ジャン=ピエール・メルヴィル 〜愛と友情と裏切りの映画〜 [続き]
2013.09.24
アラン・ドロンと組んだ3作品
『サムライ』はアラン・ドロンとの初顔合わせ作品で、メルヴィルの最高傑作と評されることもある。主人公は、鳥と心を通わせる無口な殺し屋ジェフ・コステロ。ドロンにうってつけの役だ。この『サムライ』以降、ドロンは単なる二枚目俳優の枠を越えて、渋味のある名優の仲間入りをしたといえる。
これはスーパーマン的な殺し屋の話ではない。ジェフ・コステロの行く手には最初から困難が待ち受けている。犯行直後に目撃されたり、アリバイ作りにいそしんだり、刑事に目をつけられたり、裏切り者に撃たれたり......忌憚なくいって、あまり良いところがない。フランソワ・ペリエ演じる警視の存在感が大きすぎて、ともすればジェフは憐憫の対象になりがちである。
メルヴィルの犯罪映画では、悪役以上に刑事の非道ぶりや汚さが描かれているが、『サムライ』『仁義』『リスボン特急』の〈ドロン3部作〉ではそのえげつなさが度を越していて、観る者に嫌悪感を与える域に達している。『リスボン特急』(1972年)でのドロンは冷徹な刑事役だが、このキャラクターには感情移入すら出来ない。『いぬ』のクラン警視(ジャン・ドサイ)や『ギャング』(1966年)のブロ警部(ポール・ムーリッス)はそこまで嫌悪の対象にはならないのだが......。
驚異的な動員数を記録した『仁義』でアラン・ドロンが演じたコーレイは、悲しい宿命を背負った男である。渋味のある二枚目であることは間違いないのだが、大した活躍をすることなく、自分を裏切った諸悪の根源のような男、リコに報復出来ないまま死ぬ。刑事が故買屋に化けているのを見抜くことも出来ない。結局、一番の見せ場はイヴ・モンタン扮するジャンセンが一瞬(宝石強盗の場面)で持って行ってしまう。
メルヴィルは1967年に自宅のスタジオが全焼するという悲劇に見舞われている。それについて山田宏一は、「思うに、このとき、ジャン=ピエール・メルヴィルは一度死んでしまったのである」(『山田宏一のフランス映画誌』)と書き、「商業主義の磁場に身を捨てることによって、ふたたびよみがえった」と続けているが、こうした見解には疑問を感じる。私も『サムライ』や『仁義』をそこまで高く買っているわけではないが、両者の間には『影の軍隊』(1969年)が存在するのだ。『影の軍隊』がそんな磁場から生まれた作品とは思えない。たとえアンリ・ドカが、「このへんからメルヴィルはすっかり野心家になって、商売のことしか考えなくなってしまったような気がしますね」と証言していても、真に受けるのは危険である。ドカは『サムライ』以降、『仁義』しか撮っていないのだ。〈ドロン3部作〉がスターの魅力に寄り掛かり気味になっているのは事実だが、あたかも堕落したかのようにみなすのは早計である。
メルヴィルが撮る「女の映画」
「男の映画」のイメージが強いメルヴィルだが、一方では新人女優の才能を見極める達人であり、「女の映画」を撮ることにも長けていた。新人女優の例では、『海の沈黙』と『恐るべき子供たち』のニコル・ステファーヌ、『賭博師ボブ』のイザベル・コーレイ、『フェルショー家の長男』(1962年)のステファニア・サンドレッリ、『サムライ』のカティ・ロジェ、カトリーヌ・ジュールダン、『マンハッタンの二人の男』、『モラン神父』(1961年)、『いぬ』のモニーク・エヌシーを挙げることが出来る。モニーク・エヌシーはメルヴィルの元秘書ということもあって、3作も出演しているのだろう。むせるような色気があり、秘書にしたくなるのも納得の美人だ。
「女の映画」には、ニコル・ステファーヌの憑依型演技が圧倒的な『恐るべき子供たち』やジュリエット・グレコ主演の通俗メロドラマ『この手紙を読むときは』(1953年)があるが、なんといっても『モラン神父』が一番の好例だ。無宗教の未亡人バルニーが、神父への好意から回心してカトリック教徒になり、やがて神父に対して抑えようのない性欲を抱き、冷たい拒絶にあって諦念の境地に至る、という心理の襞を、短めのカットを連ねながら紡いでいる。その手腕は流石というほかない。
