ジャック・フィニイの作品
2018.05.12
ドン・シーゲル監督の『ボディ・スナッチャー/恐怖の街』(1956年)は、宇宙生命体による地球侵略を描いたSFホラーとしては古典に属する作品である。侵略といってもミサイルや怪光線は出てこない。銃声ひとつ鳴らない。全体のトーンは静かでシンプルだが、そこに不気味さがにじんでいる。私は学生時代にこの映画を知り、モノクロ版とカラー版を数え切れないほど観た。
宇宙生命体は、大きな豆のさやから複製人間と化して生まれてくる。人が寝ている間に脳波を使って記憶等をコピーし、本物とすり変わるのだ。こうしてアメリカの小さな街は、見かけは変わることなく、じわじわと侵略されてゆく。そんな中、極限状況に追い込まれた男女の愛も描かれる。
医師マイルズと、彼が学生時代に恋していたベッキーは、それぞれ別の道を歩んで大人になり、結婚に失敗して地元のサンタ・ミラで再会し、惹かれ合う。一方では、豆のさやの拡散が進行し、多くの住民が宇宙生命体に乗っ取られ、緊張が高まっている。やがて街に残された「人間」はマイルズとベッキーだけになる。そんな状況下で逃げ続ける中、短い間だが2人だけの閉塞的な愛の空間のようなものが形成される。私はこういう設定が好きなのである。ベッキーを演じたダナ・ウィンターの美しさも、ユートピア感を増幅させるのに一役買っている。
原作はアメリカの作家ジャック・フィニイが書いた『盗まれた街』(原題『THE BODY SNATCHERS』)。映画は原作を少なからずアレンジしていて、結末にも救いがない。原作の方にはもう少し甘い雰囲気がある。失われゆく故郷サンタ・ミラの美しさが描かれ、マイルズがベッキーの魅力に参っていくところも繰り返し出てくる。離婚歴があるマイルズは、魅力満点のベッキーを前にして何とか自制しようとするが、ベッキーはマイルズに夢中で、彼のことしか眼中にない。そんなことにうつつをぬかしている場合か、と突っ込みたくなるが、マイルズにとってベッキーは生気を失いつつある故郷の中で唯一変わらない美の象徴なのだ。また、生命を脅かされている時ほど愛欲を抑えがたいのが人間の本能である。2人のロマンスの行方に重きを置いているのも、この小説の特徴と言える。
ジャック・フィニイは1911年に生まれた作家で、1946年にミステリ作家としてデビューし、その後、SF、ファンタジー、脱獄もの、犯罪ものに健筆をふるった。長編では『盗まれた街』と『ふりだしに戻る』が代表作。『完全脱獄』『クイーン・メリー号襲撃』『マリオンの壁』など映画化された作品も多い。短編の名手でもあり、短編集『レベル3』『ゲイルズバーグの春を愛す』には時空を超える現象を描いた好編が多く収録されている。
逃避、郷愁、理想の愛はフィニイが好んだテーマである。『盗まれた街』のような作品にすら、それらが描かれているくらいだから、懐古的なファンタジーにおいて作者の世界観がより徹底して構築されていることは言うまでもない。そのスタンスは、端的に言えば、未来よりも現在、現在よりも過去を重んじるものだ。タイムトラベル・サスペンス・ラブ・ファンタジーという呼称をつけたくなる『ふりだしに戻る』では、1880年代のニューヨークが緻密に描写されており、そのおかげで甘美な郷愁に浸ることができる。この長編はそれまでに書いてきた現実逃避的な短編の総括と言えるかもしれない。
フィニイは過去を亡きものでなく、生きているものとして扱う。例えば「ゲイルズバーグの春を愛す」では、ゲイルズバーグの美しい景観を損ねないために、過去(あの世)の人々が現在に働きかけて、大農場を不動産会社に売らせないようにしたり、古い建物が火事になると駆けつけて消火活動をしたりする。街を醜くしようとするものを、過去が排撃するのである。「クルーエット夫妻の家」では、19世紀末の設計図を見つけてその通りに邸宅を建てさせた裕福な夫婦が、そこに住むうちに生活スタイルが古めかしくなってくる。しまいには邸宅に結界が張られたようになり、夫婦は完全な19世紀人になってしまう。
「台詞指導」では、美人だけど木石で演技力のない1960年代の新人女優が、1920年代を舞台にした映画に出ることになる。その際、当時使われていた本物のバスを使うのだが、バスに乗った途端、40年前にタイムスリップして、車中でつかの間の出会いと別れを経験する。「愛の手紙」では、アンティークの机を購入した平凡な男性が、隠し抽出に1882年に書かれた未投函の恋文があるのを見つけ、試しに返事を書いてみる。と、次の週にはその返事が隠し抽出に届き、時空を超えた切ない恋が始まる。
