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将棋の小説 11選 〜人生は将棋なり〜

2021.12.15
 将棋を題材にした小説は多い。エッセイやノンフィクションを含めると相当な数に上る。昔の作家には将棋好きが沢山いて、プロ棋士との交流も盛んだったようだ。小説の筋運びと将棋の駒運びにはどこか通じ合うものがあるのかもしれない。作家が将棋について語った名言もある。最も有名なのは、菊池寛の「人生は将棋なり」と「人生は一局の棋なり。一番勝負なり。指し直すこと能はず」で、あちこちで引用されているのを見かける。

 将棋小説全体の傾向としては、1980年代から奨励会員や元奨励会員が登場する作品が増えている。これは1981年に奨励会員を主人公にしたドラマ『煙が目にしみる』が放送されたり、1982年に奨励会の年齢制限が31歳から26歳に引き下げられたりしたことが影響しているのだろう。規定の年齢までにプロにならないと前途を断たれる奨励会員は、その存在自体がどこか切実で文学的であり、作家に好まれるのも分かる。タイトル戦に絡む新聞社の記者や、裏社会に生きる真剣師が出てくるのも、今では定跡となっている。

 ここに挙げる11作品は、比較的よく知られた将棋小説である。棋譜が読めるなら、それに越したことはないが、駒の動かし方が分からなくても楽しめるものばかりだ。

風雲将棋谷(1939年) 角田喜久雄
江戸の町で19歳の乙女が次々と姿を消す。犯人の狙いは不明。二枚目の怪盗雨太郎は、将棋の才能に恵まれた19歳のお絹を助けたことから怪奇事件に深入りすることになる。やがて秘境将棋谷の宝物を狙う「黄虫呵」という妖怪じみた男の存在が明らかになり......。戦前に人気を博した伝奇小説。将棋の話が要所に出て来る。結末は唐突で、細かい粗はあるものの、アクションや恋の鞘当てなど娯楽要素満載。19歳の女性だけを集めた棋戦が催される設定も面白い。文章に猛烈な躍動感があり、スピーディーな展開に引き込まれる。阪妻主演の映画版(1940年)を観てみたい。

四桂(1950年) 岡沢孝雄
将棋ミステリーの中では有名な短編。探小作家志望で将棋マニアの男が、花枝章夫八段に無理やり弟子入りする。花枝家に出入りするようになった男は、花枝が何か秘密を抱えているのではないかと詮索を始める。タイトルは桂馬を使った四桂詰のこと。これが陰惨な事件を解く鍵となるのだが、謎解きの部分が飛躍しているように感じられ、ピンとこない。当時の厳格な師弟関係、後継問題の裏にある妬み嫉みなど日本的なドロドロした感情を描く筆力には凄みがある。他人の家に上がり込んで好奇心任せに内情をほじくり回す話に抵抗がなければ、それなりに楽しめる。

かげろう飛車(1979年) 泡坂妻夫
暗号をテーマにした奇書『秘文字』収録の一編。将棋ミステリーは色々読んできたが、短編の中では最高レベルに面白い。「かげろう飛車」戦法で今をときめく棋士の木谷貞記は、落魄して生活保護を受けている兄弟子の遠野八十八から暗号の手紙を受け取る。木谷がそれを内弟子に解かせたところ、「かげろう飛車」を破る術を見つけたという内容だった。これは木谷に嫉妬する遠野の妄言か? 本当に「かげろう飛車」は破られるのか? 後半の畳み掛けが素晴らしく、将棋を使った謎解きの理想型を示している。続きを期待させる終わり方で、長編にも使えそうな題材だ。

歪んだ駒跡(1981年) 本岡類
オール讀物推理小説新人賞受賞の短編。タイトル戦の一つ、覇王戦を取材していたカメラマン海藤が殺された。海藤はヤミ金に借金があったらしい。とすると、犯人はヤクザなのか? 捜査が進められる中、将棋に詳しい新米刑事が、覇王戦で不審な一手があったことに気付き、事件は思わぬ展開に......。いわば将棋連盟の保身が引き起こす悲劇だが、刑事たちのノリはすこぶる軽い。これは作者の持ち味なのだろう。後年の『飛車角殺人事件』(1984年)に登場する棋士の神永&新聞記者の高見の素人探偵コンビも剽軽だった。対局の描写は『飛車角〜』の方がこなれている。

王将たちの謝肉祭(1986年) 内田康夫
女流棋士の今井香子は新幹線の中で見知らぬ男から謎の封書を託される。その封書をめぐって殺人事件が起こり、香子にも魔の手が迫る。彼女の危機を救ったのは将棋の才能を秘めた男、江崎秀夫。秀夫の父・江崎三郎は元棋士で、現在行方不明らしい。香子は、かつて三郎が親しくしていた老棋士・柾田圭三と秀夫を引き合わせる。その柾田の家で第2の殺人が......。後半になると事件の謎はそっちのけで、名人位を目指す柾田の生きざまがメインとなる。モデルが誰なのか分かりやすくて頬が緩むが(羽生少年も登場する)、将棋界の現状を憂慮するシビアな言葉は重く響く。

殺人の駒音(1992年) 亜木冬彦
奨励会を退会し、真剣となった男、八神香介。苦節を経てサングラスに黒手袋という格好で表舞台に現れた八神は、アマチュアの頂点に立ち、竜将戦に出場するが、対局相手となるプロ棋士が次々と殺害される。疑惑の目は八神に向けられ......。プロ棋士がここまでバタバタ死ぬ小説も珍しい。謎解きは少し強引な気もするが許容範囲。後半の構成に意表をつく趣向があって面白い。対局の場面にも熱気があり、ハラハラさせられる。香介の周囲で躍動する登場人物も魅力的。将棋ライターの金田耕助、捜査一課の神津、プロ棋士の野里小五郎の名前の由来は言うまでもない。

