私の謀叛論
2019.10.27
フランスの思想家ジョゼフ・ド・メーストルは、社会の秩序のためには刑吏(処刑人)の存在が不可欠であると考えていた。
「あらゆる偉大さ、あらゆる権勢、あらゆる従属は、〈刑吏〉に基礎をおいている。彼は人間社会の恐怖であり、また、その鎖なのである。世界からこの不可解な存在を取り除いてみるがよい。たちどころに、秩序は混乱たる状態にかわり、王座はくつがえり、社会は消えるだろう」
そんな処刑人がもし不服従という選択をした時はどうなるのか。当然、権力の礎石が揺らぐことになる。このメーストルの説を逆手にとると、権力をくつがえすためには、処刑人が服従しなければ良いということになる。
2019年7月、ドイツの首相アンゲラ・メルケルがアドルフ・ヒトラー暗殺に失敗したナチスの将校たちを追悼し、「不服従が義務となり得る瞬間がある」と語った。この記事を読んだ時、私はまずメーストルの言葉を、次にマルタン・デュ・ガールの長編『チボー家の人々』のある箇所を思い出した。1914年の夏、反戦運動に打ち込むジャック・チボーが会合で演説する一場面である。
「国民が動員をこばみ、国民が戦うことを拒否するとき、あらゆる責任ある大臣たちは、銀行家は、企業家は、軍需工業家は、戦争を引きおこすことができないのだ」
これもまた処刑人たる自分たちが服従しなければ、権力は機能しないという話である。
しかし、ナチスの将校たちは射殺され、ジャック・チボーも悲惨な最期を遂げた。
「あらゆる偉大さ、あらゆる権勢、あらゆる従属は、〈刑吏〉に基礎をおいている。彼は人間社会の恐怖であり、また、その鎖なのである。世界からこの不可解な存在を取り除いてみるがよい。たちどころに、秩序は混乱たる状態にかわり、王座はくつがえり、社会は消えるだろう」
(ジョゼフ・ド・メーストル『サン・ペテルスブルグの夜話』)
処刑人の役割は、法を犯した者に罰を与えることだ。彼らは命令されれば何でも執行する。
メーストルによると、処刑人とは、権力者が己の特権(犯罪者を処罰すること)を行使するために必要な存在であり、異常な存在である。なぜ異常かというと、様々な職業がある中で、自分と同じ人間を拷問にかけて殺す仕事を選んだからだ。スタンダールはメーストルのことを「死刑執行人の友」と呼んだが、メーストルが書いていることには誤りはない。
処刑人は、国家や組織にとって有害と思われる者に、死もしくは精神的・肉体的暴力をもたらす。たしかに「異常な存在」かもしれないが、誰もが処刑人になり得ることは20世紀のミルグラム実験(アイヒマン実験)でも立証されている。他人事のように書いている私だって例外ではない。
2019年7月、ドイツの首相アンゲラ・メルケルがアドルフ・ヒトラー暗殺に失敗したナチスの将校たちを追悼し、「不服従が義務となり得る瞬間がある」と語った。この記事を読んだ時、私はまずメーストルの言葉を、次にマルタン・デュ・ガールの長編『チボー家の人々』のある箇所を思い出した。1914年の夏、反戦運動に打ち込むジャック・チボーが会合で演説する一場面である。
「国民が動員をこばみ、国民が戦うことを拒否するとき、あらゆる責任ある大臣たちは、銀行家は、企業家は、軍需工業家は、戦争を引きおこすことができないのだ」
これもまた処刑人たる自分たちが服従しなければ、権力は機能しないという話である。
しかし、ナチスの将校たちは射殺され、ジャック・チボーも悲惨な最期を遂げた。
不服従を選択すれば処刑される、ないし、不幸が待っているという状況は避けたいものである。できれば、ルールを決めている権力者たちの間で健全な権力体制を作り、私たちにとって「不服従が義務となり得る」ことのない状態にしてもらいたい。
その体制を作るためには、組織のトップに立つ者に対し、きちんと忠言する側近の存在が不可欠となってくる。大きな権力を持てばおかしくなるのが普通の人間である。だからこそ自分とは異なる感性と、鋭い状況判断能力と、諫言する勇気を持つ者を側に置いておくべきなのだ(学歴は関係ない)。徳冨蘆花の『謀叛論』の言葉を借りれば、「面を冒して進言する忠臣」がいなくてはならないのである。
権力を存分に行使したいのに、側近が制止し、「そんなことをして良いのか」と水を差すようなことを言ってくる。それはワンマン志向の権力者には面白くないことに違いない。でも、「絶対的権力は絶対的に腐敗する」という例を増やさないためにも、その側近は必要である。
シェイクスピアの『リア王』では、コーディーリアの愛情を読み取れなかったリア王に、忠臣ケントが次のように進言する。その台詞は胸に響く。
「権力がお追従に屈するとき、忠義が口を開くのを恐れるとでもお思いか? 王が愚行に走るとき、直言するのが臣下の名誉」
しかし、リア王はケントを「不忠者」と罵り、追放した。その結果どうなったかは言うまでもない。
歴史上、名君と呼ばれる人の陰に賢き忠臣の存在あり、という話はおそらく枚挙にいとまがないだろう。誤った判断をしそうになっている主君に、間違いを指摘し、「こうした方がいいのでは」と進言することは不服従ではなく、美しい服従であり、忠誠である。そのおかげで主君は汚点をなくしたり、最小限にとどめたりすることができる。忠臣の功は主君の功でもあるのだ。
その体制を作るためには、組織のトップに立つ者に対し、きちんと忠言する側近の存在が不可欠となってくる。大きな権力を持てばおかしくなるのが普通の人間である。だからこそ自分とは異なる感性と、鋭い状況判断能力と、諫言する勇気を持つ者を側に置いておくべきなのだ(学歴は関係ない)。徳冨蘆花の『謀叛論』の言葉を借りれば、「面を冒して進言する忠臣」がいなくてはならないのである。
権力を存分に行使したいのに、側近が制止し、「そんなことをして良いのか」と水を差すようなことを言ってくる。それはワンマン志向の権力者には面白くないことに違いない。でも、「絶対的権力は絶対的に腐敗する」という例を増やさないためにも、その側近は必要である。
シェイクスピアの『リア王』では、コーディーリアの愛情を読み取れなかったリア王に、忠臣ケントが次のように進言する。その台詞は胸に響く。
「権力がお追従に屈するとき、忠義が口を開くのを恐れるとでもお思いか? 王が愚行に走るとき、直言するのが臣下の名誉」
しかし、リア王はケントを「不忠者」と罵り、追放した。その結果どうなったかは言うまでもない。
歴史上、名君と呼ばれる人の陰に賢き忠臣の存在あり、という話はおそらく枚挙にいとまがないだろう。誤った判断をしそうになっている主君に、間違いを指摘し、「こうした方がいいのでは」と進言することは不服従ではなく、美しい服従であり、忠誠である。そのおかげで主君は汚点をなくしたり、最小限にとどめたりすることができる。忠臣の功は主君の功でもあるのだ。
(阿部十三)
[参考文献]
ジョゼフ・ド・メーストル著/岳野慶作訳 「サン・ペテルスブルグの夜話」(『仏蘭西カトリック思想家選』 中央出版社 1948年)
【関連サイト】
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