スタンリー・キューブリック 〜時代を超越する映像〜
2014.01.14
完璧主義者の美学
スタンリー・キューブリックの映画は、時代の制約を超えたところに存在している。
どんな巨匠が撮った傑作でも、それが作られた時代のモラルや技術等の制約と無縁ではあり得ない。「昔の作品だから、こういう表現にならざるを得なかったのだろう」とか「今ほど技術が発達していなかったから、ここまでが限界だったのだろう」といった感想を抱かせるものが大半である。しかし、『時計じかけのオレンジ』や『バリー・リンドン』を観てそんな風に思う人はいないはずだ。これは驚くべきことである。
作られた時代の制約を感じさせない点で、キューブリックの映画は常に先進的だ。彼を軸にして考えると、映画は進化しているどころか退化しているのではないか、と思いたくなるほどである。その時代のテクノロジーや視覚化されたイメージの限界を否応無しに感じさせる「SF映画」のジャンルでも、キューブリックは1968年に『2001年宇宙の旅』という恐るべき傑作を撮っている。
13本の長編作品全てがそうだとはいわないが、少なくとも『博士の異常な愛情』以降、キューブリックは普遍性を持つ映画、いつの時代にも通用する映画を志向していたに違いない。そのために完璧主義者として振る舞い、妥協を許さず、スタッフもキャストも毎回大変な思いをした。
普遍性への志向は、クラシック音楽へのこだわりにもあらわれている。時代の中で消化されることのないパーセル、ヘンデル、ベートーヴェン、シューベルト、ヨハン・シュトラウス2世、リヒャルト・シュトラウス、バルトーク、ショスタコーヴィチ、リゲティなどの音楽に注目し、その旋律や音響が包含する生命力を取り込み、映像と密接なつながりを持たせている。
キューブリック作品を彩る音楽は、時にメッセージ性を帯び、啓示的な役割を果たすこともある。例えば、『時計じかけのオレンジ』の冒頭2分間を支配しているのはパーセルの「メアリー女王のための葬送音楽」のエレクトロ版(編曲はウォルター・カーロス、後にウェンディ・カーロスに改名)だが、あろうことか、そこに「怒りの日」をブレンドさせている。この「ホラーショー」な問題作がどんな内容か示唆しているのである。
『2001年宇宙の旅』と『時計じかけのオレンジ』
一度観ただけでは理解出来ないキューブリック作品の代表格は、『2001年宇宙の旅』だろう。彼は「偉大な音楽、偉大な絵、偉大な小説は何度も接した後初めて理解されるものであろう。映画も同じである」という意味の発言をしているが、『2001年宇宙の旅』は当然あるべき説明的要素をカットし、あえて分かりにくくしているため、何度接しても謎が残る。
最大の謎の一つは、絶対ミスを犯さないコンピューター「HAL9000」はなぜ狂ったか、である。
映画以外の情報に依拠すればこの謎は解けるのだが、あくまでも私たちに与えられているのは映画に描かれていることだけなので、そこから得られる情報をもとに読み取らなければならない。現時点の私の解釈は、モノリスから発せられる電波の影響が木星に近づくに従い強くなり、「HAL9000」に殺人の感情を与えた、というものである。それはモノリスにふれたことで猿人が単なる威嚇行為から骨を武器にした殺害行為へと「進化」する序盤のシーンと通じている。
私にとって最初のキューブリック体験は『時計じかけのオレンジ』。思春期の頃、ビデオを借り、タイトル・シークエンスのカッコ良さに圧倒され、あとはもうそのままアレックス(マルコム・マクダウェル)の物語に引き込まれたものである。この映画は数々の模倣犯罪を生んだとされ、(キューブリックの指示により)イギリスでは長い間上映禁止になっていたが、作品としての面白さは否定しようがない。
何度観てもインパクトが薄れないのは、「ルドヴィコ治療」のシーンでもレイプ・シーンでもなく、去勢状態に陥った惨めなアレックスが「ドルーグ」2人と再会するカットだ。2人が着ているのは警官の制服。アレックスは驚愕する。平気で人を傷つけ、レイプし、盗みを働いていた少年たちが、誰にもバレないまま成長し、大人になって就職を考え、警官になるというサタイアは、いかにもあり得そうで不気味である。
ここで例のエレクトロな葬送音楽が流れ、アレックスに対するリンチが行われる。ちなみに、2人の警官の制服(肩の部分)には「665」と「667」という数字がふられている。つまり、彼らの間に挟まれたアレックスは「666」に相当するわけだ。悪魔の葬送である。
そして、この葬られた悪魔が復活を遂げるところで映画は終わる。
【関連サイト】
