オーソン・ウェルズ 〜真の天才演出家〜
2014.07.01
情熱はあくまでも監督業に
オーソン・ウェルズの監督作には権力者の破滅や没落を描いたものが目立つ。『市民ケーン』(1941年)や『偉大なるアンバーソン家の人々』(1942年)はもちろんのこと、シェイクスピア原作の『マクベス』(1948年)や『オセロ』(1952年)、日本未公開の『秘められた過去(Mr. Arkadin)』(1955年)、ハリウッド最後の作品となった『黒い罠』(1958年)もそのタイプに属する。もっといえば、『オーソン・ウェルズ IN ストレンジャー』(1946年)もそこに含まれるだろう。そして『偉大なるアンバーソン家の人々』を除き、オーソン自身、そういう破滅的な役柄を自家薬籠中のものとし、積極的に演じていたように見受けられる。
周知の通り、オーソンは数々の映画に俳優として出演し、その美声と貫禄溢れる体格をいかして、時には主役を食わんばかりの存在感を示したが、彼自身の情熱はあくまでも監督業、演出業に注がれていた。しかしながら、監督業は苦闘の連続だった。せっかく手がけた作品に難色を示され、会社側に勝手に編集される、という屈辱を味わったこともあった。着手していた企画が立ち消えになったり、陰険な犯罪の罠にはめられそうになったりしたこともあった。
そもそも新聞王ウィリアム・ランドルフ・ハーストをモデルにした『市民ケーン』が上映禁止に追い込まれ、最高傑作になるはずだった『偉大なるアンバーソン家の人々』をズタズタにカットされた時点で、普通ならば映画界に見切りをつけていたはずである。しかし彼は普通の人ではなく、製作国を変えて傑作を撮り続け、興行的に失敗しても挫けることなく、監督する機会を常にうかがっていた。
斬新なビジョンを持つ古典志向者として
一般的に、「オーソン・ウェルズ」の名前を見て真っ先に頭に思い浮かべる作品は、おそらく『市民ケーン』と『第三の男』(キャロル・リード監督)だろう。前者は監督としての代表作、後者は俳優としての代表作である。『市民ケーン』は構成面でも技術面でも圧倒的な独創性を持ち、後世に多大な影響を及ぼした。オーソンとグレッグ・トーランドという2人の天才が生み出した映像世界は、現在も色あせることがないどころか、陳腐で表層的な映像技術が横溢する世界にあって泥中の蓮のような存在であり続けている。ハーストとマリオン・デイヴィスを題材にしたスキャンダラスな作品であるのは事実だが、今はそうした二次的な意味はほとんど用をなさず、純粋に作品そのものが高い評価を受けている。
ただし、オーソン・ウェルズは『市民ケーン』の監督であるだけでなく、シェイクスピア作品の天才的な演出家であり、一流のシェイクスピア俳優でもある。14歳で『ジュリアス・シーザー』を演出し、その後、『ロミオとジュリエット』の舞台で演技を認められ、1936年4月、20歳の時に黒人キャストによる『マクベス』を演出し大成功を収めたキャリアを見ても分かるように、彼は若い頃からシェイクスピアに対して情熱を抱いていた。映画化に着手するのは当然の成り行きだった。
数多あるシェイクスピア映画の中でも、オーソンが手掛けた原始的でまがまがしい雰囲気に覆われた『マクベス』、格調と斬新が調和した完璧な『オセロ』は、その演技や長回しや照明の素晴らしさを云々するまでもなく、映像表現が最も効果的に用いられた傑作中の傑作といえる。『マクベス』が超低予算で撮られたことは衣裳やセットをみても明らかだし、そこをあげつらう人もいるが、だからといって、これが低予算でなかったらもっと良い仕上がりになっただろうと考えるのは無意味である。『オセロ』の方は、名優ローレンス・オリヴィエ(オーソンのインタビューを読むと、オリヴィエの存在を相当意識していたように思える)が監督した作品も有名だが、映像表現の面でも、人物造型の面でも、私にはオーソンの『オセロ』の方が説得力に満ちているように思える。美術監督のアレクサンドル・トローネルが果たした役割も大きい。
王や権力者の悲劇的な死は、いってみれば古典的な題材である。そういったものにオーソンの関心が傾いていたのはなぜなのか。やはりそこには、若き日に吸収した古典悲劇の影響があったのではないかと思われる。オーソンが描いた悲劇的巨人の中で、おそらく最も強大な権力を持ち、最も行動的であり、急降下ぶりが最も唐突で呆気ない『秘められた過去』のアーカディンは、その良い例である。彼は莫大な富を掌握する男であり、残虐なフィクサーであり、ジョン・ファウルズの小説『魔術師』に登場するコンヒスばりの謎めいた権力者だが、娘のことを異常なほど愛していて、自分が過去に犯した汚い所業を知られまいとする。それが弱点となり、娘に言い寄る胡散臭い若者ガイによって、返り討ちに遭う。
この古典劇に出てきそうな大人物アーカディンのモデルはスターリンらしいが、『カイエ・デュ・シネマ』(1958年9月)では「わたしが演じた大きな役は、ほとんどがファウストのヴァリエーションだ」とも語っている。オーソンの趣味を知る上で興味深い発言である。シェイクスピア作品に限らず、『市民ケーン』にしても、『黒い罠』にしても、オーソンが演じる悲劇的巨人に普遍性があり、一筋縄ではいかない魅力があるのは、そういう意識を基盤にして、役柄を解釈しているからだといっても過言ではないだろう。
【関連サイト】
オーソン・ウェルズ 〜真の天才演出家〜 [続き]
orsonwelles.org
Orson Welles(DVD、Blu-ray)
