ジャック・ベッケル 〜フランス映画の粋〜 [続き]
2013.07.31
『赤い手のグッピー』の潔癖性
戦時下のフランスで本格的に監督デビューし、大きな注目を集めた天才といえば、ほかにロベール・ブレッソンとアンリ=ジョルジュ・クルーゾーがいる。21世紀の今日に至るまでのフランス映画史を見渡しても、際立って個性的かつ異常な才能を持つ3人がほぼ同時期に世に出てきた、というのは興味深い。その中で、ベッケルは「犯罪映画」を得意にしながらも、サスペンスの範疇を超えて、繊細な詩情や人情の機微を盛り込み、「人間模様」を描くことに力を注いでいた。
1943年の『赤い手のグッピー』も、広義の意味ではサスペンスだが、ベッケルは登場人物の人間模様を浮き彫りにすることに重きを置いている。グッピー家の宝はどこにあるのか、ムッシューの冤罪は晴れるのか、ムッシューとミュゲのロマンスは成就するのか......といった軸を持ちながらも、最終的に感銘をもたらすのは、無惨な死を遂げる密告者トンカンと、彼に助けられたジャンの間に脈打つ無言の絆である。
トンカンは鼻持ちならないキャラクターであり、共感を得にくい立ち位置にいる。おまけに密告者ときている。彼はミュゲと結婚したいと考えているが、肝心のミュゲは都会からやって来たムッシューと良い雰囲気だ。「ミュゲの相手には、トンカンよりムッシューの方がふさわしい」ーー誰もがそのように思うだろう。しかし、ジャンにとってトンカンは恩人である。だから、亡くなったトンカンの部屋にミュゲがやって来た時、ジャンはこう言って追っ払うのである。
「俺はここ(トンカンの部屋)に来れるが、お前は駄目だ」
そもそもトンカンが密告者になったのは、ミュゲが振り向いてくれないからである。その彼女が、やがてムッシューと結婚するであろう彼女が、トンカンの部屋で感傷に浸っている。そのことにジャンは我慢出来ない。
こういう潔癖性は、心情としては非常にリアルなものだが、昨今の映画やドラマではほとんど描かれなくなった。愚かな監督なら、ミュゲとジャンが一緒に感傷に浸る、という大味な美談にしてしまうだろう。
『肉体の冠』の魅力
1952年の『肉体の冠』は、シモーヌ・シニョレ主演の恋愛映画。19世紀末のパリを舞台に、娼婦マリーをめぐる男たちの悲劇的な運命を、友情、裏切りといったフィルムノワール的な主題を絡めながら、格調高く描いた傑作である。配役も万全で、大工のマンダ役にセルジュ・レジアニ、ヤクザの親分ルカ役にクロード・ドーファン、脇をレイモン・ビュシェール、ガストン・モド、ドミニク・ダヴレーらが固めている。ジョアンヴィルの田園シーンで豚に餌をやるウージェーヌおばさんも含めて、行き届いたキャスティングである(それにしてもベッケルは田園を撮るのがうまい。自然の中に息づく人間の生を切り取ってみせる達人である)。
いかにもオーギュスト・ルノワールの絵から飛び出してきたような肉感と不遜さをたたえたマリーは、シモーヌ・シニョレ一世一代の当たり役。恋の駆け引きを極めた彼女が無口な大工に一目惚れし、宿命的な愛へとはまっていくわけだが、ロマンスの進行を描く上で、無駄な演出は一切なく、会話も少ない。登場人物の経歴の説明も極力削ぎ落としている。音楽も要所でしか使わない。それでも情緒満点で、ロマンティックである。林の中で職業病のようにナイフで木の枝を削り続けているマンダから枝を取り上げ、自分にキスさせるマリーの身ぶりなど、たまらなくチャーミングだ。
マンダとマリーの情夫ローランの決闘シーン、マンダと親友レイモンが脱走するシーン、マンダがルカを追うシーンなど、アクションそのものに各人の運命を左右する役割を担わせているのも『肉体の冠』の特徴である。日常的な動作を超える大きなアクションが、恋愛映画を盛り上げるためのお飾りに終わらず、登場人物と「死」を結びつかせるモーターとして機能しているのだ。ベッケル映画に付き物の「平手打ち」も同様である。『肉体の冠』では、この平手打ちにより、従属や背信の行為が生まれ、結果的に「死」へと至る出来事を間接的に導いているといっても過言ではない。
ナイフをはじめとする小物の活かし方のうまさは、いかにもベッケル的。マリーがルカ親分のナイフを操ってチーズを食べるシーン、マリーがマンダから朝のコーヒーを受け取るシーンなど、ちょっとした対比なんかも見逃せない(余談だが、高校時代、私はこの映画の影響で、チーズを包丁で食べる癖がついてしまった)。
