宇治山の僧、喜撰法師
2020.06.24
六歌仙とは、紀貫之が『古今和歌集』の「仮名序」で挙げた歌人、僧正遍照、在原業平、文屋康秀、喜撰法師、小野小町、大友黒主のことである。貫之自身はこの六人のことを歌仙とは呼んでいないが、いつの頃からか六歌仙と称され、今日の世にまで伝わっている。
その中の一人、喜撰法師は今もって謎の人物である。素性が分からず、しかも『古今和歌集』に収録された歌が一首しかない。素性が分からないといえば小野小町も同様だが、小町は歌の数が多いので、その内容から容姿、人柄、才能を窺い知ることができる。喜撰法師の場合、「宇治山の僧」であること以外、取っ掛かりとなるものがない。なぜ貫之がこの人の名をわざわざ「仮名序」で挙げたのか、さっぱり見当がつかない。当時はそれなりに有名な僧だったのだろうか。
歌を鑑賞してみよう。
わが庵(いほ)は都の辰巳(たつみ)しかぞ住む世をうぢ山と人はいふなり
(私の庵は都の南東にあり、このように穏やかに、ちゃんと暮らしています。でも人々は、私が世を憂いて宇治山に住んでいる、と言っているようです)
「世をうぢ山」は、「世を憂し」と「宇治山」に掛かっている。「しかぞ住む」は、「このようにちゃんと暮らしている」とも、「鹿が住んでいる」とも読める。「辰巳(巽)」は南東の方角のことだが、穏やかという意味もある。
歌意は分かりやすい。山で静かに暮らしているからといって、「世を憂いて隠遁している」と勝手に決めつける人たちの短見に物申しているのだ。今の時代でも、都会から田舎に移住すると、世を憂いているのか、深い事情があるのかと思われがちである。そういう人もいるかもしれないが、それが全てではない。
江戸時代には、木下長嘯子が「山里に住まぬかぎりは住む人の何事といひし何事ぞこれ」と詠んでいる。山里に住んでみない限り、昔そういう場所に住んで心を澄ませた人たちが言ったことは分からないという歌意で、山に住む自分には、先人たちの言葉が理解できるのだと大いに誇っている。世を憂う人ばかりではないのである。
ところで、なぜ「しか(鹿)ぞ住む」なのか。十二支では「辰巳」の後に「午(うま)」が来る。それを「鹿」にすることで意表をつくという言葉遊びの意図があったのだろう。それを踏まえた上で、江戸時代に大田南畝という狂歌師が、「わが庵はみやこの辰巳午ひつじ申酉戌亥子丑寅う治」と十二支を全て入れたパロディを作っている。
喜撰法師については、現在残っている資料を読んでも、はっきりしたことは何も分からない。架空の人物だと指摘する声もある。国文学者の高崎正秀は、喜撰法師を紀名虎の子とする言い伝えを踏まえた上で「喜撰」を「紀仙」とみて、「紀一族」という意があると唱えた。『「古今和歌集」の謎を解く』の著者である織田正吉は、喜撰法師とは紀貫之のことではないかと述べている。
『古今和歌集』の編纂当時、集められた歌の多くが恋歌だったため、歌集の内容が偏りすぎることを懸念し、撰者の紀友則、紀貫之、凡河内躬恒、壬生忠岑が自ら恋歌以外の歌を詠んでバランスを取ったというエピソードを聞いたことがある。「仮名序」でも、好色家の取るに足りない恋歌がはびこる風潮に難色を示し、冒頭に挙げた六人の歌以外は「林に茂る木の葉くらいの価値しかない」と一蹴している。そんな状況の中、撰者たちが架空の人物を生み出したとしても不思議はないのかもしれない。ただし、これは天皇の命によって編纂された勅撰和歌集である。そのことを考えると、貫之が実際に存在しない人物の名前を「仮名序」で挙げ、その歌を論じるという行為は、些か放縦にすぎる気がする。
喜撰の作と伝えられる歌が、もう一首ある。
木の間より見ゆるは谷の蛍かもいさりに海人の海へ行くかも
(木の間から見える光は、谷にいる蛍の光だろうか。漁のために海へ向かう漁師たちの漁火だろうか)
これは『玉葉集』や『東野州聞書』に収められている。見たまま、感じたままを歌に詠む姿勢は、「わが庵は〜」の歌と変わらない。ちなみに表記は喜撰と基泉の2種あり、同一人物かどうかについては、「此の歌、玉葉集基泉法師といれり。此喜撰法師と同じ人にて候はめやと尋ね申せば、左様に候歟。不覚候由被申候也」(『東野州聞書』)と明言を避けている。
都の南東にある宇治山は「喜撰山」、山頂近くにある洞窟は「喜撰洞」と呼ばれている。鴨長明は『無名抄』に、「御室戸(みむろど)の奥に二十余町ばかり山中へ入りて、宇治山の僧喜撰が住みける跡あり」と記している。いわゆる聖地巡礼をしたのだ。寂蓮法師もその場所を訪ねたらしく、本歌取りをして、「わが庵は都の戌亥(いぬゐ)住みわびぬうき世のさがと思ひなせども」と詠んだ。都の戌亥(北西)とは、すなわち「さが(嵯峨野)」である。
先にも書いたように、「わが庵」の歌には、人里離れて山に住んでいるからといって、世を憂いているわけではないという思いが込められている。強く諫めるのではなく、「分かってないなあ」という感じであしらっているのだ。
資料に乏しく、正体不明だからといって、架空の人物とみなされることは、奇しくも喜撰の歌に詠まれている状況と似ている。今となっては何者なのか知りようもない、現存する歌も僅かしかない、正体不明の人物だからといって、この世に存在しなかったわけではないのである。
(阿部十三)
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