家としてきちんと筋が通っている。
破綻と再生
横光は1924年に「愛巻」を発表したが、後に改稿され、「負けた良人」というタイトルで『新選横光利一集』に収められた。さらに、死後になってから、「愛巻」より前に書かれた草稿もしくは未定稿の「悲しみの代價」が世に出た。これは1921年以前に書かれたものとみられている。
三作品の主人公は、妻の貞操に疑惑を抱く夫である。その夫婦間に、夫の友人・三島が入り込む。夫は三島に媚びる妻の態度を見て、「もう早く三島と妻がなるようになって欲しい」と願い始める。そして夫が思った通り、妻と三島は男女の仲になる。どことなく夏目漱石の『行人』の「兄」を思わせる人物像だが、横光は漱石以上にこの心理の解体に執着していた。
ここで重視したいのは、「悲しみの代價」で一旦離れた夫婦が共に傷を負いながら再生を試みるところである。これは「愛巻」「負けた良人」と異なる。このプロットは、1930年発表の短編「鳥」でも用いられる。「鳥」では先の三作に見られるウエットな部分がなくなり、夫が妻を友人に譲り、その妻を友人が夫に譲るという「美徳を押し合う悪徳」が示され、悪徳の試練を経て、最終的に夫婦が再生する。こうなると、「悲しみの代價」以上に、夫の方がむしろ加害者であるように見えてくる。
横光は「花柳界などにも興味がなく、女性に対しても謹直」(菊池寛)で、当時の文人には珍しく醜聞と無縁だったが、早稲田時代から親交のあった中山義秀の『台上の月』によると、若い頃、自分の恋人と友人が寝ているところを見てしまったことがあるらしい。この暗い青春の記憶が、横光にまとわりついていた。以後、私的感情の昇華を試みるべく、終盤で谷崎潤一郎的な偏執ぶりをみせる「愛人の部屋」(1921年までに完成したと推定される未発表作品)が書かれ、「悲しみの代價」が書かれたのだろうが、その昇華が完全な意味でなされたのは、私小説的なタッチから離れた「鳥」においてであったと思われる。
試練を要する愛と倫理
最初の長編『上海』は政治情勢や民族の問題を扱った力作だが、ここにも煮え切らないロマンスがある。上海にいる参木はトルコ風呂の女・お杉のことを気にかけている。お杉も参木に惚れている。しかし、参木は手を出さない。かつて愛していたのにほかの男と結婚し、今は日本にいる競子の存在が引っかかっているからだ。その間に、女に手の早い競子の兄・甲谷がお杉と寝る。それからだいぶ経った後、参木は娼婦に身を落として傷だらけになったお杉と会い、結ばれる。
『寝園』では、奈奈江が幼馴染の梶と結ばれずに、裕福で鷹揚な仁羽と結婚する。梶と奈奈江は互いを意識しているが、梶は態度をはっきりさせない。やがて奈奈江は狩猟中に仁羽を撃つというショッキングな事件を起こす。梶の方は仕事で失敗し窮地に陥る。そんな出来事を経て、ようやく奈奈江が家を出る決意をし、梶のもとへ向かう。
はたから見る限り、(主に男の方が)うまくやっていれば何の問題もなかったはずの男女が、離れてしまい、試練を経た後で、己の気持ちをはっきりさせて一緒になるのは、「悲しみの代價」から続く横光的倫理の定石である。最後の長編『旅愁』はその試練の度合いもきつく、宗教の問題も絡んで深刻化するが、結婚を先延ばしにする矢代に対し、千鶴子が「式を待ったりしていては、きりがない」と思い、「矢代千鶴子」と友人宛の手紙に署名するまでにいたる(ただし未完)。
親友の死
早稲田時代、横光は富ノ澤麟太郎と出会った。二人の天才が同じ教室にいたというだけでも奇跡というほかない。ある日、学年試験の休み時間に、皆が試験のノートを読んでいる時、富ノ澤だけは煙草を吸いながら外の景色を眺めていた。当時のことを横光はこう書いている。「その時私は彼の相貌をつくづくと見た。すると何と驚くべき貌ではないか。見れば見るほど私の視線はひきつけられ、心が軽やかに踊り出し、私の眼から不可思議な涙が流れて来た」(「富ノ澤麟太郎」)。彼らは厚い友情で結ばれた。
そんな親友が先輩・佐藤春夫の実家で病死したのは1925年のこと。富ノ澤の母親から「息子は佐藤に殺された」と聞くや、横光は激怒し、佐藤を弾劾することにした。結局、それは富ノ澤の母親による決めつけであり誤解だったということに落ち着き、横光は佐藤に謝罪したが、それでも、横光は自分と先輩作家との関係を気まずいものにした亡友の母親が路頭に迷わぬよう仕送りをしていたという。横光の人柄を伝える逸話である。