ベッケルは陳腐な感動、仰々しい表現、浅薄なヒロイズムを排しながら、しかも簡潔に、人間の業を描き切る。マンダがルカを追い詰めて復讐を遂げた後も(ルカを射殺したマンダが額の汗を拭う動作は、一仕事終えた大工を思わせる)、それで「FIN」にはならない。彼がギロチン刑にかけられるのをマリーが見届けるまで、業の物語は続くのである。
ジャック・ベッケルの映画術については、師匠であるジャン・ルノワールだけでなく、ハワード・ホークスからも影響を受けていたのではないかと指摘されている。それは事実だろうし、参考にもなるのだが、影響を受けたからといってすぐれた映画が撮れるわけではない。ルノワールにも、ホークスにも、『肉体の冠』や『穴』を撮ることは不可能である。これらはベッケル特有の感性と天才的な映画術が生んだ作品だ。事実はそれ以上でもそれ以下でもない。
【関連サイト】
ジャック・ベッケル 〜フランス映画の粋〜
ジャック・ベッケル(Blu-ray、DVD)
戦時下のフランスで本格的に監督デビューし、大きな注目を集めた天才といえば、ほかにロベール・ブレッソンとアンリ=ジョルジュ・クルーゾーがいる。21世紀の今日に至るまでのフランス映画史を見渡しても、際立って個性的かつ異常な才能を持つ3人がほぼ同時期に世に出てきた、というのは興味深い。その中で、ベッケルは「犯罪映画」を得意にしながらも、サスペンスの範疇を超えて、繊細な詩情や人情の機微を盛り込み、「人間模様」を描くことに力を注いでいた。
1943年の『赤い手のグッピー』も、広義の意味ではサスペンスだが、ベッケルは登場人物の人間模様を浮き彫りにすることに重きを置いている。グッピー家の宝はどこにあるのか、ムッシューの冤罪は晴れるのか、ムッシューとミュゲのロマンスは成就するのか......といった軸を持ちながらも、最終的に感銘をもたらすのは、無惨な死を遂げる密告者トンカンと、彼に助けられたジャンの間に脈打つ無言の絆である。
トンカンは鼻持ちならないキャラクターであり、共感を得にくい立ち位置にいる。おまけに密告者ときている。彼はミュゲと結婚したいと考えているが、肝心のミュゲは都会からやって来たムッシューと良い雰囲気だ。「ミュゲの相手には、トンカンよりムッシューの方がふさわしい」ーー誰もがそのように思うだろう。しかし、ジャンにとってトンカンは恩人である。だから、亡くなったトンカンの部屋にミュゲがやって来た時、ジャンはこう言って追っ払うのである。
「俺はここ(トンカンの部屋)に来れるが、お前は駄目だ」
そもそもトンカンが密告者になったのは、ミュゲが振り向いてくれないからである。その彼女が、やがてムッシューと結婚するであろう彼女が、トンカンの部屋で感傷に浸っている。そのことにジャンは我慢出来ない。
こういう潔癖性は、心情としては非常にリアルなものだが、昨今の映画やドラマではほとんど描かれなくなった。愚かな監督なら、ミュゲとジャンが一緒に感傷に浸る、という大味な美談にしてしまうだろう。
『肉体の冠』の魅力
1952年の『肉体の冠』は、シモーヌ・シニョレ主演の恋愛映画。19世紀末のパリを舞台に、娼婦マリーをめぐる男たちの悲劇的な運命を、友情、裏切りといったフィルムノワール的な主題を絡めながら、格調高く描いた傑作である。配役も万全で、大工のマンダ役にセルジュ・レジアニ、ヤクザの親分ルカ役にクロード・ドーファン、脇をレイモン・ビュシェール、ガストン・モド、ドミニク・ダヴレーらが固めている。ジョアンヴィルの田園シーンで豚に餌をやるウージェーヌおばさんも含めて、行き届いたキャスティングである(それにしてもベッケルは田園を撮るのがうまい。自然の中に息づく人間の生を切り取ってみせる達人である)。
いかにもオーギュスト・ルノワールの絵から飛び出してきたような肉感と不遜さをたたえたマリーは、シモーヌ・シニョレ一世一代の当たり役。恋の駆け引きを極めた彼女が無口な大工に一目惚れし、宿命的な愛へとはまっていくわけだが、ロマンスの進行を描く上で、無駄な演出は一切なく、会話も少ない。登場人物の経歴の説明も極力削ぎ落としている。音楽も要所でしか使わない。それでも情緒満点で、ロマンティックである。林の中で職業病のようにナイフで木の枝を削り続けているマンダから枝を取り上げ、自分にキスさせるマリーの身ぶりなど、たまらなくチャーミングだ。
