文化 CULTURE

正宗白鳥論 〜評論について〜

2024.09.15
絶賛しない人

 何かを絶賛するムードが高まると、否定的な意見を排除しようとする空気が生まれる。「皆が絶賛しているのだから水を差すな」と言う者まで出てくる。しかし、私に言わせれば、絶賛コメントしかない方が気持ち悪い。言論統制をされているわけでもないのだから、批判したい人は、己の信念に従い、批判すればいいのである。

 明治から昭和にかけて多くの小説、批評を書いた正宗白鳥は絶賛しない人である。人物であれ作品であれ、手放しで褒めることはほぼない。批評するときは、まず冷静に対象物を眺め、己を偽らず疑問に思ったことを率直に語る。対象物に心酔したような態度は示さない。キリスト、釈迦、孔子にも遠慮しない。『論語とバイブル』では、この三人を「世界の聖人大君子救世主」とみなすことに異論を唱え、「人世に幸福を与えたかも知れぬが、其れと共に大弊害を生じた」人物として俎上にのせている。

 『政治と文学』では、「人間はいつの世いかなる国に於いても、智者強者或いは仁者の追随者崇拝者になりたがるのである。......人間は、思想の上で実生活の上でも、すぐれたる他人に隷属したがるのである」と書いているが、白鳥自身は誰の追随者崇拝者でもなかった。若い頃は「軽々しく人を崇拝する癖」(『追憶記』)があり、内村鑑三や徳富蘇峰に傾倒したが、物を書きはじめた二十代半ばには距離を置いていた。「主義に酔えず、読書に酔えず、酒に酔えず、女に酔えず、己の才智にも酔えぬ」とは、白鳥の代表作『何処へ』の主人公・菅沼健次の心境を表した言葉だが、これは作者の投影でもあった。

酔わない人

 白鳥は酔わない人、酔えない人である。「自分を微温から救い出して、筋肉に熱血を迸らすか、腸まで蕩ろかす者」(『何処へ』)を求める心はあっても、ともすると追随や崇拝に値するものなど本当にあるのか、という考えになる。その目は、対象物の悪いところ、矛盾したところを見透かしている。多くの批評家はそれらの欠点があるのを承知の上で、対象物のことが好きなら熱烈に讃美するが、白鳥にはできないのである。

 絶賛型の批評は大衆を扇動する。その同調者が集まるとお祭り騒ぎのようになり、さらに大勢の人が集まって、酩酊状態となる。そしてうんざりするほど酒臭い空気の中、絶賛された対象物だけでなく、絶賛した批評家までもが権威のようになる。それに従うのが楽しいといったような節度のないムードが生まれる。むろん、逆も然りである。強い言葉を羅列した罵詈雑言もまた大衆を大いに扇動する。人を罵倒する無反省な批評家がカリスマ化する例を、私たちは何度も見ている。彼らは批評というものを使って下衆な扇動欲を満たしているにすぎないのである。

 白鳥の批評は扇動欲からかけ離れている。『批評の骨』という短文の中で、白鳥は「妥協癖のない、孤独な批評家があったら面白い」と書いているが、白鳥以上に妥協癖のない、孤独な批評家は稀だった。「すべてに対して無私無妥協の孤独の態度で、批判のメスを揮う」というほど激しくはないが、友情にも愛情にも左右されず、絶賛も罵倒もしない、扇動しないその批評は、かえって鋭く真理をついているように私には感じられる。一時、白鳥と論争を繰り広げたこともある二回り下の小林秀雄が、終生にわたり白鳥のことを意識し、敬意を払っていたというのも、その批評の価値を知っていたからだろう。

不偏不党

 白鳥は自分自身の過去や性格について繰り返し書いている。それらは自慢話めいた自叙伝というより、淡々とした報告書のようである。感傷的にならず、冷徹な態度で自分のことを語り、自作の特徴を浮き彫りにしてみせている。その自己分析によると、白鳥の作品には詩がなく、愛がないらしい。

「私の作品には、青春の時の作品にも、詩がないのである。私は音楽は好きである。詩も好きである。高山樗牛同様、青春を傷む詩歌は愛好し朗吟していたのである。それにかかわらず、私は自分の書いたものには詩を欠いているように思っている。甚だしく散文的である。詩のない私の作品には愛もないと云っていい」
(『青春らしくない青春』)

 島崎藤村は白鳥のことを「人を愛せずして人に愛せらるる人」と評したが、白鳥自身はこの評について、前半部分はともかく、後半は当たっていないと指摘している。愛と言っても色々あるが、女性からの愛に限定すると、白鳥は「明治以来の作家で、私ほど女性縁の薄い者はないだろう」(『女とは何ぞや』)と感じていたようである。女性のことはよく分からない、うまく描けないとも書いている。ただし、女性縁のある作家が女性のことをうまく描けるとは限らない。

「私は現実の女性とは縁薄く、長い一生の間に、彼女らのだれ彼れと、しみじみ話しをしたことさえまれなのだが、さまざまな種類の女性に親しんで、女性の諸相を知りつくしているらしい、いわゆる訳知り顔の作家の作品中の女性だって、つまりは私の描く女性と、絵空事なることにおいて五十歩百歩なのである」
(『女とは何ぞや』)

 白鳥を酔わせるものが一つあったとすればキリスト教だが(白鳥は「宗教にも酔えず」とは書かなかった)、一途な信徒だったわけではない。13歳の頃にキリスト教に関心を抱き、18歳で植村正久から洗礼を受け、22歳で棄教した。晩年に再び信仰を取り戻したが、それまで60年間、文人としては不偏不党であった。どこにも偏らない立場で執筆活動を続けた。そのことが結果的に、誠実な小説を生み、率直な批評を生むことに繋がったのだろう。
(阿部十三)


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