ハワード・ホークス 〜プロフェッショナルの世界〜
2013.12.06
最も多才な映画監督
ハワード・ホークスはハリウッドが生んだ最も多才な映画監督である。代表作と呼ぶべき作品は十指に余るほどある。いわゆる才人監督が手を染めがちなアート志向の実験作を作ることはなく、テーマは明確、ストーリーテリングも明晰、シャープで力強く、思わせぶりなところがない。テンポも抜群に良く、編集に澱みがない。ユーモアを欠かさずリラックスして軽々と撮っているように見えて、実際には隅々まで計算されているのだ。その映画術はアメリカのみにとどまらず、ジャック・ベッケル、ジャック・リヴェット、フランソワ・トリュフォーといったフランスの映画人たちをも魅了した。
ホークスは「人使い」が上手で、有能なキャストやスタッフが常にベストの力を出せるように導いた(ミリアム・ホプキンスやマリリン・モンローの扱いには手こずったようだが)。その成果が最も顕著なのは、アル・カポネをモデルにしたギャング映画『暗黒街の顔役』、自分が育てた女優に執着するプロデューサーのドタバタ劇『特急二十世紀』、航空郵便パイロットの愛と友情と死を描く『無限の青空』、奇天烈なお嬢様に振り回される学者の姿が傑作な『赤ちゃん教育』、マシンガン・トークが炸裂するスピーディなコメディ『ヒズ・ガール・フライデー』、信仰と戦争の相克をモチーフにした第一次世界大戦の英雄譚『ヨーク軍曹』、百科事典を編纂する教授たちとギャングの愛人の物語『教授と美女』、文豪ヘミングウェイとフォークナーを映画作りに協力させたレジスタンス物『脱出』、レイモンド・チャンドラー原作のサスペンス映画『三つ数えろ』、男たちが対立しながらキャトル・トレイルを繰り広げる西部劇『赤い河』である。
トッド・マッカーシーが書いた分厚い大著『ハワード・ホークス ハリウッド伝説に生きる偉大な監督』を読むと、ホークスもやはりほかの監督と同じように映画会社の重役たちの存在に悩まされ、気乗りしない仕事を押しつけられることもあったようだ。そんな状況の中、彼は裁量権をふるえる範囲内で出来るだけやりたいことをやり、クオリティの高いものに磨きあげ、ほとんど駄作を作ることがなかった。
ウォルター・ブレナンとフランシス・ファーマー
ホークスが自分の節目となる作品に起用していた男優といえば、ウォルター・ブレナンだ。「何か問題がある時、私はブレナンを呼んだ」とホークス自身も語っている。2人の出会いが、ホークスには珍しいほど安っぽいメロドラマ『バーバリー・コースト』だったのは皮肉だが、これ以降、ブレナンは『大自然の凱歌』『ヨーク軍曹』『脱出』『赤い河』『リオ・ブラボー』で大事な役を任され、『大自然の凱歌』ではアカデミー賞助演男優賞を受賞している。
女優に関しては、ホークス自身がジョゼフ・マクブライドによるインタビューでこのように明言している。
「私がかつて仕事をした中では、絶対にフランシス・ファーマーがベストの女優だ」
ファーマーは『大自然の凱歌』のヒロイン役で注目され、後に悲劇的な人生を送った(送らされた)女優である。ジェシカ・ラング主演の『女優フランシス』やニルヴァーナの「フランシス・ファーマー・ウィル・ハヴ・ハー・リヴェンジ・オン・シアトル」で、名前を知っている人も多いだろう。
今となっては知名度が高いとはいえない『大自然の凱歌』は1936年の作品で、製紙業界の大立者を主人公に据えた年代記風メロドラマである。ドラマティックで、センチメンタルで、100分程度の時間にまとまっていて無駄がない。フランシス・ファーマーは一人二役を好演。ホークスの演技指導を受けたおかげで、エドワード・アーノルドやウォルター・ブレナンの名演の間にあって全く埋もれていない。