趣向の異なる作品もあり、「雲のなかにいるもの」や「青春を少々」は、理想を思い描く男女が分相応の相手を見つけ、現実だってなかなか良いものじゃないかという気分で終わる。他にも、若き新聞社主が自分の書いたメチャクチャな記事と同じことが現実に起こる現象に味をしめ、市役所に勤める美女との婚約記事を書いてしまう「ニュースの陰に」、服が透けて見える透視メガネや女性を恋の奴隷にする腕輪が出てくる「悪の魔力」といった、男の願望が露骨に出たファンタジーがある。
長編『完全脱獄』は、一種の逃避である脱獄を扱っている点ではフィニイらしい題材だ。獄中にいる犯罪者の兄を優等生の弟が脱獄させる話で、最後の1ページに待ち受けるオチはひねりがきいている。が、そもそもの設定や心理の動きに無理があり、また、ディテールを大事にするこの作家の語り口がここではやや冗長に感じられて、感情移入しづらい。監獄を描いたものでは、独房の壁にリアルな扉の絵を描き続ける死刑囚が出てくる短編「独房ファンタジア」の方が(オチは見えているけれど)面白い。
秀抜なのは『レベル3』に収録されている「おかしな隣人」である。隣に引っ越してきた夫婦が、実は未来からタイムマシンでやってきた人たちだったという話。未来がひどい有様で、あまりにも住みにくいために、皆がタイムマシンで過去のいろいろな時代に逃げてしまい、未来から人がいなくなるのである。実際にあり得そうな、考えようによっては深刻な内容だ。
というわけで、『盗まれた街』だけの作家ではないのだが、やはりこの作品は特別で、これまでに少なくとも4回映画化されている。これをベースにした漫画もある。石ノ森章太郎の「狂犬」(1966年)だ。ここでも主人公の少年の周りにいる人間たちがおかしくなり、少年からその話を聞いた先生が「SF小説にこれとよくにているやつがある」と言って、『盗まれた街』を引き合いに出す。そこから後の展開はなかなかヘビーで、人間の心の中にある善悪の問題について考えさせる内容となっている。
原作では、マイルズはいっそ戦わずに体を乗っ取られた方が楽になれるのでは、という誘惑に心揺れる。このシチュエーションはどことなくイヨネスコの戯曲『犀』に似ている。ちなみに映画の方は、共産主義による支配を宇宙生命体による侵略に置き換える当時のアメリカ的意図が盛り込まれていたらしい。ただし今となっては、主義に関係なく、宇宙から来た豆のさやを、人間の尊厳や生命を危機に陥れるあらゆる人的脅威に置き換えることが可能である。
宇宙生命体は、大きな豆のさやから複製人間と化して生まれてくる。人が寝ている間に脳波を使って記憶等をコピーし、本物とすり変わるのだ。こうしてアメリカの小さな街は、見かけは変わることなく、じわじわと侵略されてゆく。そんな中、極限状況に追い込まれた男女の愛も描かれる。
医師マイルズと、彼が学生時代に恋していたベッキーは、それぞれ別の道を歩んで大人になり、結婚に失敗して地元のサンタ・ミラで再会し、惹かれ合う。一方では、豆のさやの拡散が進行し、多くの住民が宇宙生命体に乗っ取られ、緊張が高まっている。やがて街に残された「人間」はマイルズとベッキーだけになる。そんな状況下で逃げ続ける中、短い間だが2人だけの閉塞的な愛の空間のようなものが形成される。私はこういう設定が好きなのである。ベッキーを演じたダナ・ウィンターの美しさも、ユートピア感を増幅させるのに一役買っている。
原作はアメリカの作家ジャック・フィニイが書いた『盗まれた街』(原題『THE BODY SNATCHERS』)。映画は原作を少なからずアレンジしていて、結末にも救いがない。原作の方にはもう少し甘い雰囲気がある。失われゆく故郷サンタ・ミラの美しさが描かれ、マイルズがベッキーの魅力に参っていくところも繰り返し出てくる。離婚歴があるマイルズは、魅力満点のベッキーを前にして何とか自制しようとするが、ベッキーはマイルズに夢中で、彼のことしか眼中にない。そんなことにうつつをぬかしている場合か、と突っ込みたくなるが、マイルズにとってベッキーは生気を失いつつある故郷の中で唯一変わらない美の象徴なのだ。また、生命を脅かされている時ほど愛欲を抑えがたいのが人間の本能である。2人のロマンスの行方に重きを置いているのも、この小説の特徴と言える。
ジャック・フィニイは1911年に生まれた作家で、1946年にミステリ作家としてデビューし、その後、SF、ファンタジー、脱獄もの、犯罪ものに健筆をふるった。長編では『盗まれた街』と『ふりだしに戻る』が代表作。『完全脱獄』『クイーン・メリー号襲撃』『マリオンの壁』など映画化された作品も多い。短編の名手でもあり、短編集『レベル3』『ゲイルズバーグの春を愛す』には時空を超える現象を描いた好編が多く収録されている。