オーソン・ウェルズの監督作には権力者の破滅や没落を描いたものが目立つ。『市民ケーン』(1941年)や『偉大なるアンバーソン家の人々』(1942年)はもちろんのこと、シェイクスピア原作の『マクベス』(1948年)や『オセロ』(1952年)、日本未公開の『秘められた過去(Mr. Arkadin)』(1955年)、ハリウッド最後の作品となった『黒い罠』(1958年)もそのタイプに属する。もっといえば、『オーソン・ウェルズ IN ストレンジャー』(1946年)もそこに含まれるだろう。そして『偉大なるアンバーソン家の人々』を除き、オーソン自身、そういう破滅的な役柄を自家薬籠中のものとし、積極的に演じていたように見受けられる。
周知の通り、オーソンは数々の映画に俳優として出演し、その美声と貫禄溢れる体格をいかして、時には主役を食わんばかりの存在感を示したが、彼自身の情熱はあくまでも監督業、演出業に注がれていた。しかしながら、監督業は苦闘の連続だった。せっかく手がけた作品に難色を示され、会社側に勝手に編集される、という屈辱を味わったこともあった。着手していた企画が立ち消えになったり、陰険な犯罪の罠にはめられそうになったりしたこともあった。
そもそも新聞王ウィリアム・ランドルフ・ハーストをモデルにした『市民ケーン』が上映禁止に追い込まれ、最高傑作になるはずだった『偉大なるアンバーソン家の人々』をズタズタにカットされた時点で、普通ならば映画界に見切りをつけていたはずである。しかし彼は普通の人ではなく、製作国を変えて傑作を撮り続け、興行的に失敗しても挫けることなく、監督する機会を常にうかがっていた。
斬新なビジョンを持つ古典志向者として
一般的に、「オーソン・ウェルズ」の名前を見て真っ先に頭に思い浮かべる作品は、おそらく『市民ケーン』と『第三の男』(キャロル・リード監督)だろう。前者は監督としての代表作、後者は俳優としての代表作である。『市民ケーン』は構成面でも技術面でも圧倒的な独創性を持ち、後世に多大な影響を及ぼした。オーソンとグレッグ・トーランドという2人の天才が生み出した映像世界は、現在も色あせることがないどころか、陳腐で表層的な映像技術が横溢する世界にあって泥中の蓮のような存在であり続けている。ハーストとマリオン・デイヴィスを題材にしたスキャンダラスな作品であるのは事実だが、今はそうした二次的な意味はほとんど用をなさず、純粋に作品そのものが高い評価を受けている。
ただし、オーソン・ウェルズは『市民ケーン』の監督であるだけでなく、シェイクスピア作品の天才的な演出家であり、一流のシェイクスピア俳優でもある。14歳で『ジュリアス・シーザー』を演出し、その後、『ロミオとジュリエット』の舞台で演技を認められ、1936年4月、20歳の時に黒人キャストによる『マクベス』を演出し大成功を収めたキャリアを見ても分かるように、彼は若い頃からシェイクスピアに対して情熱を抱いていた。映画化に着手するのは当然の成り行きだった。
数多あるシェイクスピア映画の中でも、オーソンが手掛けた原始的でまがまがしい雰囲気に覆われた『マクベス』、格調と斬新が調和した完璧な『オセロ』は、その演技や長回しや照明の素晴らしさを云々するまでもなく、映像表現が最も効果的に用いられた傑作中の傑作といえる。『マクベス』が超低予算で撮られたことは衣裳やセットをみても明らかだし、そこをあげつらう人もいるが、だからといって、これが低予算でなかったらもっと良い仕上がりになっただろうと考えるのは無意味である。『オセロ』の方は、名優ローレンス・オリヴィエ(オーソンのインタビューを読むと、オリヴィエの存在を相当意識していたように思える)が監督した作品も有名だが、映像表現の面でも、人物造型の面でも、私にはオーソンの『オセロ』の方が説得力に満ちているように思える。美術監督のアレクサンドル・トローネルが果たした役割も大きい。
王や権力者の悲劇的な死は、いってみれば古典的な題材である。そういったものにオーソンの関心が傾いていたのはなぜなのか。やはりそこには、若き日に吸収した古典悲劇の影響があったのではないかと思われる。オーソンが描いた悲劇的巨人の中で、おそらく最も強大な権力を持ち、最も行動的であり、急降下ぶりが最も唐突で呆気ない『秘められた過去』のアーカディンは、その良い例である。彼は莫大な富を掌握する男であり、残虐なフィクサーであり、ジョン・ファウルズの小説『魔術師』に登場するコンヒスばりの謎めいた権力者だが、娘のことを異常なほど愛していて、自分が過去に犯した汚い所業を知られまいとする。それが弱点となり、娘に言い寄る胡散臭い若者ガイによって、返り討ちに遭う。
この古典劇に出てきそうな大人物アーカディンのモデルはスターリンらしいが、『カイエ・デュ・シネマ』(1958年9月)では「わたしが演じた大きな役は、ほとんどがファウストのヴァリエーションだ」とも語っている。オーソンの趣味を知る上で興味深い発言である。シェイクスピア作品に限らず、『市民ケーン』にしても、『黒い罠』にしても、オーソンが演じる悲劇的巨人に普遍性があり、一筋縄ではいかない魅力があるのは、そういう意識を基盤にして、役柄を解釈しているからだといっても過言ではないだろう。
続く
(阿部十三)
(阿部十三)
【関連サイト】
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orsonwelles.org
Orson Welles(DVD、Blu-ray)
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