ホークスは自分の祖父が製紙業界の大物だったこともあり、プロデューサーのサミュエル・ゴールドウィンの存在を警戒しつつも、この作品に熱意をもって取り組んだ。が、原作にない場面ーーとくに酒場での乱闘シーンーーを付け加えたことが問題視され、ゴールドウィンに途中降板させられてしまう(後半30分間ほどのシーンはウィリアム・ワイラーにバトンタッチされた)。冷静に映画を鑑賞すれば、この乱闘シーンがいかに大事かがよく分かる。これがあるとないとでは、3人の中心人物(バーニー、スワン、ロッテ)が共有している思い出の厚みが変わってくるし、観る側の体感時間の奥行きも違ってくる。登場人物たちが若き日にしでかした無茶苦茶で美しい青春の一コマとして、申し分ないシーンだと思う。
戦前の傑作
ハワード・ホークスは個人的に最も好きな監督の一人である。一番好きな作品を決めるのは難しいが、一番観た回数が多いのは『暗黒街の顔役』。高校時代、週に一度は必ず観ていた。
口笛とシルエットで魅せる最初の殺害シーン、ジョージ・ラフト扮するリナルドがコインを投げる仕草、ボリス・カーロフ扮するギャフニーがボーリング場で銃撃される時のボーリングのピンの動きなど、素晴らしいシーンはいくつもある。戯画的だがダイナミックなポール・ムニの演技も、帽子を偏愛するヴィンス・バーネットの存在感も魅力的だ。アン・ドヴォラックがラフトの前で体をくねらせて挑発するシーンも良い。彼女がくねくねしている間、ラフトは微動だにせず直立しているのだが、その立ち姿の格好良さといったらない(この映画を観たカポネはラフトのことを気に入り、食事に招待したという)。『暗黒街の顔役』は1932年当時の検閲で集中砲火を浴びたが、大ヒットしてホークスを人気監督の座に押し上げた。
1936年公開の『無限の青空』は航空映画の名作。スチュアート・アーウィン扮するテックスが危険な飛行をしている間、飛行機の音と機械の音だけで醸し出す緊迫感がたまらない。ディジー役のジェームズ・キャグニー、ジェイク役のパット・オブライエンの熱演も、作品の牽引力を強めている。ラストが少しせわしないが、舞台劇の映画化としては上出来だ。
1938年公開のスクリューボール・コメディ『赤ちゃん教育』は、笑いの凶器。キャサリン・ヘプバーン扮するスーザン、ケイリー・グラント扮するデイヴィッドを筆頭に奇人変人しか出てこない。初めて観た時は呼吸困難になるほど笑い、笑いすぎて体調を崩した。映画であんなに笑ったことはない。
その2年後に公開された『ヒズ・ガール・フライデー』はより洗練されていて、テクニックの冴えを感じさせるが、観る者を圧倒するスピーディな台詞を作り上げる上で、ホークスは次のような工夫をしたとインタビューで語っている。
「誰かの台詞の前に余分な言葉を二、三語付け加え、最後にも付け加える。そうすれば重ねて話せることになる。そのことで、現実には存在していない台詞のスピード感を与えられるのだ」
人間関係の克服
レーサーであり、飛行士であり、活動的なタフガイであったハワード・ホークスは、一方で非常に鋭い感性と洞察力の持ち主でもあり、プロフェッショナルの世界に生じる人間関係の微妙な摩擦を描く術に長けていた。『リオ・ブラボー』や『ハタリ!』のような超娯楽映画も然りである。登場人物(主人公とは限らない)はその摩擦を経て、弱点、誤解、迷い、停滞していた精神状態などを克服し、それまでの関係性から脱却する。ホークスが賢明なのは、その摩擦を必要以上にシリアスに重く扱わず、あくまでも克服されるものとして描いている点である。最後の作品となった1970年の『リオ・ロボ』にはそういった摩擦が感じられない。だから妙に呆気なく、味気ないのである。
代表作は十指に余るほどあると先に書いたが、それをあえて独断で絞り込むと、『暗黒街の顔役』『赤ちゃん教育』『ヨーク軍曹』『教授と美女』『赤い河』が残る。とはいえ、本来ならば『特急二十世紀』『無限の青空』『大自然の凱歌』『ヒズ・ガール・フライデー』『ならず者』『脱出』『三つ数えろ』『モンキー・ビジネス』『リオ・ブラボー』も入れなければならないだろう。実質的にホークス作品であるSFホラー『遊星よりの物体X』を外すのも胸が痛む。ーーこうして書いていると、ホークスの伝記が分厚くなるのも分かる気がするのである。