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横光利一(書籍)
横光利一(電子書籍)
しかし、かつて「文学の神様」と称され、大いに読まれた横光利一の作品は、いつしか世の関心の的ではなくなった。読みやすいことがよしとされる世の中では、横光文学はとっつきにくいのかもしれない。小林秀雄をはじめとする高名な評論家が激賞したと言っても、それで興味を持つ人は少なくなっているようだ。
四人称
横光文学の特徴の一つに、視点の特異さがある。19歳の頃(1917年)、『文章世界』の小説部門に応募して佳作に選ばれた「神馬」で、横光は早速、馬のことを「彼」と称し、その目線で話を進めている。こうした発想が、後に読者をあっと言わせた「蠅」につながることは言うまでもない。視点をいかにすべきかという問題において、このような傾向を示す作家が、「人称」の可能性を追求するのは当然の成り行きだったろう。やがて横光は「自分を見る自分」としての四人称を用いることになる。
「機械」も「時間」も四人称の文学である。改行が少なくて読みやすくないし、爽快な話でも何でもないが、巧緻な文体をほぐしてゆくと、話の筋がきれいに浮かび、ネームプレート製造所で働く雇用者たち、宿から逃げ出した無銭の旅芸人たちの奇妙で滑稽でまた空恐ろしくもある人間関係がはっきりと見えてくる。新心理主義と言えば聞こえはいいが、その文体は、脳内の入り組んだ思考回路を辿るようなもので、自我崩壊や疑心暗鬼の土壌となっている。まさに物語の世界観にふさわしい極端な文体を組み合わせることで、主人公と共に読者の理性までも危うくさせる不条理な空間を生んでいるのだ。
一見、非感傷的に見えるが、決してそうではなく、精密に張りめぐらされた文章の仕掛けの中で人間たちを停止させずに動かしながら、「機械」の主人公が最後の最後に「誰かもう私に代って私を審(さば)いてくれ」と訴え出すように、生々しい感情が漏れてくるところも見逃せない。「時間」の最後の一文もどこか情緒的だし、単行本『機械』に収められた「鳥」も感情を高揚させて締めくくられる。言ってみれば、文体の中に埋もれ切らない人間の情が滲み出ているのだ。
文字のエネルギー
読みやすくない文体と形式は意図されたものである。ここで注目されるのは、『創作月刊』(1929年3月発行)に掲載された「文字について ー形式とメカニズムについてー」という論文だ。「一箇の文字の形式が増大して言葉となり、句となり、節となり構成となるに従って、発するエネルギーも増大する」という意識を持ち、文学におけるエネルギーを「読者と作物の形式から発する力である」と考える横光は、その力を形式主義によってコントロールしようとしていた。
こういった意識は、翻訳文学的な文章を意図的に用いた「日輪」の時から働いていたのだろう。私は「日輪」を読んでいると、古語風に訳されたワイルドの『サロメ』を連想せずにはいられない。とはいえ、文壇デビュー時の天才的な閃きから、一つの主義にまで発展させ、文体革命とも言うべきものを企図したのは、大きなことである。「文字について」を書いた翌年の1930年、横光は「機械」を発表した。
横光は日本でよく言われるところの「味」に走るような作風をよしとしなかった。『欧洲紀行』でも、日本文学や絵画を例に挙げ、「直ちに味に堕落する危険性が何人にもある」(1936年5月11日)と書いている。そんな彼が己の形式主義と純粋小説論を踏まえた上で、「本格というものは型から型を通り、自分を極度に殺し、押しのけ、突き抜け、大通俗に達したときを云うので、この修行なくして本格はないと思う」(1936年5月22日)」と書いたのは、理論家兼実践家としてきちんと筋が通っている。
破綻と再生
横光は1924年に「愛巻」を発表したが、後に改稿され、「負けた良人」というタイトルで『新選横光利一集』に収められた。さらに、死後になってから、「愛巻」より前に書かれた草稿もしくは未定稿の「悲しみの代價」が世に出た。これは1921年以前に書かれたものとみられている。