マンダとマリーの情夫ローランの決闘シーン、マンダと親友レイモンが脱走するシーン、マンダがルカを追うシーンなど、アクションそのものに各人の運命を左右する役割を担わせているのも『肉体の冠』の特徴である。日常的な動作を超える大きなアクションが、恋愛映画を盛り上げるためのお飾りに終わらず、登場人物と「死」を結びつかせるモーターとして機能しているのだ。ベッケル映画に付き物の「平手打ち」も同様である。『肉体の冠』では、この平手打ちにより、従属や背信の行為が生まれ、結果的に「死」へと至る出来事を間接的に導いているといっても過言ではない。
ナイフをはじめとする小物の活かし方のうまさは、いかにもベッケル的。マリーがルカ親分のナイフを操ってチーズを食べるシーン、マリーがマンダから朝のコーヒーを受け取るシーンなど、ちょっとした対比なんかも見逃せない(余談だが、高校時代、私はこの映画の影響で、チーズを包丁で食べる癖がついてしまった)。
ベッケルは陳腐な感動、仰々しい表現、浅薄なヒロイズムを排しながら、しかも簡潔に、人間の業を描き切る。マンダがルカを追い詰めて復讐を遂げた後も(ルカを射殺したマンダが額の汗を拭う動作は、一仕事終えた大工を思わせる)、それで「FIN」にはならない。彼がギロチン刑にかけられるのをマリーが見届けるまで、業の物語は続くのである。
ジャック・ベッケルの映画術については、師匠であるジャン・ルノワールだけでなく、ハワード・ホークスからも影響を受けていたのではないかと指摘されている。それは事実だろうし、参考にもなるのだが、影響を受けたからといってすぐれた映画が撮れるわけではない。ルノワールにも、ホークスにも、『肉体の冠』や『穴』を撮ることは不可能である。これらはベッケル特有の感性と天才的な映画術が生んだ作品だ。事実はそれ以上でもそれ以下でもない。
(阿部十三)
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ジャック・ベッケル 〜フランス映画の粋〜
ジャック・ベッケル(Blu-ray、DVD)
[ジャック・ベッケル略歴]
1906年9月15日、パリ生まれ。父親は実業家。船会社に勤めた後、ジャン・ルノワールの助手として映画界入り。『大いなる幻影』をはじめとする1930年代のルノワール作品で助監督を務めて腕を磨き、戦中の1942年に『最後の切り札』で本格的に監督デビュー。戦後も『幸福の設計』、『エドワールとキャロリーヌ』、『肉体の冠』、『現金に手を出すな』と順調に傑作を発表し、1950年代のフランスを代表する監督になる。遺作は最高傑作と評される『穴』。1960年2月21日、パリで死去。53歳だった。後に、息子のジャン・ベッケルも監督デビューし、『殺意の夏』などを撮っている。
1906年9月15日、パリ生まれ。父親は実業家。船会社に勤めた後、ジャン・ルノワールの助手として映画界入り。『大いなる幻影』をはじめとする1930年代のルノワール作品で助監督を務めて腕を磨き、戦中の1942年に『最後の切り札』で本格的に監督デビュー。戦後も『幸福の設計』、『エドワールとキャロリーヌ』、『肉体の冠』、『現金に手を出すな』と順調に傑作を発表し、1950年代のフランスを代表する監督になる。遺作は最高傑作と評される『穴』。1960年2月21日、パリで死去。53歳だった。後に、息子のジャン・ベッケルも監督デビューし、『殺意の夏』などを撮っている。
[監督作品]
1942年『最後の切り札』/1943年『赤い手のグッピー』/1945年『偽れる装い』/1946年『幸福の設計』/1949年『7月のランデヴー』/1951年『エドワールとキャロリーヌ』/1952年『肉体の冠』/1953年『レストラパード街』/1954年『現金に手を出すな』/1955年『アラブの盗賊』/1956年『怪盗ルパン』/1957年『モンパルナスの灯』/1960年『穴』
1942年『最後の切り札』/1943年『赤い手のグッピー』/1945年『偽れる装い』/1946年『幸福の設計』/1949年『7月のランデヴー』/1951年『エドワールとキャロリーヌ』/1952年『肉体の冠』/1953年『レストラパード街』/1954年『現金に手を出すな』/1955年『アラブの盗賊』/1956年『怪盗ルパン』/1957年『モンパルナスの灯』/1960年『穴』
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