映画 MOVIE

スタンリー・キューブリック 〜時代を超越する映像〜 [続き]

2014.01.16
『アイズ ワイド シャット』について

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 『アイズ ワイド シャット』は当時結婚していたトム・クルーズ、ニコール・キッドマンを起用したR-18指定作品で、キューブリックの遺作である。舞台は宇宙、無人ホテル、戦場といった極限的なものではなく、日常の世界だ。その日常の死角にある陥穽にはまり、一人の男が悪夢を体験する。

 主人公ビル(トム・クルーズ)は腕利きの医者で、美しい妻アリス(ニコール・キッドマン)、可愛らしい娘ヘレナと3人で幸せに暮らしている。有力者とのコネクションもある。
 ビルは悪人ではないし、どちらかといえば善人だが、どこか思い上がったところがあり、事ある毎に医師免許を見せて、自分を特別扱いさせようとする。免許を見せる相手は貸衣装屋、ホテルのフロント、食堂の女にまで及ぶ。あたかも当然の如く医師というステータスを濫用しているのである。

 そんな彼のステータスが崩壊する。
 崩壊が始まるのは、妻の告白からである。マリファナを吸っているアリスが、ビルの女性観を嘲笑し、ほかの男性と寝るために家庭を捨てる空想をしたことがある、といいだしたのだ。あくまでも空想上の話なのだが、ビルは激しく動揺する。知ったところでどうしようもないことを知ってしまった弊害である。こうして夫としての地位がまず危うくなる。

 その夜、ビルは街中で柄の悪い若者たちに絡まれる。今まで自分が相手にしてこなかったような連中に、いきなり標的にされるのだ。これは非常に重要なシーンである。ビルは心外そうな面持ちで相手を睨みつけるが、その目は「俺はお前たちに下に見られるような人間ではない」といいたげである。ここまではまだ矜持を保っているのだ。しかし、このシークエンスはビルのステータスが下降線を辿ろうとしていることを暗示している。

 同じ夜、ビルは学生時代の友人ニックの話に好奇心を刺激され、何者かが大邸宅で密かに執り行っている悪魔的な儀式に潜入する。しかし、呆気なく正体を見破られ、危機に直面する。そもそも彼はこの儀式に参加出来る身分ではないのだ。
 自分の想像を遥かに上回る圧倒的な階級を前に、為す術もなくおろおろしている時、仮面をつけた一人の女性がビルの身代わりになるといいだす。その際、ビルは女性の自己犠牲を制止することもなく、すごすごと退出する。

 知らなくていいことを知り、危険な目に遭ったビルだが、懲りずにいろいろ穿鑿を始める。しかし、まもなく自分を救ってくれた女性が死んだことを知る。それはマンディといい、彼が医師として介抱したことのある女性だった。
 なぜマンディは死んだのか、真相は闇の中だが、ビルは自分のせいだと考える。こうして、「医師が患者を死なせる」という図式が成り立つ。それだけでなく、不可侵の階級層に睨まれたことで、社会的地位も危ういものになった。最終的に、内部崩壊したビルはアリスの前で子供のように泣き崩れる。

 事実を知ったところでビルの立場では何も出来ないし、ただ自分自身を傷つけるだけである。あと一歩で関係を持ちそうになった娼婦がHIVに感染していたという情報も、別に知らなくていいことである。この上、もし消息を絶った友人ニックの行方を追ったら、どんな結末が待っていたことか。

 ビルとアリスは苦悩を共有し、修復へ向かおうと試みる。そこでアリスは「すぐに大事なことをしなければいけない」と提案する。すなわち「ファック」である。この身も蓋もない表現は、自分たちが内的にも外的にも取り繕ったことをしていられない状態にあることを示している。と同時に、メッキの剥がれた惨めな夫に釣り合った一言ともいえる。
 アリスが「ファック」といった後、エンドクレジットに切り替わり、ショスタコーヴィチの音楽が流れる。そして、曖昧な愛の中でワルツを踊り続けるであろう男女の姿を暗示しながら「THE END」となる。なんとも鮮やかなエンディングだ。

 もし妻の告白を聞いていなければ、何も起こらなかったかもしれない。世の中には知らなくていいことが沢山ある。それをあえて知ることで得るものもあるかもしれないが、不幸になるケースもあるのだ。この問題を発生させる最もありふれたシステムが、男と女の関係である。ビルが体験する不可解な冒険が象徴しているのも、これである。

『バリー・リンドン』について

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 既述したように、私がキューブリックに圧倒されたのは『時計じかけのオレンジ』が最初だが、好きになったのは『バリー・リンドン』を観てからである。
 『バリー・リンドン』はサッカレーの原作をもとにした大作で、アイルランド出身の若者レドモンド・バリーの奇妙な冒険を描いている。ローソクの光のみを使った美しい映像、悲しい宿命を思わせるヘンデルやシューベルトの音楽がたまらなく魅力的。運命の残酷さを描く上で手心を一切加えないキューブリックらしい後半の展開には慄然とさせられる。

 バリーが冒険に出る羽目になったのは、一人の女性が原因である。酷いやり方で彼のことを裏切った初恋の人、ノーラだ。この失恋がバリーの恋愛観や女性観にどんな影響を与えたかは容易に想像出来るだろう。バリーはノーラから受けた深い心の傷を、農家の人妻の愛で癒し、その後リンドン伯爵夫人と結婚して本領発揮、浮気三昧の生活を送る。そうやって女に復讐するわけだが、まもなく自分の愚かしさに気付き、改心する。
 バリーの浮気はリンドン伯爵夫人を悲しませただけではない。彼女の連れ子、ブリンドン卿の性格を徹底的に歪めてしまう。そして結果的に、この義理の息子がバリーに災厄をもたらす。いってみれば、悲惨な初恋から続く負の連鎖を描いているのである。

 『バリー・リンドン』のキューブリックには思わせぶりなところがない。ナレーションがある点も含めて、とにかく分かりやすい。公開時は不評だったようだが、これはキューブリックが主人公の人生を正面から伝記的に取り上げた唯一の作品として評価されるべきである。

 キューブリックの独創性は時代を超える。その映画は老いることを知らない。もし、彼の作品を古いと感じる日が来るとしたら、それは映画がそこまで進化したことを意味するか、私たちの感性に望ましくない退化が起こったことを意味する。
(阿部十三)


【関連サイト】
THE KUBRICK SITE
[スタンリー・キューブリック略歴]
1928年7月26日、ニューヨーク市ブロンクス生まれ。高校卒業後、ルック社のカメラマンとして活躍し、1951年に短編ドキュメンタリー『拳闘試合の日』を監督。1953年に『恐怖と欲望』で長編映画デビューを飾るが、「失敗したアマチュアの練習映画」として封印(後年、ソフト化された)。『スパルタカス』、『ロリータ』、『博士の異常な愛情』で地歩を固め、『2001年宇宙の旅』で世界的な巨匠に。以後、一作一作に時間をかけながら革新的な傑作を発表。『アイズ ワイド シャット』を撮った後、1999年3月7日に急死した。私生活では3回結婚している。
[主な監督作品]
1953年『恐怖と欲望』/1955年『非情の罠』/1956年『現金に体を張れ』/1957年『突撃』/1960年『スパルタカス』/1962年『ロリータ』/1964年『博士の異常な愛情 又は私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』/1968年『2001年宇宙の旅』/1971年『時計じかけのオレンジ』/1975年『バリー・リンドン』/1980年『シャイニング』/1987年『フルメタル・ジャケット』/1999年『アイズ ワイド シャット』