逃避、郷愁、理想の愛はフィニイが好んだテーマである。『盗まれた街』のような作品にすら、それらが描かれているくらいだから、懐古的なファンタジーにおいて作者の世界観がより徹底して構築されていることは言うまでもない。そのスタンスは、端的に言えば、未来よりも現在、現在よりも過去を重んじるものだ。タイムトラベル・サスペンス・ラブ・ファンタジーという呼称をつけたくなる『ふりだしに戻る』では、1880年代のニューヨークが緻密に描写されており、そのおかげで甘美な郷愁に浸ることができる。この長編はそれまでに書いてきた現実逃避的な短編の総括と言えるかもしれない。
フィニイは過去を亡きものでなく、生きているものとして扱う。例えば「ゲイルズバーグの春を愛す」では、ゲイルズバーグの美しい景観を損ねないために、過去(あの世)の人々が現在に働きかけて、大農場を不動産会社に売らせないようにしたり、古い建物が火事になると駆けつけて消火活動をしたりする。街を醜くしようとするものを、過去が排撃するのである。「クルーエット夫妻の家」では、19世紀末の設計図を見つけてその通りに邸宅を建てさせた裕福な夫婦が、そこに住むうちに生活スタイルが古めかしくなってくる。しまいには邸宅に結界が張られたようになり、夫婦は完全な19世紀人になってしまう。
「台詞指導」では、美人だけど木石で演技力のない1960年代の新人女優が、1920年代を舞台にした映画に出ることになる。その際、当時使われていた本物のバスを使うのだが、バスに乗った途端、40年前にタイムスリップして、車中でつかの間の出会いと別れを経験する。「愛の手紙」では、アンティークの机を購入した平凡な男性が、隠し抽出に1882年に書かれた未投函の恋文があるのを見つけ、試しに返事を書いてみる。と、次の週にはその返事が隠し抽出に届き、時空を超えた切ない恋が始まる。
趣向の異なる作品もあり、「雲のなかにいるもの」や「青春を少々」は、理想を思い描く男女が分相応の相手を見つけ、現実だってなかなか良いものじゃないかという気分で終わる。他にも、若き新聞社主が自分の書いたメチャクチャな記事と同じことが現実に起こる現象に味をしめ、市役所に勤める美女との婚約記事を書いてしまう「ニュースの陰に」、服が透けて見える透視メガネや女性を恋の奴隷にする腕輪が出てくる「悪の魔力」といった、男の願望が露骨に出たファンタジーがある。
長編『完全脱獄』は、一種の逃避である脱獄を扱っている点ではフィニイらしい題材だ。獄中にいる犯罪者の兄を優等生の弟が脱獄させる話で、最後の1ページに待ち受けるオチはひねりがきいている。が、そもそもの設定や心理の動きに無理があり、また、ディテールを大事にするこの作家の語り口がここではやや冗長に感じられて、感情移入しづらい。監獄を描いたものでは、独房の壁にリアルな扉の絵を描き続ける死刑囚が出てくる短編「独房ファンタジア」の方が(オチは見えているけれど)面白い。
秀抜なのは『レベル3』に収録されている「おかしな隣人」である。隣に引っ越してきた夫婦が、実は未来からタイムマシンでやってきた人たちだったという話。未来がひどい有様で、あまりにも住みにくいために、皆がタイムマシンで過去のいろいろな時代に逃げてしまい、未来から人がいなくなるのである。実際にあり得そうな、考えようによっては深刻な内容だ。
というわけで、『盗まれた街』だけの作家ではないのだが、やはりこの作品は特別で、これまでに少なくとも4回映画化されている。これをベースにした漫画もある。石ノ森章太郎の「狂犬」(1966年)だ。ここでも主人公の少年の周りにいる人間たちがおかしくなり、少年からその話を聞いた先生が「SF小説にこれとよくにているやつがある」と言って、『盗まれた街』を引き合いに出す。そこから後の展開はなかなかヘビーで、人間の心の中にある善悪の問題について考えさせる内容となっている。
原作では、マイルズはいっそ戦わずに体を乗っ取られた方が楽になれるのでは、という誘惑に心揺れる。このシチュエーションはどことなくイヨネスコの戯曲『犀』に似ている。ちなみに映画の方は、共産主義による支配を宇宙生命体による侵略に置き換える当時のアメリカ的意図が盛り込まれていたらしい。ただし今となっては、主義に関係なく、宇宙から来た豆のさやを、人間の尊厳や生命を危機に陥れるあらゆる人的脅威に置き換えることが可能である。
(阿部十三)
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