『せかいいちきたないレストラン』 〜とりつかれた者たち〜
2020.12.02
それまで平凡に暮らしていたのに、突然何か不条理なことと関わり、つい深入りしてしまい、人生の暗部に落ちる人がいる。デヴィッド・リンチ監督の映画『ブルー・ベルベット』(1986年)では、好奇心旺盛な青年ジェフリーがそういう目に遭う。
父親が病気になったため、実家に戻ってきた大学生のジェフリー(カイル・マクラクラン)は、ある日、野原で切り落とされた人間の耳を見つける。彼はその耳を拾って警察に届けるが、それが誰のものなのか、誰が切ったのか、真相を知りたくなる。
その後、刑事の娘サンディ(ローラ・ダーン)から、ドロシー(イザベラ・ロッセリーニ)という美人歌手が事件に関係しているらしいと教えてもらったジェフリーは、探偵の真似事を始め、ドロシーに接近する。しかし、そのために、病的で悪魔的な麻薬中毒者フランク(デニス・ホッパー)の逆鱗に触れ、身を危険に晒すことになる。
ドロシーに近付く前、ジェフリーはサンディにこんな台詞を言う。「人生には知識と経験を得るチャンスがある。時には危険が伴うけどね」ーー彼は好奇心を抑えられず、耳の穴の奥に吸い込まれるように、人生の暗い穴にはまる。あの時、耳を見つけなければ安全な道を進んでいたのに。
こういったテーマは大人向けのものに思われるが、子供用の絵本にも、何かにとりつかれて人生を狂わせた者たちを描いたものがある(『ブルー・ベルベット』のようにセックスやドラッグは出てこないけど)。私が面白いと思ったのは、小学2年生から4年生向けの『せかいいちきたないレストラン』(文:小沢正/絵:織茂恭子)だ。1983年に出た絵本である。
副題は「ぶたのポーシュのものがたり」。といっても、役所勤めで、日々仕事に追われているポーシュの体験談ではない。彼はあくまでも傍観者的な立場にあり、彼の周りで起こったこと、見聞きしたことが綴られている。
収録されているのは、5つの不条理なお話である。
1話目は「ねことマント」。ねこのコローフキンは散歩をしている途中、気が向いて、普段歩かない道を行く。そこには古着屋が建っていた。コローフキンは店に入り、ふと目にとまった黒いマントに心を奪われる。店主は売るのを渋るが、コローフキンはお金を余分に出し、そのマントを買う。
帰宅後、マントを羽織って、脱ぐと、それまで着ていた服ではなく、背広姿になっていた。その背広を脱ぐと、今度は金ボタンの上着を着ていた。また脱ぐと、皮のジャンパーを着ていた。そんなことを繰り返すうちに、彼の体は少しずつ小さくなっていくのだった......。
こういった不思議な味わいのお話が続く。
「せかいいちきたないレストラン」
コックとして働くきつねのノスタルは、「これ以上ないというほどの、きたならしいレストラン」を建てることを計画する。外観が汚くても来てくれるお客こそが、本当のお客だという考えに憑かれたのである。果たしてその思惑は吉と出るのか。
「しゃしんのもぐら」
ポーシュが読んでいた新聞に、大臣たちの写真が載っていた。その写真の真ん中にいるのは、役所の窓拭き係のもぐらのモグルである。なぜ窓拭き係がこんな所にいるのか。モグルを呼んで確かめると、意外な答えが返ってきた。
「ゆめをうるルピック」
うさぎのルピックは、以前とある研究所に雇われたことがあった。そこは夢を記録し、映画館で上映する所で、ルピックはお金と引き換えに自分の夢を提供していたのである。しかし、提供し続けることにより、ルピック自身に異変が起こる。
「まほうのベンチ」
求職中のとかげのエムは、あてもなく歩いているうちに公園へ迷い込む。公園には黄色いベンチがあり、その前に長い行列ができていた。それは「まほうのベンチ」と呼ばれていて、座った人間の迷いや悩みを解消する効果があるという。エムはそのベンチを盗み出すことを思いつくが......。
登場するのは平凡なキャラクターばかりだが、普段歩かない道を歩いたり、普段考えないようなことを考えたりして、穴に落ちる。落ちた時、彼らの人生は大きく動きだす。その結果、おかしくなる者もいれば、危機を回避する者もいる。
語り手のポーシュは、最後にこう語る。
「この世の中には、ユーレイの顔を見わけられる者と見わけられない者とがいるのと同じように、何かにとりつかれやすい者と、とりつかれにくい者とがいるらしい」
そして自分は「何かにとりつかれることのないぶたです」と自嘲する。理性の割合が多く、何の事件も起きない人生を送っているポーシュは、とりつかれる者のことが時々羨ましくなるようだ。たしかに、とりつかれる方が、危険は伴うけれど、生の密度は濃くなる。濃くなった方が、はたから見る分にも、あとで自分で回想する分にも面白いだろう。
しかし、私が思うに、ポーシュもまたとりつかれている者である。彼自身が望む望まないに関係なく、何かにとりつかれた者と関わり、傍観し、話を聞き、見届ける役目にとりつかれているのだ。それは己の肉体を使って人生の荒波に挑むタイプとは異なる性質のもので、いわば作家的な立場に近い。彼は臆病なわけではない。「自分だって人生を大きく動かしたい」と願う気持ちはあるだろうが、傍観することにとりつかれているために、動かせないのである。