【関連サイト】
HOWARD HAWKS
ハワード・ホークスはハリウッドが生んだ最も多才な映画監督である。代表作と呼ぶべき作品は十指に余るほどある。いわゆる才人監督が手を染めがちなアート志向の実験作を作ることはなく、テーマは明確、ストーリーテリングも明晰、シャープで力強く、思わせぶりなところがない。テンポも抜群に良く、編集に澱みがない。ユーモアを欠かさずリラックスして軽々と撮っているように見えて、実際には隅々まで計算されているのだ。その映画術はアメリカのみにとどまらず、ジャック・ベッケル、ジャック・リヴェット、フランソワ・トリュフォーといったフランスの映画人たちをも魅了した。
ホークスは「人使い」が上手で、有能なキャストやスタッフが常にベストの力を出せるように導いた(ミリアム・ホプキンスやマリリン・モンローの扱いには手こずったようだが)。その成果が最も顕著なのは、アル・カポネをモデルにしたギャング映画『暗黒街の顔役』、自分が育てた女優に執着するプロデューサーのドタバタ劇『特急二十世紀』、航空郵便パイロットの愛と友情と死を描く『無限の青空』、奇天烈なお嬢様に振り回される学者の姿が傑作な『赤ちゃん教育』、マシンガン・トークが炸裂するスピーディなコメディ『ヒズ・ガール・フライデー』、信仰と戦争の相克をモチーフにした第一次世界大戦の英雄譚『ヨーク軍曹』、百科事典を編纂する教授たちとギャングの愛人の物語『教授と美女』、文豪ヘミングウェイとフォークナーを映画作りに協力させたレジスタンス物『脱出』、レイモンド・チャンドラー原作のサスペンス映画『三つ数えろ』、男たちが対立しながらキャトル・トレイルを繰り広げる西部劇『赤い河』である。
トッド・マッカーシーが書いた分厚い大著『ハワード・ホークス ハリウッド伝説に生きる偉大な監督』を読むと、ホークスもやはりほかの監督と同じように映画会社の重役たちの存在に悩まされ、気乗りしない仕事を押しつけられることもあったようだ。そんな状況の中、彼は裁量権をふるえる範囲内で出来るだけやりたいことをやり、クオリティの高いものに磨きあげ、ほとんど駄作を作ることがなかった。
ウォルター・ブレナンとフランシス・ファーマー
ホークスが自分の節目となる作品に起用していた男優といえば、ウォルター・ブレナンだ。「何か問題がある時、私はブレナンを呼んだ」とホークス自身も語っている。2人の出会いが、ホークスには珍しいほど安っぽいメロドラマ『バーバリー・コースト』だったのは皮肉だが、これ以降、ブレナンは『大自然の凱歌』『ヨーク軍曹』『脱出』『赤い河』『リオ・ブラボー』で大事な役を任され、『大自然の凱歌』ではアカデミー賞助演男優賞を受賞している。
女優に関しては、ホークス自身がジョゼフ・マクブライドによるインタビューでこのように明言している。
「私がかつて仕事をした中では、絶対にフランシス・ファーマーがベストの女優だ」
ファーマーは『大自然の凱歌』のヒロイン役で注目され、後に悲劇的な人生を送った(送らされた)女優である。ジェシカ・ラング主演の『女優フランシス』やニルヴァーナの「フランシス・ファーマー・ウィル・ハヴ・ハー・リヴェンジ・オン・シアトル」で、名前を知っている人も多いだろう。
今となっては知名度が高いとはいえない『大自然の凱歌』は1936年の作品で、製紙業界の大立者を主人公に据えた年代記風メロドラマである。ドラマティックで、センチメンタルで、100分程度の時間にまとまっていて無駄がない。フランシス・ファーマーは一人二役を好演。ホークスの演技指導を受けたおかげで、エドワード・アーノルドやウォルター・ブレナンの名演の間にあって全く埋もれていない。