THE KUBRICK SITE
スタンリー・キューブリックの映画は、時代の制約を超えたところに存在している。
どんな巨匠が撮った傑作でも、それが作られた時代のモラルや技術等の制約と無縁ではあり得ない。「昔の作品だから、こういう表現にならざるを得なかったのだろう」とか「今ほど技術が発達していなかったから、ここまでが限界だったのだろう」といった感想を抱かせるものが大半である。しかし、『時計じかけのオレンジ』や『バリー・リンドン』を観てそんな風に思う人はいないはずだ。これは驚くべきことである。
作られた時代の制約を感じさせない点で、キューブリックの映画は常に先進的だ。彼を軸にして考えると、映画は進化しているどころか退化しているのではないか、と思いたくなるほどである。その時代のテクノロジーや視覚化されたイメージの限界を否応無しに感じさせる「SF映画」のジャンルでも、キューブリックは1968年に『2001年宇宙の旅』という恐るべき傑作を撮っている。
13本の長編作品全てがそうだとはいわないが、少なくとも『博士の異常な愛情』以降、キューブリックは普遍性を持つ映画、いつの時代にも通用する映画を志向していたに違いない。そのために完璧主義者として振る舞い、妥協を許さず、スタッフもキャストも毎回大変な思いをした。
普遍性への志向は、クラシック音楽へのこだわりにもあらわれている。時代の中で消化されることのないパーセル、ヘンデル、ベートーヴェン、シューベルト、ヨハン・シュトラウス2世、リヒャルト・シュトラウス、バルトーク、ショスタコーヴィチ、リゲティなどの音楽に注目し、その旋律や音響が包含する生命力を取り込み、映像と密接なつながりを持たせている。
キューブリック作品を彩る音楽は、時にメッセージ性を帯び、啓示的な役割を果たすこともある。例えば、『時計じかけのオレンジ』の冒頭2分間を支配しているのはパーセルの「メアリー女王のための葬送音楽」のエレクトロ版(編曲はウォルター・カーロス、後にウェンディ・カーロスに改名)だが、あろうことか、そこに「怒りの日」をブレンドさせている。この「ホラーショー」な問題作がどんな内容か示唆しているのである。
『2001年宇宙の旅』と『時計じかけのオレンジ』
一度観ただけでは理解出来ないキューブリック作品の代表格は、『2001年宇宙の旅』だろう。彼は「偉大な音楽、偉大な絵、偉大な小説は何度も接した後初めて理解されるものであろう。映画も同じである」という意味の発言をしているが、『2001年宇宙の旅』は当然あるべき説明的要素をカットし、あえて分かりにくくしているため、何度接しても謎が残る。
最大の謎の一つは、絶対ミスを犯さないコンピューター「HAL9000」はなぜ狂ったか、である。
映画以外の情報に依拠すればこの謎は解けるのだが、あくまでも私たちに与えられているのは映画に描かれていることだけなので、そこから得られる情報をもとに読み取らなければならない。現時点の私の解釈は、モノリスから発せられる電波の影響が木星に近づくに従い強くなり、「HAL9000」に殺人の感情を与えた、というものである。それはモノリスにふれたことで猿人が単なる威嚇行為から骨を武器にした殺害行為へと「進化」する序盤のシーンと通じている。
私にとって最初のキューブリック体験は『時計じかけのオレンジ』。思春期の頃、ビデオを借り、タイトル・シークエンスのカッコ良さに圧倒され、あとはもうそのままアレックス(マルコム・マクダウェル)の物語に引き込まれたものである。この映画は数々の模倣犯罪を生んだとされ、(キューブリックの指示により)イギリスでは長い間上映禁止になっていたが、作品としての面白さは否定しようがない。
何度観てもインパクトが薄れないのは、「ルドヴィコ治療」のシーンでもレイプ・シーンでもなく、去勢状態に陥った惨めなアレックスが「ドルーグ」2人と再会するカットだ。2人が着ているのは警官の制服。アレックスは驚愕する。平気で人を傷つけ、レイプし、盗みを働いていた少年たちが、誰にもバレないまま成長し、大人になって就職を考え、警官になるというサタイアは、いかにもあり得そうで不気味である。
ここで例のエレクトロな葬送音楽が流れ、アレックスに対するリンチが行われる。ちなみに、2人の警官の制服(肩の部分)には「665」と「667」という数字がふられている。つまり、彼らの間に挟まれたアレックスは「666」に相当するわけだ。悪魔の葬送である。
そして、この葬られた悪魔が復活を遂げるところで映画は終わる。
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