思わせぶりな態度をとり、ゲームの主導権を握る神父役のジャン=ポール・ベルモンドも素晴らしいが、バルニー役のエマニュエル・リヴァの有無をいわさぬ実在感と過剰な表現を控えた演技は、いくら賞賛してもしすぎることはない。本当に魅力的な女優だと思う(2012年に公開されたミヒャエル・ハネケ監督作『愛、アムール』の老妻役も圧巻だった)。撮影当時10歳だったパトリシア・ゴッジが、バルニーの娘役で出ているのも見逃せない。『シベールの日曜日』(1962年)に出演するのは翌年のことである。
究極のメルヴィル映画
個人的に、もの狂おしくなるほど偏愛しているメルヴィル映画は2作ある。ひとつは、第二次世界大戦中のレジスタンス活動の内幕を描いた『影の軍隊』。最初に観た時は、名状しがたい感動で胸がいっぱいになり、すぐに立ち上がれなかった。原作者のジョゼフ・ケッセルは、この映画を観てむせび泣いたらしいが、自作の小説がこういう風に映画化されるなんて、作家冥利に尽きるのではないか。この力作を、メルヴィルはスタジオ全焼の絶望感を克服して撮ったのだ。1969年に公開された時、ドイツ軍の制服を着たエキストラがシャンゼリゼ通りを行進しているシーンに多くの観客が目を見張ったようだが、これは今観ても「よく撮れたなあ」と思う。リノ・ヴァンチュラ、ポール・ムーリッス、シモーヌ・シニョレのキャスティングも完璧だし、エリック・ド・マルサンの音楽も絶品。あのメロディーが流れると、それだけでも心が震える。
もうひとつは、『恐るべき子供たち』。メルヴィルは原作の世界を損わず、暗示めいたムードでコーティングすることに成功している。キャストの年齢的なハンデも感じさせない(姉のエリザベート役は26歳のニコル・ステファーヌが、弟のポール役は24歳のエドゥアール・デルミットが演じている)。メルヴィル自ら選んだというヴィヴァルディの協奏曲(ジュゼッペ・トレッリの作品ではないかとも言われている。バッハのBWV979の原曲である)も美しい。かれこれ50回は観た作品なのだが、今なお魔法にかかってしまう。私の人生になくてはならない映画である。
銃声が鳴り響き、エリザベートが仰向けに倒れ、ポールの部屋を囲んでいた屏風が崩れるラストシーンは、ピガール劇場のエレベーターを活用したカメラワークとトレッリの音楽の劇的効果により、この映画の結末に求め得る最も理想的なカットになった。ドラマティックなラストシーンをいくつも撮っているメルヴィルだが、様式的には『恐るべき子供たち』のカタストロフが究極だ。原作者ジャン・コクトーの庇護者だったフランシーヌ・ヴェズヴェレールの娘キャロルの著書『ムッシュー・コクトー ママとコクトーと私』によると、コクトーはこのラストに反対し、絶命した姉弟が一枚のシーツに包まれて天国にのぼるシーンを加えるべきだと主張したらしい。そうならなくて良かったと思う。
犯罪のための「努力」
メルヴィル初の犯罪映画で、ヌーヴェルヴァーグの鏑矢ともいわれる『賭博師ボブ』は、しょっちゅう観ているわけではないが、洒落っ気がきいていて好きな作品である。メルヴィルは1950年にシナリオを書いた後、ジョン・ヒューストン監督の『アスファルト・ジャングル』(1950年)を観て圧倒され、この傑作の二番煎じにならないように一から書き直したという。結果的にはそれが吉と出た。主人公は、ツキに見放されたベテラン賭博師ボブ。仲間とカジノ強盗の計画を練った彼は、犯行当日、時間を潰すためにカジノでギャンブルを始めるのだが、よりによって勝ちに勝ちまくり、仲間を放ったらかしにしてしまう、という話だ。メルヴィルのナレーションで始まる冒頭の魅惑的なショットから、映画の世界に引き込まれる。イザベル・コーレイの無防備なエロティシズムもたまらない。
『アスファルト・ジャングル』には、「犯罪とは人間の努力が裏側に現れたものにすぎない」という有名な台詞がある。これは『賭博師ボブ』以降のメルヴィルを語る上で鍵となる言葉だ。『賭博師ボブ』『いぬ』『ギャング』『サムライ』『仁義』『リスボン特急』の犯罪者たちは、皆「努力」している。しかし、彼らの努力が報われることはない。必ず挫折する。このパターンについて、メルヴィルは「努力が水泡に帰するのが大好きなのさ」と皮肉っぽく語っている。
最後に
