映画 MOVIE

ジャック・ベッケル 〜フランス映画の粋〜

2013.07.29
遺作にして最高傑作と評される『穴』

 ジャック・ベッケルは第二次世界大戦中の1942年に監督デビューし、ヌーヴェルヴァーグ真っ只中の1960年に53歳で亡くなった。18年の間に発表したのは13作品。そのほとんどが傑作として評価され、多彩な作風でゴダールやトリュフォーなど若き映像作家たちに刺激を与えた。実際のところ、彼の代表作をひとつに絞ることは不可能に等しい。私自身は『肉体の冠』こそ最高傑作だと思っているが、かといって『穴』を『肉体の冠』以下と位置付けることには躊躇を感じるし、『エドワールとキャロリーヌ』や『現金に手を出すな』を切り捨てることにも未練のようなものが残る。要するに、一つ一つの作品に異種の魅力がありすぎるのだ。

 ベッケルの才能と創作意欲は、死の寸前まで、常に高いレベルで維持されていた。今日では『穴』を最高傑作とみなす傾向が強いように見受けられるが、これも考えてみれば異例なことではないだろうか。一流といわれる映画監督は数多いるが、遺作が「最高」とされる例はさほど多くない。その代わり、キャリア初期もしくは中期に評価が頂点に達し、あとは徐々に精彩を欠いていく、というパターンはいくらでもある。

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 ベッケルの死の直後、1960年に公開された『穴』は、囚人たちが脱獄のためにひたすら穴を掘る映画である。岩が砕ける音、流れる汗、男たちの目の動きで魅せる。余計な台詞はない。にもかかわらず、登場人物の熱い感情の波動が伝わってくる。緊張感が途切れることはない。
 キャストは素人俳優がメイン。リーダー格のロラン役には本物の元囚人(ジャン・ケロディは、原作者ジョゼ・ジョヴァンニと共に脱獄を企てた中心人物であり、服役を済ませたばかりだった)を起用している。だからといって、映画的に成功するとは限らない。並の監督が同じようなことをしたら、単なる〈セミ・ドキュメンタリー〉で終わるはずだ。多くを説明せず、観客の集中力をギリギリまで高めるベッケルの映画術には、一見種も仕掛けも無さそうに見えるが、映画を知り尽くし、観客の心理も知り尽くした人の計算とマナーの上に構築されているのである。

 かつて私は、この『穴』を観るたびに、最後のマルク・ミシェルの演技が過剰に思えて仕方なかった。卑劣さ、無様さ、二重人格性を浮き立たせるためにしても、突然演劇的になったような印象があり、映画の美観を損なっているのではないか、と感じていた。ただ、おそらくベッケルは、ああいう人間臭い叫びをあえて入れることで、鋼のように堅固な緊張感の糸をぶっつり切ると共に、これが様式的な映像作品ではなく、濃密な人間ドラマであることを観客に確認させたかったのだろう。

 『エドワールとキャロリーヌ』は1951年に公開された作品で、若い夫婦が巻き起こす喧嘩の顛末をコメディ・タッチで描いている。主演はアンヌ・ヴェルノンとダニエル・ジェラン。ヴェルノン扮するキャロリーヌは、チャーミングでお転婆な美人妻。〈ベティ・ブルー〉的な気性の激しさもあり、ジェラン扮する無名のピアニスト、エドワールは振り回されっぱなしである。その2人が夜会に着て行く服のことで大喧嘩する、というお話。
 粋でロマンティックな室内劇だが、ベッケルはちょっとしたサスペンス的要素を二軸用意し、観客を牽引する。一つは「キャロリーヌはプレイボーイのアランに口説かれるのではないか」、もう一つは「エドワールは未来のパトロンたちの前で無事に演奏し、才能を認められるのか」。その軸がどういう展開を迎えるか、当の本人は分かっているが、相手には「はっきり」と分からないまま終わるのがミソである。人物の配置、カメラワークも洗練されていて、閃きに満ちている。ラストショットなど、あまりの素晴らしさに幸福感で脱力してしまう。
続く
(阿部十三)


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