竹内好の問題提起 その1 〜日本の近代主義を批判する〜
2023.08.04
歴史上にはきちんと検証されないまま放置されている問題が山ほどある。皆で示し合わせたように、なんとなく触れられなくなった問題もある。過去のあやまちをタブー視し、見て見ぬふりをした挙句、何が問題だったのか忘れてしまうというパターンも少なくない。評論家の竹内好はそういったタブーを根から掘り起こし、議論の俎上にのせた。戦争の暗い記憶と結びついた日本浪曼派、近代の超克、アジア主義などは、竹内がいなければ、再考される機会はもっと遅れていただろう。後世の人がそれらを知る機会も減っていたかもしれない。私自身、日本浪曼派を知ったのは、竹内の「近代主義と民族の問題」(『文学』1951年9月号)を読んでからである。
(「近代主義と民族の問題」)
この文章からは、日本浪曼派を批判することよりも、戦後の近代主義を批判する意図が読み取れる。竹内には、マルクス主義者を含む近代主義者たちが「自分を被害者と規定し、ナショナリズムのウルトラ化を自己の責任外の出来事」としているのが不満だった。軍国主義的ナショナリズムの高揚に一定の役割を果たした日本浪曼派を倒したのは外的な力であり、日本の近代主義者ではない。それなのに、さも自分が倒したかのように振る舞っている。しかも彼らは「血ぬられた民族主義」から目を背け、近代主義を標榜して西洋化に邁進し、口先で革命を唱えている。その態度は「真の革命にとっては敵である」と竹内は糾弾する。
「一方から見ると、ナショナリズムとの対決をよける心理には、戦争責任の自覚の不足があらわれているともいえる。いいかえれば、良心の不足だ。そして良心の不足は、勇気の不足にもとづく。自分を傷つけるのがこわいために、血にまみれた民族を忘れようとする。私は日本人だ、と叫ぶことをためらう。しかし、忘れることによって血は清められない。いかにも近代主義は、敗戦の理由を、日本の近代社会と文化の歪みから合理的に説明するだろう。それは説明するだけであって、ふたたび暗黒の力が盛り上ることを防ぎ止める実践的な力にはならない」
(「近代主義と民族の問題」)
そもそも、日本の近代化とはどういうものなのか。竹内は「方法としてのアジア」という題で行われた講演(1961年)で、「西欧そのままの型が外から持ち込まれたことに」日本の近代化のポイントがあると指摘している。日本は適応性を発揮して西洋文化を受け入れたが、その受け入れ方は「皮膚の表面で止まっている」。一方、中国の近代化は時間がかかったが、「民族的なものを中心にして打ち出し」、自発的な力を生み出した。「そこに近代化が純粋になり得るポイントがあった」と竹内は語る。
竹内好は魯迅研究で知られた中国文学者である。東京帝大では武田泰淳らと中国文学研究会を作り、卒業後、『中国文学月報』(のちに『中国文学』に変更)を発行した。西洋化に勤しむ日本の有り様には懐疑的で、その点では日本浪曼派(主宰の保田與重郎とは、大阪高等学校時代からの同期である)と共通していた。日本浪曼派が古代の精神とつながることで国粋主義的になったのに対し、竹内は魯迅の精神とつながったが、近代主義に批判的態度をとっていた者として、保田たちの主張をある程度は理解していたに違いない。
日本浪曼派は「発生において素朴な民族の心情」の発露だったが、やがて国家権力とほとんど同化した。権力に奉仕し、軍国主義的ナショナリズムの高揚に一定の役割を果たしたことは否定し得ない。竹内は日本浪曼派が選択のあやまちをおかしたことを、「日本のナショナリズムのためにも不幸なこと」とする。その上で、近代主義者が民族の血の匂いがするものを遠ざけ、ナショナリズムというものに対し否定的・拒否的態度をとり、日本浪曼派の実体をきちんと検証しなかったことを批判する。目を背けていては何も解決しない。血の匂いのする所に集まる者は確実にいる。「ふたたび暗黒の力が盛り上ること」もあり得る。第二の日本浪曼派が現れる日はそう遠くない。同じ轍を踏まないためにも、竹内としては日本浪曼派の実体に肉薄して、その思想を無効化し、一度イメージが地に落ちたナショナリズムに新しい意味を与え、健全なものにしたいと考えたのである。
竹内好は魯迅研究で知られた中国文学者である。東京帝大では武田泰淳らと中国文学研究会を作り、卒業後、『中国文学月報』(のちに『中国文学』に変更)を発行した。西洋化に勤しむ日本の有り様には懐疑的で、その点では日本浪曼派(主宰の保田與重郎とは、大阪高等学校時代からの同期である)と共通していた。日本浪曼派が古代の精神とつながることで国粋主義的になったのに対し、竹内は魯迅の精神とつながったが、近代主義に批判的態度をとっていた者として、保田たちの主張をある程度は理解していたに違いない。
日本浪曼派は「発生において素朴な民族の心情」の発露だったが、やがて国家権力とほとんど同化した。権力に奉仕し、軍国主義的ナショナリズムの高揚に一定の役割を果たしたことは否定し得ない。竹内は日本浪曼派が選択のあやまちをおかしたことを、「日本のナショナリズムのためにも不幸なこと」とする。その上で、近代主義者が民族の血の匂いがするものを遠ざけ、ナショナリズムというものに対し否定的・拒否的態度をとり、日本浪曼派の実体をきちんと検証しなかったことを批判する。目を背けていては何も解決しない。血の匂いのする所に集まる者は確実にいる。「ふたたび暗黒の力が盛り上ること」もあり得る。第二の日本浪曼派が現れる日はそう遠くない。同じ轍を踏まないためにも、竹内としては日本浪曼派の実体に肉薄して、その思想を無効化し、一度イメージが地に落ちたナショナリズムに新しい意味を与え、健全なものにしたいと考えたのである。
(阿部十三)
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