メルヴィル映画に駄作はない。『リスボン特急』は遺作に相応しい内容ではないが、反警察のスタンスを最後まで貫き、アメリカ映画好きを貫いた監督の精神の在処を確認することは出来る。「ジャン=ピエール・メルヴィルの神話は、もうすぐ映画史から消えてしまうのではなかろうか」と山田宏一が書いたのは1989年のこと。それも杞憂に終わった。メルヴィルの影響は、北野武、ジム・ジャームッシュ、ジョン・ウーにまで及んでいる。『いぬ』や『サムライ』や『仁義』は、比較的若い世代にも支持されている。男を魅力的に撮る映画が少ない現在、メルヴィルはもっと見直されてよい監督だろう。
【関連サイト】
ジャン=ピエール・メルヴィル 〜愛と友情と裏切りの映画〜
JEAN-PIERRE MELVILLE(DVD)
『サムライ』はアラン・ドロンとの初顔合わせ作品で、メルヴィルの最高傑作と評されることもある。主人公は、鳥と心を通わせる無口な殺し屋ジェフ・コステロ。ドロンにうってつけの役だ。この『サムライ』以降、ドロンは単なる二枚目俳優の枠を越えて、渋味のある名優の仲間入りをしたといえる。
これはスーパーマン的な殺し屋の話ではない。ジェフ・コステロの行く手には最初から困難が待ち受けている。犯行直後に目撃されたり、アリバイ作りにいそしんだり、刑事に目をつけられたり、裏切り者に撃たれたり......忌憚なくいって、あまり良いところがない。フランソワ・ペリエ演じる警視の存在感が大きすぎて、ともすればジェフは憐憫の対象になりがちである。
メルヴィルの犯罪映画では、悪役以上に刑事の非道ぶりや汚さが描かれているが、『サムライ』『仁義』『リスボン特急』の〈ドロン3部作〉ではそのえげつなさが度を越していて、観る者に嫌悪感を与える域に達している。『リスボン特急』(1972年)でのドロンは冷徹な刑事役だが、このキャラクターには感情移入すら出来ない。『いぬ』のクラン警視(ジャン・ドサイ)や『ギャング』(1966年)のブロ警部(ポール・ムーリッス)はそこまで嫌悪の対象にはならないのだが......。
驚異的な動員数を記録した『仁義』でアラン・ドロンが演じたコーレイは、悲しい宿命を背負った男である。渋味のある二枚目であることは間違いないのだが、大した活躍をすることなく、自分を裏切った諸悪の根源のような男、リコに報復出来ないまま死ぬ。刑事が故買屋に化けているのを見抜くことも出来ない。結局、一番の見せ場はイヴ・モンタン扮するジャンセンが一瞬(宝石強盗の場面)で持って行ってしまう。
メルヴィルは1967年に自宅のスタジオが全焼するという悲劇に見舞われている。それについて山田宏一は、「思うに、このとき、ジャン=ピエール・メルヴィルは一度死んでしまったのである」(『山田宏一のフランス映画誌』)と書き、「商業主義の磁場に身を捨てることによって、ふたたびよみがえった」と続けているが、こうした見解には疑問を感じる。私も『サムライ』や『仁義』をそこまで高く買っているわけではないが、両者の間には『影の軍隊』(1969年)が存在するのだ。『影の軍隊』がそんな磁場から生まれた作品とは思えない。たとえアンリ・ドカが、「このへんからメルヴィルはすっかり野心家になって、商売のことしか考えなくなってしまったような気がしますね」と証言していても、真に受けるのは危険である。ドカは『サムライ』以降、『仁義』しか撮っていないのだ。〈ドロン3部作〉がスターの魅力に寄り掛かり気味になっているのは事実だが、あたかも堕落したかのようにみなすのは早計である。
メルヴィルが撮る「女の映画」
「男の映画」のイメージが強いメルヴィルだが、一方では新人女優の才能を見極める達人であり、「女の映画」を撮ることにも長けていた。新人女優の例では、『海の沈黙』と『恐るべき子供たち』のニコル・ステファーヌ、『賭博師ボブ』のイザベル・コーレイ、『フェルショー家の長男』(1962年)のステファニア・サンドレッリ、『サムライ』のカティ・ロジェ、カトリーヌ・ジュールダン、『マンハッタンの二人の男』、『モラン神父』(1961年)、『いぬ』のモニーク・エヌシーを挙げることが出来る。モニーク・エヌシーはメルヴィルの元秘書ということもあって、3作も出演しているのだろう。むせるような色気があり、秘書にしたくなるのも納得の美人だ。
