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キャロル・リード 〜夜の魔術師〜

2014.05.13
夜のシーンを撮らせたら右に出るものなし

 キャロル・リードは夜を撮るのがうまい監督である。モノクロでは暗がりのシーンの映像が重くなりがちだが、リードの場合、むしろ精彩を帯びるから面白い。照明の加減が絶妙で、なんでもない魔法のように光と影を扱い、ひんやりとした夜風が感じられそうなほど雄弁な映像を作り出すのだ。初期の作品『星は見下ろす』(1940年)からもその特性ははっきりと見て取れる。

 リードは子役の扱いにも長けていて、巧みに導きながら自分の映画の中に適応させる。そして主役、脇役に関係なく、物語を展開させる上で重要な役割を持たせる。その代表格は『落ちた偶像』(1948年)のフィリップであり、『オリバー!』(1968年)のオリバーとドジャーであるが、『邪魔者は殺せ』(1947年)のローラースケートの少女、『第三の男』(1949年)のハンゼル、『二つの世界の男』(1953年)のホルスト、『文なし横丁の人々』(1955年)のジョーも大きな存在感を示している。

『第三の男』について

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 キャロル・リードの最高傑作はグレアム・グリーン原作の『第三の男』であり、これを全映画含めてのベストワンに推す人も少なくない。チターをアップで映したオープニングも素敵だし、並木道のラストシーンも完璧。斜めのアングルを駆使したロバート・クラスカーのカメラも美しく、瓦礫と化したウィーンの建造物が芸術的な舞台装置となっている。夜のシーンが多いのも、リードには有利に働いたようだ。

 上映後1時間以上経ってからハリー・ライムが顔を見せる、映画史上最も有名なシーンもこれ以上ないほど効果的である。ハリー役を演じたオーソン・ウェルズによると、このシーンのためだけに第二班が編成され、何度もテストが重ねられたという。ハリーにしか懐かない、という猫の扱いも憎いほどうまい。演出に関して、ウェルズの影響が感じられるという意見に対しては、ウェルズ自身が否定している。これはキャロル・リードの映画なのだ。ただし、以下の名台詞はウェルズのアイディアである(事実誤認というおまけつきだが)。
「イタリアはボルジア家のもとで30年苦しんだがミケランジェロやダ・ヴィンチやルネサンスを生み出した。スイスは友愛の国で500年民主主義と平和が続いているが何を生んだか。ハト時計さ」

 オープニングに出てくるチターのサウンドホールは、落とし穴を想起させるメタファーである。これが下水道のシーンと繋がっていることはいうまでもない。と同時に、ハリー・ライムと三流作家ホリー・マーチンス(ジョゼフ・コットン)が落ちる人生の陥穽も示している。

 ハリーの旧友ホリーはいわゆる空気の読めない人間であり、あれこれ掻き回すことで、軍側からも犯罪者側からも鬱陶しく思われている。いわば他国人から見たアメリカ人の典型だ(原作ではロロ・マーティンスという名前で、イギリス人)。そんなホリーは、狡賢いハリーに対して昔から劣等感を抱いている。彼はハリーの恋人アンナ(アリダ・ヴァリ)を見て恋に落ちるのだが、アンナの心は動かない。ハリーひと筋なのである。それを痛感させられた後、ホリーは死んだはずのハリーと遭遇する。そして、軍側のキャロウェイ少佐(トレヴァー・ハワード)に報告する。原作では先にアンナに報告しに行くが、彼女が連行されたため、キャロウェイの所へ行く。映画ではそこが変更されているのだ。
 ホリーがとる全ての行動はモラルの枠内で一応の説明はつく。しかし、彼は横恋慕の陥穽に落ちた人間なのだ。このあたりの人物造型にもさりげない陰翳がある。

 私が最も好きなのは、キャロウェイ少佐とペイン軍曹(バーナード・リー)が見張っている最中、大きな人影と共に風船売りの老人が現れ、2人に風船を売りつけるシークエンスである。役者の演技、テンポ、編集、照明、コミカルさと不気味さの調和に、何度観ても唸らされる。この後すぐテーマ曲と共にハリー・ライムが登場し、映画のテンポは急速にアップして下水道のシーンへとなだれ込む。つくづくよく出来た作品だと思う。

一途なヒロインたち

 『第三の男』に限らず、リードは一途なヒロインを設定することを好み、彼女たちの中から善悪の概念を排除する。『邪魔者は殺せ』では、キャスリーン(キャスリーン・ライアン)が殺人を犯した活動家ジョニー(ジェームズ・メイスン)のために善悪の境界を越える。神父の説得も彼女の耳には届かない。雪の中、彼女が瀕死のジョニーを見つけ出して駆け寄るシーンのカメラワークは非常に劇的で、磔にされた受刑者に抱きつくようなニュアンスを醸し出すことに成功している。ラストで余計な音楽を入れず、時計台の鐘の音のみで終わらせれば最高だったが、名作には違いない。

 『二つの世界の男』では、スザンヌ(クレア・ブルーム)が「人さらい」に堕ちた元弁護士であり兄嫁の元夫でもあるイーヴォ(ジェームズ・メイスン)に惹かれる。東側に拉致された彼女は、イーヴォの力を借りて西側へ逃れようとするが、2人が一夜を共にした後は、性の余韻に浸りきっている。とろんとしたスザンヌの目を見ても、彼女が自分の置かれた状況に興味を失い、イーヴォのことしか考えていないのがよく分かる。