父親が病気になったため、実家に戻ってきた大学生のジェフリー(カイル・マクラクラン)は、ある日、野原で切り落とされた人間の耳を見つける。彼はその耳を拾って警察に届けるが、それが誰のものなのか、誰が切ったのか、真相を知りたくなる。
その後、刑事の娘サンディ(ローラ・ダーン)から、ドロシー(イザベラ・ロッセリーニ)という美人歌手が事件に関係しているらしいと教えてもらったジェフリーは、探偵の真似事を始め、ドロシーに接近する。しかし、そのために、病的で悪魔的な麻薬中毒者フランク(デニス・ホッパー)の逆鱗に触れ、身を危険に晒すことになる。
ドロシーに近付く前、ジェフリーはサンディにこんな台詞を言う。「人生には知識と経験を得るチャンスがある。時には危険が伴うけどね」ーー彼は好奇心を抑えられず、耳の穴の奥に吸い込まれるように、人生の暗い穴にはまる。あの時、耳を見つけなければ安全な道を進んでいたのに。
こういったテーマは大人向けのものに思われるが、子供用の絵本にも、何かにとりつかれて人生を狂わせた者たちを描いたものがある(『ブルー・ベルベット』のようにセックスやドラッグは出てこないけど)。私が面白いと思ったのは、小学2年生から4年生向けの『せかいいちきたないレストラン』(文:小沢正/絵:織茂恭子)だ。1983年に出た絵本である。
副題は「ぶたのポーシュのものがたり」。といっても、役所勤めで、日々仕事に追われているポーシュの体験談ではない。彼はあくまでも傍観者的な立場にあり、彼の周りで起こったこと、見聞きしたことが綴られている。
収録されているのは、5つの不条理なお話である。
1話目は「ねことマント」。ねこのコローフキンは散歩をしている途中、気が向いて、普段歩かない道を行く。そこには古着屋が建っていた。コローフキンは店に入り、ふと目にとまった黒いマントに心を奪われる。店主は売るのを渋るが、コローフキンはお金を余分に出し、そのマントを買う。
帰宅後、マントを羽織って、脱ぐと、それまで着ていた服ではなく、背広姿になっていた。その背広を脱ぐと、今度は金ボタンの上着を着ていた。また脱ぐと、皮のジャンパーを着ていた。そんなことを繰り返すうちに、彼の体は少しずつ小さくなっていくのだった......。
こういった不思議な味わいのお話が続く。
「せかいいちきたないレストラン」
コックとして働くきつねのノスタルは、「これ以上ないというほどの、きたならしいレストラン」を建てることを計画する。外観が汚くても来てくれるお客こそが、本当のお客だという考えに憑かれたのである。果たしてその思惑は吉と出るのか。
「しゃしんのもぐら」
ポーシュが読んでいた新聞に、大臣たちの写真が載っていた。その写真の真ん中にいるのは、役所の窓拭き係のもぐらのモグルである。なぜ窓拭き係がこんな所にいるのか。モグルを呼んで確かめると、意外な答えが返ってきた。
「ゆめをうるルピック」
うさぎのルピックは、以前とある研究所に雇われたことがあった。そこは夢を記録し、映画館で上映する所で、ルピックはお金と引き換えに自分の夢を提供していたのである。しかし、提供し続けることにより、ルピック自身に異変が起こる。
「まほうのベンチ」
求職中のとかげのエムは、あてもなく歩いているうちに公園へ迷い込む。公園には黄色いベンチがあり、その前に長い行列ができていた。それは「まほうのベンチ」と呼ばれていて、座った人間の迷いや悩みを解消する効果があるという。エムはそのベンチを盗み出すことを思いつくが......。
登場するのは平凡なキャラクターばかりだが、普段歩かない道を歩いたり、普段考えないようなことを考えたりして、穴に落ちる。落ちた時、彼らの人生は大きく動きだす。その結果、おかしくなる者もいれば、危機を回避する者もいる。
語り手のポーシュは、最後にこう語る。
「この世の中には、ユーレイの顔を見わけられる者と見わけられない者とがいるのと同じように、何かにとりつかれやすい者と、とりつかれにくい者とがいるらしい」
そして自分は「何かにとりつかれることのないぶたです」と自嘲する。理性の割合が多く、何の事件も起きない人生を送っているポーシュは、とりつかれる者のことが時々羨ましくなるようだ。たしかに、とりつかれる方が、危険は伴うけれど、生の密度は濃くなる。濃くなった方が、はたから見る分にも、あとで自分で回想する分にも面白いだろう。
しかし、私が思うに、ポーシュもまたとりつかれている者である。彼自身が望む望まないに関係なく、何かにとりつかれた者と関わり、傍観し、話を聞き、見届ける役目にとりつかれているのだ。それは己の肉体を使って人生の荒波に挑むタイプとは異なる性質のもので、いわば作家的な立場に近い。彼は臆病なわけではない。「自分だって人生を大きく動かしたい」と願う気持ちはあるだろうが、傍観することにとりつかれているために、動かせないのである。
(阿部十三)
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