三作品の主人公は、妻の貞操に疑惑を抱く夫である。その夫婦間に、夫の友人・三島が入り込む。夫は三島に媚びる妻の態度を見て、「もう早く三島と妻がなるようになって欲しい」と願い始める。そして夫が思った通り、妻と三島は男女の仲になる。どことなく夏目漱石の『行人』の「兄」を思わせる人物像だが、横光は漱石以上にこの心理の解体に執着していた。
ここで重視したいのは、「悲しみの代價」で一旦離れた夫婦が共に傷を負いながら再生を試みるところである。これは「愛巻」「負けた良人」と異なる。このプロットは、1930年発表の短編「鳥」でも用いられる。「鳥」では先の三作に見られるウエットな部分がなくなり、夫が妻を友人に譲り、その妻を友人が夫に譲るという「美徳を押し合う悪徳」が示され、悪徳の試練を経て、最終的に夫婦が再生する。こうなると、「悲しみの代價」以上に、夫の方がむしろ加害者であるように見えてくる。
横光は「花柳界などにも興味がなく、女性に対しても謹直」(菊池寛)で、当時の文人には珍しく醜聞と無縁だったが、早稲田時代から親交のあった中山義秀の『台上の月』によると、若い頃、自分の恋人と友人が寝ているところを見てしまったことがあるらしい。この暗い青春の記憶が、横光にまとわりついていた。以後、私的感情の昇華を試みるべく、終盤で谷崎潤一郎的な偏執ぶりをみせる「愛人の部屋」(1921年までに完成したと推定される未発表作品)が書かれ、「悲しみの代價」が書かれたのだろうが、その昇華が完全な意味でなされたのは、私小説的なタッチから離れた「鳥」においてであったと思われる。
試練を要する愛と倫理
最初の長編『上海』は政治情勢や民族の問題を扱った力作だが、ここにも煮え切らないロマンスがある。上海にいる参木はトルコ風呂の女・お杉のことを気にかけている。お杉も参木に惚れている。しかし、参木は手を出さない。かつて愛していたのにほかの男と結婚し、今は日本にいる競子の存在が引っかかっているからだ。その間に、女に手の早い競子の兄・甲谷がお杉と寝る。それからだいぶ経った後、参木は娼婦に身を落として傷だらけになったお杉と会い、結ばれる。
『寝園』では、奈奈江が幼馴染の梶と結ばれずに、裕福で鷹揚な仁羽と結婚する。梶と奈奈江は互いを意識しているが、梶は態度をはっきりさせない。やがて奈奈江は狩猟中に仁羽を撃つというショッキングな事件を起こす。梶の方は仕事で失敗し窮地に陥る。そんな出来事を経て、ようやく奈奈江が家を出る決意をし、梶のもとへ向かう。
はたから見る限り、(主に男の方が)うまくやっていれば何の問題もなかったはずの男女が、離れてしまい、試練を経た後で、己の気持ちをはっきりさせて一緒になるのは、「悲しみの代價」から続く横光的倫理の定石である。最後の長編『旅愁』はその試練の度合いもきつく、宗教の問題も絡んで深刻化するが、結婚を先延ばしにする矢代に対し、千鶴子が「式を待ったりしていては、きりがない」と思い、「矢代千鶴子」と友人宛の手紙に署名するまでにいたる(ただし未完)。
親友の死
早稲田時代、横光は富ノ澤麟太郎と出会った。二人の天才が同じ教室にいたというだけでも奇跡というほかない。ある日、学年試験の休み時間に、皆が試験のノートを読んでいる時、富ノ澤だけは煙草を吸いながら外の景色を眺めていた。当時のことを横光はこう書いている。「その時私は彼の相貌をつくづくと見た。すると何と驚くべき貌ではないか。見れば見るほど私の視線はひきつけられ、心が軽やかに踊り出し、私の眼から不可思議な涙が流れて来た」(「富ノ澤麟太郎」)。彼らは厚い友情で結ばれた。
そんな親友が先輩・佐藤春夫の実家で病死したのは1925年のこと。富ノ澤の母親から「息子は佐藤に殺された」と聞くや、横光は激怒し、佐藤を弾劾することにした。結局、それは富ノ澤の母親による決めつけであり誤解だったということに落ち着き、横光は佐藤に謝罪したが、それでも、横光は自分と先輩作家との関係を気まずいものにした亡友の母親が路頭に迷わぬよう仕送りをしていたという。横光の人柄を伝える逸話である。
(阿部十三)
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