「女の映画」には、ニコル・ステファーヌの憑依型演技が圧倒的な『恐るべき子供たち』やジュリエット・グレコ主演の通俗メロドラマ『この手紙を読むときは』(1953年)があるが、なんといっても『モラン神父』が一番の好例だ。無宗教の未亡人バルニーが、神父への好意から回心してカトリック教徒になり、やがて神父に対して抑えようのない性欲を抱き、冷たい拒絶にあって諦念の境地に至る、という心理の襞を、短めのカットを連ねながら紡いでいる。その手腕は流石というほかない。
思わせぶりな態度をとり、ゲームの主導権を握る神父役のジャン=ポール・ベルモンドも素晴らしいが、バルニー役のエマニュエル・リヴァの有無をいわさぬ実在感と過剰な表現を控えた演技は、いくら賞賛してもしすぎることはない。本当に魅力的な女優だと思う(2012年に公開されたミヒャエル・ハネケ監督作『愛、アムール』の老妻役も圧巻だった)。撮影当時10歳だったパトリシア・ゴッジが、バルニーの娘役で出ているのも見逃せない。『シベールの日曜日』(1962年)に出演するのは翌年のことである。
究極のメルヴィル映画
個人的に、もの狂おしくなるほど偏愛しているメルヴィル映画は2作ある。ひとつは、第二次世界大戦中のレジスタンス活動の内幕を描いた『影の軍隊』。最初に観た時は、名状しがたい感動で胸がいっぱいになり、すぐに立ち上がれなかった。原作者のジョゼフ・ケッセルは、この映画を観てむせび泣いたらしいが、自作の小説がこういう風に映画化されるなんて、作家冥利に尽きるのではないか。この力作を、メルヴィルはスタジオ全焼の絶望感を克服して撮ったのだ。1969年に公開された時、ドイツ軍の制服を着たエキストラがシャンゼリゼ通りを行進しているシーンに多くの観客が目を見張ったようだが、これは今観ても「よく撮れたなあ」と思う。リノ・ヴァンチュラ、ポール・ムーリッス、シモーヌ・シニョレのキャスティングも完璧だし、エリック・ド・マルサンの音楽も絶品。あのメロディーが流れると、それだけでも心が震える。
もうひとつは、『恐るべき子供たち』。メルヴィルは原作の世界を損わず、暗示めいたムードでコーティングすることに成功している。キャストの年齢的なハンデも感じさせない(姉のエリザベート役は26歳のニコル・ステファーヌが、弟のポール役は24歳のエドゥアール・デルミットが演じている)。メルヴィル自ら選んだというヴィヴァルディの協奏曲(ジュゼッペ・トレッリの作品ではないかとも言われている。バッハのBWV979の原曲である)も美しい。かれこれ50回は観た作品なのだが、今なお魔法にかかってしまう。私の人生になくてはならない映画である。
銃声が鳴り響き、エリザベートが仰向けに倒れ、ポールの部屋を囲んでいた屏風が崩れるラストシーンは、ピガール劇場のエレベーターを活用したカメラワークとトレッリの音楽の劇的効果により、この映画の結末に求め得る最も理想的なカットになった。ドラマティックなラストシーンをいくつも撮っているメルヴィルだが、様式的には『恐るべき子供たち』のカタストロフが究極だ。原作者ジャン・コクトーの庇護者だったフランシーヌ・ヴェズヴェレールの娘キャロルの著書『ムッシュー・コクトー ママとコクトーと私』によると、コクトーはこのラストに反対し、絶命した姉弟が一枚のシーツに包まれて天国にのぼるシーンを加えるべきだと主張したらしい。そうならなくて良かったと思う。
犯罪のための「努力」
メルヴィル初の犯罪映画で、ヌーヴェルヴァーグの鏑矢ともいわれる『賭博師ボブ』は、しょっちゅう観ているわけではないが、洒落っ気がきいていて好きな作品である。メルヴィルは1950年にシナリオを書いた後、ジョン・ヒューストン監督の『アスファルト・ジャングル』(1950年)を観て圧倒され、この傑作の二番煎じにならないように一から書き直したという。結果的にはそれが吉と出た。主人公は、ツキに見放されたベテラン賭博師ボブ。仲間とカジノ強盗の計画を練った彼は、犯行当日、時間を潰すためにカジノでギャンブルを始めるのだが、よりによって勝ちに勝ちまくり、仲間を放ったらかしにしてしまう、という話だ。メルヴィルのナレーションで始まる冒頭の魅惑的なショットから、映画の世界に引き込まれる。イザベル・コーレイの無防備なエロティシズムもたまらない。