 『星は見下ろす』では、マーガレット・ロックウッド(キャロル・リード初期作品のヒロイン)扮するジェニーが、軽薄な男ジョーに去られた腹いせにその友人デイヴィーと結婚する。しかし、ジェニーはジョーのことが忘れられず、彼が成功者になって現れるとすぐによろめく。ちなみに、哀れな夫デイヴィー役を演じているのはマイケル・レッドグレイヴ。アルフレッド・ヒッチコック監督の『バルカン超特急』(1938年)のコンビをここで再び観ることが出来る。

倫理的な傾向

 こういったヒロインを設定しながらも、リードは破滅型の映像作家ではなく、むしろ倫理的で、基本的には勧善懲悪型からそれることがない。その点、ライバルと目されたデヴィッド・リーンとは異なる。『星は見下ろす』のような悲惨な結末は例外といっていいだろう。
 その倫理観が映画の持つサスペンス性を緩ませることもある。『ミュンヘン行きの夜行列車』(1940年)でも甘い倫理観がサスペンスの土台をふやけさせている。まずアンナ(マーガレット・ロックウッド)がカール(ポール・ヘンリード)とイギリスへ脱走するまでは緊張感のかけらもない。そのカールが実はナチスのスパイだと分かるシーンで少し盛り返すが、結局は倫理的な色合いが強まることで、クライマックスの「ミュンヘン行きの夜行列車」のシーンが冗長になり、安っぽいヒーロー映画に転じる。ラストの銃撃戦にいたっては蛇足である。『バルカン超特急』には遠く及ばぬスパイ映画の習作といったところだ。

 中期のスパイ映画『ハバナの男』(1959年)はアレック・ギネスをはじめとする芸達者なキャストが素晴らしく、諜報活動を徹底的に茶化したブラックコメディとして楽しめる。夜のシーンのうまさ、不安定な斜めの構図などリード映画の良質な部分も出ている。サスペンス性は弱いし、グレアム・グリーン原作にしては台詞も平板だが、緊迫感を出すよりも、余裕を持って鑑賞出来る娯楽映画にしたかったのだろう。
 一種の「スパイ」を描いた映画という意味では、『フォロー・ミー』(1972年)も魅力的だ。少し説教臭いところはあるものの含蓄に富み、愛について色々考えさせられる。ロンドンの名所を活写するカメラワークもこなれていて、遺作とは思えないほどみずみずしい息吹が感じられる。

人物の運命を小道具が左右する

 最高傑作とはいえないが、個人的に好きなのは『最後の突撃』(1944年)だ。ありきたりな戦意高揚映画ではなく、政府や軍隊を痛烈に批判する市民たちが徴兵され、訓練を受けるうちに一人前の歩兵となり、戦闘を望むようになるプロセスを丹念に描いている。
 ここでも「夜の映像」は素晴らしい効果を見せる。船上で兵士たちのハンモックが揺れるカットである。夜の静寂、休息、底に漂う緊迫感。映画の中で最も印象的な部分といえるだろう。そこから突如爆撃が始まり、パニックになる流れもうまい。このシーンには『第三の男』や『文化果つるところ』(1951年)に出演する前のトレヴァー・ハワードもちょい役で出てくる。

 アカデミー賞を受賞した『オリバー!』は様式化されたミュージカルで、マーク・レスターやジャック・ワイルドなど才能溢れる子役が出演している。出来が悪いわけではないが、全体的に大味で、この3分の2の長さでも良かったのではないかと思わないでもない。
 『オリバー!』で私が最大の見せ場だと思うのは、暗がりの中、銀の飾り盆が転がるシーンである。このように小道具が人知の及ばぬ動きを見せて、物語を、もっといえば登場人物の運命を左右してしまうのもリード作品の味である。『邪魔者は殺せ』のボール、『落ちた偶像』の紙飛行機が良い例だ。そのカット割りも編集も鮮やかである。こういう運命論的な趣味は、リードの倫理観のひとつの表れなのかもしれない。
(阿部十三)


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CAROL REED
[キャロル・リード略歴]
1906年12月30日、ロンドンに生まれる。父親は名優ハーバート・ビアボーム・トリー。俳優を経て監督になり、1935年にデビュー。初期作品では主にマーガレット・ロックウッドとコンビを組んだ。戦時中は英国陸軍に所属し、1947年に『邪魔者は殺せ』を発表して頭角を現す。1948年の『落ちた偶像』で作家グレアム・グリーンと組み、1949年に『第三の男』で大成功を収め(カンヌ国際映画祭グランプリ)、1953年にはナイトの爵位を得ている。1968年にはミュージカル『オリバー!』でアカデミー監督賞を受賞。1976年4月25日、ロンドンで死去。
[主な監督作品]
1938年『銀行休日』/1940年『星は見下ろす』/1944年『最後の突撃』/1947年『邪魔者は殺せ』/1948年『落ちた偶像』/1949年『第三の男』/1951年『文化果つるところ』/1953年『二つの世界の男』/1956年『空中ぶらんこ』/1959年『ハバナの男』/1965年『華麗なる激情』/1968年『オリバー!』/1970年『最後のインディアン』/1972年『フォロー・ミー』