盤上のアルファ(2011年) 塩田武士
周囲に嫌われて社会部から異動させられ、将棋担当となった新聞記者・秋葉。仕事をクビになった元奨励会員・真田。奇妙な成り行きで真田は秋葉の家に転がり込み、三段リーグ編入を目指して修行を始める。真田は極貧家庭の出で、両親は蒸発、ヤクザと関わりのある真剣師に将棋を仕込まれた男だ。生い立ちは悲惨の一言に尽きるが、性格と振る舞いにはかなり難がある。図々しい真田の前では、嫌われ者のはずの秋葉が哀れなお人好しに見える。クライマックスは編入試験での対局で、その描写は迫力満点。裏社会に生きる真剣師・林鋭生の過去に焦点を当てた続編がある。

ダークゾーン(2011年) 貴志祐介
奨励会3段の塚田は、突然地獄のような空間に放り込まれ、血みどろの肉弾将棋デスゲームを行う羽目になる。自分の手駒はモンスターと化した恋人や知人たち。敵は同じ奨励会3段のライバル奥本だ。果たして勝つのはどちらか? 大した説明もなく、『ハーシュ・レルム』と『バトル・ロワイヤル』を足したような設定で「対局」が始まる。冒頭から20ページほど読んでいる間の「なんだこれ?」感がすごい。が、徐々に話の輪郭が見えてきて、カオスな展開が綺麗にまとまっていく。いつの間にか主人公の気分で「こいつは捨て駒に......」と考えている自分自身に思わず苦笑。

サラの柔らかな香車(2012年) 橋本長道
元奨励会員の作家デビュー作。夢破れて奨励会を退会した瀬尾は、公園でブラジル出身の少女サラと出会い、将棋を教える。サラは短期間で上達し、3年後には女流名人・萩原と決戦するまでになる......という話。萩原と瀬尾がかつて淡い関係だったという設定がロマンティックだ。言語ゲームや共感覚を持ち出して会話をする瀬尾の後輩・桂木の個性も良い味を出している。サラは現実離れした存在だが、将来こんな天才が出てこないとも限らない。将棋について瀬尾が語る言葉、「一人の天才に潰されるようなゲームだったとしたら笑えてくるじゃねぇか」が心に残る。続編あり。

盤上の向日葵(2017年) 柚木裕子
平成6年、埼玉県の山中で白骨死体が発見された。死体と一緒に埋められていたのは初代菊水月作の名駒。刑事たちはその持ち主を探し始める。同じ頃、将棋界で最高峰のタイトル戦である竜昇戦が行われていた。竜昇に挑むのは社会人からプロ編入した異色の棋士・上条桂介。その壮絶な生い立ちが綴られる。アウトローの真剣師、人でなしの虐待親、優しい先生、口が悪いベテラン刑事、元奨励会員の刑事など登場人物が個性豊か。文章も巧い。前半は『砂の器』の将棋版かと思わせる雰囲気が漂う。犯罪トリックで魅せる話ではないが、終盤で明かされる真実には驚かされる。

駒音高く(2019年) 佐川光晴
将棋に打ち込む老若男女の人間模様をやさしい目線で生き生きと描いた、清流のような味わいの連作短編集。無駄を排した軽妙な文章が美しい。将棋に造詣が深いだけでなく、将棋をしている子供たちの家庭にも取材をしたのだろう。第2話〜第4話に登場する少年少女の人物造型がリアルだ。全7話で、エピソードを跨いで登場する脇役もいる。悪人は出てこない。第1話の主人公が将棋会館の清掃員のおばさん、という設定も絶妙で、子供たちとのやりとりが微笑ましい。箸休め的な話(第5話など)もあるが、第7話で引退目前のプロ棋士を登場させ、しっかりと物語を締めている。


【番外編】
聴雨(1943年) 織田作之助
1937年2月、「南禅寺の決戦」で後手の坂田三吉が2手目に指した9四歩にオダサクは感激した。「六十八歳の老齢で、九四歩などという天馬の如き溌剌とした若々しい奇手を生み出す坂田の青春に、私はぴしゃりと鞭打たれたような気がし、坂田のこの態度を自分の未来に擬したく思いながら、その新聞を見ることが、日々愉みとなつたのである」ーー坂田は大敗したが、オダサクは旧式の定跡に挑む坂田の横紙破りの姿勢を己の文学に活かそうとした。天衣無縫の坂田将棋が人の思想にまで影響を与えた瞬間の記録である。その思想をまとめた「可能性の文学」も傑作。

散る日本(1947年) 坂口安吾
坂口安吾は将棋に関する文章を少なからず書き残している(アンソロジーも出ている)。これは1947年6月6日、塚田正夫が木村義雄に勝った際の名人戦観戦記。棋譜には誤りがあるが、安吾の観察眼と将棋観に魅了される。特に印象に残ったのはこの文章だ。「私は変な気がした。ひどく宿命的なものを感じさせられたからである。名人が駒を動かしているのぢゃなしに、駒が自らの必然の宿命を動いて行く。名人の力がその宿命をどうすることもできない。そして名人が名人位から転落しつつある......」ーー駒自体が自らの宿命で負けに向かうとは作家らしい表現である。
(阿部十三)


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