『アスファルト・ジャングル』には、「犯罪とは人間の努力が裏側に現れたものにすぎない」という有名な台詞がある。これは『賭博師ボブ』以降のメルヴィルを語る上で鍵となる言葉だ。『賭博師ボブ』『いぬ』『ギャング』『サムライ』『仁義』『リスボン特急』の犯罪者たちは、皆「努力」している。しかし、彼らの努力が報われることはない。必ず挫折する。このパターンについて、メルヴィルは「努力が水泡に帰するのが大好きなのさ」と皮肉っぽく語っている。
最後に
メルヴィル映画に駄作はない。『リスボン特急』は遺作に相応しい内容ではないが、反警察のスタンスを最後まで貫き、アメリカ映画好きを貫いた監督の精神の在処を確認することは出来る。「ジャン=ピエール・メルヴィルの神話は、もうすぐ映画史から消えてしまうのではなかろうか」と山田宏一が書いたのは1989年のこと。それも杞憂に終わった。メルヴィルの影響は、北野武、ジム・ジャームッシュ、ジョン・ウーにまで及んでいる。『いぬ』や『サムライ』や『仁義』は、比較的若い世代にも支持されている。男を魅力的に撮る映画が少ない現在、メルヴィルはもっと見直されてよい監督だろう。
(阿部十三)
【関連サイト】
ジャン=ピエール・メルヴィル 〜愛と友情と裏切りの映画〜
JEAN-PIERRE MELVILLE(DVD)
[ジャン=ピエール・メルヴィル略歴]
1917年10月20日、パリ生まれ。戦争中はレジスタンスの闘士として活動。『海の沈黙』や『影の軍隊』を読み、映画化を考えたのもこの時期のことである。戦後、製作会社を興し、1946年に短編『ある道化師の二十四時間』を撮影。1947年、『海の沈黙』の映画化に取り組み、成功させる(公式公開は1949年4月)。1949年、『海の沈黙』に感銘を受けたジャン・コクトーの依頼により『恐るべき子供たち』を監督(コクトーは、メルヴィルの方から映画化したいといわれた、と述べている。真偽のほどは不明)、さらに評価を高める。以後、独立不覊の精神を保ち、資金難を乗り越えながら傑作・佳作を発表。犯罪映画の分野で独自の地位を確立した。1967年、自宅を改良した撮影スタジオが全焼するが、『影の軍隊』で健在ぶりをアピール。1970年には『仁義』で433万人以上を動員した。1973年8月2日、急逝。55歳だった。
1917年10月20日、パリ生まれ。戦争中はレジスタンスの闘士として活動。『海の沈黙』や『影の軍隊』を読み、映画化を考えたのもこの時期のことである。戦後、製作会社を興し、1946年に短編『ある道化師の二十四時間』を撮影。1947年、『海の沈黙』の映画化に取り組み、成功させる(公式公開は1949年4月)。1949年、『海の沈黙』に感銘を受けたジャン・コクトーの依頼により『恐るべき子供たち』を監督(コクトーは、メルヴィルの方から映画化したいといわれた、と述べている。真偽のほどは不明)、さらに評価を高める。以後、独立不覊の精神を保ち、資金難を乗り越えながら傑作・佳作を発表。犯罪映画の分野で独自の地位を確立した。1967年、自宅を改良した撮影スタジオが全焼するが、『影の軍隊』で健在ぶりをアピール。1970年には『仁義』で433万人以上を動員した。1973年8月2日、急逝。55歳だった。
[監督作品]
1946年『ある道化師の二十四時間』(短編)/1947年『海の沈黙』/1949年『恐るべき子供たち』/1953年『この手紙を読むときは』/1955年『賭博師ボブ』/1958年『マンハッタンの二人の男』/1961年『モラン神父』/1962年『いぬ』/1962年『フェルショー家の長男』/1966年『ギャング』/1967年『サムライ』/1969年『影の軍隊』/1970年『仁義』/1972年『リスボン特急』
1946年『ある道化師の二十四時間』(短編)/1947年『海の沈黙』/1949年『恐るべき子供たち』/1953年『この手紙を読むときは』/1955年『賭博師ボブ』/1958年『マンハッタンの二人の男』/1961年『モラン神父』/1962年『いぬ』/1962年『フェルショー家の長男』/1966年『ギャング』/1967年『サムライ』/1969年『影の軍隊』/1970年『仁義』/1972年『リスボン特急』
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