ホークスは自分の祖父が製紙業界の大物だったこともあり、プロデューサーのサミュエル・ゴールドウィンの存在を警戒しつつも、この作品に熱意をもって取り組んだ。が、原作にない場面ーーとくに酒場での乱闘シーンーーを付け加えたことが問題視され、ゴールドウィンに途中降板させられてしまう(後半30分間ほどのシーンはウィリアム・ワイラーにバトンタッチされた)。冷静に映画を鑑賞すれば、この乱闘シーンがいかに大事かがよく分かる。これがあるとないとでは、3人の中心人物(バーニー、スワン、ロッテ)が共有している思い出の厚みが変わってくるし、観る側の体感時間の奥行きも違ってくる。登場人物たちが若き日にしでかした無茶苦茶で美しい青春の一コマとして、申し分ないシーンだと思う。
戦前の傑作
ハワード・ホークスは個人的に最も好きな監督の一人である。一番好きな作品を決めるのは難しいが、一番観た回数が多いのは『暗黒街の顔役』。高校時代、週に一度は必ず観ていた。
口笛とシルエットで魅せる最初の殺害シーン、ジョージ・ラフト扮するリナルドがコインを投げる仕草、ボリス・カーロフ扮するギャフニーがボーリング場で銃撃される時のボーリングのピンの動きなど、素晴らしいシーンはいくつもある。戯画的だがダイナミックなポール・ムニの演技も、帽子を偏愛するヴィンス・バーネットの存在感も魅力的だ。アン・ドヴォラックがラフトの前で体をくねらせて挑発するシーンも良い。彼女がくねくねしている間、ラフトは微動だにせず直立しているのだが、その立ち姿の格好良さといったらない(この映画を観たカポネはラフトのことを気に入り、食事に招待したという)。『暗黒街の顔役』は1932年当時の検閲で集中砲火を浴びたが、大ヒットしてホークスを人気監督の座に押し上げた。
1936年公開の『無限の青空』は航空映画の名作。スチュアート・アーウィン扮するテックスが危険な飛行をしている間、飛行機の音と機械の音だけで醸し出す緊迫感がたまらない。ディジー役のジェームズ・キャグニー、ジェイク役のパット・オブライエンの熱演も、作品の牽引力を強めている。ラストが少しせわしないが、舞台劇の映画化としては上出来だ。
1938年公開のスクリューボール・コメディ『赤ちゃん教育』は、笑いの凶器。キャサリン・ヘプバーン扮するスーザン、ケイリー・グラント扮するデイヴィッドを筆頭に奇人変人しか出てこない。初めて観た時は呼吸困難になるほど笑い、笑いすぎて体調を崩した。映画であんなに笑ったことはない。
その2年後に公開された『ヒズ・ガール・フライデー』はより洗練されていて、テクニックの冴えを感じさせるが、観る者を圧倒するスピーディな台詞を作り上げる上で、ホークスは次のような工夫をしたとインタビューで語っている。
「誰かの台詞の前に余分な言葉を二、三語付け加え、最後にも付け加える。そうすれば重ねて話せることになる。そのことで、現実には存在していない台詞のスピード感を与えられるのだ」
人間関係の克服
レーサーであり、飛行士であり、活動的なタフガイであったハワード・ホークスは、一方で非常に鋭い感性と洞察力の持ち主でもあり、プロフェッショナルの世界に生じる人間関係の微妙な摩擦を描く術に長けていた。『リオ・ブラボー』や『ハタリ!』のような超娯楽映画も然りである。登場人物(主人公とは限らない)はその摩擦を経て、弱点、誤解、迷い、停滞していた精神状態などを克服し、それまでの関係性から脱却する。ホークスが賢明なのは、その摩擦を必要以上にシリアスに重く扱わず、あくまでも克服されるものとして描いている点である。最後の作品となった1970年の『リオ・ロボ』にはそういった摩擦が感じられない。だから妙に呆気なく、味気ないのである。
代表作は十指に余るほどあると先に書いたが、それをあえて独断で絞り込むと、『暗黒街の顔役』『赤ちゃん教育』『ヨーク軍曹』『教授と美女』『赤い河』が残る。とはいえ、本来ならば『特急二十世紀』『無限の青空』『大自然の凱歌』『ヒズ・ガール・フライデー』『ならず者』『脱出』『三つ数えろ』『モンキー・ビジネス』『リオ・ブラボー』も入れなければならないだろう。実質的にホークス作品であるSFホラー『遊星よりの物体X』を外すのも胸が痛む。ーーこうして書いていると、ホークスの伝記が分厚くなるのも分かる気がするのである。
