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2019年の読書録 〜初読と再読のよろこび〜

2019.12.28
血となり肉となる文学

 中島敦の『光と風と夢』は、作家ロバート・ルイス・スティーヴンソンの日記という体裁で書かれている。しかし、その言葉はあくまでも中島自身のもの、彼の思想ないし信条の投影である。

「私は、小説が書物の中で最上(或いは最強)のものであることを疑わない。読者にのりうつり、其の魂を奪い、其の血となり肉と化して完全に吸収され尽すのは、小説の他にない」

 哲学書や思想書ではなく、小説や詩歌が精神の支柱となる。私はそれを日本人らしさの一つだと思っている。中島の言葉は、かつて保田與重郎が松尾芭蕉について書いた「最も深いものを、日本の思想として語った人々が、我国では詩人であった」という一文とも通ずる。

日本文学シリーズ

 2019年は読書に耽った1年であった。ほとんどは日本文学である。仕事で半年間ほど小説・詩集・歌集を電子書籍化していたのだ。その結果、多くの文学が血肉となったような気がする。

 1970年前後に刊行された学研の「現代日本の文学」というシリーズ(全50巻)がある。そこから20冊を選出して底本とし、電子書籍にすることに決まった。発売時期は2019年5月から8月。私の仕事は、20冊に収録された266作品を109冊にまとめること、そのために何と何の作品を組み合わせるか収録内容を決めること、109冊分の表紙をデザインすることだった。

 芥川龍之介を例にとると、1冊の中に『西方の人』、『続西方の人』、『侏儒の言葉』を収録することにして、この1冊にふさわしい表紙を作った。表紙には、『侏儒の言葉』の「人生は一箱のマッチに似ている」からヒントを得て、マッチ箱の写真を用いた。

 底本に誤字脱字があったため、時間の許す範囲で、大きなミスがないかどうか確認をする必要もあった。半年間、こういったことを一人でやっていた。

再読のよろこび

 電子書籍化したのは266作品だが、作者の人数で言うと、森鴎外から立原道造まで32人。私がほとんど読んだことのない尾崎士郎の名もあった。

 せっかくの機会なので100作品くらいは熟読した。そして、いくつかの作品には、昔読んだ時とは比べものにならないくらい感銘を受けた。それも有名なものばかり、夏目漱石の『こころ』、徳冨蘆花の『自然と人生』、国木田独歩の『空知川の岸辺』、室生犀星の『かげろうの日記遺文』、芥川龍之介の『侏儒の言葉』、太宰治の『斜陽』である。

 『こころ』も『斜陽』も文学好きなら高校か大学で読むものだ。でも、人生をある程度まで経験しなければ理解できないことが山ほど書かれている。私は若い頃には感じられなかった重みと深みにおののき、胸のあたりを圧迫されながら消化した。仕事中、人目も気にせず、「読者にのりうつり、其の魂を奪い、其の血となり肉と化して完全に吸収され尽す」という体験をしたのである。

 昔読んで苦手と感じ、今なお変わらず苦手な作品もあったが、その数は昔に比べると格段に減った。主人公がうじうじしていて煮え切らない話でも、「こういうことを書きたくなる気持ちも分かる」と理解できるようになってきたのだ。

生きるとは欲望を感ずること

 中には、読んだことのない作品もあった。そのうちの一つが『光と風と夢』だ。中島敦というと、『山月記』や『李陵』など昔の中国を舞台にした小説を書いた知的な作家というイメージだったが、今回の仕事を通じて、ずいぶん見方が変わった。

 知的は知的だが、非常にエモーショナルだ。風景、人物の描写には詩的なセンスと科学的な正確さがどちらも活きている。人生観や人間観にも鋭さとユニークなところがある。スティーヴンソンという大作家の人生の設定を借りて、己の言葉を綴った『光と風と夢』にはその美点が示されている。

「生きるとは欲望を感ずることだ」

 これは作中、スティーヴンソンの言葉として記されたものだ。欲望は「何かを欲すること」と言い換えてもいいだろう。私の知人が「物欲は生きる原動力だ」と語っているが、物欲にしても食欲にしても性欲にしても、何かを欲することは生きる力に結びつく。私自身、「あの映画を観たい」とか「あの本を読みたい」という、はたから見ればくだらない欲求がモチベーションになることがある。

血は間違わない

「優れた個人が或る雰囲気の中に在ると、個人としては想像も出来ぬような集団的偏見を有つに至るものだ」

 個人としては「頭脳明晰」とか「温厚篤実」と言われるタイプの人間でも、集団に加わると豹変し、差別的になり攻撃的になる例はいくらでもある。彼らには集団の中で自分を見失うことが一種の陶酔となっているのだ。集団に関する警句で、似たようなものはたくさんあるが、中島の言葉が私にはしっくりくる。

「彼は殆ど本能的に『自分は自分が思っている程、自分ではないこと』を知っていた。それから、『頭は間違うことがあっても、血は間違わないものであること。仮令一見して間違ったように見えても、結局は、それが真の自己にとって最も忠実且つ賢明なコースをとらせているのであること。』『我々の中にある我々の知らないものは、我々以上に賢いのだということ』を知っていた」

 頭で考えて間違えることはある、勘が外れることも沢山ある、でも血は間違わない。「我々の中にある我々の知らないものは、我々以上に賢い」にもかかわらず、理性や嗜好がその邪魔をする、ということは確かにありそうな話だ。私は勘が鋭くないし、霊感も何もないが、何かに対して体の奥で拒絶反応を示すことがあり、その時は危険だと判断することにしている。なので、この言葉は腹落ちした。

人間と人生を伝える文学

 ほかにも、初めて読んだ作品はある。佐藤春夫の『わんぱく時代』、吉川英治の『忘れ残りの記』、尾崎士郎の『人生劇場 青春篇』と『河鹿』だ。それぞれ面白かったが、とくに『わんぱく時代』の後半、大逆事件の暗雲が垂れ込めるあたりは胸を打つものがあった。

 ただ、先にも述べたように、最大の収穫は『こころ』や『斜陽』など過去に読んだ小説や詩を再読し、味到したことである。こういう機会でもなければ読み直すことはなかっただろう。

 文学は物語を伝え、作者の魂を伝えるだけでなく、人間とは何か、人生とは何かを伝える面を持っている。真理にふれる一文が、その作家特有の詩魂やストーリーと合わさると、豊かな説得力を帯び、私たちの血肉と化すのだ。32人の作者の説得力を味わい続けた半年間は、作業の大変さはありつつも実に有意義なものであった。
(阿部十三)


【関連サイト】
中島敦 『光と風と夢』(Kindle)

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