(阿部十三)
【関連サイト】
HOWARD HAWKS
[ハワード・ホークス略歴]
1896年5月30日、インディアナ州ゴーシェン生まれ。裕福な家庭に育ち、第一次世界大戦で兵役についた後、セシル・B・デミルのアシスタントとして映画界入り。脚本家、プロデューサーとして精力的に仕事をこなすが、1926年に『栄光への道』で監督デビュー。サイレント期の代表作は1928年の『港々に女あり』だが、頭角を現したのはトーキー以降である。1932年に『暗黒街の顔役』をヒットさせた後は上昇気流に乗って話題作を連発。スクリューボール・コメディを創始したり、戦争映画、航空映画、西部劇、ホラー映画の分野で新味溢れる傑作を発表したり、と多才ぶりを発揮した。1975年にアカデミー名誉賞を受賞。1977年12月26日、血管の動脈硬化症により死去。私生活では3度結婚。そのほかアン・ドヴォラック、ジーン・ハーロウたちとも親密な関係にあった。
1896年5月30日、インディアナ州ゴーシェン生まれ。裕福な家庭に育ち、第一次世界大戦で兵役についた後、セシル・B・デミルのアシスタントとして映画界入り。脚本家、プロデューサーとして精力的に仕事をこなすが、1926年に『栄光への道』で監督デビュー。サイレント期の代表作は1928年の『港々に女あり』だが、頭角を現したのはトーキー以降である。1932年に『暗黒街の顔役』をヒットさせた後は上昇気流に乗って話題作を連発。スクリューボール・コメディを創始したり、戦争映画、航空映画、西部劇、ホラー映画の分野で新味溢れる傑作を発表したり、と多才ぶりを発揮した。1975年にアカデミー名誉賞を受賞。1977年12月26日、血管の動脈硬化症により死去。私生活では3度結婚。そのほかアン・ドヴォラック、ジーン・ハーロウたちとも親密な関係にあった。
[主な監督作品]
1926年『栄光への道』『無花果の葉』/1928年『港々に女あり』『空中サーカス』/1930年『暁の偵察』/1932年『暗黒街の顔役』『群衆の喚呼』/1934年『奇傑パンチョ』/1934年『特急二十世紀』/1936年『無限の青空』『大自然の凱歌』/1938年『赤ちゃん教育』/1939年『コンドル』/1940年『ヒズ・ガール・フライデー』/1941年『ヨーク軍曹』/1942年『教授と美女』/1943年『ならず者』『空軍』/1945年『脱出』『三つ数えろ』/1948年『赤い河』/1948年『ヒット・パレード』/1951年『遊星よりの物体X』/1952年『モンキー・ビジネス』/1953年『紳士は金髪がお好き』/1955年『ピラミッド』/1959年『リオ・ブラボー』/1962年『ハタリ!』/1967年『エル・ドラド』/1970年『リオ・ロボ』
1926年『栄光への道』『無花果の葉』/1928年『港々に女あり』『空中サーカス』/1930年『暁の偵察』/1932年『暗黒街の顔役』『群衆の喚呼』/1934年『奇傑パンチョ』/1934年『特急二十世紀』/1936年『無限の青空』『大自然の凱歌』/1938年『赤ちゃん教育』/1939年『コンドル』/1940年『ヒズ・ガール・フライデー』/1941年『ヨーク軍曹』/1942年『教授と美女』/1943年『ならず者』『空軍』/1945年『脱出』『三つ数えろ』/1948年『赤い河』/1948年『ヒット・パレード』/1951年『遊星よりの物体X』/1952年『モンキー・ビジネス』/1953年『紳士は金髪がお好き』/1955年『ピラミッド』/1959年『リオ・ブラボー』/1962年『ハタリ!』/1967年『エル・ドラド』/1970年『リオ・ロボ』
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